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オルガは今日も動かないと決めた。
狭い小屋の中で鍋が上げる炎を囲み、オルガとリディは影のようにひっそりと息をしている。
オルガは何をするでもなく炎を見つめてただ座り続け、リディは慣れた手付きで銃の手入れをしていた。
そんな二人を置いて小屋を出ると、ジェスは舟に乗って暗い水へと漕ぎ出す。
魔法の練習をするのだ。
隠さなければならない訳でもないが、オルガ達にはできるだけ知られないようにしたかった。
魔法の練習を始めたことをどう説明すればいいのかわからない。
馬鹿正直に説明すれば、いよいよ狂人扱いされるのは目に見えていた。
おかげで以前より格段に一人の時間が増えている。
少し前までは大概オルガ達と行動を共にしていたのに、何とも妙な感じだった。
このままだと日が経つ程に距離が開いていく気がする。
この先はどうなるのだろう。
二人と別れるのはまだあまりピンと来なかった。
それでも前よりは考えられるようになった気がする。
人を殺す以外のことを始めたからなのかも知れない。
ジェスは舟を止めると、静かに目を閉じた。
視界から締め出した幽霊達がすぐ近くで蠢いているのを感じる。
声も聞こえた。
今のところ見える幽霊の数が減ったということはなく、声が遠くなったりもしていない。
心を使うということがどういうことなのかは、未だによくわからなかった。
だがここで投げ出したら、永遠に幽霊からは逃れられないだろう。
根気良く続けるしかなかった。
ジェスは目を閉じると、石の姿を強く想像しながらゆっくりと唇を動かす。
「……白い石……丸い石……固くて、すべすべしてる石……手の平に収まるくらい……」
目を開けてみても、やはり幻はできていなかった。
それでもあきらめずにジェスが練習を繰り返していると、レリアが魔王と共に天井をすり抜けて現れる。
「ねえねえ! 聞いて!」
声を弾ませて言うレリアを、ジェスは目を開けて睨み付けた。
「てめえ……今すぐもどきじゃなくて正真正銘の幽霊にしてやろうか」
凄むジェスの言葉など全く耳に入っていないらしく、レリアは上機嫌に言った。
「あのね、とおぉぉってもいいことがあったんだよ!」
レリアは溢れ出す喜びを抑え切れない様子で、勢いよくジェスに抱き付いた。
触れることはなかったが、レリアはジェスの首に手を回してはしゃぐ。
「私ね、塔から出られたんだ! 自由なんだよ! 姉様がね、出ていいって言ってくれたんだ! お城の中に部屋を用意してくれて、今日からお城の中に住めるんだよ!」
囚人のような生活から抜け出せたのはいいことだと思ったが、ジェスは素直に「良かったな」だの「おめでとう」だのと言う気にはなれなかった。
柄でもない。
敢えてむっつり顔でジェスは言った。
「何でわざわざ俺に言うんだよ。お前がどこに住んでても、俺には関係ねえ」
「だって嬉しいんだもん! ジェスに聞いて欲しかったんだ!」
レリアはジェスから体を離すと、大きな目をきらきらさせて続けた。
「今日はもう無理だろうけど、明日にでもお城に遊びに来て欲しいんだ」
ジェスは怒りを通り越して脱力し、舟底に強か額を打ち付けた。
頭が真っ白になる程の衝撃に、目にうっすら涙が浮かぶ。
きょとんとしたレリアの前で、ジェスはぶつけた額を擦りながら言った。
「……お前な、そんなの無理に決まってるだろ」
「え、どうして?」
レリアは本当にわからないらしく、助けを求めるように魔王を見た。
ジェスからすると本当に馬鹿馬鹿しい質問だが、魔王は苛立つ風もなくレリアに教える。
「城は其方の家だ。よく知りもしない者が簡単に入って来ては困るのはわかるな?」
「うん。でもお城には人がたくさんいるよ」
「確かに城には多くの者が出入りしているが、皆許可を得た上でのことなのだ。立ち入ることを許されるのは、基本的には城の中で仕事をしている者や、何らかの用件で呼び出された者に限られる」
「だからジェスはお城に入れないんだ……」
レリアは納得したようだが、あきらめる気はないらしく、続けて言った。
「じゃあ、私がジェスに会いに来るよ。それならいいよね?」
「そこまでしなくても、こうやって会ってんだから別にいいだろ」
「そうだけど……」
レリアは目に見えてしゅんとした。
先程までのはしゃぎ様が嘘のようにしょぼくれている。
「わざわざ拘る程のことかよ」
「だって、今のままじゃ握手もできないし、さっきだって抱き締められなかったもん……友達なのに握手もしたことないなんて変じゃない? 一回くらい駄目かなあ?」
「めんどくせえ。オルガ達に見られたら困るし」
ジェスはレリアから目を逸らして続けた。
「……一回だけだからな」
レリアは落ち込みを吹き飛ばして、輝かんばかりの笑顔になった。
「うん! ありがとう!」
「言っとくけど、一応王女なんだからふらふら出て来て暗殺されても知らねえからな。俺を恨むなよ。絶対化けて出るんじゃねえぞ」
「大丈夫だよ。私、魔法が使えるもん。でもよっぽど恨まれたくないんだねえ」
「只でさえ人に恨まれる仕事だからな。恨まれる奴を無駄に増やしたくねえんだ」
ジェスがそう言うと、レリアは少し考える素振りを見せてから訊いてくる。
「ねえ、ジェスは今のお仕事が好きなの?」
「別に好きだからやってる訳じゃねえよ」
「じゃあ、やめた方がいいんじゃないかな。人に恨まれるって言ってたし、危ないし……誰も死なない方がいいじゃない」
「お前には関係ねえだろ」
ジェスはきっぱりと撥ねつけた。
今の仕事がいい仕事だとは思っていないし、自分には向いていないとも思う。
だが決めるのは自分だ。レリアに口を出されることではない。
「そう、だけど……でも……」
「関係ねえっつってんだろ」
「うん……ごめんね……」
そう言ったレリアの目は、まだ何か言いたげだった。
そこにはただ純粋な優しさと悲しみがあって、ジェスはレリアから目を逸らす。
こんな目で見られるのは、どうにも居心地が悪かった。
ジェスは早く話を切り上げようと、少し早口になった。
「明日、十四時に地下墓場の出入り口でいいか?」
明日なら足は完治していないにしろ、出歩くのにそれ程支障はないだろう。
ジェスがレリアから目を逸らしたまま返事を待っていると、レリアは少し間を置いて言った。
「……十四時に地下墓場の出入り口だね。じゃあ、また明日」
レリアは名残惜しそうに何度も振り返りつつ、魔王と共に暗い天井へと消えて行った。
透ける体を通って伸びていく夕日を浴びながら、レリアは魔王と共に空を飛んでいた。
嬉しくてどこまでも浮き上がって行きそうな気持ちを抑えながら、真っ直ぐに城へと向かう。
ジュヌヴィエは既に城の中にレリアの部屋を用意していた。
新しい部屋にはまだ慣れないが、これから少しずつ慣れて行けばいいだけのことだ。
これからは城に住むことができるのだから。
ずっと窓から眺めていたあの城に。
レリアは込み上げてくる微笑みを堪え切れずに、満面の笑顔で言った。
「今日はいいことたくさんあったね。姉様と初めて話せたし、塔からも出られたし、体と一緒にジェスに会う約束もしたし」
「浮かれるのはいいが、あまり浮かれ過ぎるものではないと思うぞ」
「どうして?」
「今日生じた事象の全てが、其方にとって良いものだとは限らぬということだ。其方の姉は、其方を利用するつもりのようだからな」
「そう、なんだ……」
うきうきしていた気持ちが萎んで、ことりと胸の底に落ちた。
この全てを見通しているような魔王が言うなら、間違いはないのだろう。
ジュヌヴィエは自分を利用するつもりなのだ。
それでもジュヌヴィエを憎む気持ちは湧いて来なかった。
裏があるのは当然だろう。
むしろない方がおかしい。
他人も同然の姉妹で、しかも自分はこんなおかしな髪の色なのだから。
レリアは軽く俯いたものの、すぐに笑顔になった。
「それでもいいんだ」
理由はどうあれ、ジュヌヴィエが塔から自分を出してくれたのは事実だ。
それに、利用しようとしているからには役に立つ限りは必要とされるということだろう。
ジェスに体と一緒に会う約束もしたし、ジュヌヴィエの思惑ごときで今日という日を台無しにする気にはなれなかった。
今日は最高の一日。
それでいい。
レリアはそう決めると、更に速度を上げて城を目指した。




