16.変化する日常
窓から入ってくる爽やかな風を肌で感じながらコーヒーを口に運ぶ。
心休まるいつもの日課であるのだが、今日に限っては亮司の心はざわついたままだ。その理由は考えずともわかっている。
目の前に凛がいるからだ。
凛は今、泣き腫らした顔で涼音が作ったシュークリームを食べている。これからどうやって接していこうかと考えながら、亮司はその様子を眺める。すると上手く食べられずに、口の周りにクリームを付けた凛の顔を、甲斐甲斐しく拭っている涼音と目が合った。
ニコリと微笑み、頷いた涼音を見て、亮司は僅かに安堵した。
こうして始まった三人での新しい生活。
凛を受け入れた亮司ではあったが、自分の気持ちを簡単に変える事は出来ない。嫌悪感こそ少しはマシになったりもしたのだが、芽生えてしまった苦手意識はそのままだった。どうしたものかと思いつつも、解決策は見つからないまま。結局時間の流れに身を委ねる事にした。
とはいえ、あからさまな態度をとる訳にもいかない。
それなりに隠して凛に接する亮司だったが、その努力は無駄に終わる。
凛は亮司の気持ちを機敏に感じ取り、子供ながらに上手く折り合いをつけようと必死になっていた。
そんな状態で上手くいくはずもなく、ぎこちない関係が続く二人。
そんな二人の間に入ったのが涼音だった。元々子供好きだった事も幸いして、優しい涼音に凛はすぐに懐いた。その様子を少し離れた所から亮司が見る。
傍から見れば、娘にどう接していいか分からずに戸惑っている父親という図式が成り立っており、事情を知らない近所の人達からの目は随分と温かいモノになっていたのだった。
とは言え、やっぱりこの状況はよろしくない訳で……。
亮司は溜息を吐き出して窓の外を見た。
良く晴れた空の下、一斉に芽吹いた新緑がその存在を主張している。
「ピクニックでも行くか」
ボソリと呟いた言葉だった。
しかし女性陣は目聡く反応して亮司の元へと寄って来た。
「ピクニック行きたい!」
元気よく手を上げた凛を見て涼音が微笑み、頭を撫でる。
「良いですね。お弁当作って出かけましょうか」
「お弁当!?凛も手伝う!」
楽しそうにはしゃぐ二人をの様子を唖然と見ていた亮司だったが、やがて諦めたように軽く息を吐き出すと小さく笑った。
まぁ悪くないか。
楽し気に手を繋いで歩く二人の後ろを荷物を持った亮司がゆっくりと歩く。
爽やかな五月の風を胸いっぱいに吸い込んで空を見上げれば、鮮やかな空の青の中に一本の飛行機雲が浮かんでいた。
そういえば前にもこんな事があったなと思い返せば、それは元妻である玲子との思い出。今はその場所にいるのは涼音であり、その時とは凛との関係も違うものになってしまった。寂しく思いつつも、ここにいる三人が全く血の繋がりがないばかりか、複雑な関係である事を思い出し、不思議な縁を感じて思わず苦笑した。
近所の公園にある立派な桜の木の下にシート広げた。
既に散ってしまった花びらの代わりに、生い茂った緑。その隙間から零れてくる太陽の光がキラキラと輝いていた。
早速弁当を食べようと広げて見れば、随分と歪な形のおにぎりが目についた。
二人を伺い見れば、涼音は微笑みを浮かべ、凛は不安そうな面持ちでこちらを見ている。
僅かに口元が緩んだ亮司は、その手を歪な形のおにぎりへと伸ばしたのだった。
「これ美味いな」
少し大げさだったろうか。
こっそりと伺い見れば、凛が満面の笑みで、涼音とハイタッチを交わしていた。
「家族か……」
ボソリと呟いた亮司の言葉は風に吹かれて誰の耳にも届かない。
もう二度とないと思っていた家族の団欒。それが今ここにあるのだ。三人の関係は歪であり、酷く複雑だ。血のつながりは一切なく、仮初というにも余りにも脆い関係かもしれない。
それでもこうして過ごす時間は紛れもない現実で、自分は確かにここにいるのだ。
奴隷であるはずの涼音と、托卵された事に気付き嫌悪していた凛。そして奴隷を買い、娘を捨てたはずの自分がこうして揃ってピクニックに興じているとは、なんと不思議な事だろうか。
亮司はそんな事を思いながら、楽しく会話する二人を眺めて、その目じりを下げたのだった。
ピクニックからの帰り道。
行きとは違い、帰りは凛を挟んで三人で手を繋いで歩く。遠慮がちにお願いを言った凛の背中を押すように、上手く涼音に誘導されたのだ。
亮司は未だに凛に対して複雑な気持ちを抱きつつも、こうして凛を受け入れられるようになっていた。自身の変化に驚きつつ、亮司は涼音の行動に感謝した。
「お母さん!?」
家に近づいた所で、突然凛が叫んだ。
その視線の先を追えば、玲子が目を見開いてこちらを見ていた。そして丁度その時、玲子のすぐ近くに車が停まり、数人の男達が降りて来た。
「動くな!」
銃のような物を玲子に突き付ける男達。
それは間違いなく人権剥奪局の面々であり、そのターゲットは玲子だった。
亮司は咄嗟に凛を抱きかかえると涼音の前に立ち、二人の視線を強引に遮った。そして自らはしっかりと玲子へと視線を向ける。
距離を空けて見つめ合う二人。
玲子は諦めたように小さく笑い、その口元を「ごめんなさい」と動かした。
直後、男達に捕まった玲子は搬送車へと押し込まれ、あっという間に車は走り去って行ってしまった。あまりにも速い展開に亮司はただただ唖然とするばかりだった。
それまでの和やかな空気が嘘のように一変した。
三人が三人とも別の理由で気落ちしていた。一部始終を目撃した亮司はもちろんの事、涼音は自分が奴隷になってしまった当時の事を思い出し、凛は自分を捨てたはずの母親が突然現れ、再び去って行った事に混乱していた。
どうしてこんな事に……。
そう思わずにはいられない。亮司は空に向かって大きく息を吐き出すと、搬送車が走り去って行った方へと目を向けたのだった。
「どうするんですか?」
涼音の問いかけに亮司はただ首を横に振って答えた。
亮司自身、どうすべきなのか決めかねていたから。
自分を裏切った女を助けるべきか否か……。
困ったな。
今度は凛を受け入れた時とは違う。
答えを見つけられないまま、亮司は今の自分が守るべき二人へと視線を向けたのだった。
次回で最後になります。




