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幽霊王女と優しい殺し屋  作者: 佳景(かけい)
第4章
13/29

―12―

 数日後。

 

 レリアは地下の研究室で魔王を再度招喚することにした。


 代価であるワインの支払いは既に終えている。


 魔王には味覚などない筈だが、人間の真似事をするのは魔王のちょっとした娯楽らしい。

 

 レリアが魔法陣を描く手を止めて時計を見ると、二十一時を指そうかというところで、そろそろ呼び出したジュヌヴィエが来る頃だった。


 作業を再開したレリアは手の動きを早める。


 物という物を脇へ退けたことで、部屋の中央にはレリアが余裕で寝転べる程度の空間ができていた。


 床にはあらかた描き終わった魔法陣。


 そこに招喚される筈の魔王は宙に浮かんで、完成に近付いていく陣を静かに見下ろしている。

 

 レリアが程無くして魔法陣を描き終えた時、その耳をノックの音が打った。


「はーい、開いてるよー」


 レリアが返事をすると、侍女が開けたドアからジュヌヴィエの顔が覗いた。


 扇を手に一人中へと入ってきたジュヌヴィエに、レリアは陣を踏まないように気を付けて歩み寄る。


「お待たせ。これから魔王を呼ぶよ」


 魔王の名を聞いて、ジュヌヴィエは少したじろいだようだった。


 視線が泳ぐ。


「……危険はないでしょうね?」

「多分ね。でも絶対安全とは言えないし、やめるなら今の内だけど……」

「この際、多少の危険は止むを得ないわ」


 レリアはジュヌヴィエが少し気の毒になった。


 どうやら相当追い詰められているらしい。


 この姉に親しみは全くと言っていい程感じないが、自分も魔王に縋った身だ。


 ジュヌヴィエの気持ちはわかる気がする。


「じゃあ、始めるよ。離れて」


 ジュヌヴィエがドアにぶつかる程下がると、レリアはそっと目を閉じた。


 そう言えば、魔王がいる前で魔王を招喚するとどうなるのだろう。


 すぐそこにいる魔王が魔法陣の中央に移動して、いかにも今出てきたような顔をするのだろうか。


 何だかひどく間抜けだ。

 

 レリアは緩みかけた唇を引き結ぶと、雑念を消して精神を集中し始める。


 緩やかに呼吸を繰り返し、深い海の底のように心を鎮めたところで、静かに心を導く言葉を口ずさみ始めた。


「我、魔法の使い手にして魔法の僕。理を学び、それに従う者。矮小なる人の身で、魔の王たる者に呼び掛ける許しを請わん」

 

 レリアは精神が軋みを上げるのを感じた。


 やはり魔王の招喚は何度やっても慣れそうにない。


 ともすれば心を潰されてしまいそうだ。


「礎たる大地は命を抱き、万物を吹き抜ける風は命を運び、たゆたう水は命を潤し、踊る炎は命を燃やす。星が巡り、世界は回る。高きものは低きへ。有は無へ。世界を支配す秩序の内に、より高き世界に存する汝を招かん」


 レリアの額に滲んだ汗が玉を結んで流れ落ちた。喉が痛い程渇いている。


 今にも膝が笑い出しそうだ。


 冷え切った手を握り締めると、レリアは腹に力を入れて詠唱を続ける。


「言葉は力持て。心は強く鋼のように。捧ぐ記憶は惜しみない。我、汝との契約を欲する者。今言葉以て二つの世界を繋ぐ扉を開かん」


 魔法陣が黒い光を放ち、あちら側と繋がったことを知らせた。


 心が、記憶が消えていく。

 

 もう少しだ。


「魔の王たる者に希わん。我が呼び声に応え、その力を我が前に示し給え!」


 レリアは声を限りに叫ぶと、力なくその場に膝を付いた。


 同時に魔王の姿が掻き消え、そして魔法陣の中央に現出する。


 陣に引っ張られたのか、それとも自分の意志でそうしたのかはわからない。


 ただ一つ確かなのは、魔王の招喚に成功したということだった。

 

 レリアは肩で大きく息をしながら、震える指でジュヌヴィエを指して魔王に言う。


「……我、この者に信託を与えん」


 レリアの指が力なく床に落ちると、魔王はジュヌヴィエに向き直った。


「願いを聞こう」

「……では、私が望む時に望むだけの金を与えて」


 ジュヌヴィエが緊張にひび割れた声でそう乞うと、魔王はつまらなそうに言った。


「まあ、いいだろう。用がある時には呼べ。それだけで我にはわかる」

「感謝するわ。あなたを何と呼べばいいのかしら?」

「人間には魔王などと呼ばれているが、他の名でも構わぬぞ。我に名はないのでな」

「では魔王。契約は私が死ぬまで続くの?」

「基本的にはな。我が飽きた時には保証はせぬが」

「なるほど、よくわかったわ。ところで契約には代価が必要と聞いたのだけれど、何か望みのものはあるのかしら?」

「では、この国の半分をもらおう」


 レリアは項垂れていた顔を上げて魔王を見た。


 自分の時には本一冊で済ませたというのに、えらく吹っかけたものだ。


 魔王はジュヌヴィエのことが嫌いなのかも知れない。


 仮にそれが事実だとしても、国の半分をよこせなどという無茶な要求をするのはどうかと思うが。


 単純に魔王の領地になるだけならまだいいが、人間の予想もしない事態が生じるかも知れない。


 何しろ相手は魔王なのだ。


 魔王のものになった時点で、国半分がどうなるかわかったものではなかった。

 

 止めなければと思うのに、心身共に消耗し切っていて、立ち上がるどころか声すら満足に出せない。


 それでも無理に声を絞り出そうと一際大きく息を吸い込んだ途端、レリアは激しく咳き込んでますます喋るどころではなくなってしまった。


 そんなレリアを気遣うでもなく、ジュヌヴィエは思案顔になる。


「随分高いわね。もう少し負けてはもらえない?」

「これから一国の主になろうという女が何を言う。それくらい気前良く支払ってみせろ」


 どうか断って!


 レリアは懸命に祈ったが、ジュヌヴィエは短い沈黙を破ると、意を決したように言った。


「わかったわ。支払いましょう」

「では、代価は確かに受け取ったぞ。外を見てみるがいい」

 

 ジュヌヴィエは訝しげな顔をしたものの、言われるままに部屋を出て行った。


 少ししてやっと呼吸を落ち着けたレリアは、ややふらつきながらも立ち上がると、急いでドアへと向かう。

 

 これ以上ないというくらい、嫌な予感がした。

 

 レリアが廊下に出た時にはジュヌヴィエの姿は既に地下になく、地上に出てからやっと窓の前に佇むジュヌヴィエを見付ける。


 ジュヌヴィエの隣に並んで、怖々窓から外の様子を伺ってみると、町の明かりが綺麗に右半分だけになっていた。


 更に目を凝らすと、町の左半分が初めから存在しなかったかのように消え失せてしまっているのが見える。


 見間違いかとも思ったが、何度瞬きしてみても目に映る景色は変わらない。


 失われた左半分は、全て魔王が持って行ってしまったのだろう。


 残った町並みは崩れることも倒れることもなく、中途半端に切り取られた建物は初めからその姿だったかのような自然さで佇んでいた。

 

 恐らくはこの町を中心として、この国の左半分が跡形もなくなってしまっているに違いない。


 あまりに静かな消失だったせいで町はまだ静けさを保っているとはいえ、通りにはぽつぽつ人が出始めているようだ。


 直に大騒ぎになるだろう。

 

 思った通り、とんでもないことになってしまった。


 レリアが言葉もなく半分だけ失われたヴェリリエールを見つめていると、ジュヌヴィエは再び歩き出した。


 レリアも慌ててその後を追い掛ける。


 そうして研究室に戻ると、ジュヌヴィエは平然と魔王に言い放った。


「支払いは済んだわ。あなたの力を見せて頂戴」

「いいだろう」


 魔王がそう言うなり、ジュヌヴィエの足元にレンガのような形をした金塊が現れた。


 ジュヌヴィエは金塊を持ち上げると、あちこち眺め回して感嘆の溜め息混じりに言う。


「素晴らしいわ」

「姉様、本当にこれで良かったの? 国の半分が消えちゃったんだよ?」

「いいのよ、お前はそんなことを心配しなくても」


 ジュヌヴィエは扇の下から銃を取り出し、銃口をレリアに向けた。


「……姉様?」


 レリアが震える声でジュヌヴィエを呼ぶと、ジュヌヴィエはそれが合図だったかのように引き金を引いた。


 その途端、腹部が今まで経験したことのない痛みを訴える。


 体が千切れ飛んだのではないかと思ったが、震える指先は腹を押さえることができた。


 ぬるりとした不快な感触に、レリアは寄せていた眉を一層きつく寄せる。


 震えの止まらない指が赤く染まっているのを見て、これが血の感触なのかとぼんやり思った。

 

 また一つ新しいことを知った。


 だが、少しも嬉しくはない。


 できることなら知りたくなどなかった。


 本当に知りたかったのは、生きることだったのに。

 

 そう思ったのを最後に、レリアの意識は途切れた。






 ジュヌヴィエは銃から立ち上っていた煙が消えると、静かに銃を下ろした。


 魔王と契約できた以上、もうレリアに用はない。


 後はレリアの研究をこの世から完璧に葬り去ればいいだけだ。


 ジュヌヴィエは机の引き出しという引き出しを開けて中の書類を机にぶちまけると、その中の一枚を暖炉に差し入れて火を移し、机の上に落とした。


 炎が忽ち紙を舐め上げ、灰に変えていく。

 

 火が机を伝って燃え広がり始めると、ジュヌヴィエはレリアをその場に残して部屋を出た。






 息絶えたレリアを目の当たりにしても、魔王は顔色一つ変えなかった。


 うつぶせたレリアの体からは絶え間なく血が流れ出し、血溜まりが広がり続けている。


 開かれたままの目は虚ろで、もう何も映してはいない。


 冷たい石の床に温もりを奪われて、溢れ出す血も抜け殻の肉体も急速に冷えていくようだった。


 その細い体に荒れ狂う炎が迫り、纏い付き、焼き尽くしていく。


 実体のない魔王は炎に巻かれることもなく、焼かれていくレリアの遺骸をただ静かに見下ろした。


 見送るくらいのことはしてやってもいいだろう。


 好いていた訳ではなかったにせよ、別段嫌ってもいなかった。

 

 やがてレリアの体が完全に燃え尽きると、魔王はいくつもの天井をすり抜けて夜空に出る。


 絶え間なく流れる漆黒の雲に覆われた空は蠢くようで、星一つ見えない。


 すぐに雨粒が魔王の体を通って城を叩き始めた。


 魔王が今後について思案していると、今度は塔から火の手が上がる。


 物体に妨げられることなく事象を知覚できる魔王には、それがジュヌヴィエの仕業だとすぐにわかった。


 レリアの研究に関するものを一掃するつもりなのだろう。


 いっそ塔ごとジュヌヴィエを燃やしてやるのもいいかも知れないと魔王は思った。

 

 あの女は気に食わない。

 

 だが直接手を下すより、ジェスにレリアが殺されたことを教えた方が面白くなりそうだった。


 ジェスのあの性格なら、きっと復讐を誓うだろう。


 だが次期女王を相手にたった一人でどれ程のことができるだろうか。

 

 なかなか見ていて楽しめそうで、魔王は早速ジェスの元に行くことにした。






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