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幽霊王女と優しい殺し屋  作者: 佳景(かけい)
第7章
29/29

―28―

 ジュヌヴィエが率いる別働隊は、フォルテ・ヴロアの森から進撃を始めた国民軍の別働隊に追い詰められつつあった。


 数で圧倒されている上に、国民軍は国王軍とは比較にならない程士気が高い。


 銃弾を恐れるどころか、雄叫びを上げながら突撃してくる国民軍の兵に、国王軍の兵は完全に腰が引けていた。


 陣が崩れ始める。


 更に悪いことに、国民軍の本隊が別働隊と合流しようと移動中だ。

 

 合流にはまだ時間がかかるだろうが、この調子では本隊の到着前に全滅しかねない。


 自分はこの国の女王である筈なのに、何故こうも思い通りにならないのだろうか。

 

 ジュヌヴィエは苛立ちを幕僚達にぶつけた。


「お前達はただそこにいるしか能がないの!? 違うと言うのなら、今すぐこの状況を何とかして見せなさい!」

「お叱りはご尤もですが、最早これ以上の戦いは無意味です! 退却を!」

「退却ですって!? 私を誰だと思っているの! このルーヴェリアの女王よ!」

「陛下、おわかりでしょう! 既に勝敗は決しました! それが理解できないのであれば、あなたは晩年の先王にも劣る暗君に他なりません!」


 ジュヌヴィエは喉元まで出掛かっていた罵倒の言葉を辛うじて飲み込んだ。


 この場から逃げ出すことよりも、あの情けない父王より劣って見られることの方がより屈辱だ。


 ここは退却して、今一度力を蓄えるべきだろう。


 軍はほぼ全滅してしまったが、母の祖国や縁戚関係にある国に要請を出せば、きっと援軍を送ってくれるに違いない。


 既存の社会構造を破壊する革命は、どの国にとっても目障りな筈だ。

 

 勝機はまだある。

 

 ジュヌヴィエは苛立ちを押し殺し、声高に命じた。


「火力を敵軍の前面に集中させなさい! 足止めをしつつ、退却します!」






 退却を始めた国王軍の別働隊に、国民軍の別働隊は容赦なく追撃をかけていた。


 白兵戦の中、血の匂いが火薬のそれに混じる。


 下手に撃つと双方味方に当たってしまうため、銃撃は止んでいた。


 射撃の精度が歩兵に劣る騎兵は、下がってジュヌヴィエを守っている。


 ジェスは銃剣を手に、突撃をかける国民軍の横を駆けていた。


 整列して走る兵をどんどん追い抜いていく。


 置いて行かれた時には随分焦りもしたが、結果的にはこれで良かったのかも知れない。


 隊列を組んで前進するより、この方がずっと早く進むことができた。


 団体行動が基本の軍にあって単独行動を取るジェスに、誰もが驚いた顔を向けてくる。


 止めようとする者もいたが、ジェスは構わず走り続けた。

 

 この程度のことで止まる訳には行かない。

 

 重い感情に心を重く押し潰されながらも、ジェスはその感情を引きずりながら、ただ走った。


 最前線まではまだ遠く、ジュヌヴィエがいる所までは更に遠いだろう。


 最前線は白兵戦の只中で、無事に切り抜けられるかどうかわからなかった。


 たとえ死んでもジュヌヴィエの元に辿り着かなくてはならないが、このままではまた逃げられてしまうだろう。


 この手も足もあまりに短過ぎ、銃弾も遠過ぎて届かなかった。

 

 それなら声はどうだろう。

 

 これまで何度かやったように声に魔法を乗せたなら、届くかも知れない。


 怒号や悲鳴、銃剣同士が打ち合わさる音などで、どんな大声でもかき消されてしまいそうであるし、魔法の有効範囲などわからないが、それでも試してみる価値はあった。


 もうこれ以上にはないというくらい強く願えば、もしかしたら届くかも知れない。

 

 魔法は心で使うものなのだから。

 

 ジェスは足を止めると、目を閉じて何度も大きく深呼吸し、息を整える。


 心を静め、澄み渡らせて、ただこの思いが届くことだけを願う。


 強く強く、心が壊れそうな程強く。

 

 そして、ジェスは腹の底から叫んだ。


「止まりやがれええぇぇっ!!」






 ジュヌヴィエは周囲を騎兵で固め、幕僚達と更地の奥へ馬を駆っていた。


 次第に野営地が近付いてくる。


 野営地に残してきた兵へ向けて国民軍の足止めをするように伝令を放ったのだが、兵は命令に従うどころか持ち場を放棄して、次々逃げ出し始めていた。


 部隊が消滅するのも時間の問題だろう。


 否、部隊どころか軍そのものが消滅するに違いない。

 

 今はただ遠くへ逃げるしかなかった。

 

 だが、このまま進んだところで仕方がない。


 この更地には何もないのだ。


 隣国に辿り着くまで水も食料も手に入らないのだから、戦場が見えなくなるまで走ったら、どこかで迂回しなければならない。


 そんなことを考えていた時、ジュヌヴィエは突如金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。


 痛いと思う間もなく、意識がふっと遠のく。


 手綱を握る手から力が抜け、体が傾ぐのがわかったが、どうすることもできない。

 

 狂ったように暴れ出した馬の背から、ジュヌヴィエは地面へ振り落とされた。



 



 ジェスは目を閉じたまま、肩を大きく上下させていた。


 大声を出したせいで頭が熱い。


 ただ熱いばかりでなく、割れそうに痛かった。


 誰かがけたたましく叩く鐘の音に似た音だけが、ずっと耳に響いている。


 そう言えば、他には何も聞こえない。

 

 魔法は上手く行ったのだろうか。

 

 ジェスが目を開けて辺りを見回すと、更地にいる兵は残らず倒れていた。

 

 まだ遠くにいる国民軍の主力部隊の兵だけは魔法の影響を受けなかったようで、立って動いている。

 

 否、例外は他にもいた。

 

 空を飛ぶレリアがすぐ近くまで迫って来ている。


 自分が負わせた傷が大したことがなかったらしいことにジェスは安堵したが、その反面ひどく焦った。


 きっとまた邪魔をするつもりだろう。


 ジェスは慌てて駆け出した。


 強く地面を蹴る足が、抜けそうな程激しく動かす腕が、悲鳴を上げ始める。


 激しい呼吸を支える肺が痛くなり、心臓が大きな音を立てて鳴った。


 それでもレリアの速さには到底敵わない。


 レリアはジェスを追い越し、そのまま行ってしまった。


 その後ろ姿は遠ざかる一方だ。

 

 ジェスはもう一度魔法を使おうかとも思ったが、やめた。

 

 これ以上レリアを傷付けたくない。


「くそっ!」


 ジェスはがむしゃらに走った。






 ジェスの近くにいた兵は全員ジェスが倒してしまった。


 敵からジェスを守る必要がなくなったレリアは、ジェスを追い越してジュヌヴィエの元へと向かう。

 

 程無くして騎兵達と共に倒れているジュヌヴィエを見付けると、レリアはその傍らに降り立った。


 精神への攻撃は人間ばかりでなく動物にも有効で、馬まで倒れている。


 ジェスが何を願って魔法を放ったのかわからないが、仮に精神を完全に破壊されたとしても、命は取り留めるものだ。


 ただ、馬に踏まれたり、その下敷きになったりして死んでいる者はいるようだった。


 ジェスに殺意はなかったのだろうが、結果的に皆ジェスが殺してしまった。


 これだからやめて欲しかったのに。

 

 レリアはきつく唇を噛んだ。

  

 ジュヌヴィエは足が馬の下敷きになってはいたが、まだ死んではいないようだ。


 早く逃がさないと、ジェスが来てしまう。

 

 レリアはジュヌヴィエにも見える姿になると、早口で呼び掛けた。


「姉様、姉様! 起きて! 早く!」


 ジュヌヴィエの目蓋が微かに震えて、ゆっくりと持ち上がる。


 焦点が合っていなかった目がレリアの姿をはっきりと捉えた時、そこに紛れもない恐怖の色が広がった。


「な、何故お前がここにいるの!? お前は死んだ筈よ! 消えなさい! 近寄らないで!」


 ジュヌヴィエは体を起こすと、レリアの姿をかき消そうとするように、滅茶苦茶に腕を振り回した。


 その姿を見て、レリアは伸ばしかけた手をそっと下ろす。


 死んだ筈の人間が突然目の前に出てきて驚くのはわかるが、化け物のように扱われるのはやはり少し胸が痛んだ。


 こんな変な髪の色でも、自分だって人間なのに。


 レリアが静かにジュヌヴィエから離れると、ジュヌヴィエは苦労して馬の下から足を引き抜き、足を引きずってレリアから逃げ始める。


 いい気はしないが、事情を説明しなくても逃げてくれるのだから、手間が省けていいと考えるべきだろう。


 それも、きちんとジェスがいない方に逃げているのだから。

 

 レリアは小さく溜め息を吐いて、逃げるジュヌヴィエの四方に防壁を創った。

 

 




 ジェスは更地に横たわる兵達を横目に走り続けていた。


 兵という兵が倒れて見晴らしが良くなったおかげで、レリアが誰かといたのは見えていた。


 遠くて人相はよくわからなかったが、金髪の女だったのは間違いない。

 

 あの時の替え玉と同じ髪の色。

 

 きっとあれがジュヌヴィエだ。

 

 ジェスは更に加速を付けてジュヌヴィエの元へと急いだ。


 その行く手にレリアが両手を広げて立ちはだかったが、ジェスはレリアの横を駆け抜け、ジュヌヴィエへと肉薄する。

 

 心の底から湧き上がる歓喜。

 

 最早純粋とさえ言える殺意。

 

 レリアへの罪の意識などかき消してしまいそうな程強い感情に任せて、ジェスは銃剣を繰り出した。


「死ねええぇぇっ!」


 ジェスは振り向いたジュヌヴィエの胸に銃剣を突き立てようとしたが、刃はあえなく透明な防壁に阻まれた。


 誰の仕業かなど、考えるまでもない。

 

 ジュヌヴィエが瞬きもできずに固まる中、ジェスはレリアを振り返ってがなり立てる。


「何でこんな奴庇うんだよ!? こいつはお前を殺した奴なんだぞ!」

「何度も言ったじゃない! もうジェスに人を殺して欲しくないんだよ! お願いだから、私なんかのために殺さないで!」


 レリアが負けずに怒鳴り返すと、ジェスは更に大きな声で怒鳴った。


「自惚れんな! お前のためなんかじゃねえ! 俺のために殺すんだ!」

「先程から殺す殺すと何なのよ!? お前は何者!? 私に何の恨みがあるの!? 私には恨まれるような覚えなんてないわ!」


 ジュヌヴィエがそう言い放った途端、血が沸騰するかと思う程の凄まじい怒りがジェスの全身をくまなく駆け抜けた。


 レリアを殺した癖に、この女は罪を犯した自覚すらないのだ。


 本当に度し難い、許し難い馬鹿だ。

 

 ジェスは壁ごしにジュヌヴィエを蹴り付けると、壁に足を置いたまま言った。


「俺はあんたが殺した妹の友達で、あんたはあいつの仇だ! 納得したか、ああ!? したらさっさと死ね!」

「ふざけるのもいい加減になさい! 妹を殺したのはこの国のためよ! 政に無知な妹が下手に利用されたらどうなると思うの!? この国を守るためには当然の措置だわ!」


 ジェスは再び銃剣を壁に突き立てた。


 その剣幕に気圧されたジュヌヴィエが、続けようとしていた言葉を途切れさせる。


 これ以上ジュヌヴィエの言葉など聞きたくなかったし、話す必要もないだろう。


 たとえ千の言葉を並べたところで、この女にレリアを殺した罪深さが理解できるとは思えない。

 

 ジェスはジュヌヴィエを見据えたまま、レリアに言った。


「おい、あんなこと言われてまだこいつのこと庇うのかよ? 今すぐこの壁消せ」

「やだ」

「消せ!」

「やだ!」


 うんざりする程の平行線だ。


 ジェスがレリアと睨み合っていると、ジュヌヴィエが空に向かって呼び掛けた。


「魔王!」


 ジュヌヴィエの呼び声に応えて、魔王が空中に出現した。


 漆黒の長い髪と服が花咲くように宙に広がる。


 まさかジュヌヴィエにこんな真似ができると思っていなかったジェスは魔王の出現に大いに驚いたが、よく考えてみれば当然だろう。


 ジュヌヴィエは魔王と契約しているのだから、呼び出しくらいできないと話にならない。

 

 ジェスが警戒しながら魔王を見上げると、ジュヌヴィエが魔王に問いかけた。


「魔王、あなたに訊きたいことがあるの。契約内容を一時的に変更することはできて?」

「不可能だ。契約を解除することはできても、それ自体を歪めることはできない。そうでなければ、契約そのものの意味が失われてしまう」

「あなたは王でしょう。王ならば望むままに契約を変えることに、どんな不都合があるというの?」

「其方も王であるならば、王であっても守るべきものがあることを知るがいい。我が魔法的な制約を守るように、其方にも守って然るべきものがある。それすら理解できない愚か者が王を名乗るなど、おこがましいにも程があるというものだ。身の程を知れ」


 ジュヌヴィエは険しい顔で反論しかけたが、結局は何も言わずに言葉を飲み込んだ。


 下手に反論などして機嫌を損ねると、後が怖いだろう。


 だがここまで言われて黙ったままというのもひどく口惜しいようで、唇を固く引き結んで屈辱に耐える姿はなかなか痛快だった。

 

 ジェスは心の中でもっと言ってやれと魔王に声援を送る。

 

 この馬鹿はどれ程罵倒してもし足りない。

 

 いっそジュヌヴィエを殺してくれればいいのにと思っていると、魔王はその綺麗な唇に皮肉な笑みを湛えて続けた。


「大方我にその少年を殺させようという腹だったのだろうが、命運が尽きたならば潔く死ぬことも、王の務めというものだぞ」

「私の命運はまだ尽きてなどいないわ!」


 ついに我慢できなくなったらしいジュヌヴィエが向きになって反論すると、魔王はわずかに片眉を上げて見せた。


「ほう、では己の力で見事この場を切り抜けて見せるがいい。我は文字通り高みの見物を決め込むこととしよう」


 魔王は虚空に腰掛けて長い脚を組み、どこか楽しげな様子でジュヌヴィエを見下ろした。


 ジュヌヴィエに手を貸すつもりはさらさらないらしい。


 ジェスはやったとばかりに手の平を握り込んだ。


 魔王が加勢しないのであれば、形勢が逆転することはまずないだろう。


 ジュヌヴィエが再び足を引きずりながら逃げ出すと、ジェスは懐から火薬玉を取り出した。


 できることならレリアにも納得してもらった上で事を運びたかったが、仕方がない。

 

 ジェスが導火線に火を付けようとした時、レリアが訊いてくる。


「どうしても姉様を殺すの?」

「何度も同じこと言わせんな」

「そう……」


 レリアはあきらめの漂う口調でそう言うと、静かに目を閉じた。


「じゃあ、私は私のやり方でジェスを守るよ」


 レリアが決然とそう告げた途端、ジュヌヴィエの背後にある壁から数本の太い針が生まれ、ジュヌヴィエを背中から刺し貫いた。


 血が防壁を汚す。


「っ!」


 血を吐いてその場に頽れるジュヌヴィエを、ジェスは目を見開いて見つめた。


 こんな。


 こんなことがあっていい訳がない。


 レリアは自分と同じ罪に塗れてはいけないのだ。


 レリアはとっぽくて優しくて、いつだって楽しそうに笑っていて、人を殺すことなど知らなくていい筈の人間なのだから。


 ジェスは倒れたジュヌヴィエに駆け寄った。


 防壁はもうなくなっている。


 ジェスはジュヌヴィエを抱き起こすと、必死で胸の傷口を押さえた。


 だが溢れ出す血は一向に止まらない。


「おい! 死ぬな馬鹿! 生き返れ! 俺に殺されろ!」


 半狂乱になって喚き散らすジェスを見かねて、魔王は更地に降り立った。


 ジェスの肩に実体化した手を置くと、ジェスは今にも涙が零れ落ちそうな目で魔王を見上げる。


「落ち着け。何をしても無駄だ。それは既に死んでいる」


 魔王がそう言った途端、その背後にいたレリアが悲鳴を上げて霧散した。


「ああああああああああああああああ!」


 ジェスはジュヌヴィエの亡骸を放り出して、転げるようにレリアがいた辺りを探し回ったが、レリアはどこにもいなかった。


 ただ風が鳴くような音が響いているだけだ。


 四つん這いになったジェスは肩を大きく上下させながら、地面を強か拳で打った。


「何でだ!? 何であいつが消えるんだよ!?」

「落ち着けと言っている。王女は消滅した訳ではないぞ」


 ジェスは一瞬息を忘れた。


 跳ねるように立ち上がると、魔王に詰め寄る。


「本当か!?」

「ああ、この音が聞こえるだろう。王女の声だ。王女は其方のすぐ近くにいる。ただ我を忘れているだけだ。実の姉を殺して心に相当な負荷がかかったところに、我が明確に死を口にしたことが引き金になってしまったようだな」

 

 魔王の説明を聞きながら、ジェスは以前にも似たようなことがあったことを思い出した。


 あの時レリアの心は眠っていたが、今回も状況としてはそれに近いのだろう。


 きっとただ呼んだとしても、今のレリアには聞こえない。


「もしかして、あの時と同じようにすればいいのか?」

「その通りだ」

「っつってもなあ……あの時と今じゃ、いろいろ違い過ぎるだろ」


 レリアは、きっと自分のせいでジュヌヴィエを殺した。


 自分がレリアを人殺しにしてしまったのだ。


 そんな自分の声で、レリアは本当に目覚めるのだろうか。

 

 わからない。

 

 だが、それよりもっとわからないことがあった。


「……あいつ、何でジュヌヴィエを殺したりしたんだろう……?」


 ジェスは我知らずそう呟いていた。


 自分のせいなのだろうということはわかる。


 だがそれ以上のことはわからなかった。


 レリアがジュヌヴィエを殺したなど、今でも信じられない。


 理解できない。

 

 だが魔王は訳知り顔で言った。


「わからぬのか? 王女が言っていただろう。其方を守るためだ」

「守る?」

「王女が自らあの女を殺せば、其方があの女を殺すことはないだろう。其方を更なる罪から守ることができる」


 ジェスは胸を突かれた。


 そんなことのためにレリアはジュヌヴィエを殺したというのか。


 自分はもう数え切れない罪を犯していて、たった一つ罪が増えるくらい何でもなかったのに。


 レリアは心が耐え切れずに消えてしまうくらい辛かったのに。


 それでもレリアは人殺しになってまで、自分を守ってくれたのだ。


 おかげで人殺しの罪を重ねることは免れたが、今度は別の罪を背負ってしまった。


 その罪に、自分は向き合わなくてはならない。


 全てはジュヌヴィエを許すことができなかった自分の弱さや頑なさが招いたことなのだから。

 

 ジェスは大きく息を吸い、そして声の限りレリアを呼んだ。


「レリアー!!」



 



 レリアは恐慌状態に陥っていた。

 

 ジェスにジュヌヴィエを殺させたくない一心でしたことだが、できることなら殺したくなかった。


 それでも冷静にやり過ごそうとずっと気を張っていたのに、魔王の「死んでいる」という言葉を聞いた途端、取り返しの付かないことをしたという事実の重みにどうしていいのかわからなくなってしまったのだ。

 

 ジュヌヴィエを、実の姉を殺した。


 殺してしまった。


 別段親しくもなかったし、好いていた訳でもなかったが、それでも背負い込んだジュヌヴィエの命がこんなにも重くて辛い。


 その重さを吐き出すように、レリアはただ叫ぶ。

 

 涙を流して泣くことができたらいくらか楽になれたかも知れないが、涙などとうに失くしてしまっていた。


 姿形も声らしい声も失って、このまま記憶や感情まで全て失くしてしまいそうだ。


 どれだけ叫んでも楽になるどころか苦しくなるばかりで、怖くて堪らなくなる。


 もう、ただいろいろなものが怖かった。


 ジュヌヴィエを殺した自分も怖かったし、背負った罪も怖かったし、自分が消えてしまうかも知れないことも怖かった。

 

 そんな時、ふとジェスの声が聞こえた。

 

 自分が死んだあの時と同じように、ジェスはまた自分を呼び戻そうとしてくれているのだろう。


 その事実が心を温め、強くしてくれた。


 あれ程波立っていた心が少しずつ凪いで、胸に巣食っていた恐怖が消えて行く。

 

 大丈夫。

 

 自分はこの罪と一緒に生きて行ける。

 

 この罪は、自分がジェスを思うからこそ犯したものなのだから。

 

 レリアは虚空にゆっくりと自身の輪郭を描き始めた。


 自分という存在を胸に思い描きながら顔や手の輪郭を整え、少しずつ色を乗せていく。


 ジェスがあの時と同じように手を差し延べてくると、レリアも淡い手をそっと伸ばした。

 

 手と手が重なる。

 

 その手を、レリアは握った。


 もう自分を見失わないように、しっかりとジェスの手を握った。


 固くて傷だらけだが、どこか優しい手。


 自分の手はもうただ形を真似ているだけの偽物になってしまったが、それでももう一度触れ合うことができて良かったと思う。

 

 触れることができれば、言葉以上に気持ちを伝えることもできるだろう。

 

 ジェスがレリアの手を握り返すと、レリアはジェスの首に抱き付いた。


「ありがとう」






 ジェスはレリアの背中を抱き返そうか迷って、結局は手を下ろした。


 自分にはそんなことをする資格がない。


「……お前、怒ってねえのか?」

「どうして?」


 わざわざ口にするのは気が重かったが、ジェスは強引に唇を動かして言葉を吐き出した。


「お前、俺のせいでジュヌヴィエを殺したんだろ?」


 改めて言うと、残酷な事実が胸に深く刺さった。


 だが、避けて通る訳には行かない。


 逃げないと決めたのだから。

 

 ジェスが知らず息を詰めていると、レリアはジェスを抱き締めたまま答えを口にする。


「私が自分で勝手にああしたんだよ。ジェスのせいなんかじゃないよ。ジェスの方こそ、私のこと怒ってないの?」

「何で、俺がお前を怒るんだよ?」

「だって、私たくさんジェスの邪魔しちゃったし、ジェスはあんなに殺したがってた姉様を、結局殺せなかったんだよ?」

「だからって怒ったりしねえよ。それに、お前にはすげえ悪いことしたと思ってるし……悪かったな」


 ジェスが自分でも驚く程素直にそう言うと、レリアはジェスを抱く腕にますます力を込めた。


 優しい腕。


 生きている時のような温もりは感じられないが、それでもその優しさは変わらない。


 一度だけ体を伴ったレリアに会った時と同じだ。


 レリアは、きっとあの時と少しも変わらず自分を好いてくれているのだろう。


 ジェスが零れそうになった涙を瞬きの数を増やしてやり過ごしていると、レリアはひどく優しい声で言った。


「ジェスは悪くないよ。優しくて、ただ私のことを大事に思ってくれただけだよ」


「……お前、まだ俺といたいのか?」

「いたいよ。だって、私はジェスのこと大好きだもん。嫌いになんかなれないよ。ジェスは私が殺されたことを怒ってくれて、あんな危ない真似までしてくれたんでしょ? もしジェスが姉様を殺してたとしても、私はやっぱりジェスのことを嫌いになれなかったと思うよ。だから一緒に行くんだ。駄目かな?」

「駄目じゃねえよ!」


 ジェスはレリアの背中をかき抱いた。


 自分だってレリアと一緒にいたい。


 レリアと離れている間ずっと寂しかったし、できればすぐにでも会いに行きたかった。


 レリアが側にいたいと言ってくれるなら、それを拒むことなどもうできない。


 本当は側にいることなど許されないのだろうが、レリアが自分を許すなら、自分が自分を許さなければいいだけだ。

 

 この先レリアへの罪悪感に苛まれながら、ずっと生きて行けばいい。

 

 それが自分への罰だ。

 

 ジェスは長く息を吐くと、空を仰いで独りごちた。


「さてと、これからどうすっかなー……」

「どうするって?」

「どうやって金稼ぐかってこと。メシは勝手に出てくるもんじゃねえんだぞ」


 レリアはジェスから体を離すと、顎に手を当てて考える素振りを見せた。


 だが結局いい考えは浮かばなかったらしく、魔王を振り返って問いかける。


「ねえ、何かいい考えないかな?」

「そうだな……魔法使いにでもなればどうだ?」

「魔法使いだあ?」


 ジェスは片眉を跳ね上げた。


 魔法使いになるには専門の学校に行かなければならない。


 卒業すれば魔法を売って生計を立てることを許されるし、より難しい課程に進めば教鞭を取る資格も得られるものの、脱落する者も多いと聞いた。


 一旦学校を去った者は魔法を封印されて、原則として二度と魔法を使えなくなるという。


 加えて魔法学校の学費はかなり高い。


 銀行にはこれまで稼いだ金を眠らせてあるとはいえ、それだけで学費を払い切ることは無理だろう。


「あんた、俺がそんな金持ってると思ってんのかよ」

「働きながらでも学ぶことはできる筈だぞ。素質はある以上、それを活かすことを考えるべきだと思うが?」

「そりゃそうだけどよ、卒業できなかったら金も時間も丸損じゃねーか」


 ジェスが難しい顔になっていると、レリアが言った。


「大丈夫だよ。わからないところは全部私が教えてあげるから」

「お前が?」

「うん。ジェスの質問には多分ほとんど答えられると思うよ。私はこれでも魔王を招喚した魔法使いだから。ね、やってみようよ。一緒ならきっと大丈夫だよ」


 ジェスは少し考えてから、瞳から迷いを消して言った。


「そうだな」


 どうせ当てなどないのだ。


 レリアの言う通りにしてみるのもいいかも知れない。


 一人でないなら、どこへ行くのもそれ程怖くなかった。


「それじゃ行くか」

「うん!」


 抱き付いてきたレリアのされるがままになりながら、ジェスは魔王に問いかける。


「あんたはどうするんだ?」

「我はそろそろ帰らねばならない。王女に我はもう不要のようだからな」

「そっか……」


 レリアは名残惜しそうにそう言ったが、魔王を引き止めようとはしなかった。


 レリアがきちんと物に触れるようになった以上、契約は既に終了している。


 魔王がここに留まる理由はないのだろうし、また留まることもできないのだろう。


 そのことを、レリアは自分以上にわかっているに違いない。


「……また、会えるよね?」

「其方が我を招喚すればな」

「記憶が十分増えたら、きっとまた招喚するよ。それまで元気でね。いろいろありがとう」

「……世話になったな」


 レイゼルとジェスが代わる代わるそう言うと、魔王はただ一言だけ言った。


「其方等に世界の祝福があらんことを」


 魔王はその鮮やかな黒をジェスの瞳に残して姿を消した。


 余韻すら感じさせない、あっさりとした別れだった。


「それじゃ、俺達も行くか」

「どこへ?」

「魔法学校がある町にだ」

「やったー!」


 レリアが空に飛び上がって喜んでいると、背後からシルヴィラの声が掛かった。


「お取込み中、失礼するよ」


 ジェスが振り返ると、シルヴィラが小隊を率いて佇んでいた。


 その後方では国民軍が戦の後処理を始めている。


 降伏したらしい国王軍の兵が一ヵ所に集められていて、死体の収容や怪我人の手当てが行われていた。


 戦場を覆っていた煙は風に攫われてほとんど晴れ、血と火薬の匂いもあまり気にならなくなっている。

 

 勝ったんだなと、ジェスは思った。

 

 それはいいとして、シルヴィラは何の用で声を掛けてきたのだろう。


 こちらはいろいろ訳ありなので、面倒なことにならないかだけが気掛かりだった。


 ジェスは念のため袖口のナイフに指を掛けると、シルヴィラに視線を据えたまま、低い声でレリアに言う。


「ちょっと消えてろ。お前がいるといろいろ面倒なことになるかも知れねえ」

「わかった」


 レリアの姿は向こう側が透けて見える程薄くなり、普通の人間には見えない状態になった。


 同時にシルヴィラの面が喫驚の念に彩られる。


 つい今しがたまでそこにいたレリアが急に消えたのだから、驚くのも無理はないだろう。


 今更消えても既にレリアの姿はばっちり見られてしまっていたが、大抵の人間に見えない状態なら逃げなければならなくなった時に発見され辛い筈だ。

 

 ジェスは小さく息を吸うと、できるだけ何気ない口調でシルヴィラに問いかけた。


「何か用か?」

「あ、ああ」


 シルヴィラはまだ動揺しているようだったが、すぐに気を取り直して続けた。


「いくつか君に訊きたいことがあってね。君の側に転がっているその死体は、もしかして女王陛下かい?」


 シルヴィラはジュヌヴィエにしか興味がないのか、レリアについては何も言わなかった。


 これからあれこれ訊かれるのかも知れないが、とりあえず触れて来なかったことに安堵しつつ、ジェスは答える。


「みてえだな」

「では、私が預からせてもらってもいいだろうか? 首を晒すなり、墓を作るなり、旧時代の終焉の象徴として役に立ってもらいたいんだ」


 ジェスは少々拍子抜けしながらも、ナイフから指を離さずに言った。


「好きにしろよ。別に俺のもんじゃねえし」


 ジェスはジュヌヴィエの死体をその場に残すと、シルヴィラから大きく距離を取って歩き出した。


 その後を追ってレリアが宙を移動し始めると、シルヴィラが再び声を掛けてくる。


「感謝するよ。それから君、もしかして軍を抜けるのかい? 見事目的を達成したようだしね」

「まあな」

「考え直してはくれないかい? みんなを気絶させたのは君だろう? 君の力は特別だ。これからもその力を貸して欲しいんだよ。とりあえず今回の戦いに勝ちはしたが、これで終わるとも思えない。きっと君の力はこの先大いに役に立つ筈だ」

「悪りぃけど、断る。俺はもう、誰も殺さないって決めたんだ」


 ジェスがそう言うと、はしゃいだレリアが後ろから首に抱き付いてきた。


 実体を伴っていないので触れることはなかったが、首筋がほんのり温かくなった気がする。


 ジェスがレリアの腕に触れるようにそっと手を動かすと、シルヴィラが軽く肩を竦めた。


「残念だな。君なら英雄になれたのに」

「俺は英雄じゃなくて、魔法使いになるんだ」

 

 ジェスはそれだけ言うと、大地を強く蹴って駆け出した。


 その隣をレリアが風に乗るように飛んで付いて来る。

 

 永遠のように広がる空の下、ジェスは風とレリアを連れて走って行った。






ここまで長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

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