男という生き物
次の日。今日は火曜日であるが、一コマも授業を入れていない私にとっては、第三の休日でもある。
普段のこの時間は、お昼過ぎまで寝てしまっていることが多い。夕方から本格的に動き始めて、ゲームをしたりみんなで動画を撮ったり、はたまた生放送をしたりと、そんな感じの休日を過ごしている。
しかし今日の私は、いつもとは違った。朝の十時には起きていたし、しっかりと朝ご飯は食べてきた。それからお昼過ぎに家を出て、今ここにたどり着いたところにまで至る。――昨日の出来事を経て私は、どうしても彼から話を聞いてみたいと思ってしまったのだ。
目の前の建物を前に、生唾を一つ飲み込むと、私は意を決してその扉を開いた。
「いらっしゃい! ……ありゃ、これまた珍しいお客さんだ」
本来はお客が座るであろうカウンター席に座って新聞を読みながら、元気よく挨拶をしてくれたのもつかの間。客が私だということに気付いた彼は嬉しそうに、にんまりと笑顔を浮かべてみせた。
「ど、どうも……」
あまりにも嬉しそうな態度をされてしまうと、せっかく勇気を振り絞ってきたこっちとしても恥ずかしくなるじゃないか。思わず視線を逸らしてしまいながらも、私は彼へ雑な挨拶を返した。
「おうおう、どうした? 今日は一人かい?」
「まぁ……はい。その……偶には、いいかな、っていうか……」
「なんだよ、じれったいな! 素直に俺のラーメンが食いたくなったって、そう言ってくれたらいいのによ!」
「あいや、えっと……」
「さぁさ、座った座った! 詰まる話は、ちゃんと席に座ってからだ!」
あまりにもおどおどし過ぎている私に対しても、ラーメン屋美味丸の店主である桐野さんは、まるで我が子を見るかのような表情で私のことを迎え入れてくれた。
◇ ◇ ◇
「はいよ! 味噌ラーメンと餃子一枚ね!」
満面の笑みを浮かべながら、桐野さんが私の前に味噌ラーメンと餃子一枚を置く。相変わらず何度見ても、ここのラーメンはとても美味しそうだ。
「ありがとうございます。いただきます……」
相変わらず、緊張しているときの声は小さくなってしまっているなぁと自虐しながらも、両手を合わせて挨拶をする。割り箸を二つに割ると、真っ先に私は一口目の麺を啜った。
「……どうよ、相変わらず俺のラーメンは美味いだろ? 体は年々衰えてるけど、腕は年々上がってるんだぜ?」
自信満々に、桐野さんが私に向かって言ってみせた。
「そうですね……。なんだか前食べたときよりも、美味しくなってるような気がします」
「お、綾乃ちゃん分かってるねぇ! そんなこと言ってっと、ライスサービスしちゃうぞ?」
「えっ、あっ、そんな。いいんですか?」
「おうよ。……あ、でも前に来たときは確か、小ライスだったよな。そっちでいいのか?」
「はい、それで大丈夫です」
「はいよ!」
威勢の良い声を上げながら、再び桐野さんは厨房へと入っていく。そうして次に戻ってきた桐野さんの手には、ライスの入ったお椀があった。
「はい、どうぞ!」
「ホントにいいんですね。なんか、すみません」
「いいってことよ! 若いうちは、食えるだけたくさん食っとけ! 歳を食ったら、飯は食えなくなるからな!」
上手いことを言えたと思ったのか、桐野さんは自分で言った言葉に対して、豪快にわっはっはと笑ってみせた。
「あはは……ありがとうございます」
半ば対応に困りながらも、適当に笑って誤魔化してしまう。
こういうタイプの男性は、一体どう話せばいいのかが私には分からない。だから小さい頃にお母さんと来ていた頃も、あまり話したいとは思えなかったし、村木先輩と来たときも、あまり乗り気はしなかった。陰キャの私にとって彼は、まさに陽キャという文字が似合うような、まるで太陽のように熱い男なのだ。
「……で? 今日はどうしたんだよ」
黙々と食べ続ける私を見兼ねて、桐野さんがカウンターに腕を乗せながら私に問うてきた。一瞬私には、その質問の意図がよく分からなかった。
「……というと?」
「どうも何も、なにか相談事があったからここに来たんだろ?」
「えっ……なんで、分かったんですか?」
こちとらラーメンを食べながら、ずっといつ切り出そうかを考えていたというのに。何故彼には私が、そんなことを考えていたことが分かったのだろうか。
「分かるさ。綾乃ちゃんの連れのあんちゃんには、話したことあんだけどよ。綾乃ちゃんは、俺の家内にすっげぇ似てんのさ」
「そう……なんですか?」
「あぁ。……そういや綾乃ちゃんは、ウチの家内を見たことがあるんだっけか」
「ですね。もう、何年も前ですけど」
私が小さい頃、お母さんと一緒にこの店へ来ていたとき。彼の奥さんについては、よく見ていたからなんとなく分かる。
だが当時の記憶では、私のようにおどおどした性格ではなくて、もっとハキハキとしたしっかり者の女性のように見えたはずだ。
「ウチの家内もそうなんだけどよ。普段は全く誰かに頼ろうとしないくせに、自分が困りに困って誰かにSOSを出したいと思ったときだけ、すっげぇ行動力を発揮するんだよな」
「うっ……そうかも、しれないです」
確かにその通りだ。普段ならこの美味丸にだって、一人で立ち寄りたいとはあまり思わない。だが今日は、どうしても彼の意見が聞きたいと思って、意を決してやってきたのだ。
「ははっ、そうかい。まぁこっちにとっちゃ、困った挙句に暴走されるよりかは、よっぽどマシなんだけどな。女の人って、結構感情的になった挙句に、望んでもない事故に巻き込まれたりとかあっからよ」
「それって……?」
「んー、例えばだな。俺の友達の嫁ちゃんの話なんだが。まだそいつらが結婚する前、二人で大喧嘩をしたことがあったそうなんだわ。どうやらその嫁ちゃんはそのとき、月一のアレが来ていたらしいんだが……」
天井を見上げながら話す桐野さんは、そこで一旦言葉を止めてしまった。
月一のアレ……というのは、恐らく生理のことだろう。女性特有のイベントでもあるので、いくら年配の男性にとっても、ハッキリとは言えない言いづらさがあるのだろうか。
「まぁ……なんかな。そのとき実家に嫁ちゃんはいたらしいんだが、ずっとそのケンカのことについて、嫁ちゃんは考えてたらしいんだけどよ。どんどん感情的になっちまったのか、挙句の果てに奇声を発しながら、二階の窓から飛び降りようとしたらしいんだわ」
「えっ、なんで?」
「さぁな。よく分からんが、咄嗟に自殺願望でも芽生えちまったんじゃねぇか? その嫁ちゃんのことは、奇声に気付いた家族が止めたおかげで、何もなかったらしいんだが……それについて嫁ちゃんは、一切覚えてないらしいんだわ」
「えぇ……。覚えてないなんて、そんなことあるんですね」
「らしいな。その話を聞いてから、ウチの家内や綾乃ちゃんみたいなタイプはまだ、自分で滑り止めができるから安心できるなって、思ったわけよ」
苦笑いを浮かべながら、桐野さんがそう告げる。
流石にそうなってしまう女性は少数派なのだろうが、そんな話を聞いてしまうと、自分も怖くなってしまう。そんなことはあり得ないと思いたいが、確かに私も月一イベントの最中は、多少でも情緒不安定になってしまう節もあったりするので、油断はできない。
「まぁでも、綾乃ちゃんにはあんちゃんがいっから平気だろ。二人は仲良しみたいだからな」
「なっ……」
そう思っていた矢先――桐野さんが笑いながら、そんな恥ずかしいことを言ってみせた。
「そんな、別に、私達は仲良しっていうか、その……」
「わっはっは! なに照れてんだよ、青いなぁ」
「むぅ……」
ウザい。彼が私のお父さんだったら、真っ先にそう言って突っぱねているだろう。だが彼は、ただのラーメン屋の店主だ。彼に向かって文句を言う勇気は、残念ながら私には無かった。
「それで? そんなあんちゃんにも相談できない話ってことは、きっとあんちゃんについての相談だろ?」
「……まぁ、そうですけど」
何もかもが図星だった。まるで父親のように親しい態度で接しながらも、毎度毎度的確に当ててくる彼に、悔しいながらも参ってしまう。
「因みにもう一つ言うと、本当は来たくなかったけれども、仕方なく今日は店へやって来たってところだな」
「うっ……それは分かっても、わざわざ言う必要ないじゃないですか!」
そんな余計な彼の一言に、とうとうムキになって声を上げてしまう。
「おー、怒った怒った。いいぞー、女の子ってのはそんな風に、感情出せるぐらいがちょうどいいんだよ」
しかし、それすらもどうやら彼の思い通りだったようで、ニヤニヤと笑みを浮かべながら彼は告げた。
「なんですかそれ……」
「ははっ、いいかい綾乃ちゃん。男ってのは偶にこうやって、めちゃくちゃムカつくときがあるだろ? 女の子はそんな男に向かって、ちょくちょく怒ってやんなきゃなんねぇんだよ。そうじゃねぇと、男ってのは気付かねぇんだよな」
「気付かないって、何がですか?」
「そうだなぁ。強いて言うなら、男は上に立つのが好きな生き物なんだよな。だから、女の子とかに対して、『俺は凄いんだぞ』っていうアピールを無意識にしちまうもんなんだわ」
「アピール……ですか」
「おうよ。んでもって、そのまま調子に乗っちまった男は、どんどんハメを外していくんだ。でも自分では何が悪いのかが分からない。それでそのまま、悪い方向へと向かっちまうんだよな」
「……なんとなくですけど、分かるような気がします」
「だろ? それを正してやるのが、女の子の役目なんだよ。男は大切な女の子がいなきゃ、やってらんねぇ生き物だからなぁ」
そんな風にしみじみと語る桐野さん。しかし私には、今まさにうんうんと感傷に浸っている桐野さんも、『俺は凄いんだぞ』アピールをしているように見えてしまった。
「それじゃあ桐野さんも、奥さんに怒られることってあるんですか?」
「あるよ、あるある。というか、ほぼ毎日だな。家内だけじゃなくて、娘にもしょっちゅう怒られてるよ」
そんな自虐を繰り広げながらも、桐野さんは気にする様子もなく豪快な笑顔だ。
「へぇ……。それじゃあさぞ奥さんも、色々と大変なんでしょうね」
「……ん、それはどういうことだ?」
突然の私の皮肉に、桐野さんは目を点にさせて驚いてみせた。こんなにも豪快な性格の彼でもこんな顔をするのかと、吹き出して笑いそうになるのを必死に堪える。
「だって桐野さん、さっきからずっと『俺は凄いんだぞ』アピールしてますもん。きっと桐野さんのことだから、家でもずっとこの調子なんだろうなぁって」
「おっ……。おぉ、言ってくれるねぇ綾乃ちゃん。今のはなかなか心にきたぞ?」
「でも、そんな男の人を正してあげるのが、女の役目――なんですよね? 桐野さん?」
「……ふっ。わっはっは! ったく、こりゃあ一本取られたな」
私に言い返されたことがよほど悔しかったのか、桐野さんは悔しそうにしながらも、それを誤魔化すように豪快に笑ってみせた。こうも私のペースにハマってくれると、なんだかこの人も村木先輩と同じように、態度が分かりやすいような気がする。
先程まで散々弄ばれた分、ようやく言い返せたという事実が嬉しくて、私は餃子二つとライスを同時に、口の中へと詰め込んだ。
「ま、その調子なら大丈夫そうだな。あんちゃんの世話は、綾乃ちゃんがお似合いだわ」
「ん……うーん、ほうなんふぇすかねぇ?(うーん、そうなんですかねぇ?)」
「……急がなくても、飲み込んでからでいいんだぞ?」
「あっ、ふぁい」
彼に促されるがまま、一気に口の中へと詰め込んだものをゴクリと飲み込む。右手の甲で口元を拭うと、改めて私は口を開いた。
「それで、えっと……ここからが本題なんですけど」
「おう。どうした? 答えられるかは分からんが、なんでも言ってくれよ?」
「はい。その……」
一度生唾を飲み込んでから、改めてその言葉を私は口にする。
「私、村木先輩がそばにいてくれなきゃ、ダメダメだなぁっていうか。これからも私のことを気にかけてくれるようにっていうか、その……恋人ではないけれど、近い距離間の友達として、一緒にいてほしいなぁっていうか……。そういうのって、男の人は嫌だったりするのかなって」
緊張のあまりに、頭の中がグチャグチャになってしまい、よく分からない言葉になってしまった。果たしてちゃんと彼に伝わったのかは分からないが、彼はしばらく天井を見上げながらボーっと考えてみせると、次にこんな一言を告げた。
「……そうだな、一つ言えるとするならよ」
「はい」
彼が一体何というのか。その言葉を私はジッと待った。
「……そこまで思うなら、いっそのこと付き合っちまえよ」
「なっ……!?」
予想外の言葉に、思わず体中が熱くなってしまう。違う、そうじゃないのに。私がいま聞きたい答えは、そんなことじゃないというのに……。
「ち、ちがっ! そうじゃなくて! えっと、だから……!」
「わっはっは! やっぱり青いなぁ、綾乃ちゃんは。羨ましいこった」
「だから! ちゃんと私の話を聞いてください!!」
そんな私の悲痛の叫びが、美味丸の店内に鈍く響き渡った。
(余談ですが、無我夢中で二階の窓から飛び降りようとした女性の話は、自分の知り合いの方の実体験を元にした話です。女性ってやっぱり、色々と大変だなぁと思いました)




