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奴隷法  作者: 鈴本耕太郎
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11.涙の理由

 家に帰っても涼音は泣き続けていた。

 涼音と共にソファーに座る。隣で支えていないと今にも崩れ落ちてしまいそうである。

 こんな時、どうするのが一番いいのだろうか。どんな言葉をかければいいのだろうか。一度結婚しているにも拘らず何をするのが一番良いのか、亮司にはさっぱりわからなかった。

 結局、ただ抱きしめる事しかできない。

 涼音が亮司の胸に頭を押し付けるようにして嗚咽を漏らす。亮司は自らの胸に押し付けれる涼音の頭を撫で続けた。

 亮司は自分の胸に伝わってくる熱を感じながら、涼音が落ち着くのを待ち続けるのだった。


 やがて涼音の泣き声が聞こえなくなり、穏やかな寝息が聞こえてきた。

 部屋はいつの間にか随分と暗くなっており、外に目をやれば空が茜色に染まっていた。

 亮司は涼音が起きてしまわないように、出来るだけゆっくりとソファーに寝かせると、そっと毛布をかけた。涼音の涙に濡れた顔はまるで子供に戻ってしまったように幼く見えた。


 亮司は久しぶりにキッチンに立った。涼音のために何かしたかったのだ。

 料理のレパートリーは多くはないが簡単な物くらいなら作れる。

 さて何を作ろうか。冷蔵庫を開けて考える。最近では完全に食材の管理を任せてしまっている為、何があるのか全く把握していないのだ。しかしながら久しぶりに食材を確認した亮司は感心していた。いくつかの作り置きと共に多くの種類の食材が入れられているのだ。

「これなら問題ないな」

 小さく呟いて適当に食材を取り出した。


 冷凍してあるご飯をレンジで解凍させながら、ネギ、ニンジン、シイタケ、白菜と野菜を小さく切っていく。野菜が終われば今度は豚肉。同じように小さく切って全部まとめて鍋に放り込む。電気ケトルで事前に沸かしたお湯と出汁を入れて火にかける。ある程度煮立ったら火を止める。

 後でご飯を入れてもう少し煮込む。最後に溶き卵を入れれば完成だ。


 亮司が作っていたのは雑炊。簡単で栄養価も高い。一人暮らしの際に亮司がよく作っていた物だ。当時は一日目を鍋、二日目を雑炊としていたが、今の涼音に食べさせるのなら食べやすい物が良いだろうと考えたのだ。

 涼音の方を見ればまだ眠っているようだった。最後の仕上げは起きてからにしようと亮司は涼音の元へ向かった。


 涼音の寝ているソファーの足に寄り掛かるようにして床に座ると、ひじ掛けに頭をのせている涼音と顔の高さが同じくらいになった。

 電気が消えたままの暗い部屋。キッチンの明かりがなければ真っ暗になってしまうだろう。薄暗いせいかやけに強調される涼音の白い肌。昼間見た表情が嘘だったかのように穏やかな寝顔をしている。

 どうやら悪い夢は見ていないようだ。

 

 しばらく眺めていると涼音が目を開いた。まだ完全に覚醒していないのだろう。焦点の定まらない目でぼーっとこちらを見つめている。

「おはよう」

 亮司はできるだけ穏やかに声をかけた。

「おはようございます」

 声に力がない。落ち込んでいるというより、状況が理解出来ていないのだろう。涼音がゆっくりと起き上がる。それを手伝いつつ、上半身を起こした涼音の隣に座った。

 二人の肩が触れ合う。

 少しだけ間が空いて、涼音が先に口を開いた。

「ご迷惑をおかけしました」

「気にしなくていいよ。何があったか聞いてもいいかな?」

 

 亮司の問いに頷くと涼音はゆっくりと話し出した。

「実はあの時の奴隷は知ってる人だったんです」

「そっか」

「はい。同じ販売所で私にいろいろと教えてくれた先輩でした。場所が場所だったので仲良くという訳にはいかなかったのですが、とても良くしてくれたんです。先輩は私よりも先に買われました。私と違って綺麗で要領の良い人だったので、買われた先でもきっと上手くやっていると思っていました。それなのに……」

 涼音の声が掠れる。隣を見ると再び涙が溜まっていた。

 亮司は涼音を抱きしめる。まるで壊れ物を扱うように慎重に、それでいて涼音を安心させられるように力強く。

 少しして落ち着いたのか、亮司の腕の中で涼音が再び話し出した。

「あの時、先輩と目が合ったんです。私を見て先輩の表情が変わったから、きっと気づいたんだと思います。あの時の先輩の表情が頭から離れないんです」


 亮司はその時の光景を思い出した。

 ペットのように首輪を付けられ、鎖で繋がれた四つん這いの女性。胸と下腹部だけを申し訳程度の布で覆って、剥き出しになったガリガリの身体には多くの痣と卑猥な落書き。バサバサの髪の毛に筋張った頬と落ち窪んだ眼。それは人間としての尊厳を完全に奪われてしまっていた。

 あの時の女性はどんな表情をしていただろうか。

 ダメだ。

 思い出す事ができない。

 亮司は何の言葉も思いつかなかった。代わりに涼音を抱きしめる腕に力を入れた。

「私はこんなに良くして貰って良いのでしょうか?」

 涼音が顔を上げて亮司の眼を見つめてきた。

「どうして?」

「あの時はただショックだったんです。でも時間が経つにつれて、先輩に怨まれているんじゃないかって思うんです」

「怨まれる?」

「はい。どうしてあなたばっかりって言われたような気がして。もし他の人に買われていたら私も先輩みたいになってたんじゃないかって思ったんです。それで私はご主人様に買って貰えて良かったって。あそこにいるのが私じゃなくて良かったって思っちゃったんです。先輩は私に優しくしてくれたのに、あんなに酷い姿の先輩を見て、今の自分と比べて安心しちゃったんです。最低ですよね」

 涼音は止めどなく流れる涙をそのままに、じっと亮司を見つめている。亮司は涼音の涙をそっと指で拭った。

「最低なんかじゃないよ」

 絞り出したような声が出た。

「うそ」

「嘘じゃない。あれはどうしようもなかった。悪いのは彼女の主人と、こんな法律を作ったやつらだ。あそこで何かしたら罪に問われるのはこっちだ」

「そうだけど、私は何も出来ないだけじゃなくて、ズルい事を考えてしまった自分が嫌い」

 涼音の身体が震えている。

「それでもだ。涼音は最低なんかじゃない。彼女の為にこんなにも苦しんでるんだから。その涙は彼女の事を想っている証拠だよ」

「でも……」

「涼音は悪くない」

 涼音の言葉を遮るように、言葉をかぶせた。


 しばらく続いた沈黙を破ったのは涼音だった。

「私はご主人様に優しくして貰えて幸せです。奴隷なのにこんなに良くして貰えて良いんですか?」

「良いに決まっている。涼音がどう生きるのかを決めるのは俺なんだから」

「でも。私は奴隷です」

「だから?」

「奴隷は幸せになったらいけないんです」

「どうして?」

「どうしてって。今日私の先輩を見たじゃないですか。あれが奴隷の本来の姿なんです。私がああなってもおかしくないんです。だから……」

「だから幸せになったらダメなの?」

「はい」

 涼音が力なく視線を下に降ろした。

「涼音は幸せになりたくないの?」

「なりたいに決まってます」

「だったら」

「でもダメなんです」

「ダメじゃない。ダメじゃないから」

 亮司は涼音の頭を優しく撫でる。

「でも……」

「でもじゃない。涼音良く聞いて」

「はい」

 お互いに見つめ合う。きっと頭では分かっているのだろう。でもどうしようもないんだ。だったら……。

 亮司は初めて涼音に命令をする事を決めた。


「命令だ。涼音は絶対に幸せになれ」



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