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幽霊王女と優しい殺し屋  作者: 佳景(かけい)
第3章
8/29

―7―

 明くる日。


 ジェスは特にすることもなく、オルガ達と三人で小屋にいた。


 できることなら今すぐにでも再びあの男を殺しに行きたいところだったが、そういう訳にも行かない。


 足はまだ治っていないし、当面は警察も警戒を続けるだろう。


 極力出歩くことを避けて、大人しくしていなければならなかった。


 ひどく退屈だが、これも仕事の内だ。


 ジェスは暇潰しにリディとナイフの手入れをし、オルガは何をするでもなくただ座っていた。


 目を閉じていても眠ってはいないようで、寝息は聞こえてこない。

 

 辺りは静かだった。

 

 リディがいる時は二人で軽口を叩き合っていることが多いものの、こういうこともたまにある。


 小屋の中で動いているのは鍋の中の炎と、ジェスとリディの手だけだった。


 ナイフが砥石を滑る音に混じって、時折幽霊の声が聞こえる。


 幽霊は今日も変わらず辺りにいるようで、中には小屋の中に入ってくる者さえいた。

 

 おかげで気が散って仕方がない。

 

 ジェスがなかなか捗らない作業に苛立って力の加減を誤った途端、壁の中からレリアの顔が覗いた。


「来たよー。ねえ、幽霊が見えなくなる練習しない?」


 ジェスは手を止めると、黙って道具を片付け始めた。


 これ以上手入れを続ける気にはなれないし、どうせ暇を持て余していたのだ。


 暇潰しになる上に幽霊が見えなくなるとなれば、練習とやらをした方がいい。


 ジェスは道具を片付け終わると、ゆっくりと立ち上がった。


 足はまだ痛むが、昨日より幾分痛みは引いている。


「ちょっと出てくるな。多分すぐに帰るから」


 オルガは目を閉じたまま黙って頷き、リディは目を上げてからかうように言った。


「幽霊にでも呼ばれたの?」


 なかなか鋭い。


 そうは思ったが、ジェスは表情を変えずにリディに背を向けた。


「んな訳ねえだろ。じゃあな」


 ジェスがカンテラを手に小屋を後にすると、少し離れた所でレリアと魔王が待っていた。


 水の冷たさによく馴染んだ空気はぴんと冷えていて、ジェスは少し首を縮める。


 軽く片手を上げたレリアを無視して舟に乗り込むと、舫綱を解いて漕ぎ出した。


 その隣にレリアが浮かび、更にその隣に魔王が並ぶ。


 小屋の明かりが見えなくなってしばらくすると、ジェスは舟を止めて切り出した。


「で、何すりゃいいんだ?」

「魔法を使ってみろ」


 魔王の言葉は簡潔過ぎて、ジェスには全く理解できなかった。


 だが魔王の口調はさも当然と言わんばかりで、それが余計にジェスを苛立たせる。


「使えって言われていきなりできる訳ねえだろ! 大体、魔法なんて幽霊が見えなくなるのと全然関係ねえだろうが!」

「関係はあるぞ。魔法使いというものは、心を御することに長けた者なのだからな」


 全く説明になっていない。


 ジェスは凄まじい疲労感を覚えた。


「だから、意味わかんねえって! ちゃんと説明してくれよ!」

「言っただろう。幽霊は人の心であり、心を感じるのもまた心だと」

「ああ、そう言えばそんなこと言ってたな……」

「魔法は心で使うものなんだよ」


 ジェスはようやく話が見えてきた。


「要するに、魔法を使えるようになれば心の使い方が身に付くから、幽霊が見えないようになるってことなんだな」

「うん。だから私には幽霊がほとんど見えないんだよ。見えるのは、よっぽど強い心を持った幽霊くらいだね」


 ジェスはレリアの説明を聞きながら、ふとあることに気付いた。


「なあ、お前初めて会った時に自分が見えたのは俺だけだっつってたけど、友達が欲しけりゃ宮廷付き魔法使いのとこに行けば良かったんじゃねえか?」

「それは駄目だよ。私がこうやって抜け出してるのはお城のみんなには内緒だから、ばれたら怒られちゃうもん」


 昨日の指摘といい、今といい、レリアは思った程の馬鹿でもないらしい。


 少々癪だがジェスがそう認めていると、魔王が確認してくる。


「魔法の理屈は理解できたか?」

「まあな」

「では、改めて基本から説明してやろう。そもそも魔法というものは、招喚・幻惑・攻撃・防御・封印の五つに大別されると言われているが、実質的には幻惑・攻撃・防御・封印の四つしか使われていない。招喚はほとんど使われることがないのでな」

「何でだ?」

「招喚できるものが魔王しかないし、魔王は招喚するのがとっても難しいからだよ」


 魔王に代わってレリアが答えると、魔王が更に言葉を足してくる。


「以前にも言ったが、我には肉体というものがない。今のこの姿は仮のものに過ぎぬのだ。だからこそ、形ある物が囚われている法則を無視して呼び寄せることができる。人間には物質に空間を超越させられる程の力はないのだ。水や炎といった、明確な形のないものであっても例外ではないがな」

「よくわかんねえけど、あんたは幽霊みたいなもんだから、遠くから一瞬でここまで来られたりするってことか?」

「簡単に言えば、そういうことだ」


 魔王がそう言った途端、ジェスと魔王の間に黒い光の玉が現れた。


 見たところ手品ではないようだが、このくらいなら特に驚く程でもない。

 

 ジェスが黙って光の玉を見ていると、魔王が続けた。


「言葉を並べて説明するより、実際に体験した方が理解できるだろう。触れてみるがいい」

「いいけど、危なくねえだろうな?」

「大丈夫だよ。とにかく触ってみて。そうすればわかるから」


 レリアに自信たっぷりの口調で言われ、ジェスは慎重に光へと手を伸ばした。


 光に触れたと思った途端、指先は光をすり抜ける。


 光は特に熱くも冷たくもなく、蝋燭や太陽の光とはまるで違った。


 影もできない。


 光なのだから触れられないのは道理だが、どうにも妙な感じがした。


 確かに見えているのに何もない。

 

 ジェスが光をすり抜けた指をまじまじと見ていると、魔王が教えてくる。


「この状態を魔法使いは幻化(げんか)、聖職者は上位化(じょういか)と呼んでいる。ちなみに上位化と言うのは、上位領域に存在する神――つまりは我と同列の状態にあるという程度の意味合いだ。この幻化の魔法によって、魔法使いは対象に幻を見せることができる。これが幻惑だ。魔法使いや其方のような者だけでなく、並の人間にも幻を見せることはできるが、見えている物を見えないようにすることはできない。その光の玉のように、存在しない物をあたかもそこに存在するように見せかけることはできるがな」


 魔王はすっと白い手を上げると、触れない筈の黒い光の玉を爪の先で摘まんで見せた。


 ジェスがまじまじと玉を見つめていると、魔王が玉を差し出してくる。


 ジェスが戸惑いながらも手を出すと、魔王はジェスの手の平に玉を落とした。


 ひんやりとした感触は紛れもなく石だが、ひどく軽い。


 羽程の重さもない気がした。

 

 ジェスは親指と人差し指で石を摘まみ、矯めつ眇めつ眺め回す。


「今度はちゃんと触れるんだな」

「心をこうした物体に干渉可能な状態をすることを魔法使いは実化(じつか)、聖職者は下位化(かいか)と呼んでいる。早い話が心を物質化する訳だな。ちなみに実化して創出した物質はこのように極めて軽い。ただ外見を真似ているに過ぎないのでな。たとえ実化で創り出した食物を食したとしても味はしないし、血肉になることもない」

「要するに、物になっても幻は幻ってことか」


 ジェスの言葉は正しかったらしく、魔王は訂正せずに攻撃魔法の説明に移る。


「幻化の攻撃魔法では、対象の肉体ではなく精神を攻撃することが可能だ。先程王女が言っていたように、魔法が心で使うものである以上、同じ心を壊すことは容易い。むしろ物質を破壊する方が難しいものだ。ちなみに、物質を破壊するには実化の魔法を使わなければならない」

「でも、こんなのでちゃんと戦えるのか?」


 この軽さでは投げ付けても相手まで届きそうにはないし、鈍器に使ったところで致命傷にはなりそうにもない。


 あまり役に立つとは思えなかった。


「実化の魔法によって攻撃を加えるには大きく分けて二通りの方法がある。実化した物質が術者の任意の位置に動かすことができることを利用して対象を押し潰す、ないし貫くのがまず一つ。もう一つは剣等の武器を創り、対象を殺傷することだ」

「手元に武器がねえ時には役に立ちそうだけど、そうじゃねえなら普通に武器で戦った方が早そうだな。どうせいつも持ち歩いてるし」

「否定はしないが、対象を追尾できるという点において、魔法の方が有利なこともあるということだけは付け加えておこう」


 突如、ジェスの親指と人差し指の間にあった玉が皿のように薄く伸びた。


 指から離れてしまったものの、少し前まで玉であった筈のそれは落ちることなくジェスの眼前に浮かび続け、横から縦へと向きを変える。


 そして何十倍にも大きくなった。

 

 さながら壁のようになったそれをジェスがぽかんと眺めていると、魔王が更に教えてよこす。


「そして防御だが、このように心を実化させて障壁を創る方法と、幻化の障壁で心への直接の攻撃を防ぐ方法とがある。魔法使いや聖職者は、大抵後者を絶えず発動させているな」

「おいおい、魔法使いってそんなにしょっちゅう心を攻撃されてんのか?」

「そういう訳でもないが、心を無防備な状態にしておくと、他者に読み取られる恐れがある。他者の心が読める者はそれ程多くはないが、一応の用心をしているということだ。尤も、読み取ろうとする者の技量が上回ってさえいれば、防御などさしたる意味はないがな」


 聞かなければ良かったと、ジェスは心底げんなりした。


 どこかで誰かに心を読まれていた知れないなど、考えるだけで気分が悪い。


 今こうしている間にも魔王やレリアに心を読まれているのかも知れないが、あまり深く考えないことにした。


 どうしようもないのだから、気を揉むだけ損だ。

 

 ジェスが思考を他へ向けようとしていると、浮かんでいた壁のようなものが忽然と消えた。


 ジェスは目を剥いて壁があった辺りを見つめたが、魔王は何事もなかったかのように言葉を継ぐ。


「次に封印だが、これは主に魔法学校や警察の取締などで使われている。前者は魔法使いになることを志しながら道半ばで学校を去る者に、後者は無認可や違法行為を行った魔法使いに、その力を封じるために為されるものだ。魔法の正しい管理を目的として行われているが、知識の流出は止められぬ以上、封印の意義そのものに疑問を感じるところではあるな」

「まあ、効果がどのくらいあるのか知らねえけど、誰でも魔法を使い放題にしとくのも結構問題なんだろうな。銃だって一応規制されてるんだし」


 ジェスは何気なくそう言ってから、ふと浮かんだ疑問を口にした。


「そう言えば、あんたさっき魔法は招喚・幻惑・攻撃・防御・封印の五つしかないって言ってたけど、心を読んだりするのは魔法じゃねえのか?」

「心を読むというのは単に心が心を感じ取っているというだけのことで、丁度其方がその目で幽霊を見るのと同じようなものだ。よって、魔法とは定義されない。魔法とは心を消費して発動するものだからな」

「ふーん、結局魔法って大したことできねえんだな。幻化の攻撃やら防御やらはともかく、実化の方は魔法使いじゃなくてもできるじゃねーか」

「それが人間であることの限界だな。人間の力はあまりに小さく、そして弱い。更なる力を望むなら、我と契約を交わすしかないのだ」

「そっか……」


 ジェスは腕組みをして暗い天井を仰いだ。


 魔法が使えるようになれば、少しはオルガ達の役に立てるかも知れないと思ったが、幽霊が見えなくなる以外の利点はあまりなさそうだった。


 実際使ってみれば、意外な活用法が見付かったりするのだろうか。

 

 何はともあれ、まずは魔法が使えるようにならなければ始まらない。


「なあ、魔法ってどうやれば使えるんだ?」

「使いたい魔法を想像するんだよ。でも最初は難しいから、言葉に頼った方がいいかな」

「言葉に頼るだあ?」

「別に難しいことじゃないよ。やりたいことを言葉にするの。例えば私が幻化の魔法で木の枝を創るとするでしょ? 細さは私の小指くらいとか、緑の葉っぱが一枚付いてるとか、そういうことを口に出して言った方がやりやすいってことだよ」

「そう、なのか?」


 半信半疑の問いかけに、レリアは力強く頷いたが、ジェスはあまり気が進まなかった。

 

 人前でぶつぶつ独り言を言うのは少し恥ずかしい。


 ジェスがレリアから目を逸らすと、レリアはその小動物めいたくりくりの目を魔王に向けて小さく首を傾げた。


「習い始めって、やっぱり幻化からだよね?」

「それが適当だろうな。幻を創るところから始めるべきだろう」

「幻かあ……創れて何か役に立つか?」

「其方が望むなら他の魔法でも構わぬが、心という形のないものを形のないままに扱うのは、人間には難しいものだ。人間は多くを目に頼って生きているものだからな。心の扱い方を身に付けるには、これが最良だろう。幻を維持し続けることができれば、幽霊が見えない状態を維持し続けることもできる」

「心をずっと同じにしておくことに慣れるから、ってことか」

「そうだ」

「じゃあ、早速教えてくれ」

「では手始めに、先程我が創ったような石を創ってみるがいい。形が単純な分、創りやすい筈だ。目を閉じて心に石を思い描いてみろ」


 ジェスは言われるままに目を閉じると、丸い石を想像してみた。

 

 艶やかで、滑らかな手触りの丸い石。

 

 想像すること自体はそれ程難しくないとはいえ、その像を保ち続けるのは難しかった。


 それでも目蓋に力を込めて懸命に石を想像し続けていると、魔王が再び教えてくる。


「像が定まったら、後はそこに生み出す意志を強く注ぎ込め。そうすれば発動する」


 せっかくの説明だったが、ジェスにはまた理解できない。


 何故魔王はこう無意味な説明をするのだろうか。


 ジェスはふつふつと湧き上がる怒りを何とか抑えて言った。


「あんたの言うことはいちいちわかり難いんだよ。ちゃんと素人でもわかるように言ってくれ」

「端的に言えば、『幻を創りたい』と強く思えということだ」


 だったら初めからそう言え!


 ジェスが心の中で魔王を怒鳴り付けていると、レリアが言った。


「ほらほら、言葉を忘れてるよ。ジェスはどんな石を創りたいの?」


 本当にこんなことに意味があるのかと思いつつ、ジェスは呟きを並べ始めた。


「……白い石……丸い石……固くて、すべすべしてる石……手の平に収まるくらい……」

 物が単純だと、特徴にも乏しい。他に言うことがなくなって、ジェスは目を開けてみたが、石は影も形もなかった。

「何でだ? 言われた通りにしたぞ?」

「それだけじゃ駄目なんだよ。私も最初は全然駄目だったもん」

「要は心の使い方の問題だ」

「集中しろってことか?」

「まあそんな感じかな。強く思えばいいんだけど、ちょっとコツがいるんだよね」


 ジェスにはやはりよくわからなかった。


 とにかくもう一度やってみようと、再び目を閉じて石を想像する。


 そうして幻を創りたいと強く念じながら、石の特徴を並べてみた。


「……白い石……丸い石……固くて、すべすべしてる石……手の平に収まるくらい……」


 ジェスは目を開けてみたが、やはり何も起こらなかった。


 素人にそうそう簡単に魔法が使えたら、魔法使いは飯の食い上げだろう。


 とはいえ、ほんの少しだけ期待していたのだが。

 

 ジェスが溜め息を吐くと、レリアはぽんぽんとジェスの肩を叩く素振りをしてみせた。


「慣れだよ、慣れ。慣れれば、手足みたいに使えるから。でも魔法を使うとその分記憶がなくなるから、あんまり使い過ぎないようにね」

「何だって記憶がなくなるんだ?」

「心は記憶の積み重ねでできている。つまり心は記憶だ。魔法によって心を使えば記憶が失われ、高位の魔法を使う程に失われる記憶も多くなる。心して使うことだ」

「便利なんだか不便なんだか、よくわかんねえな」


 魔法を使い過ぎてしまえば、自分が誰かもわからなくなってしまいかねない。


 記憶は生きている限り増えていくものなのだから、滅多なことでは枯渇しないが、とても気楽には使えなかった。


 使いたくても使えない以上、当面は心配することもないだろうが。


「とにかく練習だよ。私は教えてくれる人がいなかったから随分時間がかかっちゃったけど、ジェスにはそういう人がいるんだし、多分そんなに時間はかからないんじゃないかな」

「だといいけどな」


 さっさと幽霊が見える生活とはおさらばしたい。


 そのためには練習あるのみだ。


 ジェスが目を閉じて再び集中し始めると、レリアがのほほんとした声援を送ってきた。


「頑張ってー。私も頑張るから」


 ジェスは集中を途切れさせると、レリアを見た。


「何をどう頑張るってんだよ」

「前に言わなかったっけ? 私は物に触れるように練習してるところなんだ。ジェスが練習してるのを見てるだけっていうのも退屈だし、私も練習しようかなって思って」

「実化の魔法が使えりゃ、物に触るくらい訳ねえんじゃねえのか?」

「そうでもないよ。自分自身に形がないっていうのは、なかなか勝手が違うんだ。上手く行った時にはちょっとだけ触れたりするんだけどね」


 レリアの白く細い指が、ジェスの頬に伸びてきた。


 中指の先が軽くジェスの頬に触れたが、それは一瞬のことで、すぐに頬をすり抜けてしまう。


「うーん、やっぱりまだまだだなあ……」

「わざわざ俺で実験すんな! っつーか、しばらくどっか行ってろ!」

「はーい」


 レリアは軽く首を竦めると、闇に消えた。


 ジェスはてっきり魔王も行くのだろうと思っていたが、魔王は虚空に浮かんだまま動かない。


「……何で行かねえんだ?」

「我等は常に行動を共にしている訳ではない」

「だからって俺にくっ付いてることねえだろ」

「我がどこで何をしようが、其方には何の関わりもない」


 大変忌々しいことに、全く以ってその通りだった。


 だが魔王と二人きりという状況はどうにも落ち着かず、ジェスは練習をやめて少し休憩することにする。


 別に魔王と会話を楽しみたい訳ではないが、ただ黙っているのも気詰まりだったので、適当な話題を振ってみることにした。


「……なあ、前から思ってたんだけど、あいつ頭弱いんじゃねえのか?」

「言動に知的さが乏しいのは事実だが、王女は優秀だぞ。独学で魔法を学び、この我を招喚してのけたのだからな」

「あんたを招喚するのって難しいのか?」

「我を招喚できた人間は、今までにほんの数人しかいない」

「ふーん。あいつがそんなに頭いいようには見えねえけどな。ほんとガキみてえ」

「それも無理はないだろう。今の王女は十にもならない子供のようなものだ。記憶の半分程を失っているのでな」


 ジェスはぎょっとした。


 同時に納得もする。


 見た目は同い年くらいでも、レリアにとっては物心付いてまだ五年そこらしか経っていないも同然なのだろう。


 そこにあのとっぽさが拍車を掛けているようだった。


「まさか記憶がなかったなんてな……頭でも打ったのか?」

「いや、原因は我にある」

「かっとなって頭でもぶん殴ったのか?」

「我は決して温厚な性質ではないが、怒ったことはないぞ。この我を怒らせる程に長生きできた者はいないのでな」


 『暴君』という言葉が脳裏に浮かんだものの、ジェスは口には出さなかった。


 言ったが最後、身を以て先程の魔王の言葉の正しさを思い知ることになるに違いない。


「で、あんたあいつに何したんだ?」

「我が直接何かした訳ではない。我を招喚するための魔法を使って失ったのだ」

「ああ、そういうことか」


 ジェスはやっと合点が行った。


 先程魔王は高位の魔法になればなる程失う記憶が増えると言っていた。


 魔王を招喚する魔法は余程高度なものなのだろう。


「ったく、あの馬鹿……記憶がないなら最初にそう言えよな。そしたら俺だってちったあ考えたのによ」

「王女は他者と接することに不慣れだからな。気付かなかったのだろう」


 ジェスはぱち、と一つ瞬きした。


「それであんたが教えてくれたって訳か?」

「気が向いただけだ」


 どうやら人間だけでなく、魔物にも一つくらいいいところがあるらしかった。


 ジェスが少しだけ魔王を見直していると、魔王が上を見上げて言う。


「戻ってきたようだぞ」


 ジェスが魔王の視線を追って暗い天井を見上げると、レリアが首だけを出してこちらを覗いていた。


 目が合った途端、レリアは悪戯を見付かった子供のように慌てて首を引っ込める。


 ジェスは小さく溜め息を吐いた。


「下りて来いよ。もう怒ってねえから」

「うん!」


 レリアは元気良く返事をすると、天井を飛び出してジェスに抱き付いた。


 やはり体が触れ合うことはなかったけれども。


「では、我は少々席を外すとしよう」


 気を利かせたのか、それとも只の気まぐれなのか、魔王はそう言った。


 レリアが「また後で」と言いながら手の平を魔王に向けた時には、その姿は既にかき消えている。


 怯える程ではないが、少し気味が悪かった。

 

 ジェスは魔王がいた辺りを見つめて言う。


「お前よくあんなのとつるんでられるな。あいつ魔王なんだろ?」

「まあ、ちょっと怖いところもあるけど、私の知らないことたくさん教えてくれるし、良くしてもらってるよ」

「ふーん、お前でも人並みに人間じゃねえもんを怖いとか思うんだな」

「え、おかしいかな?」

「そうじゃねえけど、ちょっと意外だった」


 あまりにも平然と魔王に接しているので、レリアは余程ずれた感覚の持ち主なのだろうと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。

 

 大した度胸だった。


「お前、招喚する時に殺されるかも知れねえとか思わなかったのか?」

「正直、ちょっと怖かったな。でも生きていればいつかは死ぬものだし、殺されるって決まってる訳じゃなければ試してみようと思ったんだ。死にたくなかったからね」

「そんなの変だろ」

「え、変?」

「どう考えても変だろ」


 死にたくないのに死ぬかも知れないような真似をするというのは、ジェスには理解し難い行為だった。


 明らかに矛盾している。


 だがそんなことをしてしまう程、レリアは追い詰められていたのかも知れなかった。


 しかもそこまでレリアを追い詰めたのは、レリアの実の親なのだ。

 

 どうにもやり切れなかった。


「……嫌な記憶、失くせたのか? 魔法を使えば記憶がなくなるんだろ?」

「多分ね。全部じゃないみたいだけど。母様に首を絞められたこと、まだ覚えてるよ。女の人とは思えないくらいの凄い力で、とにかく怖かった。私、その時熱出して寝込んでて、シェラがちょくちょく様子を見に来てくれてたから助かったけど、そうじゃなかったら今頃ここにいなかったと思う」


 レリアはその時の苦しみを思い出したのか、首に軽く手をやって少し眉を寄せた。


「だから魔王と契約したんだ。でも今はちょっとだけ後悔してるかも。ジェスがいなくなっちゃっても、私はずーっと生きてくんだもん」

「そんなの、魔王と契約しなくても普通にあることだろ。死ななくても二度と会えなくなることだってあるんだからな」


 その言葉は、半ばジェス自身に向けたものだった。


 レリアともオルガ達ともずっと一緒にいられる訳ではない。


 今の内に踏ん切りを付けた方がいいのだろう。


 そうわかってはいても、簡単に思い切れるものでもなかった。

 

 多分、レリアも自分と同じなのだ。

 レリアにとっての自分は、自分にとってのオルガで、なかなか手放す気になれないのだろう。


 別れた方がお互いのためになるとしても。

 

 ジェスが暗い闇を見据えて舟を進めていると、レリアが言った。


「いつまでもずーっと一緒にいられたらいいのにね」

「いつまでもずーっと一緒だったら、多分俺は発狂する」

「どうして?」

「……もういい。喋るな。黙れ。殺すぞ」


 それきり会話は途切れて、ジェスは魔法の練習を再開した。






 それからしばらくして。


「だーっ! もう駄目だーっっ!」


 ジェスは自棄を起こして仰向けに舟に寝転んだ。


 あれから随分粘ったが、結局魔法は一度も発動しなかった。


 精神を集中し続けたせいで、頭がひどく痛む。


 集中すること自体は苦手ではないが、慣れないことを続けるのはやはり疲れた。


 頭がぼうっとして、もうまともに物を考えられない。


 使い続けた喉は、飲み込む唾が痛い程渇いていた。

 

 レリアは寝転んだジェスを見下ろして、その努力を労う。


「よく頑張ったね。今日のところはこの辺でいいと思うよ」


 よしよしと頭を撫でる素振りをするレリアの手を避けて、ジェスは体を起こした。


「じゃあ、俺もう帰るな」

「うん、また明日ね」


 レリアは上げた片手を軽く握った。


 ジェスも少し迷ってから、レリアと同じように手を上げる。


 きょとんとした顔のレリアをその場に残し、ジェスは舟を進め始めた。

 

 こういうのは、やはり少し照れる。






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