1 必然の出会い
鈴の音のような声があることを初めて知った。
凜と響くそれは心地よく。
「世界を守ってください」
頭が痛くなった。
「えっと、間に合ってます?」
「怪しい勧誘じゃありません。そうですね……では、『思い出してください』」
言い直されても困った。意味がわからないことは変わらない。
前髪を眉の上で切りそろえた、肩までの髪を持つ見たことがないくらいの可愛い女性は、穏やかな笑みを崩さなかった。
「世界を守るって、滅亡でもするわけ?」
「それには関係ありません。それは違う人の役目です」
「じゃあどうしろって言うんだよ……」
世界を守れと言っておいて、滅亡から守るのは他の人の役目だなんて。
じゃあ、何を守ればいいんだ。
俺の苛立ちを感じ取ったのか、女性は微かに口元を苦笑に変えた。
「思い出せば、全て理解できますよ。守るべきもの、制御するもの。次の新月がタイムリミットです」
にっこりと笑い、女性はふっと消えた。跡形もなく、何もなかったかのように。
近所の公園に、誰もいない深夜。空を見上げると、少し欠けた月が青白く光っていた。
なんだかよくわからない、と目を閉じて頭を整理した。『世界を守れ』と言った女性は突然消えた。
そもそも、いつから彼女はいたのか。そして、俺はいつから公園にいたのか。
ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた天井があった。
夢か。現実だと思っていたやりとり。それが夢だとわかって安心半分不安半分だった。
自然と生まれる疑問。
いつ寝たのか。
あの女性は誰なのか。
胸にもやもやを抱いたまま、勢いよく起き上がった。
異様に伸びるのが速い前髪のせいで、髪型はいつもおかっぱのようになる。さすがに目にかかる分は自分で適度な長さで切るが、耳にかかる分から後ろは放置している。
そんな髪型でも似合うくらい、顔は整っていると自負している。
少し癖の付いたサイドの髪を指先でいじりながら学校へ向かっていた。
「おはよう」
後ろから軽く肩を叩いたのは、短期留学してきたクラスメイトだった。留学といっても生粋の日本人で、名前も漢字で紗雲泉だったか。アメリカに留学し、学校のプログラムの一環として一ヶ月の短期留学として日本に戻ってきた、と説明されたのを覚えている。
「……おはよう」
「悪い夢でも見た? 美人さんが台無しだよー?」
口調はふざけていたが、指摘は鋭かった。一目見ただけで寝不足を見抜くとは。
前から、紗雲はどこか普通とは違っている気がした。『紗雲泉』を演じているような、そんな感触を受けることがある。
今、まさにそんな感じで。
とにかく話してみようと思った。
「夢に可愛い女の人が出てきた」
「それって悪夢?」
「『世界を守れ』って言われたからな」
呆れたように笑うと、紗雲は一瞬変な顔になった。それは上手く隠され、いつもと同じ笑みに戻ったが、それが不自然に見えた。
あの一瞬浮かべた顔はまるで。
懐かしい人に会ったときに浮かべるような、喜びを抑えたような。一瞬、仮面が外れたような感じがした。
「救世主になれってこと?」
「違うらしい。意味が分からなくて悩んだ結果がコレ」
コレ、と顔を人差し指で示した。それに納得したかのように、紗雲は深く頷いた。
結局は夢の中での話。単なる夢だと割り切ろうとしたのに。
「夢は深層心理の表れっていうよね。『正夢』という予知もある。その夢はどっちかかもしれないね」
紗雲は楽しそうに、あははと笑った。
笑い事じゃないって。どっちでも困る。余計に意味が分からなくなるだけだ。
まだ話す気があるのか、紗雲は横に並んで歩き続けた。
「そういえば、紗雲はクラスメイト全員を覚えているのか?」
留学してきたのは三日前。クラスメイトは四十人。まだ、特定の友人がいるようには見えない。それでも、俺に声をかけてきた。
「全員はまだだけど、『一色鮮香』くんは覚えたよ」
にっこりと満面の笑みを向けた紗雲を見て、ため息を吐いた。
なるほど。変わった名前だから印象に残ったのか。
「じゃあ、櫟や灰里も覚えた?」
「残念ながら、まだ。一応席が近い佐原さんや渡辺くんは覚えてるけどね」
クラスで変わっている名字、名前を挙げてみたが、反応はなかった。
「『センカ』って名前の人を知っていたから。彼は鮮やかなハナで『センカ』だけど」
紗雲の表情が、驚くほど優しくなった。
センカ。同じ読みの名前の俺とは違う誰か。『ハナ』の漢字は『花』なのか『華』なのか。
紗雲にとって大切な人だということが、表情から伝わった。
「君の名前は誰がつけたの?」
「知らない人。俺が産まれる三日前に両親が神社にお参りに行ったとき、不思議な少年に会ったんだ。そいつが『その子の名前は鮮香。鮮やかに香るで鮮香だよ』って言って。両親はなぜか納得したらしく、迷うことなく決まったって。今でも、この名前以外考えられないってさ」
両親がその話をするとき、いつも楽しそうだった。ずっと名前に悩んでいて、一応決まっていた名前。それがどうでもよくなるくらい、しっくりくる名前だったと父は言う。お腹の中にいる俺に『鮮香』と呼び続けた母。産まれたとき、それは確信に変わったらしい。性別は関係ない。
そんな風に言われたら、知らない人がつけたことなんて関係ない。飽くまでも、決定したのは両親だ。
「素敵な名前だと思うよ。一つの色が鮮やかに香る。鮮香、って呼んでもいい?」
からかうでもなく、慣れ慣れしくもなく、友人のそれで紗雲は言った。
名前で呼ばれるのは久しぶりだった。特別だと思うからこそ、気軽に呼ばせない。しかし、紗雲には名前で呼ばれてもいいような気がした。
俺ではない『センカ』を知っている紗雲になら。
「じゃあ、俺は泉って呼ぶな」
「どうぞ。君が友達第一号だね」
名前で呼ぶ仲は友達で合っているだろう。
変な夢の話をしたのも、泉になら話してもいいと思ったからで。
最初から気になっていたのは否定できない。
このときから、必然的な運命の歯車は動きだした。いや、動いていた歯車が加速したのかもしれない。一つの要素によって。
それに気付くのは、まだ先のことだった。




