さそり座娘の解毒法
「それで? さっきの続きだけど、話しておきたいことって何?」
フライドポテトを山の中から、適当に三本ほど手に取る。それを一気に口の中へ放り込みながら、七泉へ告げた。
「うん、それなんだけどね。もしかしたら、余計なお世話になっちゃうかもしれないんだけど……」
「それならもう、嫌というほど焼かれまくってるから平気。あの人以上の世話焼きなんて多分いないだろうから、そんな気にしないよ」
「あはは……そっか。……それじゃあ、話すね」
小さく苦笑いを浮かべると、七泉はミネストローネを一口飲んでから話をし始める。
「ついこの間、聞いたんだけどね。お兄ちゃん、高校生のときに付き合ってた彼女のことを、未だに忘れられてないらしいんだ」
「あー……。その話なら、軽くだけ茜ちゃんに聞いたよ」
「茜ちゃんと、知り合いなの?」
途端、そんな事実に驚いたようで、七泉が声を上げた。
「うん。どうしても茜ちゃんが私と会いたいって思ったらしくて、村木先輩に強引に頼んだんだって。でまぁ、先月末ぐらいに会ったんだけどね」
「それで、何か言われたの?」
「『お兄ちゃんのことを助けてあげてほしい。私しか、助けられる人はいないんだ』って、そう言われたよ」
「……茜ちゃんらしい」
そう言って笑みを浮かべながら、再び彼女はミネストローネを一口運ぶ。
「それでまぁ、村木先輩が元カノのことを引きずってることも聞いたよ。でも流石に、妹の茜ちゃんには相談されなかったみたいで、詳しくは知らないみたいだった」
「そうなんだ。……じゃあもしかすると、私に話してくれたのも、私ぐらいしか言える相手がいないって、思ったのかもしれないね」
「そうかもね……」
そう相槌を打つと、私はフライドポテトへを手を伸ばした。
「で、具体的に先輩はなんて言ってたの?」
それを口の中へと放りながら、七泉に問う。
「そうだなぁ。まず別れた理由は、彼女さんのほうから『私達二人のために別れよう』って突然言われただけで、詳しくは教えてくれなかったんだって。特に嫌い合ったわけでもなくて、少し前までは高校卒業した後の話もしてたって言ってた」
「二人のためね……。まぁ、その言葉の意味も分かるような気がするけど、先輩みたいな無頓着な男の人には、分からないのかもなぁ」
元カノの意思としては、確かに言葉通り嫌いになったわけではないのだろう。ここから私が考えられるのは、大きく二つだ。
一つは、何かしら彼の一面がずっと気に食わなくて、卒業を機にその気持ちが爆発してしまった。そのせいで将来、結婚するとなったときのビジョンが見えなくなった。もしくは、あまり良いものではなかったなど、そんな風に思い至ったということ。
もう一つは、今の自分の力量、または自分の性格や考え方などでは、彼のことを支え切れる自信がなくなってしまったということ。自分なんかよりも、もっと良い女はいるのだと思ってしまったのかもしれない。
「それでね。何度も理由を聞いたらしいんだけど、『私が言ったらお兄ちゃんのためにならないから』としか言われなかったんだって。そのまま連絡先も消し合って、別れることになったんだって言ってた」
「なるほどね……」
彼女の言葉の真意は不明だが、少なくともその元カノは、その時点で彼との一切の関係を断ち切るつもりだったのだろう。友達に戻るのではなく、赤の他人へと成り返るまで至った彼女の気持ちは恐らく――相当辛かったのかもしれない。
だがそれと同時に、彼女の言った「私達二人のために別れよう」という言葉の意味も、私には痛いほど理解できた。
「村木先輩はなんだって?」
「それが……『もし自分がその子の言ってたことを直せてたら、また復縁できるんじゃないか』って」
「はぁ……。そういうところ、男の人ってバカだよね。なんで別れたのか原因を考えようとしないで、復縁するためにはどうすればいいかとしか考えてないんだ」
「流石にちょっとね。私もそれを聞いたときは、そういうところあるんだなぁって……」
どうやら彼女も、彼のそんな一面には呆れてしまったみたいだ。
「しかもそれが原因で、次の彼女だって作ろうと思えないんでしょ? 呆れた。陽キャのくせに情けないなぁ」
「あはは……そうだね……」
苦笑いを浮かべると七泉は、それまであまり手をつけていなかったグラタンをスプーンですくい、口へと運んだ。それにつられるように、私もカフェオレへ手を伸ばす。
「でもさ。そうだったとしても、綾乃ちゃんはお兄ちゃんのことを、嫌いになるわけじゃないんでしょ?」
「えっ? それは……まぁ。男の人らしいなってだけで、別に嫌いにはならないけど」
「ならよかった。もし嫌いになっちゃってたら、今から言うことも気持ち悪がられるだけだと思うから」
「ん、何々?」
それは一体何だろう。七泉は嬉しそうにニコッと笑うと、そのまま言葉を続ける。
「この前綾乃ちゃんが、お兄ちゃんの家に来たときなんだけどね。綾乃ちゃんが帰っちゃった後、お兄ちゃんが追いかけていったでしょ?」
「あ……う、うん。そういえば、そうだったね……」
そう言われた途端、その時のことを思い出しては、一人で恥ずかしくなってしまった。そういえば村木先輩に、情けない自分の泣き顔を見られてしまったのだ。あの程度で泣いてしまうだなんて、いま思い返すと思わず顔が熱くなる。
「その時ね。お兄ちゃん、言ってたよ。『何か悩んでるのかもしれない』『あの子と約束したんだ、俺でなきゃダメなんだ』って」
「そんなこと言ってたの……?」
「そうだよ。あんな酷いこと言う人なんて、追いかけなくてもいいじゃんって、私は必死に止めたのにさ。それでも無視して、お兄ちゃんは走って追いかけてったよ。……その時思ったんだ。お兄ちゃんが求めてるのは私じゃなくて、綾乃ちゃんの笑ってる顔なんだなって」
「私の……」
「綾乃ちゃんだって、結局は色々悩んじゃって、あんな風に言っちゃったんでしょ? 簡単にだけど、お兄ちゃんから聞いたよ。……それって要するに、私にお兄ちゃんのことを奪われちゃったら、自分のポジションは一体どうなるんだろうって、そう思ってたってことだよね?」
「それはっ……その……うん」
一瞬否定の言葉を口にしたかったが、そこまでバレてしまっている以上、何も言える言葉が見つからなかった。泣く泣く私は、小声になりながら首を縦に振る。
「ふふっ、素直でよろしい。お兄ちゃん自身も自覚ないみたいだし、綾乃ちゃんも信じられないかもしれないけどさ。意外と二人とも、お互い思ってる以上に好きみたいだよ」
「っ……!」
――好き? 私達が……お互いに?
そんな“好き”という二文字が、私の中でふわふわと宙を舞っている。そう言われたところで、すぐには全く実感が湧かない。
私達は陰キャと陽キャで、本来ならば絶対に関わることがなかったはずの二人だ。それがお互い一線を越えて、そこまで仲良くなっているだなんて。こんなことが本当に、許されるのだろうか。
「だからまぁ、何が言いたいかっていうとね。もしかしたら、茜ちゃんと重なっちゃうのかもしれないけど……。綾乃ちゃんに実お兄ちゃんのことを、支えてあげてほしいなって」
「私が……?」
「うん。本当は、私がそうなりたかったけど……それは私には、無理みたいだから。だから、綾乃ちゃんにお願いしたいんだ。きっと綾乃ちゃんなら、お兄ちゃんの良いパートナーになれると思う。あの茜ちゃんのお墨付きなら、尚更ね」
そう言って、七泉はクシャっと相好を崩してみせた。――そんな彼女の目には、薄っすらと涙が潤んでいたことを、私は見逃さなかった。
「で、でも、七泉はいいの? そんなこと言うってことは、先輩のことを諦めちゃうってことだよね?」
「……そりゃあ、辛いよ。本当は私だって、好きな人と一緒にいたい。従兄妹とかそういうの関係なしで、色んなことを一緒にしたい。色んなところに行ってみたいし、色んな話もしてみたい。そんな、普通の恋人みたいなことを、私もお兄ちゃんと一緒にしたかったよ。
……本気だったんだ、ずっと。小学生の頃から、お兄ちゃんのことが大好きだった。住んでる場所も離れてるから、あんまり連絡も取れないし、なかなか会えもしないからさ。久しぶりに会えるときは、ずっとドキドキしてたし、お兄ちゃんといつも一緒にいて仲良しな茜ちゃんが、ずっと羨ましくも思ってた。私もあんな風に、一緒に仲良くできたらいいなって」
まるで涙を誤魔化すように目を擦りながら、彼女が言葉を続ける。
「私ね。昔からずっと引っ込み思案で、小学生の頃からなかなか友達ができなくてさ。いつも休み時間は図書室で本を読んでたり、教室で絵を描いたりしてたんだ。そのせいでクラスの男の子から、よくちょっかい出されたりしてて。でもなかなか誰にも相談できなくて、一人でずっと我慢してたんだ。それに最初に気付いてくれたのが、実お兄ちゃんだったの。
夏休みのときにね、お兄ちゃんの家族がウチに遊びに来たときに、私のお母さんからお使いを頼まれたの。私とお兄ちゃんの二人で、近くのスーパーに行ったんだけどね。その途中で、クラスメイトの男の子達とバッタリ会っちゃって、色々と悪口言われちゃったんだ。
……でもね、その時お兄ちゃんが、私のことを庇ってくれたの。それだけでも嬉しかったのに、その時お兄ちゃんは言ってくれたんだ。『読書好きでも、絵を描くのが好きでもいいじゃん。どんなに悪口言われてても、好きなことをしてる七泉ちゃんのほうが、見ててカッコいいよ』って。その言葉で、思わず泣いちゃったんだけど……それが凄く嬉しくて、今でもずっと覚えてる。お兄ちゃんのおかげで、私は助けられたんだ。
それからはちゃんと、好きなことに自信が持てるようになったの。今でもなかなか引っ込み思案で、思うようにはいかないことも多いんだけどね。そんなときは、お兄ちゃんが言ってくれた言葉を思い出して、頑張ろうって思えるんだ」
「……そうだったんだ」
「だからね。ずっと何年も大好きだったお兄ちゃんのことを諦めるのは、凄く悔しい。これは本当は夢で、全部が嘘だったって思いたいよ。でも、そんなわけはないって分かってるからさ。
……自分勝手でワガママだとは思う。けれど、そういう私の気持も含めて、綾乃ちゃんにお願いしたいんだ。実お兄ちゃんのことを、これからも支えてあげてほしいなって」
そう言って、下手くそな笑みを七泉が浮かべる。声を震わせながら話す彼女はずっと、涙を堪えているようだった。
――この子、そんなに村木先輩に本気だったんだ。従兄妹同士なのにも関わらず、ずっと好きだったんだよね。それをこうやって、私にお願いしてるんだから……ホントは相当、辛いんだろうな。
私には、彼女の気持ちを想像することすらできない。私には従兄弟なんていないし、兄弟もおらず一人っ子だ。彼女のように、身内に近い相手へ恋心を抱くというのは、一体どんな心境なのだろうか。私には到底、理解のできない領域だ。
――強いんだな……七泉も。羨ましい。
「……そっか、分かったよ。なんとか頑張ってみようとは思う」
「本当?」
「うん。でもさっきも言った通り、まだ私はあの人のことを、恋愛対象として見られてるわけじゃないからさ。七泉が言う意味でのパートナーには、なれるかどうか分からないけど……。でも少なくとも、あの人を近くで支えられるような相手には、なれるように頑張ってみる」
「……よかった。それだけでも、そう言ってもらえて、ちょっと安心」
安堵したかのように七泉は、ホッと胸をなでおろした。
「もしかして、断られると思ってたの?」
「だって……綾乃ちゃんの第一印象がアレだったからさ。いくらお兄ちゃんが良い人だって言ってたり、いざこうして接してみたとしても、まだちょっと怖かったというか……」
「あーそれは……あの、ホントに、ごめん……」
「そ、そんな! 私のほうこそ、そんなこと言っちゃってごめんね! 今はもう、そんなこと思ってないからさ!」
「そっか……大丈夫だよ」
そうして、お互いに笑い合う。一時は一体どうなることかと心配だったが、どうやら無事に解決できたようだ。
「……綾乃ちゃんって、意外と優しいんだね。なんか第一印象と全然違くて、ビックリしたよ」
ふと、野菜ジュースを飲みながら、そんなことを七泉が告げた。
「え、そんなこと……。ただ思ったことを言ってるだけだよ」
こちらもカフェオレを口に含みながら、彼女の言葉に返事をする。
「それが優しいんだよ。ただ、建前もなく本音で話すから、勘違いされやすいのかもね。実お兄ちゃんが言ってたこと、分かる気がする」
「そ、そんなことまで言ってたの? あの人」
「そうだよー。だから言ってるじゃない、意外と綾乃ちゃんのことが好きなんだって」
「う……わ、分かったから! 恥ずかしいから言わないで……」
これ以上言われると、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。ただでさえ、彼の話を聞いただけでもまぁまぁ恥ずかしかったというのに、それ以上褒められるのは耐えられない。
しかし、そんな私を見て七泉は、楽しそうにクスクスと肩を震わせて笑ってみせた。
「あははっ、可愛い。……ねぇさ。よかったら、その、連絡先交換しようよ? せっかくできた仲だし、これからも仲良くしたいな」
「えぇ……? もう、しょうがないなぁ。いいよ、交換しよっか」
「うんっ!」
そう言い合っては、お互いにスマホを取り出す。
数十分前までは、まさかこんな展開になるとは想像すらしていなかった。思った以上に意気投合してしまったようで、私自身もビックリだ。
「……ところでさ。七泉は絵を描いてるって言ってたけど、どんな絵描いたりしてるの?」
「んー? そうだなぁ……いざ人に見せるってなると、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
するとそのまま、彼女はカバンの中からタブレットを取り出した。どうやら、タブレットを使って絵を見せてくれるようだ。
なんだかまた、私には一風変わった出会いをした友達が増えてしまった。もう少し正当な出会い方をしたいものであるが……こんな出会いをしてできた友達も、意外と悪くはないのかもしれない。
いつの間にか、私たちの会話はガールズトークへと移り変わっていた。ほぼ初対面とは思えないほど話も合い、すっかり長話となってしまった。
そんな私達の時間は、気が付いた頃には数時間と経ってしまっていたのだった。




