―16―
「一体、何が起こったと言うんだ……?」
シルヴィラは人垣の最前列で、呆然と呟いた。
その眼前には、どこまで続くとも知れない更地が広がっている。
月明かりの中にぼんやりと浮かび上がる、見渡す限りの地平線。
右を向いても左を向いても、更地の中に建物らしいものは一つも見えなかった。
つい先程まで自宅で執筆をしていたのだが、騒ぎに気付いて外に出てみたら町が半分消えているなど、何かの冗談としか思えない。
だが紛れもない現実なのだ。恐らくは何らかの聖法か、魔法が発動したのだろう。
だが、どうにも腑に落ちなかった。
さしたる魔法の使い手でもない自分に知らない魔法があるのは当然として、規模があまりにも桁外れ過ぎる。
ルーヴェリア中の魔法使いをかき集めても、とてもこんな真似はできないだろう。
できる者がいるとしたら、それはきっと神か魔王に違いない。
人間に対して裁きを行ったのか、或いは誰かが招喚を行ったのかも知れない。
使える者が滅多におらず、すっかり伝説と化した魔法だが、その滅多にいない誰かが現れたのかも知れなかった。
人々は忽然と現れた更地を恐れているのか、誰一人として更地に踏み入ろうとはしない。
まさか更地に入った途端に消えたりはしないだろうが、安全だと断言はできなかった。
シルヴィラは足元に落ちていた小石を拾うと、試しに更地目掛けて放り投げてみる。
指先を離れた小石は消えることなく、そのまま地面に落ちた。
どうやら危険はなさそうだ。
シルヴィラは更地へゆっくりと一歩踏み出してみたが、やはり何ともない。
二歩、三歩と歩みを進めながら、シルヴィラは消えた建物はどこへ行ったのだろうかと考えた。
建物の中には人もいた筈だが、この様子では建物ごと消えてしまったに違いない。
家庭教師をしていた家の子供達は、ディクリーズ・クラブの会員達は無事だろうか。
会員の中には更地の辺りに家屋敷を持つ者もいた筈だ。
消えたのは主に高級住宅街があった辺りなのだから。
シルヴィラは足を止めた。
巻き込まれた者達には気の毒だが、これは願ってもない好機が巡ってきたのかも知れない。
「シルヴィラ!」
背後から聞こえたセルジュの声にシルヴィラが振り返ると、人だかりの向こうでセルジュが大きく手を振っていた。
仕立てのいい上着の袖口でカフスが月明かりを弾いて光る。
こんな時でもきちんと身なりを整えて駆け付けるところが、いかにもセルジュらしかった。
シルヴィラは苦労して人込みを抜けると、セルジュの元へ駆け寄って言う。
「良かった、ご無事でしたか」
「あなたも無事で何よりです。他の会員の皆さんにはお会いになりましたか?」
「いいえ、ここであなたにお会いしたのが初めてですよ」
「残念ながら、私もです。皆さんもご無事だといいのですが……」
セルジュは祈るように目を閉じてから、ゆっくりと目を開けてシルヴィラを見た。
「一体何がどうなっているのか、お聞き及びではないですか?」
「いえ、残念ながら何も……とにかく情報が欲しいところですね」
「ええ、城に行けば何かわからないでしょうか? 正誤はともかく、情報自体は集まっているでしょうし、もしかしたら何か発表があるかも知れません」
「そうですね、行ってみましょう」
シルヴィラとセルジュは連れ立って城へと向かった。
地下墓地を出たジェスは、人気のない道をカンテラで照らしながらレリア達と共に城へ向かっていた。
どうせ行く当てはない。
それなら偵察がてら、城の様子でも見てみようかという気になったのだ。
町が半分消えたのだから、民衆はまだ混乱したままだろう。
その混乱を収めるために、ジュヌヴィエが姿を現すこともあるかも知れない。
相手は次期女王で、簡単には近付けないのだから、殺せそうな機会がわずかでもあるのならそれを逃す手はなかった。
程無くしてジェスが大きな通りに出ると、次第に人が増えて、真っ直ぐ歩くことが難しくなってくる。
魔王は他人が体をすり抜けても気にしないが、レリアは人より高く飛んで人を避け始めた。
夜の黙を打ち壊して、時折誰かの怒鳴り声が聞こえてくる。
城に近付く程に叫びは少しずつ大きくなり、その強い響きがジェスの耳を打った。
ややあって城に辿り着くと、人々が発する叫びが合わさって、耳が痛くなりそうな程の大きさで辺りに満ちている。
城を取り囲む人込みの後ろで、ジェスはその足を止めた。
こんなにも多くの人間がここまで強い感情を発しているところを見たのは初めてだ。
無数の声と共に重なったそれは、まるで嵐。
怒りや苛立ちを孕んで爆発しそうな程荒れ狂っている。
その猛々しさは、ジェスにとってひどく心地いいものだった。
この中に加わって、この胸にある怒りや憎しみを思い切り吐き出してしまえたら、それはどんなにか爽快だろう。
ジェスがそんなことを考えながら耳を澄ましてみると、どうやら人々はヴェリリエールの半分が消えたことに対する説明や補償を求めているようだった。
事情がわかっていても気味が悪いのだから、何もわからなくては余計に恐怖を感じるに違いない。
嘘でもいいから理由を知って、とにかく自分を納得させたいのだろう。
「こんなにたくさんの人が怒ってるのって、ちょっと怖いね……」
レリアが怯えたようにそう呟いた時、いくつもの銃声が夜の闇を裂いた。
人垣のせいでジェスには見えないが、なかなか解散しない民衆に苛立って、衛兵達が威嚇射撃を始めたらしい。
しかしそれが却って民衆を煽り立てているようで、後退はしてもその場を逃げ出そうとする者はほとんどいなかった。
それだけ不安や怒りが大きいに違いない。
家や仕事場を失った者はきっと少なくなかった。
建物と共に消えた人間は、恐らくもう生きてはいないだろう。
家族や友人、知人を失った者も大勢いる筈だ。
大切な物を奪われる理不尽さは、今ならよくわかる。
生まれた怒りも憎しみも悲しみも、みんなジュヌヴィエにぶつけてやればいい。
ここにいる人々には、その権利があるのだから。
ジェスは強い眼差しで隣の魔王を見上げた。
「なあ、ちょっと頼みがあるんだけど」
ジェスは怒れる人々をかき分け、苦労して半分しかない門の前まで辿り着くと、後ろを振り返って高く声を上げた。
「みんな! 聞いてくれ!」
初めはなかなか耳を傾けてもらえなかったが、根気良く同じ言葉を繰り返していると、徐々に近くにいた人々の視線がジェスへと集まってくる。
その視線につられて、声が届かなかった人々の視線も次第にジェスへと向かい始めた。
上がる叫びも小さくなっていく。
ここにいる全ての者に聞こえるようにと願いながら、ジェスは更に声を張り上げた。
「こんな風に消えたのは、ヴェリリエールだけじゃない! 国中が半分消えてる! ジュヌヴィエ王女が魔王と契約して、金と引き換えにこの国を半分売り渡したからだ! 奴は次期女王の癖に、この国を売ったんだ!」
ジェスの意図がわからずきょとんとするレリアの下で、人々は大きくざわついた。
何の証拠もないが、町の消失が魔王の仕業だというのはそれなりに信憑性があるだろう。
こんなことが人間にできる訳がなかった。
皆冷静さを失っているし、上手くすればこのまま押し切れるかも知れない。
細かいことを追及される前にと、ジェスは一気に捲し立てた。
「急にこんなこと言われても信じられないだろうけど、これが人間の仕業だと思うのか!? あんた達だって聞いたことくらいあるだろう! 聖法使いが力を使えるのは神のおかげだ! この世にはちゃんと神がいる! 魔王だっている! その証拠に、あれを見ろ!」
ジェスは真っ直ぐ夜空を指差した。
その先には魔王。
夜に映える漆黒の長衣と腰より長い黒髪を風に靡かせ、二枚の大きな羽を誇示するように広げている。
闇の中にあっても霞むことのない圧倒的なまでの美貌に加えて、人間とはあまりにも違い過ぎる存在感。
説明などなくとも、人々は眼前の存在が魔王であることを悟ったことだろう。
いくつもの口から恐怖と驚きの声が上がった。
打ち合わせ通りに普通の人間にも見える姿で現れてくれたことにジェスが安堵していると、魔王は優雅に身を翻し、ヴェリリエール城の中へ吸い込まれるように消えて行く。
ここまでやれば十分だろうが、ジェスは駄目押しをするべく一気に畳み掛けた。
「今のを見ただろう! 王女は売国奴だ! そんな奴に王女の資格はない! 女王になる資格もない! 城から引きずり出せ! 償いをさせるんだ!」
ジェスはカンテラを捨てると、袖口からナイフを取り出し、門前の衛兵目掛けて投じた。
「ジェス!」
レリアが咎めるようにジェスを呼んだが、狙いはきちんと急所を外している。
ナイフが狙った衛兵の肩に突き刺さるや、すかさず別の衛兵が銃口を向けてきたが、市民の一人が衛兵に飛び付いたのを機に他の市民も次々と加勢に加わり、一気に乱闘になった。
ジェスはナイフを肩に生やした衛兵との距離を詰め、その鳩尾に蹴りを入れる。
そうして倒れた衛兵から銃を奪い取って近くにいた男へと放り投げると、男が銃を受け取るところを確認するでもなく、素早く懐から銃を取り出した。
奥にいる衛兵に向けて門の隙間から発砲しながら、ジェスは空いている手で門を開け放つ。
「こっちだ! 続け!」
ジェスは人々の怒号と共に城の敷地に雪崩れ込んだ。




