勘違いの延長線上で(2)
「……じゃあ、また、です」
声を震わせながら、本城さんがこちらに背を向けて一言告げる。そのまま振り向くことなく、彼女はその場を去って行ってしまった。
――なんだよもう……言いたいことだけ言って、帰ったって感じだな。結局何が言いたかったのか、全然分かんなかったけど……。
まるで嵐のようだった。先程まで相手していたおばちゃんも同様だったが、自分の言いたいことだけ言って、気に食わないことは全て無視だ。そんな話し合いにならないおばちゃんを、ようやく帰させたところだったというのに。一体彼女は、どうしたというんだ。
「お、お兄ちゃん……。さっき言ってたお友達って、あの子……なんだよね?」
ふと、そんな一連のやり取りを、ずっと間で聞いていた七泉が告げる。確かにあの本城さんの憎まれ口っぷりを初見で見たら、ただの意地の悪い女にしか見えないだろう。
「まぁね……。さっきはあんなんだったけど、普段は結構良い子なんだよ?」
「そう、なのかな? 全然そんな風には見えなかったんだけど……」
あの子だけはやめておけ。そんな言葉を、七泉の表情から感じられる。彼女がそう思うのは無理もない。
理由はよく分からないが、先程の彼女はやけに意地を張っていた。まるで、何かを探しているかのような……その何かは分からないが、とにかくあれはいつもの彼女ではなかった。
「ホントなんだよ。普段もちょっと口は悪いけど、意外と聞き分けは良いし、俺が困ったときは助けてくれるんだ。前に俺が熱出しちゃった時とか、お見舞いに来てくれたりもしてさ」
「あの子が?」
あり得ない。そんな風に七泉は言いたげだ。
「あぁ。それ以外にだって、おじいちゃんとおばあちゃんのことを凄く大事に想ってあげてたりとか、友達から貰った花の種を、ずっと何年も大事に育ててたりとか……。と、とにかく、あんな風に強がってるけど、ホントは根は良い子なんだよ!」
「実お兄ちゃん……?」
七泉が不思議そうな顔でこちらを見ている。どうしてこんなに彼女の良いところを話しているのに、分かってくれないのだろうか。
――あの子があんな態度を取るなんて、結局前に逆戻りじゃないか。せっかく本当の自分を作るって約束をしたってのに、あれじゃあ本城さんのためにもならないし。……やっぱり、何かあったのかもしれない。
一つ覚悟を決めると、俺は彼女から渡されたファイルを台所に置いて、急いで玄関に降りて靴を履いた。
「お、お兄ちゃん? どうしたの?」
そんな突然動き出した俺のことを見て、七泉が困惑の声を上げる。
「……ごめん、七泉。俺ちょっと、あの子のこと追いかけてみるよ」
「えっ、えっ? 追いかけるの? あんなに酷いこと言われたのに?」
「あぁ。普段なら絶対、あんなこと言わない子なんだよ。きっと何か、理由があるはずなんだ。ここ最近ずっと、一人で何か悩んでるみたいだったし……それのせいで、俺に当たっちゃったのかもしれない」
「そんなこと言ってもさ! アレがあの子の本性なのかもしれないよ? 初対面の人にあんなことを言える人が、良い人だなんて……」
「分かるんだよ! ……なんとなくだけど、分かるんだ。あの子はまた、自分の殻の中に戻ろうとしてるのかもしれない。何が原因かは分からないけど、それだけは俺が止めなくちゃいけないんだよ」
「どうして? だからってわざわざ、お兄ちゃんが関わらなくたっていいじゃない! あの子にだって、他にも友達がいるんでしょ? だったら別に、お兄ちゃんがそんなことしなくても……」
「約束したんだよ」
「約束……?」
七泉が首を傾げた。
「……『本当の自分を作ってやる』って。『あの子のことを助ける』んだって、約束したんだ。あの子はきっと、俺のことを待ってくれてるんだと思う。――俺じゃなきゃ、ダメなんだよ」
「お兄ちゃん……」
「……ごめんな。七泉は先に、中に入ってて。どのくらい掛かるか分かんないけど……終わったら戻ってくるから!」
そう七泉に断りを入れると、俺はすぐさま彼女を追いかけるべく、勢いよく走り出した。
――もう、バスに乗っちゃったかな?
彼女が向かう先は恐らく、バス停だろう。そこからバスに乗って、家に帰ろうとしているはずだ。
ここからならまだ、走れば追いつけるかもしれない。急がなければ。
家から走り出して数分。ようやくバス停が見えてきた。それと同時に、背筋にゾッと冷たい感覚が走る。
バス停には既に、乗客を乗せようとするバスが停まっていたのだ。乗り込み口には、数人ほど列に並ぶ人々が見える。まだハッキリと顔は見えないが、早くしないとバスが行ってしまいそうだ。
――マズい。本城さん、もう整理券取っちゃったか?
既に中に入ってしまっていたら、一巻の終わりだ。急いで家を飛び出してきたおかげで、財布も何も持ってきていないのだ。もしそうだとすれば、ここまで走ったことが全て無駄足となる。
間に合ってくれ……そう心の中で何度も祈りながら、バス停へ向けて全速力で走った。
「っ……いた!」
列の最後尾。背中にまで伸びた長い黒髪を垂らしながら、一人の女性が今まさにバスへ乗ろうとしている。それが一体誰なのか、俺はすぐに分かった。
「はぁ、本城さ……?」
息を切らせながら、彼女の名前を呼ぼうとする。――その瞬間、俺の目には驚くべき光景が飛び込んできた。
泣いていたのだ。あの本城さんが。一体どうしてかは分からないが、必死に目を擦りながらバスに乗ろうとする、彼女の横顔が見えた。
――なんで泣いてんだ? 俺が怒っちゃったから? それとも、あんなに酷いことを言ったことを後悔してる?
分からない。俺にはいま彼女がどんな感情を抱いているのかが。それは、女心が全く分からない俺には、理解するには程遠い感情なのかもしれない。
だがそれでも、一つだけ。たった一つだけ、彼女の泣き顔を見て分かったことがある。それは――。
「本城さん!」
改めて今度は、彼女に聞こえるように大きな声で名前を呼ぶ。すると彼女は、咄嗟に真っ赤な顔を驚かせて、俺のほうを向いた。
そんな彼女の元へ、急いで俺は駆け寄る。今まさにバスへ乗ろうとしていた彼女も乗るのをやめたのか、小さな足取りで数歩だけ、俺のほうへ歩み寄った。
「村木先輩……どうして?」
らしくない泣き顔を浮かべながら、本城さんが俺に問う。心做しか、先程よりも口調は柔らかかった。
「いや、だってさ。さっきの本城さん、なんだかいつもと違うような気がして。最近様子もおかしかったし、何かあったのかなって追いかけてみたらこれだから」
「……すみません、こんな情けない顔で」
そう俺が告げると、本城さんはちょっぴり恥ずかしそうに顔を俯かせてしまった。
「いや、いいよ。気にしないで」
「……はい」
「お客さーん、乗りますか?」
ふと、バスの運転席側のドアから、運転手のおじさんがひょっこり顔を出してきた。今まさに乗ろうとしていた彼女のことを呼び戻してしまったのだから、おじさんが困惑するのも無理はない。
本城さんは無言のまま、おじさんに向けて首を横に振った。おじさんは「はーい、了解」と告げると、運転席へと戻っていく。そのままバスは、大きな鈍音を響かせながら、走って行ってしまった。
「……取り敢えず、ここじゃあれだからさ。適当に、座れる場所でも探そうか」
そんな俺の一言に、本城さんがまたも無言のままコクリと頷いた。
お互いに無言のまま、どこか座って話せるような場所を探し始める。
そういえば、近くのスーパーに座れるベンチが置いてあったはずだ。相変わらず鼻を啜っている彼女を引き連れて、俺はスーパーへと向かった。
「あったあった。ここでいいか」
よかった。今回は鳥頭ではなくて、ちゃんとした記憶の通りであった。入り口付近に置いてあったベンチを指差して、俺達は一緒にベンチへと座る。……ふと、彼女のことなので、多少でも距離を置いて座るものかと思っていたのだが、今回はほぼ隣同士で彼女は座ってくれた。
とはいえ、何から話せばいいのだろうか。一体どんなことから切り出していこうかと悩んでいると、先に彼女のほうから口を開いた。
「……さっきは、すみませんでした。その、色々と酷いこと言っちゃって」
「ん。……そうだね。俺だけならまだしも、今回はあの子にも色々と言っちゃってたから。俺は許しても、あの子が許してくれるかは分からないな」
「……イトコ、なんですよね。あの子」
「あぁ。俺の一つ年下の従妹だよ。……となると、本城さんとは同い年か」
「そうなんですね……」
「……あの子さ。実家が福島の織物工房なんだけど、ずっと昔から仕事を継げってお父さんに言われてるんだよね。でもあの子自身はどちらかというと、絵を描く仕事をしたいと思ってるみたいでさ。今回はそれでちょっと揉めちゃって、こっちに家出してきてるってわけ」
「そうだったんですか。……大変なんですね、あの子も」
「あぁ」
どうやらようやく分かってくれたようで、彼女は納得の声を上げてくれた。ずっと勘違いされていたようだったので、俺としてはそれだけで安心だ。
「でまぁ、その……この間、俺達二人が一緒にいるのを見たって、本城さんが言ってたからさ。変に勘違いされるのも嫌だなと思って、今日は断っちゃったんだ。そんなことしないで、素直に言えばよかったよね。ごめん」
「いえ、そんな。それに関しては、私も悪かったです。断りもなく、勝手に来ちゃって」
「ううん、俺が余計なことしたのも悪いよ。だから、あんまり気にしないで」
「はい……」
小さくコクリと頷くと、続けて彼女が言葉を続ける。
「それで、えっと、今日先輩が授業をサボったのは、何でなんですか?」
「それね……。なんかさ、あの子が家事を手伝ってくれてたときに、家の前を通りかかったおばちゃんに声掛けられたみたいでさ。色々言われたんだけど、簡単に言うと『付き合いたてのカップルに良い本があるから貰っておけ』の一点張りで、全然帰ってくれなかったみたいなんだよね」
「それで、先輩も家に帰ったと」
「そうそう。俺が戻ってからも、全然分かってくれなくてさ。あまりにも帰ろうとしなかったから、警察呼びますよって言って、ようやく帰ってくれたんだよ。まさかあんな人が近所にいるとは知らなかったから、いやぁ焦ったよね」
「……大変でしたね」
「あぁ、大変だった。でもまぁ、あの子に何もなくて良かったよ」
俺がそう言って一息を吐くと、突然本城さんがフッと吹き出して笑ってみせた。
「え、何々?」
「いやぁ……。やっぱり先輩って、お人好しですよね。誰に対しても、そうやって優しくできるから」
「そうかなぁ? 誰に対してって、そんなことないと思うけど」
「いいえ。そんな風に優しくなんて、大抵の人はできませんよ。……そういうところが、先輩の良いところだと思います」
「そうか?」
「えぇ。……村木先輩のそういうところが、羨ましいなって思っちゃいます」
「ん……そう。あ、ありがとう」
――なんだ? 急に本城さんが俺のことを褒めるなんて……今までそんなことなかったのに。
急に改まって彼女が俺のことを褒めるなど、これまでほとんど無かった。珍しいそんな彼女の一面に、なんだかドキリとしてしまう。
「……そ、それで。本城さんはどうして、あんなことを言っちゃったのさ」
早いところ話題を変えようと、俺は早口のまま彼女に問うた。
「あぁ、それですか……」
静かに一言告げると、彼女は俯いて地面を覗きながら言葉を続ける。
「……この間、茜ちゃんに言われたんです。『お兄ちゃんが困ったときは助けてあげられるような、良い友達でいてください』って」
「はぁ、そうなのか」
――あれ、この間茜に聞いたときと、なんか若干違うような気がするんだけど……どうだったっけ。
「それで、その。先輩ともっと仲良くなるには、どうしたらいいのかなって考えてたときに、先輩が女の子と一緒にいるところを見ちゃったから……。もしかしたら彼女かもしれないし、そうだとしたら私はどうすればいいのかなって考えて、ずっと分かんなくなってたっていうか」
「あははっ、なんだぁ。そういうことだったんだ。てっきり俺が変なこと言っちゃってて、悩ませちゃってたかなとか思ってたから。じゃあずっと、気を遣わせちゃってたんだね」
「そんな、気を遣ってたというか、単に私が勝手に思い込んでただけですから。村木先輩は、何も悪くないです」
「ううん、気付けなかった俺も悪いよ。ごめん」
「……いえ」
不器用に短くそう答える本城さんは、ほんのちょっぴりだけ安心したかのように、小さく笑みを浮かべていた。
「まぁ、なんだ。例えあいつからそう言われたとしてもさ。本城さんは気にせずに、いつも通り話してくれていいんだよ? そこまで深く考える必要はないし、友達が困ってたら助けてあげようって思ってくれるだけでも、十分に嬉しいんだからさ」
「そういうもんですかね」
「そうだよ。それに例え恋人がいたとしたって、恋人にも相談できない悩みだってあるだろうし。全部が全部一人に相談なんて、できるわけがないんだからさ。全部自分に相談しろって言うほうも言うほうだけど、全部一人に相談してる側だって、それは依存になっちゃうだろうから。友達とか恋人だって、何事もバランス良くするのが大事ってことだよ」
「……確かに、それもあるかもしれないですね」
「だろ?」
「えぇ。……そっか、バランス良くか。私、ちょっと極端に考えすぎてたのかもしれませんね」
「本城さんって、いつも考え方が不器用だよね。そういうところが危なっかしくて、放っておけないって思っちゃうんだけど」
「なっ……失礼しちゃいますね。でもそれは、先輩だって同じでしょう?」
「……まぁ、否定はできないかもな」
「ほらやっぱり」
そう言って、本城さんが可笑しそうにクスクスと笑いだす。そんな彼女につられて、俺も思わず一緒に笑ってしまった。
「……ねぇ、村木先輩」
ふと突然、本城さんが改めて俺のことを呼んだ。
「ん?」
「えっと……えと……今はその、まだ伝え方が分からないので、言えないんですけど……。また今度、聞いてほしいことがあると、いうか……」
「聞いてほしいこと?」
「はい」
「……因みに聞くけど、それって俺じゃなきゃダメな話?」
なんとなく彼女の言いたいことが分かってしまった俺は、そんなくだらないことを聞いてしまった。多分今の自分の顔は、相当ニヤニヤしてしまっていると思う。
「……こういうときだけ先輩って、なんか意地悪ですよね。酷い人です」
「あ、バレた? すまんって」
案の定そんな俺を見て、むぅっと頬を膨らませながら、本城さんが怒ってみせた。
「もう……。そうですよ。村木先輩だからこそ、聞いてほしいんです。こんなこと、私らしくないかもしれませんけど……」
「全然そんなことないよ。寧ろ初めて本城さんからそんなことを言ってもらえて、ちょっと嬉しいかな」
「……なら、良かったです」
そうして、今度こそ本当に嬉しそうに、彼女はニッと口元を緩めていた。
「分かった。じゃあ、いつでも待ってるから。また今度、絶対教えてね。約束」
「……えぇ、約束です」
そう言って、再び彼女と笑い合う。いつの間にか、彼女とこんな風に自然に笑い合えるようになったのだなと、不思議と感心してしまう自分がいた。
秋の夕暮れ時は早い。まだ十七時を回ってすらいないというのに秋空は、既に美味しい紅茶のような、綺麗なブラウンカラーへと変わってしまっていた。




