最後の「大好き」
――あー、疲れた。こんなに疲れてんのに、また明日は朝からずっと文化祭の準備か……。
まるで鉛のように重い足を動かして、自転車を漕ぐ。バイト先から走らせてきて、ようやく家の前まで帰ってきた。
こんなにも疲れているというのに、明日は丸一日練習と準備だ。それに加えて、土日は連日で本番を迎えることになる。苦行続きで、ここ数日はずっと憂鬱だ。こうも忙しいと、果たして月曜日にはどうなってしまっているのだろうか。
――まぁでも、今日も七泉が晩飯作ってくれてるんだろうし……。それが唯一の癒しだな。
とはいえ、これも偶然か。ここ連日はずっと、家に帰れば従妹の七泉が、一生懸命作ってくれた夜ご飯を携えて、俺の帰りを出迎えてくれる。家に帰るのがこれほど嬉しいと思えるのは、一人暮らしをしてから初めてのことだ。
――将来もし彼女ができたら、こんな風なのかなぁ。同棲して二人で過ごして……色々と楽しいんだろうなぁ。
そんなことをぼんやりと考えながら、自分が住んでいるアパート前の路地が見えた。いつも通りそこを曲がり、アパートへと向かおうとする。――しかし俺は、直前で咄嗟に自転車のブレーキを掛けてしまった。
「あっ、実お兄ちゃん! お帰りなさい!」
ちょうど曲がり角のところで、七泉が俺のことを待っていたのだ。俺を見つけるなり彼女は、嬉しそうにこちらへと駆け寄ってくる。もうすぐ夜の十時になるというのに、どうしたのだろうか。
「七泉? どうしたんだよ、こんなとこで突っ立ってて」
「あ、うん、ちょっとね。家にいても暇だったから、今日は丸一日出かけてたんだ。それで、ちょうどさっき帰ってきたから、ここでお兄ちゃんのこと待ってようと思って」
「へぇ、そうだったんだ。……でも、もう十時だぞ? こんなとこで女の子一人じゃあ、危なくない?」
「もー、お兄ちゃんは心配性だなぁ。私みたいなパッとしない子なんて、誰も近寄ろうとしないって」
「なに言ってんだよ。七泉は十分可愛いぞ?」
「なっ……!」
俺がそう言うなり、突然七泉が一歩引き下がった。そしてそのまま、クルリと背中を向けてしまう。
「ああもう、そういうとこ!! そういうとこだぞ、お兄ちゃん!!」
「え、な、なんだよ!?」
「ふんっ、知ーらない。自分で考えてみれば」
「えぇ……」
一体今の会話の、どこがいけなかったのだろうか。俺はただ、思っていることを言っただけのはずなのだが。もしかして、褒められるのが嫌だったのか?
「……まぁ、それはいいよ。それよりさ、せっかくだしちょっと、夜の町を散歩しない?」
改めて七泉が呆れたような表情をしながら、再びこちらを振り向く。
「散歩? 今からか?」
「うん、今から」
「……晩飯は?」
「あー、出かけてたから作ってないや、ごめんね。私もまだ食べられてないし、今日はコンビニで済ませちゃおっか」
「そう……。まぁ仕方ないか、分かったよ。取り敢えず、自転車だけ置いてくる。待ってて」
「あ、じゃあ私も行くよ」
俺が一人でアパートの駐輪場へと向かおうとすると、七泉は後ろに付いてきた。二人揃って、一緒に駐輪場へ歩いていく。
「もしかしてお兄ちゃん、私の料理楽しみにしてた?」
「そりゃあそうだよ。七泉の作ってくれる料理、いつも美味しいし」
「……えへへ、そっか。嬉しいなぁ」
「それに、いつも買い出しまでしてくれてるだろ? 自分のことも大変なのに、いつもありがとうな」
「そんなことないよ。私だって、無理言ってずっと泊めてもらってる身だし、こっちこそ感謝だよ」
「ははっ、そっか」
そんな話をしながら、アパート前のいつもの場所に自転車を停める。そのまま俺達は再び、アパートの敷地を出て歩き始めた。
「ねぇさ、お兄ちゃん。この話、覚えてる?」
アパート前の曲がり角を抜けたところで、唐突に七泉がそんなことを告げた。
「ん、なに?」
「小学生の頃にさ。お兄ちゃん達の家族がウチに泊まりに来たとき、私のことをイジメっ子から庇ってくれたことがあったじゃない?」
「小学生の……夏休みに?」
はて、そんなことあっただろうか。そう言われてみても、イマイチ頭の中でピンとこない。
「……あー、その調子だと覚えてないでしょ?」
そんな俺の表情を見た七泉が、呆れ顔で人差し指を差してくる。
「うっ……す、すまん。もうちょっと詳しく教えてくれたら、思い出せるかも……」
「もう。あの時はさ、私のお母さんからお使いを頼まれたんだよ。茜ちゃんはまだ小さかったから、私とお兄ちゃんの二人だけで、スーパーに行ったんだ。その途中で、私のクラスメイトだった男の子達と偶々会っちゃったの」
「んー、あー……確かにそんなことあったな。なんとなく思い出してきたような気がする」
「本当? それでね、お兄ちゃんがその子達に言ったんだ。『七泉ちゃんは一人ぼっちじゃない。凄く優しい女の子なんだ』って」
「……俺、そんなこと言ってたの?」
薄っすらと、イジメっ子を相手にした覚えこそはあるものの、ハッキリと当時の情景までは思い出せない。一体何に対して俺は、そんなことを言ったのだろうか。
「そうだよー。でまぁ色々あって、イジメっ子達は帰っちゃったんだけどね。その後お兄ちゃんが私に、『どんなに悪口言われてても、好きなことをしてる七泉ちゃんのほうが、見ててカッコいいよ』って言ってくれたの。それが私、凄く嬉しくて、思わず泣いちゃったんだ」
「あー……そういや七泉泣いてたな。なに言ったかは覚えてないけど、泣いた七泉とスーパーに行ったことは思い出したぞ」
「ちょ、そこは言わなくていいじゃない! 恥ずかしいなぁ、もう!」
「あいてっ。ははっ、ごめんって」
咄嗟に七泉が、俺の背中を叩いてくる。ほとんど真っ暗で彼女の表情はよく見えないが、恐らく顔は赤くなっていることだろう。
「……じつはね。そこからなんだ、私がお兄ちゃんのことを好きになったの」
「え、そうだったんだ。そんな前からだったんだな」
俺の言葉に、七泉は無言でコクリと頷いた。
「『こんな一人ぼっちの私にも、優しくしてくれる男の人がいるんだな』って思ってね。それからお兄ちゃんのことを見ていくほど、どんどん好きになっていった。従兄のはずなのに、いつの間にかもう従兄には見えなくなっちゃって、一人の大好きな年上のお兄ちゃんになってたんだ。
流石にその、お兄ちゃんに他の彼女がいたことは知らなかったけど……いつか私も、そういう関係になれたらいいなって、ずっと思ってたんだ」
「……そうだったんだな」
「まぁ結局、それも叶わなかったんだけどね」
そう言って、七泉が苦笑いを浮かべてみせる。顔では笑っているものの、本心ではきっと相当辛く感じているのかもしれない。
「でもね、不幸だなとは思ってないよ。お兄ちゃんとは従兄妹同士だし、これでもう関係がなくなるわけじゃないから。……そう思うと私って、ある意味最強のポジションなのかもしれないね」
「あははっ、それはそうかも」
二人して笑い合いながら、無人の横断歩道を渡る。大通りに並ぶ街灯を頼りに歩いていると、隣の七泉が咄嗟に声を上げた。
「ねぇ見てみて、お兄ちゃん。あそこに立ってる木、なんだか凄く大きくない?」
そう言って七泉は、俺の服の裾を引っ張りながら、右前方に見える大きな樹木を指差した。
「……あー、あそこの公園の木か。確かにここら辺は住宅地ばっかりなのに、あの木だけ特別目立つよなぁ」
この辺りは建物が多く、そのほとんどが住宅地だ。自然はほとんど無いと言っても過言ではないほど、この周辺では見かけない。
そんな中、一本だけポツンとそびえ立つこの公園の木は、かなり遠くからでも視認することができるほど大きい。
「ちょっと寄ってみるか?」
「うん!」
晩飯を買いに行く散歩の道中。そんな流れから俺達は、住宅地の中にある大きな樹木につられて、公園へと寄り道することになった。
「すっごーい、大きいね。樹齢何年なんだろ……」
真っ暗闇な公園の中、街灯の光で照らされる樹木を見上げながら、七泉がぼんやりと呟く。
「……お、そこに看板立ってんな。どれどれ……?」
樹木をぐるりと丸で囲うように設置されたベンチの後ろに、看板が立て掛けられていた。それを見つけるなり、俺はその文章を覗き見る。
「へぇ、この木って樹齢三百年なんだって。どうりで大きいわけだ」
「凄いねぇ。もしかするとこの辺は昔、森になってたのかな?」
「どうだろうな。でも、この木だけ残されてるってことは、それなりに特別な木なんだろ。……多分」
「そうなのかなぁ。特別か……なんか、羨ましいな」
ふと、小声で七泉がボソッと告げた。
「ん、何が?」
「……なんかさ。こういう夜の公園って、ロマンチックじゃない? よくドラマとかでも演出で出てきそう」
「あー、確かに分かるかも。夜の公園って、なんか不思議と特別感あるよな。こういう大きな木が立ってたりすると余計に」
「そうだね。……ねぇ、実お兄ちゃん」
「うん?」
そんな呼びかけに、俺は七泉ほうを向く。いつの間にか彼女はこの大きな木ではなく、俺のほうへ体を向けていた。
「その……今後はもう、絶対言わないって約束するからさ。一つだけ、聞いてほしいことがあるの。――従妹としてじゃなくて、一人の女の子として」
「え。な、なんだよ……?」
俺が問うと七泉は、すぅっとゆっくり息を吸った。そのまま数秒ほど間を空けると、これまでとは違い小さな声で語り始める。
「私ってさ。その、普段はあんまり自分に自信がなくて、自分から動くことが凄く苦手なんだよね。目立つことも苦手だし、ひ弱だし、ずっと本読んだり絵を描いてばっかだし、学校ではあんまり良い目で見られなかったりもしたし……。
それでもね。いつもお兄ちゃんが、私のことを凄いって言ってくれるから。いつもお兄ちゃんが、私にありがとうって言ってくれるから、私はここにいていいんだって思えるんだ。お兄ちゃんのおかげで私は、頑張って前を向いて生きようって思えるの。……きっとお兄ちゃんがいなかったら私、こうはなってなかったかもしれない」
「七泉……」
「だからね。私はお兄ちゃんに、凄く感謝してるんだ。感謝しても、し切れないぐらい。だから君のことを好きになっちゃったし、こんなにも話してて嬉しいと思えるようにもなっちゃった。それが良いか悪いかって言われたら、まだよく分かんないけど……でも、これだけは言わせてほしいの」
そのまま数歩ほど歩いて、七泉が俺に近づく。このまま抱き着かれるのではないかと思うぐらい、お互いの距離は近かった。
「実お兄ちゃん。これまで私に、いっぱい勇気をくれてありがとう。私に、大切な趣味を教えてくれてありがとう。私はこんなにもちっぽけだし、お兄ちゃんの特別にはなれないけど……これからも、仲良くしてくれたら嬉しいな。――私、実お兄ちゃんのことが、これからもずっと大好きだよ」
声を震わせてそう言いながら、七泉がニコッと笑ってみせる。しかし、そんな表情とは裏腹に、彼女の目からは涙がこぼれ落ちていた。
「……まったく、なに泣いてんだよ」
「泣いてないもん。これは嬉し涙」
「嘘吐け、ったく……」
そんな彼女を慰めるように、俺は彼女の頭を右手で撫でてやった。すると七泉は嬉しそうに、目を擦りながら「えへへ」と笑ってみせる。
「その……俺も、いつも優しい七泉に助けられてるよ。七泉は確かに控えめな子だけど、決して弱虫なんかじゃない。今回だって、勇気を出して俺のところに来てくれたんだし、俺に気持ちを伝えてくれただろ? ホントはずっと怖かっただろうけど、全部一人で頑張れたんだ。やっぱり凄いよ、七泉は」
「そうかな……?」
「あぁ、俺だったら、自信がなくて途中でやめちゃうかもしれないな」
「んー、お兄ちゃんなら、確かにそうかもね」
「あっ? おい、それは酷くないか?」
「ふふっ、冗談だよー」
七泉がクスクスと笑った。
「はいはい……。でもまぁ、俺も七泉に感謝してるのはホントだよ。いつもありがとうな。……俺も、えっと……七泉のこと、大好き、だぞ」
いざその言葉を告げようとした途端、急な恥ずかしさがこみ上げてきた。咄嗟にそっぽを向いてしまいながら、細々と小声で告げる。
しかし、それを聞いた七泉から、ブーイングが飛んできた。
「えー、言うならもっと、目を見てハッキリ言おうよ? なんかパッとしないよ?」
「なっ……。だ、だから……俺も七泉のこと、大好きだぞ! はい、これでいいだろ!?」
改めて彼女の顔を見ながら、精一杯の言葉で気持ちを伝える。今度こそ彼女は満足してくれたようで、涙混じりにクシャっと笑みを浮かべてくれた。
「うん、よろしい! ありがと、実君!」
「あぁ。……はー、恥ずかしかった。ほら、もう遅いしさ。早くコンビニかどこか行こうよ?」
「うん! 行こ行こー」
そうして俺達は、二人並んで再び公園を出た。――今度こそお互いに、本当の従兄妹同士として。
「そういえば、お兄ちゃん。今度の文化祭でやる演劇って、どういうお話なの?」
「あぁ、今度のか? そうだな、ネタバレになっちゃうから、最初のくだりだけ教えると……」
そんなことを話しながら、二人して夜の町を歩く。そういえば、先程まであんなに重かったはずの足も不思議と軽く、痛みもすっかりと忘れてしまっていた。もしかすると彼女のおかげで、解毒されたのかもしれない。
今回の一件で、七泉には辛い思いをさせてしまった。けれどおかげで、これまで以上に二人の仲は深まったような気がする。
これからも、俺達の仲は途切れずに続くことを願うばかりだ。それもあの、樹齢三百年の大きな樹木のように。俺達は従兄妹同士として、末永くずっとこの仲良しな関係を保っていきたい。
これにて、本章は終わりです。ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
更新も前半と後半に分け、だいぶ長い章となってはしまいましたが、物語の大きなターニングポイントとして、深く書かせていただきました。楽しんでいただけたのなら幸いです。
さて。次章はいよいよ文化祭! 果たして二人は、どのような文化祭ライフを送るのでしょうか?
……あ、七泉ちゃんはまだ次章も出ますよ!
お楽しみに!
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