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幽霊王女と優しい殺し屋  作者: 佳景(かけい)
第5章
19/29

―18―

 シルヴィラは誰かが広範囲に幻化の魔法を使ったことを悟った。

 

 だがその魔法使いは未熟だったらしい。


 衛兵や宮廷付き魔法使いを倒しただけでなく、城の近くにいた市民達までも倒し、シルヴィラ自身も精神に軽い衝撃を受けた。


 幻化の魔法で精神を守っていたというのに、その防御はあっさり壊されてしまったのだ。


 第二撃が来なかったところからすると、どうやら市民側の魔法使いだったようだが、とんでもない魔法使いもいたものだと思う。


 一度にこれ程多くの人間に魔法をかけるのは並大抵のことではなかった。


 しかし、ここまで凄腕の魔法使いがこのヴェリリエールにいるという話は聞いたことがなかった。

 

 一体誰なのだろう。

 

 気にはなったが、確かめる術はなかった。

 

 シルヴィラはセルジュに続いて足早に歩みを進めていく。


 程無く門へと差し掛かり、倒れた衛兵達を避けながら門の内側へ足を踏み入れると、人がばらけていくらか歩き易くなった。


 歩調を落としたセルジュが隣に並んで訊いてくる。


「お怪我はありませんか?」

「ご覧の通り無事ですよ。あなたこそ大丈夫ですか?」

「ええ、幸いなことに。率直に言って、ここまで事態が動くとは思いませんでしたが、時代が変わる時というのは得てしてこういうものなのかも知れませんね」

「ええ、このまま国王一家を捕えることも有り得るでしょう。或いは殺してしまうかも」

「できればあまり手荒な真似をしないでくれるといいのですが。仮に結果が同じだとしても、きちんと裁判にかけるべきでしょう。法が認めなければ、只の殺人です」


 いかにも弁護士のセルジュらしい物言いだ。

 

 シルヴィラがわずかに口元を綻ばせた時、横手から「捕まえたぞー!」という声が聞こえてきた。


 声の方に目をやると人垣ができ始めていて、おおよその状況は推察できる。


 同じように状況を察したらしいセルジュが人を押し退けて駆け出した。


 シルヴィラはあまり気乗りしなかったが、それでもセルジュの後を追う。


 一緒にいた方が活躍できる機会もあるだろう。

 

 シルヴィラは石畳に倒れている衛兵達を避けて、セルジュと共に人垣に体をねじ込んだ。


 息苦しさに耐えながらやっとのことで人込みを抜けると、怒気や殺気が痛い程肌を刺す。


 鋭い声が洪水のように溢れる中、シルヴィラは何人もの男達によって石畳に組み敷かれている若い金髪の女を見下ろした。


 芸術品めいた刺繍が施されたドレスはすっかり薄汚れ、顔も砂や泥に塗れている。


 人々から投げ付けられる罵倒や断罪を求める言葉に、歯を食い縛ってただ耐えるその姿は惨め極まりなかったが、見苦しく言い逃れをしないだけいくらかましというものだろう。


「待って下さい! 皆さん、どうか私の話を聞いて下さい!!」


 セルジュは何度も声を上げたが、民衆はなかなか静まらない。


 これはもう、あきらめて状況に任せるしかないのではないだろうか。


 シルヴィラがそんなことを考えながら辺りを見回していると、セルジュが更に言葉を重ねた。


「落ち着いて下さい! この女性はジュヌヴィエ王女殿下ではありません!!」


 シルヴィラはぎょっとして再び女に視線を落とした。


 セルジュは頻りに金髪の女が替え玉だと訴え続けたが、誰もが半信半疑のようだ。


 金髪の女を捕えている男達も互いに顔を見合わせるばかりで、一向に手を放そうとはしない。


 シルヴィラにしてもジュヌヴィエの顔を知らないので、何とも判断が付かなかった。

 

 セルジュは焦れることなく、冷静に人々に語り掛ける。


「申し遅れましたが、私はセルジュ・レオンス・ジェルヴェーズと申します! このヴェリリエールで議員職を務めている者です! 以前に社交界でジュヌヴィエ王女殿下をお見掛けしたことがありますが、この女性は殿下ではありません! 別人です!」


 セルジュは大声で何度もそう繰り返した。


 何の証拠がある訳でもなかったが、シルヴィラはセルジュと共に女がジュヌヴィエではないと叫び始める。


 この状況ならジュヌヴィエが替え玉を立ててどこからか脱出したとしてもおかしくはないし、セルジュにジュヌヴィエを庇う理由はないだろう。


 どういう経緯にしろ、ジュヌヴィエが死んでくれた方が好都合なのだから。

 

 いかにも育ちが良さそうなセルジュの言葉は人々にそれなりの説得力があると思われたらしく、人々の間から徐々に殺気が消え始めた。


 セルジュはその面に安堵の色を浮かべ、再び人々へ語り掛ける。


「皆さん、僭越ながら提案させて頂きますが、今日のところはこれで良しとしませんか? 皆さんのお怒りは尤もだと思いますし、王族の方から事態の説明をして頂きたいお気持ちもよくわかります。しかしわざわざ替え玉を立てた殿下がまだ城におられるとも思えませんし、恐らく他の王族の方もいらっしゃらないでしょう。今私達にできることはもう何もないのです」


 セルジュは一度言葉を区切ると、意を決したように続けた。


「しかし、今日私達は重大なことを成し遂げました。次期女王を城から追い払うことに成功したのです。最早王はこのヴェリリエールに――いえ、ルーヴェリアには必要ありません。私達は自らの意志で、自らを統治すべきなのです。そして今ならそれを実現できるかも知れません。見ての通り、ヴェリリエールの半分は消え、権力を握っていた人間もその多くが消えたことでしょう。それでも簡単にとは行きません。恐らくは戦いが起こります。苦しい戦いになると思いますが、ヴェリリエールが半分消失した原因が殿下にあることを訴えれば、殿下が挙兵しても兵の士気は上がらないでしょう。そして世の人々は私達を支持して下さる筈。勝てるかも知れません」

「王女を相手に、勝てるかどうかもわからない戦いなんてできるか!」


 どこからかそんな声が上がった。


 そうだそうだと、賛同の意を示す声が聞こえてくる。

 

 その声を打ち消すように、シルヴィラの声が響いた。


「いいえ! きっと勝てます!」


 シルヴィラは迷いなく、きっぱりとそう言い放った。


 今なら人々を扇動し、革命へ踏み切らせることはそう難しくはないだろう。


 人々は王女に対して大いに怒り、多くのものを失ったことを悲しみ、そして混乱している。


 人々の感情を方向付けして、まとめ上げるのはさして難しくはない。

 

 直感的にそう思った。

 

 嘘偽りなど口にしなくても、使う言葉とその使い時を過たなければ、人を思い通りに動かすことは容易であるし、両親からもらったこの顔と体が役に立つことも自分は十分に知っている。

 

 人々を戦へ導くことは罪深いことかも知れないが、戦わなければ勝ち取れないものもこの世にはあるのだ。


 たとえそれがどれ程血に塗れたものだったとしても。

 

 だからこそ、今ここで人々の心を掴んでおかなければならなかった。


 今は警察もまともに機能しているかどうかもわからない状況なのだから、このまま人々が散ってしまっては、どんなことになるか知れたものではない。


 略奪や強姦といった犯罪を皆無にすることは無理でも、ヴェリリエールが無法地帯になってしまうようなことだけは避けたかった。


 一旦そうなってしまえば、戦うどころではなくなってしまう。


 だからこそ、セルジュもこんな演説を始めたのだろう。

 

 シルヴィラは腹に力を込めると、朗々と続けた。


「戦いましょう! 私達は王女にすら勝利したのです! 他に何を恐れることがありましょうか! 私は戦います! 世の変革を望むからです! あなた方も現状を打破したいなら、待つのではなく自ら動き、武器を取りなさい! 私達とこの国を変えましょう!」

 どこかで応、と声が上がった。賛同の声は次第に高まり、いつしか辺り一帯を包み込む。

 シルヴィラは唇の端をわずかに持ち上げた。






 魔王の説明を聞いたジェスは、仕方なくジュヌヴィエの追跡をあきらめた。


 ジュヌヴィエが使った地下水路にもう舟は残っていないと言うし、魔王に行き先を訊いたところで、今からでは追い付けないだろう。


 口惜しいが、ジュヌヴィエの情報が入るまでは大人しくしていた方がいい。


 ジェスはナイフをしまって気持ちを落ち着けると、疲れ切った様子でぐったりと目を閉じたレリアに目を留めた。


 魔法を使った上にここへの移動で、随分無理をしたのだろう。


 今にも風にさらわれてしまいそうだった。


「おい」

 

 ジェスが低く声を掛けると、レリアが透ける目蓋をゆっくりと持ち上げた。


「ジェス……怪我は? どこも痛くない?」

「おう、お前のおかげだ」

「そう、良かった……」


 レリアは目を細めて、少し笑ったようだった。


 ジェスが同じように目を細めた時、ふとレリアの亡骸のことが頭を過る。

 

 レリアの亡骸はどこにあるのだろう。


「……なあ、お前の体ってどこにあるんだ?」

「あんまり、見ない方がいいかも知れないよ。私も見たくないし……」

「来たくねえなら来なくていいぞ。場所だけ教えろ」

「でも、できれば見られたくない、かな。きっと気持ち悪いよ。血がたくさん出てたし」

「俺、血なんて全然平気だぞ。墓くらい作らせろよ。どうせ作ってもらってねえんだろ? 俺が作ってやる。立派なのは無理だけど、ないよりマシだろ?」

「そう、だね。じゃあ、お願いしようかな」


 レリアはそう言うと、そのほとんど透明な目を魔王に向けた。


「私はまだ動けそうにないから、ジェスを案内してあげてくれないかな? お願い」

「こちらだ」


 魔王は長い黒衣の裾を靡かせながら、城へと向かい始めた。


 ジェスはレリアに背を向けると、小走りで後を追う。


 嫌でも聞こえてくる大声の演説を聞き流し、倒れている衛兵達を跨いで魔王が消えた扉を開けると、そこは吹き抜けのホールになっていた。


 高いヴォールトから下がるシャンデリアが、無数の輝きを零している。


 その明るさにジェスは目を細めた。


 一、二度瞬きをし、辺りを見回しながら慎重に足を踏み入れると、辺りの様子を窺っていた下男らしい男と目が合う。


 その途端、男は小さく悲鳴を上げて逃げ始めた。


 広い廊下には他に人気はなく、逃げる男の靴音だけがやけに大きく響く。


 衛兵が一人もいないのは拍子抜けだが、好都合だった。


 衛兵はともかく使用人は確実にいるだろうに、大方皆どこかに隠れているのだろう。


 民衆の当座の目的が略奪や殺戮でなくとも、この先はどうなるかわからない。

 

 魔王は逃げる男を気に留めるでもなく、城の奥へ向かって廊下を飛んだ。


 シャンデリアや廊下を挟んで並ぶランプから放たれる光が魔王を照らしていても、床には一つも影が落ちない。

 

 落ちているのはジェスの影だけだ。


 ジェスは自分の影を踏みながら廊下を走っていたが、不意に足を止めた。


「ちょっと待ってくれ」


 ジェスは魔王を呼び止めると、窓からカーテンを毟り取った。


 これがあればレリアの遺体を極力見ないでいられるし、運び出す時も人目に触れさせずに済むだろう。


「悪りぃ。行ってくれ」


 ジェスがそう言うと、魔王は再び城の奥へ向かい始めた。


 しばらく廊下を進んでから、今度は暗い階段の上を飛んでいく。


 仮にも王女だというのに地下に部屋があることを訝りつつも、ジェスは黙って魔王の後に従った。


 階段を降り切ったところで、魔王が一枚のドアを指差して言う。


「ここだ」

「そっか……助かった」

「ではな」


 魔王はそう言い残すと、その姿をかき消した。


 ジェスはノブにゆっくりと手を掛け、覚悟を決めるとドアを大きく開け放つ。


 途端に闇に似た煙と悪臭と熱気が溢れ出し、ジェスは激しく咳き込んだ。


 息が全くできない。


 煙に目をやられて、何も見えなかった。


 嗅いだことのない悪臭のせいで吐き気すら覚える。


 焼き殺されたのかも知れないとは思ったが、どうやらその通りだったようだ。


 ドアを閉めても、まだ咳が止まらない。

 

 ジェスはしばらくその場に蹲ってどうにか咳を収めると、膝に力を入れて立ち上がった。


 幾度も唾を飲み下して吐き気をやり過ごしてから、今度はカーテンで口元を覆って、細くドアを開ける。


 まずは徹底的に煙と熱気を逃がし、頃合いを見計らってから、ジェスは部屋の中へ首を突っ込んだ。


 まだ少し煙たかったが、この程度なら息もできるし、視界も利く。


 匂いは相変わらずひどいが、まだ耐えられた。

 

 ジェスが再びドアを大きく開けると、中は床も壁も一面焼け焦げて、闇が暴れ狂ったように黒い。


 家具もほとんど焼けてしまって、元の色が全くと言っていい程わからない有様だ。

 

 その部屋の中に、大きな黒い塊が横たわっていた。

 

 レリアだ。

 

 変わり果てたその姿を見て、ジェスは血の気が引くのを感じた。


 死体など見慣れている筈なのに、目眩がする。


 冷や汗が出て、収まった筈の吐き気に再び襲われた。


 喉が嫌な音を立てて鳴る。


 それでも口元を押さえてしばらくじっとしていると何とか落ち着いて、今度は激しい怒りが湧き上がってきた。


「くそっ!」


 ジェスは拳で床を殴り付けた。


 一度だけではなく、何度も拳を振り下ろす。

 

 そうせずにはいられなかった。


「くそっ! くそっ! くそっ! くそっ! くそっ!」


 床に叩き付ける手は擦り剥けて血が出始めていたが、それでもジェスは止めない。


「ジェス!」


 いつの間に入って来たのか、レリアの声がした。


 振り上げた拳を思わず止めると、レリアの透ける手がジェスのそれに添えられる。


 少し記憶が増えたせいか、先程よりいくらか姿が鮮明になっているようだ。


 傷付いた手を労わるようにそっと撫でる素振りをしながら、レリアは今までで一番優しい声で言った。


「もうやめて。これじゃ、ジェスが痛いよ」

「だって、お前……お前が……っ」

「私なら大丈夫だよ。もうどこも痛くない。苦しくない。ちゃんとここにいる。だからね」


 レリアは一度言葉を切って続けた。


「泣かないで」

「泣いてねえよ!」


 ジェスはわざと大声を出したが、その声は涙でどうしようもなく掠れていた。


 溢れた涙が頬を伝う。


 泣けば何かが解決する訳でもないのに、我ながら馬鹿みたいだ。


 それでも溢れ出す感情が激し過ぎて、止めることができない。

 

 ジェスが堪え切れない嗚咽を漏らしていると、レリアは自分も泣きそうな顔で言った。


「ごめんね、ありがとう」

 

 レリアはジェスにそっと寄り添い、ジェスが泣き止んでもしばらくそうしていた。






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