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幽霊王女と優しい殺し屋  作者: 佳景(かけい)
第3章
11/29

―10―

 翌朝。

 

 レリアは足元を確かめながら、朝日に洗われた白い廊下をゆっくりと歩いていた。


 レースやフリルをふんだんにあしらったドレスの裾が足に纏わり付いて、ひどく歩き難い。


 いつもの格好の方が動き易くていいのだが、ジュヌヴィエが外に出るなら王女らしい服装をしろと言うので仕方がなかった。


 一歩一歩、慎重に歩を進めるレリアの隣に浮かぶのは魔王。


 だが傍目には一人で歩いているようにしか見えない筈だ。


 供を付けて歩くという習慣がこれまでなく、今更馴染めそうにもなかったため、レリアは基本的に一人で行動するようにしている。


 道を譲って礼を取る者の中には赤みがかった金の髪を見てぎょっとする者もいたが、レリアは隠したり染めたりするつもりはなかった。

 

 他の誰がどんな目で見ても、ジェスはこの髪を気にしないでいてくれるのだから。

 

 レリアは長い廊下を暫く歩いて、地下へ通じるドアに差し掛かった。


 ドアを守る衛兵が開けたドアから一歩足を踏み入れると、そこは螺旋階段になっていて、所々に明かりが灯っている。


 少し冷たい空気の中、レリアは慎重に階段を下りた。

 

 この先には宮廷付き魔法使い達の研究室がある。

 

 万が一魔法が暴走した時、余所へ及ぼす危険を少しでも軽減できるように地下に設えられているらしい。


 レリアもその中の一室をもらって、魔法の研究をすることになっていた。


 長い階段を下り切り、左右にドアを持つ暗い廊下を歩き始めて少しすると、レリアはのっぺりとしたドアの前で足を止める。


 予め渡されていた鍵でドアを開けると、そこは塔で使っていた部屋より少し広いくらいの部屋だった。


 書棚という書棚には昨日の内に運び込まれた塔の本が並んでいたが、中にはまだいくらか余裕があるものもある。


 本だけでなく書類も運び込まれていて、すぐにでも研究を始められる状態だった。

 

 だがその前に魔王に確認しておきたいことがある。


 自分を利用しようとしているということは、ジュヌヴィエは魔法をこの国のために役立てようとしているのだろう。


 しかし、魔法は人を殺傷したり幻を見せたりすることはできても、万能とは程遠いものだ。


 魔王の力を借りなければどうにもならない。

 

 レリアは机のランプに明かりを灯すと、暖炉に火を入れて椅子に腰掛けた。


 片手で頬杖を付きながら、宙に腰掛けた魔王に問いかける。


「ねえ、もう一度願いを叶えてもらうためには、また魔王と契約しないと駄目だよね?」

「そうだな」


 魔王の答えは予想通りのもので、レリアは口元に手を当てて考え込んだ。


「……あのさ、それってもう一度魔王を招喚しなきゃならないってことでしょ? 私に残ってる記憶で魔王を招喚できる?」

「問題ないだろう。だが、あと一度が限度といったところだな」

「そっか。良かった」


 レリアは安堵しかけたが、その気持ちはすぐに不安に打ち消された。


「まさか、記憶が全部無くなったりしないよね?」


 せっかく魔王を招喚できても、それではどうしようもなかった。


 魔法が使えなくなるばかりか、日常生活を送ることすら覚束なくなってしまうだろう。


 それだけならまだしも、ジェスのことまで忘れてしまうのだ。

 

 それは絶対に駄目だった。

 

 生まれて初めての友達なのだ。

 

 自分のことを忘れても、ジェスのことだけは覚えていたかった。


 たとえジェスが自分のことを忘れてしまったとしても。


「ジェスの記憶だけは、ちゃんと全部残してね」

「生憎だが、それは我の意志でどうこうできることではないな。我が消える記憶を選別している訳ではない。魔法に関する知識はかなり高い確率で残るだろうがな」

「やっぱり駄目なんだー……」


 レリアは机に突っ伏した。


 要は手っ取り早く記憶を増やすことができればいいのだが、何かいい方法はないだろうか。


 悶々と考えている内に、ふとある考えが頭に浮かんで、レリアは体を起こして魔王に詰め寄る。


「ねえ、招喚って形のないものならできるんだよね? だったら消えた私の記憶を招喚するってことはできない?」

「そのような都合のいい話があると思うな。もし其方が言うように失った記憶を招喚できるのなら、無限に魔法を使えることになってしまう」

「だよね……」


 レリアは深く溜め息を吐いた。


 やはり自然に記憶が増えるのを待つしかなさそうだ。


 できるだけ魔法を使わないように気を付けなければいけないなと思っていると、おもむろに静かなノックの音が響いた。


「どうぞ」


 返事をすると、ドアからジュヌヴィエの侍女の顔が覗いた。


「少しよろしいですか? ジュヌヴィエ様がお呼びです」

「あ、うん」


 レリアは立ち上がると、部屋を出た。


 魔王も飛んでレリアの後を付いて行く。


 レリアの先を歩く侍女は、暗い廊下の先にある階段を上がって一階に出ると、更に階段を上った。


 最上階まで上がって長い廊下を歩き、やがて一枚のドアの前で足を止める。


 侍女はドアを軽くノックすると、ドアの向こうのジュヌヴィエに言った。


「ジュヌヴィエ様、レリア様をお連れしました」

「入りなさい」


 侍女がゆっくりとドアを開けると、レリアは窓の前に佇んでいるジュヌヴィエを見付けた。


 わざわざ呼び付けた割に、ジュヌヴィエは振り返ることもなく、窓の外に視線を注いでいる。


 構わず中に入ったレリアはくるくると回って、蜘蛛の巣よりずっと精緻なレースに囲まれた天蓋付きのベッドや重厚感溢れる書き物机が並ぶ広い部屋を観察しながら言った。


「おはよう。何か用事?」

「ええ、少し話しておきたいことがあってね」


 ジュヌヴィエは窓からレリアに視線を流して椅子を勧めると、テーブルを挟んで向かいに腰を下ろした。


 魔王もレリアの隣に浮かんで座る。


 ジュヌヴィエはテーブルの上で指を組み、静かに切り出した。


「ずっと塔で暮らしていたお前は知らないでしょうけれど、この国は今いくつもの問題を抱えているの。解決するのが難しい問題ばかりだけれど、その中の一つは金を用意することさえできれば解決の糸口が掴めるわ。大量の金を手に入れることができれば、貨幣の金の含有量を増やすことができるし、貨幣と貨幣を作るこの国の信用を上げることができるの。それはこの国を立て直す大きな助けになるわ。お前の魔法で金を生み出すことはできない?」

「ごめん、それは無理なんだ」

「そう……」


 ジュヌヴィエは落胆を隠せない様子で小さく息を吐き出した。


 余程魔法の力を当てにしていたらしい。


 やはり魔王を招喚してあげた方が良さそうだなとレリアは思った。


 正直なところ、ジュヌヴィエの説明を聞いても金が何故必要なのかよくわからなかったが、ジュヌヴィエが必要だと言うなら必要なのだろう。


「私には無理だけど、そういうことができそうな人なら呼べるよ」

「本当に?」

「うん。今日は無理だけど、近い内に呼んであげる」


 本当は今呼ぶこともできたが、レリアは敢えて嘘を吐いた。


 魔王の招喚はできるだけ引き延ばした方がいい。


「できる限り早くお願いね。何か必要なものがあれば用意させるわ」

「うん、ありがとう。頑張るね」


 レリアは軽く両手を握って見せると、席を立った。


「じゃあ、もう行くね。お仕事頑張って」

「ええ」


 レリアは軽く片手を上げて、ジュヌヴィエの部屋を出た。


 来た道をそのまま辿って研究室に戻ると、再び椅子に腰を落ち着けて小さく息を吐く。


 まだ何もしていないが、たくさん歩いて疲れてしまった。


 少し休もうかと思っていると、魔王が話し掛けてくる。


「其方、本当にあの女のために我を招喚するつもりか?」

「うん。だって姉様の役に立たないと、私は塔に戻されちゃうかも知れないんだよ?」

「我は気が進まぬな。ああいう手合いの願いは大概面白くない」


 魔王はつまらなそうに言いながら床に下りた。


 実体化しているようで、靴の裏が小さく音を立てる。


 魔王は裾を捌きながら本棚に歩み寄り、適当な本を抜き取って開いた。


 もうこの話は終いとばかりにページを繰り始めた魔王の背中に向かって、レリアは声を掛ける。


「ねーねー」


 魔王は返事をしなかったが、レリアは構わず続けた。


「さっきから言ってるけど、魔王が姉様の願いを叶えてくれないと困るんだよ。大体、招喚されたら契約する決まりなんでしょ?」

「一応はな。だが拒むこともできなくはない。それなりの代償は払うことになるが」

「ああもう、どうしてそんなことできちゃうかなあ」

「例外のない規則はないぞ」


 レリアは「むー」と唸りながら、机に頬杖を付いた。


 招喚が強制力を発揮しないのであれば、魔王にやる気になってもらうしかない。地道に説得を続ける他なさそうだった。


「どうせあと一回しか招喚できないんだし、ちょっとだけ我慢してくれないかな? ねえ、お願い! ね? ね?」

「この我に頼みごとをするからには、それなりの代価を用意する気はあるのだろうな?」

「私にできることだったら、何でもするよ」


 魔王は本を棚に戻すと、レリアとの距離を詰めた。


 眼前で足を止めた魔王に顎に指を掛けられ、ついと上向かせられる。


 気が遠くなりそうな程の美貌に真っ向から見つめられて、レリアは胸が高鳴った。


「安易に『何でも』などと口にするものではないぞ。泣く羽目になる」

「魔王は私が泣くようなことするの?」


 レリアが顔を曇らせると、魔王はレリアの顎から指を離して言った。


「我は他者を困らせるのは嫌いではないが、其方を泣かせても大して面白くはなさそうだ。この城で最も上等な酒を持って来れば、それで相殺してやろう」

「ありがとう!」


 レリアは立ち上がって魔王に抱き付いた。






 レリアとの約束の時間が近付いていた。


 あまり気は進まないとはいえ、約束は約束だ。


 舟を降りたジェスは人一人這いずるのがやっとの小さな穴を抜けると、地上へ通じる地下墓地に出た。


 墓地とは言っても、石の採掘のために掘られた通路に、引き取り手のない人骨が墓標すらもなく転がっているだけの場所だ。


 人気がない通路は辛うじて人が行き違えるくらいの狭さで、辺りに根付いてさえいるような深い闇に満たされている。


 ジェスが持つカンテラの光が、打ち捨てられた無数の骨を白く浮かび上がらせていた。


 中にはかつて人間だったかどうかもわからない程形の崩れたものさえある。


 些か気味の悪い場所だが、慣れればどうということもなく、ジェスは顔色一つ変えずに出口へと歩き出した。

 

 ここまで来させてもいいのだが、あの動きの鈍そうなレリアのことだ。


 こちらから行った方が早く済むだろう。


 そもそもレリアはまだここに着いてすらいないかも知れなかった。

 

 ジェスが痛めた足に負担を掛けないように歩いていると、幽霊が時折目の前を横切った。


 前から後ろから迫ってきたりもする。


 幽霊を避けている内に、ジェスは端に積んであった骨の一つを踏ん付けて転んだ。


 通路が狭いせいで、頭と肩を強か打ち付ける。


 ジェスが蹲ってひたすら痛みに耐えていると、行く手に小さな光が差した。

 

 レリアだろう。

 

 遠くて顔はよく見えなくても、後ろにいる魔王の姿は暗闇に邪魔されることなくはっきりと見えた。


 レリアに間違いないとジェスが確信した時、人影が声を掛けてくる。


「ジェス? ジェスだよね?」


 聞こえたのは、やはりレリアの声だった。


「おう、俺だ」


 ジェスが返事をすると、レリアは魔王を置いて小走りに駆けてきた。


 カンテラに照らされた顔には笑顔が弾けていて、ひどく眩い。


 くっきりとした輪郭を持ったレリアに会うのはこれが初めてで、ジェスは少なからず戸惑った。


 確かにレリアであるのにレリアではないような、そんな不思議な感じがする。


 見慣れないドレス姿のせいもあるだろう。


 大きなリボンに飾られたドレスはレリアによく似合っていて、本当に王女だったんだなとジェスは少し感心した。

 

 レリアはジェスの目の前で足を止めると、肩を大きく上下させたまま空いている手を差し出す。


「握手しよう! 握手! 私の体に会ったの、初めてだから!」

「すげえ今更だけどな」


 それでもジェスが手を出すと、レリアはその手をきつく握り締める。


 綺麗な手から生きている温もりが伝わってきて、ジェスはレリアが体と共に会うことに拘った訳がわかったような気がした。

 

 レリアは握った手が千切れそうな程激しく何度も上下に振ると、頬を紅潮させて言う。


「改めてよろしくね!」

「……あんまり迷惑掛けるなよな」


 ジェスがレリアの手をごく軽く握り返すと、レリアはますます嬉しそうな顔になってジェスに抱き付いた。


 ないだろうなと思っていた胸のふくらみが案の定ほとんど感じられず、ジェスは少し遠い目になった。


 この年ではこの先大した成長は期待できないに違いない。


「お前、嫁入り前の女がほいほい男に抱き付いたりしねえ方がいいと思うぞ」

「そうなの? でも人ってこんなにあったかいんだなって思ったら、どうしてもぎゅーってしたくなったんだ。こういうの、今まで全然したことなかったから」

「そういや、俺もねえかも」


 両親は気味悪がってほとんど自分に触れようとはしなかった。


 オルガはオルガなりに可愛がってくれているとはいえ、抱き締めたり口付けたりということは全くしない女であるし、リディとは仲がいいような悪いような間柄だ。


 無邪気に抱き合ったりした記憶はまるでない。


 人間が温かいということくらい、浴びる血飛沫の熱さなどで知ってはいたが、こうして穏やかに温もりを感じるのはなかなか新鮮だった。


「ね、もう抱き付いちゃってるんだし、もうちょっとこうしててもいいかな?」

「好きにしろよ」

「わーい!」


 レリアはジェスの体に回す腕に力を込めたが、ジェスは少しも苦しくなかった。


 言葉などなくとも大切に思われていることがわかる、優しい抱擁。


 本当に迷惑な奴だが、自分を抱き締めてくれるこの腕を失くしてしまうのは少し惜しいかも知れない。

 

 ジェスが大人しくレリアに抱かれていると、レリアはしばらくしてゆっくりと体を離した。


「私、これからやらないといけないことができたから、もう今までみたいには会えなくなっちゃうと思うんだ。来られるのは夜くらいかな」

「その方がいいだろ。心ってのは体の中にあるのが自然なんだ」

「ばらばらの方が便利だけどね。じゃあ、そろそろ行かなくちゃ。またね。今度はまた心だけで会いに来るよ」


 レリアは軽く手を上げると、弾むような足取りで歩き出した。


 ジェスも元来た方へと歩き出す。

 

 多少痛い思いもしたが、来て良かったと素直に思えた。






閲覧ありがとうございます。

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