Loser8.『Go upset!』(中)
【六月二十二日 午前十時四十五分】
物置部屋に飛び込んだ尾崎とヒロキは呆気に取られていた。
そこには両手両足をロープで縛られ、口から後頭部にかけてガムテープでぐるぐる巻きにされた男が横たわっていたのである。
男は二人を見るなり、うめき声を上げて身体をよじらせた。
「……これ誰?」
もがく男を見下ろしながらヒロキがぽつりと言った。
「組の人間じゃなさそうだが、ここに捕まってるってことはただのカタギって訳でもなさそうだな」
尾崎はそういうと男の側にしゃがみ込み、口元のガムテープを乱暴に剥がして行く。
「イテテテッ! バカヤロー! ちょっとは優しく剥がしやがれ!」
ガムテープを剥がすなり男は尾崎に文句を言った。
「ばか。助けてやっただけありがたいと思え」
尾崎はそのまま手足のロープを解こうと手をかけた。
「頼むから早くしてくれよ! 火事なんだろ!」
男は懇願するように尾崎を見た。
「あ、これはね〜……嘘のベルでした!」
ヒロキがぎゃははと高笑いしながら手を叩いた。男はヒロキをぽかんと見つめたまま固まっている。
「嘘って……どういうことだ? お前ら誰だよ?」
男が目を泳がせ不安そうに二人を見る。
「詮索は後にしろ、どっちにしろ今は時間が無いんだ」
尾崎がロープを解くと、男の腕を掴んで無理やり立たせた。
するとその時、遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。
「クソッ……これ以上は無理だ! 出るぞ!」
尾崎はヒロキに向かって大声で言った。
「えっ! 金庫は!?」
「ダメだ!」
ヒロキの異議にも尾崎は耳を貸さなかったが、掴んだ男の腕をぐいっと引っ張ると
「……だが、お前は連れて行く」
と、男を睨みつけながら言った。
三人は事務所を飛び出し、階段で一階まで辿り着くとすでにビルの前には数人の野次馬や、消防車とパトカーがそれぞれ一台ずつ到着していた。
野次馬の側では、鮫肌組の組員たちが慌ただしくどこかへ電話をしている。
「正面はダメだな、裏に回るぞ」
尾崎の言葉に二人は頷き、三人はそのままビルの勝手口から外へと逃げ出した。
さらにそこから通りをふたつほど挟んだところまで移動し、誰も居ない公園のベンチへと腰を降ろした。
「ふぅ……なんとか逃げ切れたな」
尾崎の言葉にヒロキは不満げな表情を浮かべている。
「こっからどーすんの。もう二度とあんなチャンスは無いと思うけど」
「さてね。いっそ今度は逃げ続ける方法でも考えなきゃならないかもな」
そう言って尾崎は清掃会社のロゴが入った帽子を脱ぎ、首元に巻いていたタオルで顔を拭った。
すると突然、捕まっていた男が声をあげて立ち上がった。
「お、お前! よく見りゃ鮫肌組の奴じゃねえか!」
男は慌てて尾崎から離れるように後ずさる。
「えっ……この人リュウちゃんの知り合い?」
ヒロキが尾崎と男の顔を交互に見る。
「待て待て、俺はこんな顔の奴知ら……」
その瞬間、尾崎は脳内に電流が走ったかのような衝撃を受けた。
「あぁぁぁぁーー!! お前、拳銃の取引きの時の奴か!!」
尾崎が男を指差して立ち上がった。
「お前ら一緒に逃げる振りして騙しやがったな!」
男が尾崎たちに向かって吐き捨てるように叫ぶと、とっさに振り返り勢いよく駆け出した。
「待ってくれ! 俺はもう鮫肌組とは何の関係ねえんだ!」
尾崎の言葉に男の足が止まる。
「……どういうことだ」
男は首だけを尾崎に向けて言った。
「まぁ、最初から説明してやる……いいからここに座れよ」
尾崎はひとつ息を吐くと、ベンチをぽんぽんと叩いた。
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尾崎から事の顛末を全て聞いた男は腹を抱えながら大笑いしていた。
「だっはははは! じゃああれか、あの時渡した拳銃をパクっちまってお前も鮫肌組から追われる身って訳か!」
「笑ってんじゃねーよ! こっちは命がけなんだぞ!」
尾崎は口を尖らせて言ったが男の笑い声は止まらない。
「ん? でもさー、なんでパクったリュウちゃんじゃなくて売ったあんたが鮫肌組に捕まってた訳?」
ヒロキの言葉に尾崎はハッとした。すると男は苦笑しながら俯むきがちに頭を下げ、ぼそぼそと何かを呟き始めた。
「あぁ……それな。実を言うとよ、取引きでお前に渡した五丁の拳銃あっただろ? あれ全部空砲しか出ない『偽物』だったんだよ……」
男が言いにくそうに頭を掻いた。
「……」
尾崎とヒロキはその場でピタリと固まった。そしてお互いにゆっくりと顔を見合わせると大きく息を吸いこんだ。
「「はぁぁぁぁーー!!??」」
二人は声を揃えて叫んだ。
「えっ? じゃあ何、俺とリュウちゃんが盗んだやつも全部ってこと?!」
ヒロキは混乱の余りその場をぐるぐると歩き回っていたが、尾崎は未だフリーズしたままであった。
「そういうことになるな。いやぁ……正直あのままだったら俺百パーセント消されちまってたからさ。これでもお前らには感謝してんだぜ」
男は苦笑しながら二人を見た。
「……なぁ、お前が鮫肌組に追われ始めたのっていつのことだ?」
尾崎は誰も居ない虚空を見つめながらひとり言のように呟いた。
「ん〜? いつだろうな……俺が捕まったのが今日の夜中だったんだが、その前にも一度追われたことがあったな。確か、一週間くらい前だ」
男は腕組みしながら答えた。
「あっ! ってことは組員の奴らリュウちゃんは諦めてこいつを追うことにしたってこと?!」
ヒロキは尾崎の言わんとしていることに気づき声を上げた。
「まぁ、それはまだ推測に過ぎないけどな。俺が現れたらまた俺を追うのかもしれないし……」
「でもさ〜、偽物の銃盗んだ奴を何日も人手割いて探す? フツーじゃありえないって」
ヒロキの言葉に尾崎も小さく唸り首を傾げた。
「だよな。俺が鮫肌組だったらそんな奴ほっとくぜ! だはははは!」
男が二人を見て楽しげに笑った。
「「お前が言うな!!」」
二人は再びシンクロして声を荒げた。
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その後、尾崎たち三人はそのまま誰にも見つかることなく駅まで辿り着いていた。
「駅まで来ちゃったけど、こっからどうすんの?」
ヒロキはくるりと尾崎の方を向いたが、尾崎は黙ったまま遠くを見つめていた。
「ねぇ、リュウちゃんったら!」
ヒロキの言葉に我に返った尾崎は、小さく苦笑いするとぽつりと言葉をこぼした。
「決めた。やっぱ俺、この街出て行くわ」
えっとヒロキが声をあげて固まった。
「なんだよ。まだ鮫肌組にビビってんのか?」
先程まで捕まっていたとは思えない余裕を見せる男が茶化すように言った。
「かもな。なんかさっきの話聞いたら緊張の糸っつーかさ。そういうのがプッツリ切れちまった感じがすんだ。鮫肌組とは金輪際一切関わらねえ方が良いのかなってさ」
尾崎は呆れたような気だるいような曖昧な表情を見せた。
「おう、あんたが街を出るなら俺もそうするぜ! 俺の場合は現在進行形でヤベーしな」
男はニカっと笑うと尾崎の方へ一歩踏み出す。
「リュウちゃん……本気?」
ヒロキが目を大きく開いて尾崎に近寄る。
「……ああ。お前はここに残れ。元々お前は追われる筋合いもないんだしな。それに、好きなんだろ? あのぼろっちいアパートが」
尾崎が諭すように言うと、ヒロキはまるで捨て犬のように視線を落としてうなだれた。
「心配すんな、これで最後って訳じゃねぇよ。しばらくしたら顔出しに来てやっからさ!」
尾崎はヒロキの肩を大きく二度叩くと、わざとらしい笑い声を上げた。思わずヒロキの目に涙が浮かぶ。
「り、リュウちゃん……おれ……」
ヒロキが情けない声を出した。
「おいおい、売れっ子のホストがそんな顔すんなよ。……まぁ、それじゃあ、元気でやれよ」
尾崎はヒロキに心の迷いを起こさせないよう、寂しさを堪えて笑顔を見せ続けた。
「お前とは色々あったけど、最高の相棒だったぜ」
そう言い残すと尾崎は踵を返し、男と一緒に駅の構内へと向かって歩いて行った。
ヒロキは少しずつ小さくなる二人の背中をただただ見つめることしか出来なかった。