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奴隷法  作者: 鈴本耕太郎
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9.涼音

 涼音が亮司に買われてから三か月が過ぎた。

 現在、亮司は仕事に行っており家には涼音一人だ。亮司に指示されている掃除や洗濯といった仕事が一通り終わり、今は休憩中である。仕事量はあまり多くなく、こうして休む事が出来るので恵まれた環境だと言えるだろう。

 しかし今はそれでいいが、いつ主人である亮司の考えが変わるとも分からない。もちろん酷い事を言うような人でない事は、この三か月で十分にわかっている。しかしそれに甘えて愛想をつかされるわけにはいかない。

 そう思った涼音はここに来て十日程経った頃から、日々の仕事で得た情報を記録として書き込む事を始めた。


 パラパラとページを捲り、ここまでの記録を読み返せばこの三か月の出来事が思い出される。

 初日、夕飯を食べる際に、亮司が急に泣き出したのには正直焦った。なぜ泣いていたのか、一切の説明はなく『なんでもない』と言われただけだった。あれだけ号泣しておいて、なんでもないわけがない。理由を知りたかったが、一度拒否されている以上、再び聞く事は憚られた。

 しかし三か月生活を共にする中で、なんとなくだがわかってきた。あの涙の理由は、亮司の眼に絶望が宿っているのと同じ理由だったのだ。

 

 だが、まだその理由が分かっていなかった初日の夜。一緒に入浴して身体を洗ったり、えっちな事をする必要はないと言われた時には驚いた。涼音のような若い女性を奴隷として買う一番の目的がそれだからだ。理由を聞けばこれはすぐに教えて貰えた。

『したくない訳じゃないんだ。涼音は可愛いし、俺の好きなタイプでもあるから。だけど出来ないんだ。バツイチなのは話したと思うけど、それが原因で全く反応しなくなっちゃってね。情けない話だろ。笑ってくれ』

 もちろん笑える訳がなかった。詳しい理由を聞こうかと思ったが、さすがに初日にそんな事は出来なかった。

 

 身体を求められる事がないと分かった時、涼音は良かったと思った。しかし同時に、このままずっと求められないのは悲しいとも思った。

 奴隷である涼音には、すでに自由は存在しない。

 まだ男性を知らない涼音の身体は、主人に求められなければ、一生誰からも求められる事はないのだ。その事実が涼音の心に僅かな変化を呼んだのだが、それに気付く事はなかった。


 二日目以降もいろいろとあったが、初日程大きな出来事はなかったように思う。

 無難に涼音の仕事である掃除、洗濯、料理と言った家事全般を丁寧にこなして来た。その中で主人である亮司と少しずつ打ち解けてきた。始めは相手を伺いながら、怖々と接した部分もあった。しかし亮司が涼音に求めているのが、疑似的な恋人である事に気づいてからは、それに応えるようにしてきた。

 亮司の言動から、彼が求める理想像を必死に読み取って、それに近づけるように努めてきたつもりだ。まだまだ至らない所は多いだろうが、三か月の成果としては十分だと感じている。

 

 ノートには、その日の出来事と一緒に亮司についての情報が事細かに記されている。好みの女性の性格から好きな料理の味付けに至るまで、気付いた事は何でも記すようにしているのだ。まだまだ情報量は多くはないが、このノートは大いに涼音の役に立っていると言えた。


「明日はどうしようかな?」

 ノートに書かれた事を読みながら、わざと声に出して考える。休日である明日は亮司とデートに行く事になっており、好きな所に連れて行ってくれるのだという。希望を聞いてくれている以上、涼音が行きたい所を言うつもりではあるが、亮司が望まない場所を言うわけにはいかない。どこにするのがいいか。涼音は真剣に考えるのだった。


 午後の休憩が終わり、買い物をして洗濯物を取り込む。残すはお風呂と夕飯の準備だけだ。時計を見ればどちらをするにもまだ早い。そこで涼音はその時間を利用してお菓子を作る事にした。奴隷になる前の涼音の趣味であったお菓子作りを亮司が認めてくれたのだ。

 何を作ったら、亮司は喜んでくれるだろうか。そんな事を考えながら涼音はお菓子作りに取り掛かった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 お菓子作りがひと段落したところで時計を見れば、そろそろお風呂にお湯を張って、夕飯の準備を始めなければならない。

 急いで頭を切り替えると、すぐに仕事に取り掛かった。


 涼音が夕飯の支度をしていると玄関の開く音と共に亮司の声が聞こえた。涼音は、料理の支度を一度中断するとすぐに玄関に向かった。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 この三か月、亮司が仕事の日は必ずこうして出迎えるようにしてきた。直接言われた訳ではないが、その方が亮司が喜ぶだろうと考えた涼音の配慮だった。

 亮司の荷物を受け取り、何気ない会話を交わしながら共にリビングへと移動する。そこから亮司は風呂へと行き、涼音は受け取った荷物を片づけて夕飯の支度に戻る。そこまで広い家ではないのだから、わざわざ出迎えに行くのは無駄なようにも感じる。しかし、いつの頃からか唯一の話し相手である亮司の帰宅を心待ちするようになってしまった涼音にとって、今では大切な事の一つだ。

 

 亮司が風呂から上がったタイミングで一緒に夕飯を食べる。二人きりの慎ましい食事だが、主人と談笑しながら同じ物を食べる事が出来る。他の奴隷がどのように扱われているのかはわからないが、涼音はかなり恵まれていると感じていた。

「そういえば、明日どこに行くか決めた?」

 ビールを飲み干すと亮司が尋ねた。

「はい。パフェを食べに行きたいんですが、宜しいですか?」

 涼音が空いたグラスに新たなビールを注ぎながら亮司に伺いを立てる。

「ありがと。パフェか。そう言えばこの前、同僚がフルーツをふんだんに使ったパフェを食べに行ったとか言ってたな。そこに行ってみるか?」

「はい!ぜひ行ってみたいです」

 思わず弾んだ声が出た。久しぶりにパフェを食べれる事に喜びながら、涼音の頭はすでに、明日のデートでどのような服を着ようかと考え始めていた。


 夕飯の片づけを終えた涼音がリビングに行くと、本を読んでいた亮司が顔を上げた。

「片づけ終わった?」

「はい。終わりました」

「お疲れ様。じゃあ風呂入っちゃって。その後はいつものを頼む」

「かしこまりました」

 出来るだけ優雅にお辞儀をすると、涼音は着替えを準備して風呂場へと向かった。


 風呂から出れば、亮司はすでにリビングにはいなかった。

 先に寝室へと行っているのだろう。

 亮司の奴隷になって数日後に初めて寝室に呼ばれた。出来ないと言いつつ結局そうなのかと身構えた涼音だったが、ごく普通のマッサージを頼まれただけだった。涼音は拍子抜けしてしまったが、その時にしたマッサージが亮司に気に入られたようで、それからは日課と化している。


 亮司の寝室の扉をノックするが反応がない。不思議に思ってもう一度ノックをするがやはり同じだ。寝てしまったのだろうかと思いながら、静かにドアを開く。すると予想通り掛布団を下にして、何もかけずに寝てしまっている亮司がいた。

 ここ最近の仕事が忙しいのか、こうして寝てしまっている事が多い。涼音は押し入れから掛け布団を取り出すと、慣れた動作で亮司にかけた。そして亮司の穏やかな寝顔を確認した後で、電気を消して部屋を出た。

 時計を見れば、まだ十時前。涼音は翌日に着る服の候補をいくつか取り出してコーディネートを考えるのだった。

 

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