―22―
ディクリーズ教会の様子は一変していた。
長椅子は祭壇の方に綺麗に片付けられ、広々とした床の上では毛布を与えられた人々が思い思いに過ごしている。
数は三十人余りで、一人一人が使える空間にはそれなりに余裕があった。
そこでさめざめと泣くばかりの者もいれば、仮眠を取っている者もいる。
誰もがひどく疲れた様子で、過酷な現実に打ちひしがれていた。
ジェスはそうした人々に混ざることなく、聖法使いや一般の人々と共に掃除をしていた。
ジェスの担当は床で、手にした箒で黙々と床を掃き清めていく。
こうした雑用は強制ではないが、ジェスは進んで引き受けていた。
世話になっている以上、これくらいのことはするべきだろう。
ヴェリリエールの半分が消えた翌日から、ジェスはこの教会に厄介になっていた。
ヴェリリエールの消失に伴って家を失った者は、消失を免れた教会や残った城の半分などに身を寄せるように呼び掛けられている。
そこに紛れ込んだのだ。
見ず知らずの他人との共同生活は少々窮屈だが、無償で食事や寝床を得られるので、とても助かっていた。
何しろ今は物資が――特に食料が圧倒的に不足している。
元々の飢饉に加えて、町の半分が食料諸共消えてしまったのだ。
今のところ毎日一食だけは食べられているが、配給が滞るのも時間の問題だろう。
行く当てや体力がある者は次々にヴェリリエールを離れ始めている。
オルガ達もとうにヴェリリエールを離れた筈だ。
ジェスも余所へ移ろうと思えば簡単に移ることができたが、敢えてヴェリリエールに留まり続けていた。
シルヴィラが言っていた軍に入れば、いつかジュヌヴィエを殺す機会が巡ってくるかも知れない。
ジュヌヴィエにはこのまま静かに人生を終えるつもりなどないだろう。
国を半分魔王に売り渡してまで金を用意しておきながら、次期女王の身分を簡単に捨てるとは思えなかった。
きっと何か行動を起こすに違いない。
ジェスが近付いてくる幽霊を避けながら箒を動かしていると、不意に背後から声を掛けられた。
「ジェス? もしかしてジェスかい?」
どこかで聞いた覚えのある女の声。
誰だっただろうかと思いながら振り返ると、そこにはシルヴィラがいた。
「げ、何であんたがここにいるんだ」
「善意の労働者に向かってその言い草はないだろう? これでも奉仕活動の最中なんだ」
「奉仕活動?」
よく見ればシルヴィラは一人ではなく、見知らぬ数人の男達と一緒だった。
全員きちんとした身なりで、それなりの教育を受けていることが窺える知的な雰囲気を漂わせている。
少なくとも掃除や炊き出しに来た訳ではなさそうだ。
「一体何しに来たんだ?」
「物資の調査だよ。こうして教会などを回って物資の状況を調べて、互いに融通し合ったり、状況が深刻な所には優先的に物資を回したりできるようにしているんだ。市役所は無事だったが、役人も相当な数が消えてしまっていて、人手が足りていないからね。私はこの騒ぎで仕事も失くしてしまったし、読み書きもできるから、臨時で手伝いをしているんだよ」
「そりゃご苦労なこって。ところで軍の招集ってまだなのか?」
「ああ、何しろ町がこんな状態で、やっと今日から議会が始まるくらいでね。始まってもそう簡単に意見はまとまらないだろうな。多分そう遠くない内に決議されるとは思うんだが」
仕方がないとは思いつつも、ジェスは焦りを覚えずにはいられなかった。
ぐずぐずしていてはジュヌヴィエが態勢を立て直してしまう。
「早くしてくれ」
「友人に伝えておくよ。それじゃ」
シルヴィラが男達と共に行ってしまうと、ジェスは掃除を再開した。
すると、近くにいた少女が不意に泣き出す。
まだ六、七歳といったところだろうか。
兄らしい少年が宥めるが、少女はなかなか泣き止まない。
確か親を亡くしてこの教会にやってきたという話だったが、ジェスが少女の泣き顔を見たのはこれが初めてだった。
多分ずっと我慢していたのだろう。
失くしてこんな風に泣けるのは、きっと親を好いていたからだろうし、いい親だったに違いない。
本当なら自分のように親なしになることなどなかった筈なのに、理不尽に幸せを奪われてしまったのだ。
元凶であるジュヌヴィエに対して怒りが湧いたが、同時に自分のしてきたことに対して罪悪感を覚えもする。
今まで殺してきた人間には家族を持つ者もいた。
そして残された家族は、きっとこんな風に泣いていたに違いない。
それを考え始めたら殺せなくなりそうで、今まで敢えて考えないようにしてきたが、もう殺し屋はやめたのだ。
目を背け続けることもないだろう。
何の罪滅ぼしにもならないとは思いつつも、ジェスは箒を壁に立て掛けて、兄妹に声を掛けた。
「ちょっと来い。いいもん見せてやるよ」
ジェスは教会の扉を開けて外に出た。
太陽の金色の眼差しが穏やかに降る中、幽霊に混じって行き交う人影は思ったより多い。
だが誰もが何かから逃げるように急ぎ足で、怒りや不安が綯い交ぜになったような顔をしていた。
ヴェリリエールが半分消えた直後に比べれば、人々は随分落ち着いているようだが、まだそこかしこで火種が燻っているような気がした。
ほんの少しのきっかけで、また暴動が起こるかも知れない。
それを警戒するように、通りにはちらほら警官の姿があった。
もう殺し屋ではないのだからこそこそする必要はないが、ジェスは警官の目を避けて体を屈める。
魔法を使っているところを警官に見付かると、魔法の使用許可証を見せろと言われるかも知れない。
教会の中なら警官に見付かる恐れはないが、教会の中で魔法を使えば聖法使いがいい顔をしないだろう。
魔法使いの保護を巡って教皇と対立した国王により、ルーヴェリアには国教会が作られて久しいが、聖法使いは魔法使いに対してあまりいい感情を抱かない傾向にある。
最悪教会を追い出されるかも知れなかった。
ジェスは聖法使いが中から出て来ないように、警官に見付からないようにと祈りながら、広げた手の平の上に幻を創り始める。
今までは只の丸い石しか創ったことがなかったが、今回は小さい子供が見て喜びそうな蝶を創ることにした。
だがずっと石ばかり創ってきて、いきなり本物さながらの幻を創るのはとても無理なので、子供の落書きのようなごく単純な形にならざるを得ない。
それでも少年は表情を明るくして、少女も涙を拭いてジェスの手元に見入った。
だが少年はふと不安そうな顔になる。
「見てもいいの? 僕達、お金持ってないけど……」
魔法使いは大道芸のように魔法を売ることもある。
それで心配になったのだろう。
ジェスはわずかに瞳を和らげた。
「別にいいぞ。俺はちゃんとした魔法使いじゃねえからな。金なんか取れねえよ。でもちょっとだけな。このことはみんなには内緒だぞ」
「うん!」
子供達は揃って顔を輝かせた。
その無邪気さがレリアを思い出させて、ジェスは顔を曇らせる。
レリアは今どうしているのだろう。
別れを告げたあの日から、レリアは姿を見せなくなった。
後悔などしていないが、それでもやはり寂しいと思わずにはいられない。
本当は、少しだけ期待していたのだ。
いつものように自分の元へ来てくれることを。
自分から別れを切り出しておいて本当に勝手だと思うが、それでも一緒にいたかった。
「あ」
ジェスは思わず声を上げた。
蝶の幻を創っていた筈が、いつの間にか人の形になっている。
顔はないが、もしかしなくてもレリアに違いない。
ジェスが慌てて幻を振り払うように手を動かすと、できかけていた幻は綺麗に消えた。
子供達は少し残念そうな顔をしたが、すぐにまた笑顔に戻る。
「どうもありがとう」
「お兄ちゃん、ありがとう」
子供達は礼儀正しくそう言うと、教会の中へ戻って行った。
その足取りは心なしか先程より軽い。
少しは気が紛れたようだ。
ジェスは目をわずかに細めると、子供達の後から教会のドアをくぐった。
まだ掃除が残っている。
ジェスは掃除を終えると、再び教会の外に出た。
魔法の練習をするのだ。
幽霊が見えなくなるためにも、ジュヌヴィエを殺すためにも、練習を続けるに越したことはないだろう。
ジェスは消えたヴェリリエールの境界線の方へ足を向けた。
人目を避けるには更地の辺りが打って付けだ。
町の人間は気味悪がって、更地の辺りにはあまり近付きたがらない。
地下に潜ろうかとも思ったが、オルガ達と暮らした家に足が向いてしまったら嫌なのでやめた。
更地に近付くにつれて、人影は次第にまばらになっていく。
人の声も騒音も遠ざかっていき、変わらず聞こえるのは幽霊の声だけだ。
途中で馬車にはねられそうになりながらも何とか更地との境界線まで辿り着くと、ジェスは更地に足を踏み入れた。
何もない平地。
草の一本すらも生えておらず、虫すらいない気がする。
ひどく不気味だが、あまりに単純で、ある意味美しい景色だった。
ジェスは辺りを見回しながら、魔王に切り取られた建物を回り込む。
なかなか立派なレンガ造りの家だが、今は誰もいなかった。
家財もほとんどそのままで、着の身着のままで逃げ出したのだろう。
ジェスは倒れていた椅子を起こして腰かけると、半眼を閉じて集中する。
「……白い石……丸い石……固くて、すべすべしてる石……手の平に収まるくらい……」
ジェスは呟きと共に石の幻を創り始めた。
創ること自体はできるのだが、形が定まらなかったり、すぐに消えてしまったりで、どうにも安定しない。
しかも幽霊が周りをうろちょろするせいで、なかなか集中は高まらなかった。
ジェスは近寄ってくる幽霊を避けてしばらく粘っていたが、溜め息を一つ吐き出すと少し休憩することにする。
ぼんやり地平線を眺めながら思うのは、やはりレリアのことだ。
会いたいが、レリアが再び自分の目の前に現れるとしたら、それは自分を止めるためだろう。
その時は敵同士と言っても過言ではない。
本懐を遂げるためには、レリアを傷付けてでも先に進むしかないかも知れなかった。
魔法の制御はまだまだでも、レリアを起こした時と同じことをすればレリアに打撃を与えることはできるだろう。
たった一撃で城の衛兵達を倒すことができたのだから、上手くすればレリアも一撃で行動不能に陥らせることができるかも知れなかった。
だが、そこまでしてジュヌヴィエを殺すべきなのだろうか。
何度打ち消しても、同じ問いが心の奥底から湧き上がってくる。
魔王と契約している以上、消滅する危険はないにしても、レリアにはそれなりの苦痛を与えてしまうだろう。
しかもレリア自身が復讐を望んでいないのだ。
ジュヌヴィエを殺せばレリアは傷付くし、傷付いたレリアを見たらきっと自分も傷付く。
それなら何もしなければいいのだろうが、それでは自分の感情のやり場がない。
ジュヌヴィエが生きていると思うと満足に眠ることさえ難しく、日々磨り減って行く自分を感じずにはいられなかった。
いっそこのまま自分が死ねばいいのかも知れないとさえ思う。
別に死にたい訳ではないが。
自分のことなのに、もう何がしたいのかわからなくなってきてしまった。
ジェスは軽く頭を振って思考を中断すると、魔法の練習を再開する。
結論を急ぐことはないだろう。
時間はまだある。




