小さくて大きなこと
「悪かったって、いつまでもそんな拗ねてんなよ。な?」
苦笑いを浮かべながら、桐野さんが私のことをなだめる。そんな風に思うのなら、初めから何も言わなければいいというのに。どうせこんなことだから、本当はここに来たくなかったんだ。
「知りません、もう……」
最後の一個となった餃子を食べながら、そっぽを向く。それを飲み込んで完食をすると、雑に「ごちそうさまでした……」とだけ一言呟いた。
「しっかしまぁ、不思議なもんだな。あそこまで二人は仲良しなのに、お互いくっ付く気は今のところないんだろ?」
「……まぁ」
「それが不思議なんだよなぁ。『この人は自分が生きる上で必要だ』と思ったら、恋愛にまで至ると思うんだがねぇ。……今の子って、色々と違うもんなのか?」
顎元に右手を添えながら、桐野さんがぼやいた。
「そういうわけではないと思いますけど。その……私が色々と、考えすぎちゃってるのもあるとは思います」
「考えるって、何をだよ?」
「……それは」
しまった。そこまで言って、自分の言葉に後悔をする。それを言ってしまったら、まだ村木先輩にすら言っていない私の秘密を、彼に話さなければならなくなってしまう。
――どうしよう……。適当に言って誤魔化す? そうでもしないと、どうせ……。
言いたくない。こんなにも惨めで最低な話、誰にも言えるはずがない。そう思い、私はこれまでこの秘密を、私の中だけの秘密にしていた。
あの人がいない今、これを知っているのは私だけ。私しか知らない、史上最低のくだらない話なのだ。
――……でもそのままで、私は変われるのかな。ずっとトラウマ引きずったままで、お母さんみたいになれるのかな?
それに対して、自分が一体どうすべきなのか。それも私は分かっていた。こんなにもちっぽけで弱々しい私が、もっと秋那や村木先輩のような、強い人間になれる方法。それは――。
「……あ、あの、桐野さん。変なこと聞くんですけど、いいですか?」
それを決心した途端、徐々に私の心臓がドクドクと高鳴り始める。
「お? どうした、急に改まって。なんでもいいから、言ってみろ?」
私の雰囲気が変わったことに気付いたのか、桐野さんは思わず前のめりになって、次の私の言葉を待ってくれていた。
そんな彼の表情に、益々言いづらくなってしまう。それでも、ここまで言ってしまったからには、今更後戻りなどできやしない。数十秒ほど言葉を溜めこむと、ようやく私はその言葉を口にした。
「えっと……えと……。ちょっとだけ、その……き、桐野さんのこと、た、頼っても……いい、ですか?」
あまりの緊張に、口元が震えて上手く言葉にできなかった。噛みまくってはしまったが、なんとかその一言を言えたことに一安心して、小さく一息を漏らす。
一体彼は、どんな返事をくれるのだろう。未だに大きく鼓動を続けている胸に手を当てながら、私は彼の言葉を待った。
「……ふっ。わっはっはっは! やっぱり綾乃ちゃんってば、面白い子だなぁ」
「なっ……」
何が面白かったのかは不明だが、桐野さんはまるでお笑い番組でも見ているかの如く、お腹を抱えながら大げざに笑ってみせた。そんな彼の態度に、今度こそ私はイラッとしてしまう。
「もう、なんですかさっきから! 私は真面目に言ってるんですけど!?」
「いや……だってよ。それはさっき、まったく同じことを話したっぺ。何か俺に相談したいことがあるから、店に来たんだろ? 別に追い出してねぇんだし、わざわざ改まってお願いする必要なんかねぇだろうよ」
「……そういうもんなんですか?」
「当たりめぇだっぺ。面倒くせぇと思ったら、ラーメンだけ食わせてこんな話に付き合ってねぇよ」
ニッと笑みを浮かべながら、桐野さんが告げる。
てっきり私は、客と店主としての表面上だけの関わりというだけで、深い話は聞いてくれないものだと思っていた。私にはそれが、どうしていいことになるのかがあまりよく分からないが、どうやらそういうことらしい。
「はぁ……。じゃあ、まぁ、ありがとうございます……?」
「おう。だからさっきからもったいぶらねぇで、さっさと話せってことだよ」
「わ、分かりましたよ。話しますから……」
逆にそこまで言われてしまうと、せっかく覚悟を決めたというのに気が引けてしまう。ニヤニヤと私の話を楽しそうに待つ彼に対して、私は思わず息を漏らしてしまった。
「……高校生のときの、話なんですけどね」
渋々口を開きながら、前置きを告げる。「おう」と楽しそうに相槌をする彼を見て、益々話す気は失せてしまったが、仕方なく私は話を続ける。
「私、その……前に一度、大切な人を裏切ったことがあるんです」
「裏切った?」
「はい。私の一つ年上で、男の人だったんですけど……。せっかく想いを伝えてくれたのに、それに応えられなかったというか……。そういう関係になるのが怖くて、断っちゃって、裏切っちゃった……ことがあって」
「……それってつまり、告白されたけど断ったってことだろ? それは別に、綾乃ちゃんが悪いわけじゃねぇべ。綾乃ちゃんが気に病むことは……」
「そうじゃなくて! だから……違くて」
「違うって、何がだよ」
「それは……」
言いたくない。そこまで言っておいて私には、それ以上のことを言う気が失せてしまった。
それを口に出すことで、それまでずっと否定し続けてきた私の罪が、本当のものになってしまうのではないかと、恐れてしまったからだ。
「……色々あって、その、なんというか。疎遠になっちゃったっていうか……。だから……だから……」
「……死んだのか?」
「っ!!」
唐突過ぎる彼の一言が、私の耳を貫いた。そんな言葉にビックリして、思わず彼の顔を覗いてしまう。――彼の表情は先程までと違い、何かを思いつめたかのような、堅苦しい表情だった。
「……そんな言い方、しないでください。最低です」
「おう、そうだな。悪かった。……で、どうなんだよ?」
「……言いたく、ありません」
「そうか。ま、それならそれでいいんだけどよ」
諦めたかのようにぼやくと、桐野さんはずっと前のめりになっていた体を戻した。
「でまぁ、結局なんだ? それの影響で、また期待に応えられないのが怖いってわけか」
「……まぁ。……はい」
言い方こそ気に食わなかったが、彼の言った通りだ。私はまた、大切な人の期待を裏切ってしまうことが、怖くて怖くて仕方がない。先輩はもちろん、彼だってそうだった。そして――これまで一番大切だと思っていた、お母さんのことだって。
「なるほどな。綾乃ちゃんの気持ちは、よーく分かるよ。そういうのって、相手に嫌われたくないから、そんな風に思っちまうんだよな」
「……なんかその言い方だと、私が村木先輩のことを好きだって言ってるように聞こえるんですけど……」
「なんだ? やっぱりどうせ好きなんだろ、あんちゃんのこと」
「すっ……!?」
彼に言われるなり、咄嗟に心臓がぎゅーっと締め付けられるかのように苦しくなる。おかしい。彼のことなんて、一ミリもそんな風に考えたことは無かったのに。
「わっはっは! さては図星だな?」
「ちちち、違います! ただ、ただその、そんなこと言われたことなかったから、ビックリしちゃっただけで!」
「分かった分かった、綾乃ちゃんの気持ちは、よーく分かったよ」
――絶対分かってない!
もはや気持ち悪い笑顔を浮かべる彼に向かって、心中で思いっきり叫ぶ。何も分かってないくせに、そうやって分かった口を聞かないでほしい。……このクソ野郎。
「ま、その上でおっちゃんからのアドバイスだ。いいか、一回しか言わないから、よーく聞けよ?」
「なんですかそれ……。いいから、早く言ってください」
自分のペースになってしまった彼にはもう、何を言っても無駄だろう。呆れながら私は、適当に彼の言葉を促した。
「そうだな。……俺だったら気にしねぇな、そんなこと」
「……というと?」
「そんな過去の話、これから付き合う上で関係ねぇってことだよ。いくら文句垂れたところで、んなもん過去の話でしかねぇんだからよ。その失敗をバネにして、あんちゃんと仲良くすればいいんじゃねぇか?」
「それは、その通りですけど……村木先輩は、そう思ってくれるのかな」
「思うさ。言い切ってもいいぜ? あんちゃんは、そんなことを気にするような男じゃない。綾乃ちゃんだって、あいつがネチっこい奴とは思ってねぇべ?」
「……まぁ」
「そういうこった。詳しいことはよく分からんが、あんまり気にしなくていいと思うぜ。そういうのは、なんせんす……? ってもんだわな」
はて、という表情を浮かべながら、桐野さんが告げる。私はそんな彼の様子を見て、思わずクスッと笑ってしまった。
「もしかして桐野さん、横文字とか苦手でしょ?」
「あん? まぁ……」
「そういうの、おじさんが無理して使わないほうがいいですよ。バカがバレちゃいます」
「おい、バカ言うな、バカと。ったく、人がせっかく相談に乗ってやったのに、綾乃ちゃんはそういうことを言う子なんだなぁ」
苦虫を噛み潰したかのような顔をして、桐野さんがそっぽを向いてしまった。意外とこの人もこんな顔をするのかと、なんだか可愛らしく見えてしまう。
「ふふっ、悪かったですって。……話聞いてくれて、ありがとうございました」
「……ふん。おうよ」
私がそう言うと、桐野さんはそれがよほど嬉しかったのか、歯を見せながらクシャっと笑ってみせた。
◇ ◇ ◇
帰り道。今日は雲もほとんど無いような快晴だった。お日様の光も暖かくて、歩いているだけで眠くなってきそうなぐらいだ。
――あんまり気にしなくていい、か。やっぱり私、普段から色んなことを気にし過ぎなんだよね。心配症というか、なんというか……。
改めて他人にそう言われてみると、思い当たる節がいくつもある。もっと自分が強い人間になるためには、それらを改善していかなくてはならない。
――……流石に、付き合うとかはないかもしれないけど。村木先輩とはこれからも、良い関係でいたいと思ったのはもう変わらないし。私も、もっと頑張らなきゃな。
目の前にある横断歩道の信号が赤になり、一時足を止めて立ち止まる。
ふとそのとき、トートバッグの中に入れていたスマホが、バイブ音を流して私にメッセージを知らせてきた。
――誰だろう。
スマホを取り出して、メッセージの中身を確認する。――その送信主を見た途端、まるで跳ね上がってしまうかのような喜びが、私の心を侵していった。
――『昨日プリントと一緒に渡されたファイル、返したほうがいいよね?』か。そういえば感情的になってたせいで、一緒に渡しちゃってたっけ。
思い出した。昨日は強引に手渡してしまったせいで、中身を抜かずにそのまま置いてきてしまったのだ。
とはいえ、ファイルの一枚など安いものだ。そのままあげてしまっても、全然構わないのだが……せっかく向こうから連絡をくれたのだし、これを口実に使ってしまおう。
「『じゃあ、明日のお昼にいつもの場所でいいですか?』っと」
そんな文章を打ち込むと、彼へ向けてメッセージを送信する。すぐにその文章に既読が付くと、「OK、じゃあまた明日ね」と彼から返事が戻ってきた。
いつもの時間、いつもの場所で、ただいつものように会う約束をしただけなのに――そんな約束が今の私には、かけがえのないような大切な時間なのだと、改めて私は実感したのだった。




