Last Loser.『Go upset!』(下)
【六月二十二日 午前十一時十分】
木村卓郎はあの日出会った男を探していた。
ー伊集院光輝ー
手帳に書いてあったその名前だけが、男を探し出す唯一の手がかりだった。
「まぁ、そんな都合良くまた駅になんて居るわけないわな」
木村は駅の構内を出ると自嘲気味に鼻で笑った。
この二日間、木村は自分が盗んだ拳銃をこの駅でわざと伊集院になすりつけた事がいつまでも頭の片隅に引っかかり、忘れることが出来ずにいた。
だが木村の場合、伊集院に対する罪悪感や贖罪といった気持ちよりは邪な好奇心と言った方が正しかったのかもしれない。
もちろん仮に会うことが出来たとしても、別に何か話がある訳ではないことは木村も充分わかっていた。
しかし木村はあの日のことを思い出す度にどうしても想像せざるを得なかった。
果たして伊集院という男は自分のハンドバッグの中に突然拳銃が現れたらどんなことを思うのか。そしてどうするのか。
やはり正直に交番に届けるのだろうか、それともヤクザにでも見つかって酷い目に遭っているのだろうか、それとも誰にも黙ったまま隠し持ち続けるのだろうか……
いつしか木村は暇さえあればそんなことばかり考えるようになっていた。
木村には伊集院が悪事を犯すような人間には見えなかったが、念のため新聞やニュースを細かくチェックし『伊集院光輝』という名前がどこかに載っていないか毎日確かめた。
今日駅へ来てみたのも、単なる当てずっぽうではなく、もしかしたら伊集院自身も拳銃を返すために自分を探しているのではないかと考えてみたためである。
結局、伊集院に会うことは叶わなかったが、今思えば拳銃を返されても困るよなとぼんやり考えながら木村はブラブラと外を歩いていた。
すると突然後ろから何者かに肩を力強く掴まれ、木村は飛び上がった。
「うわっ! な、何だよおっさん」
木村が後ろを振り返ると、そこにはもじゃもじゃ頭と無精髭がやけに印象的な、お世辞にも綺麗な身なりとは言えない男が立っていた。
男は木村の顔を見るとニヤリといやらしい笑みを浮かべる。
「やぁ〜っと見つけたぜ。兄ちゃん」
男が嬉しそうに言った。
「だ、誰だよあんた。俺はあんたなんか知らない」
木村は掴まれた手を振りほどこうとしたが、予想以上に男の力は強く、その手はガッチリと肩を掴んだままびくともしない。
「おい離せよ! 警察呼ぶぞ!」
ポケットから携帯電話を取り出した木村に男が唐突に口を開いた。
「あー、二週間くらい前だったかなぁ。大通り公園にあるおでんの屋台で飯食っててさ、いい感じで気持ちよ〜く酔っ払って歩いてた時に誰かとぶつかっちまったことがあったんだよ」
男の言葉に木村はピクリと反応した。そしてこの男の顔と《あの時》の男の顔が頭の中で徐々に一致していく。
男は更に言葉を続けた。
「それでその後、いざタクシーで帰ろうとしたら驚いたよ。持ってたはずのお金がきれいさっぱり無くなってたんだから。なぁ、兄ちゃんにはそのお金がどこへ行ったのか……心当たりあるだろう?」
男は木村に向かってグイッとにやけた顔を近づけてきた。
「何の話だよ。知らねえよそんなの! だいたい俺が知ってるって証拠でもあんのかよ!」
木村は歯をむき出しにして男に食ってかかったが、男は依然として薄笑いを浮かべたままである。
「いいや、証拠なんてないさ。ただあの時無くなった金は大切な今月の生活費でな。俺としても簡単には諦められねーんだよ。……なぁ、そろそろ教えてくれよ《泥棒》さん?」
男は挑発するように木村に言った。
「だから知らねえって言ってるだろ! そもそもお前がその封筒を落としたって可能性だってあるんじゃねえのか!!」
木村は人目を気にせず大声を上げていた。しかしその言葉に何故か男はにっこりと笑った。
「最初に言っておくが、これまでの会話は全て録音してあるからな」
「……は?」
木村は男の言ってる意味が全くわからなかった。男はポケットから小型のレコーダーを取り出すと、木村を見てこう言った。
「どうして俺の盗まれた金が《封筒》に入っていたことを知っているんだ?」
男の言葉に木村は小さく声を上げると、観念したかのようにがっくりと肩を落とした。
「証拠の決め手がないときは相手をわざと苛立たせて言葉を引き出す。まぁ、初歩中の初歩のテクニックだ」
男は木村から手を離すと背中をポンと叩いた。
「いいから早く警察にでも連絡したら」
木村は投げやりに言った。
「まぁ、そう早合点するな。初めに言っとくが、俺はお前を警察に突き出すつもりはない」
男の言葉に木村は顔を上げ、目を丸くした。
「は? ……本気で言ってるのかよ?」
「あぁ、本気も本気、大本気ってやつだ。ただし、ひとつだけ条件があるけどな」
すると木村は眉をひそめ疑り深そうに男を見た。
「言っとくけど犯罪に加担しろとか言うなよ。それなら今から自首しに行った方が百倍マシだからな」
「だーかーらー。早合点するなっての。最近の若い奴らはどうも結論を急ぎ過ぎる」
「おっさんがもったいぶり過ぎなんだよ! で、その条件ってなに?」
「なぁに、簡単なことさ。お前は今日から俺の助手になれ。お前のその器用さにはちょっとだが見所がある」
そう言うと男は胸ポケットから一枚の名刺を取り出し、木村に手渡した。
「私立探偵事務所……玉城耕平……あんた探偵なのか?」
木村は驚いたように名刺と玉城を交互に見た。
「あぁ。まぁ事務所っても俺しか居ないんだけどな」
玉城は頭の後ろをぽりぽりと搔いた。
「えっ、てことは俺に探偵の仕事しろってこと!?」
突然の出来事に目を白黒させる木村だったが、玉城はそんな木村のことなどおかまいなく堂々と話し始めた。
「もちろん! どうせ大した仕事なんてやってないんだろ? 探偵になればな、そんなチンケなスリなんかよりもよっぽど刺激のある毎日になるぞ! まさにドラマの世界だ!」
大げさに身振りを付けながら話す玉城の言葉に木村は一瞬心を動かされた。
「どうだ、やってみたいだろ? お前みたいに見てくれが良い奴が探偵なんてやったら、まさに松田優作そのものだぞ!」
次々放たれる玉城の言葉に畳み掛けられながらも、木村は少しずつ探偵として活躍する自分の姿を想像していた。
「ま、まぁ。少し手伝うくらいならやってやっても……いいかな」
口をもごもごさせながら木村が言うと、玉城の表情がより一層明るさを増した。
「よーし、決まりだな。じゃあよろしく頼むぜ。未来の優作ちゃんよ」
玉城がすっと手を差し出すと、木村もゆっくりと手を差し出し二人は握手を交わした。
そして固い握手を終えた二人だったが、そこでふと思い出したように玉城が口を開く。
「あ、そうそう。言い忘れてたけど、お前の給料はしばらくの間出さないからな」
「は!? 手伝うったって仕事だろ! 何で出ないんだよ」
「お前が盗った封筒が給料の前払いだ」
玉城はぶっきらぼうに言った。
「ふっざけんな! だいたいお前が簡単に盗られーー
木村の言葉を遮るように玉城が右腕で木村にヘッドロックをかける。
「ったくうるせーなー。警察に突き出されないだけ感謝しろ。あと、探偵の仕事ってドラマみたいに甘くねーから覚悟しとけよ」
「おまっ……詐欺だ……うぐ……やめっ」
木村は必死にもがきながら玉城に引きずられるように歩いて行った。
すると雑踏に紛れてどこからか大きな声が聞こえた。
『リュウちゃん! 俺も行くよ!』
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【同日 午後四時二十二分】
伊集院は固く閉じた瞼をゆっくりと開けた。
明らかに自分に向かって銃が放たれたにも関わらず痛みはおろか血も出ていない。伊集院は何度も撃たれたであろうお腹をしきりに触っていた。
「……ど、どうなってるんだ?」
「光輝っ!」
ゆかりがドレスの裾を持ち上げながら駆け寄ってきた。ゆかり以外の新郎を含めたその場に居る全ての人間は蝋人形のように微動だにしない。
「ゆかり!」
伊集院はゆかりの目にひとつの決意を感じた。ゆかりもそれを察したように小さく頷く。
伊集院はゆかりの手をしっかり握ると入り口に向かって一緒に走り出した。
もう後戻りはできない。
この扉の向こうにあるのはこれまで経験したことのない困難や苦難の道かもしれない。
それでも今は……今は隣に彼女が居てくればどんなことでも乗り越えられる。
伊集院はそんなことを考えながらも、その目は強い意思と希望に満ち溢れていた。
伊集院は勢い良く扉を開けて外へ出た。後ろから悲鳴や怒声が上がるが二人の耳にはひとつも入ってはこなかった。
そして二人が道路に出るとクラクションが短く鳴った。
伊集院が音のする方を見ると、先程乗ってきたタクシーがすぐ近くに止まっていた。そして、運転席の窓がゆっくりと開くと中から神宮寺が柔和な顔をのぞかせた。
「お客さん。あと八千六百三十円分メーターが残ってますけど、どうします?」
神宮寺はそう言うとにっこりと笑った。二人は顔を見合わせ微笑み合うと、タクシーに乗り込んだ。
ドアが閉まると、タクシーはゆっくりと滑りだすように発進した。
〈完〉