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漂っていた夕暮れが消え、空は一面に夜を纏っている。
ヴェリリエールの町中にあるディクリーズ教会も、町の明かりが混ざる淡い闇に包まれていた。
煉瓦造りの重厚な建物の中は百人程度を収容できる広さで、二列の長椅子が祭壇に向かって並べられている。
その椅子を身なりの良い男達が少しずつ埋め始めていた。
これからディクリーズ・クラブと呼ばれる政治結社の会合が行われるのだ。
構成員は議会に参加できる議員ばかりでなく、学者や作家といった知識人から商人や職人まで幅広い。
構成身分は平民が七、八割、下級貴族が二、三割といったところだ。
三名以上の会員の推薦と安くはない会費を払い続けることが入会条件であるため、程度の差はあれ経済的に余裕のある者が多い。
会員の大半は男性だが、少数ながら女性も混じっていた。
シルヴィラ・エレノラ・アキュレルも数少ない女性会員の一人だ。
燃えるようにうねる赤く短い髪。
瞳の緑は夏の日差しに照り映える樹々のそれより深く鮮やかで、怜悧な光を帯びていた。
程良い高さの鼻梁に、厚くて形のいい唇。
化粧っ気はなくても、シルヴィラの知的な面差しは十分過ぎる程に美しい。
豊満な肢体を包むのはドレスではなく、仕立ての良い男物の服だったが、凛然としたシルヴィラには良く似合っていた。
まだ二十代半ばという若さも手伝って、シルヴィラは会員の中でひどく目立つ存在だ。
ディクリーズ・クラブには百を越える会員が在籍しているが、若く美しいばかりでなく、高い教養を備えたシルヴィラは常に注目の的だった。
これでもかと色をぶちまけたパレットのように、豊かな色合いのステンドグラスをきらめかせる蝋燭の明かりの中、シルヴィラはゆっくりと歩みを進めていく。
シルヴィラが座る場所は向かって左手、最前列の左端と決まっていて、新参者で無い限りそこに座ろうとする者はいない。
よく声が聞こえる一番前の席ならどこに座っても良かったのだが、最初にそこに座ってから、何となくそこが定位置になった。
シルヴィラはいつものように会員達と挨拶を交わしながら最前列まで進むと、長椅子の左端に腰を下ろす。
精緻なレリーフが淡い陰影を刻むドアの方に何気なく目をやると、見慣れた男が入ってくるのが見えた。
髪に白いものが目立つ四十絡みの中年男。
皺が刻まれた柔和な顔立ちは凡庸そのもので、町ですれ違っても誰も気に留めないだろう。
その目がなければ。
理想に燃えた茶色の目はひどく真っ直ぐな眼差しで、それが男に聖人めいた高潔さを与えていた。
上等な上着にズボン、革靴を隙なく身に着けたその姿からは貴族らしい気品が漂う。
男の名はセルジュ・レオンス・ジェルヴェーズ。
急進派の中心人物だ。
ディクリーズ・クラブには穏健派と急進派という二つの派閥があるが、シルヴィラが属しているのは急進派だった。
穏健派は現行からの緩やかな変革を望む富裕市民や一部の先進的な貴族の側に立った政策を、一方の急進派は大胆な変革を望む貧しい民衆の側に立った政策を主張している。
現時点でクラブの多数派を占めているのは穏健派だった。
貴族でなければ議会に参加する資格すら得られない現制度下において、急進派が議会に輩出できる議員は穏健派のそれより少なくならざるを得ない。
急進派の議員はセルジュの他、数人程しかいなかった。
セルジュはシルヴィラの前で足を止めると、にこりと微笑んで言う。
「こんばんは、シルヴィラ。隣にお邪魔してもよろしいですか?」
「勿論構いませんよ」
軽く腰を浮かせたシルヴィラがぎりぎりまで椅子の端へ寄ると、セルジュはシルヴィラの隣にゆっくりと腰を下ろした。
それから辛うじてシルヴィラに聞き取れるくらいの低い声で言う。
「聞きましたか? 陛下が崩御されたそうですよ。死因は病死だとか」
「そのようですね。事実だとお思いですか?」
「まさか。陛下の暗殺未遂事件が頻発していたのは公然の秘密です。恐らく暗殺されたのでしょう。ご病気という話も聞きませんでしたね」
「同感です」
恐らく犯人はジュヌヴィエだろうとシルヴィラは思っていた。
殺されたであろう王の死を病死で片付けたからには、事を荒立てては不都合があるのだろう。
そして王が死んで最も得をする者と言えば、ジュヌヴィエしかいなかった。
大方、いつまでも王座に居座っていた王が目障りになったに違いない。
しかし、実の父親を殺してまで王になる価値が、今のこの国にあるだろうか。
シルヴィラは唇をわずかに歪めた。
「直にジュヌヴィエ王女殿下の戴冠式が行われるでしょう。先王と違って自ら統治するつもりであれば、是非先進的な政策を行って欲しいものですね」
逼迫している財政を立て直すためには、これまで行われてこなかった聖法使いや貴族達への課税が絶対に必要だろう。
否、そもそも身分制度などというものを廃止すべきだった。
そうすれば滞っている鉄道の敷設も捗るに違いない。そもそも貴族や教会が所有している土地を手放そうとしないからこそ、こういった状況に陥っているのだ。
財産権の剥奪程度では手緩い。
宗教が社会にとって不可欠なものである以上、教会を廃止するのは無理だろうが、身分制の廃止程度ならば十分可能な筈だった。
最早この国に貴族は必要ない。
王もだ。
とはいえ、彼等が学問や芸術の保護者となって、それらを発展させてきたことは否定し難い事実だった。
特に魔法学は神秘の独占を望む教会が異端と定めているため、一国の王の庇護なしにはとても存続し得なかっただろう。
このルーヴェリアでも王によっては魔法使いの弾圧を行ったことがあり、魔法学の自由が保障され続けてきた訳ではないが、その功績は評価に値するに違いない。
しかし時代は変わり、今や王も貴族も国の発展を妨げるだけのものになってしまった。
それならいっそ無くしてしまった方がいい。
シルヴィラ自身も下級とはいえ貴族の出だが、そんな身分を惜しむつもりはなかった。
どうせ数代前の人間が金を積んで買った身分に過ぎない。
仮に由緒正しいと言われるような血筋だったとしても、ただごく限られた人間と交配してきたということにどんな意味があると言うのだろう。
人が誇るべきは血筋などではなく、生き方だ。
シルヴィラは皮肉を溜めた唇で言った。
「とりあえずは、殿下のお手並み拝見と行きましょうか」




