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Loser4.玉城耕平の場合

【六月十日  午後八時五十分】



 昼間であれば活気溢れる大通りの噴水広場も、夜の闇が辺りを包めば街灯がポツポツと灯るだけの薄ら寂しい場所になる。

 今日もそんな広場の片隅には、ぽつんと赤い提灯ちょうちんがやけに明るいおでんの屋台が店を出していた。



「お、らっしゃい!」


 玉城耕平たましろこうへい暖簾のれんをくぐると、屋台の主人が声を上げた。


「どうだいおやっさん、景気の方は」

 玉城はスーツの上着を脱ぐとカウンターに腰を下ろした。


「へへっ、こんな時期におでんの屋台なんてバカなことやってんのは私ぐらいなもんでね。赤字も赤字、大赤字ってなもんだ」

 そう言いながらも主人はうっすら笑みを見せている。


「またまたぁ、だからこそ俺みたいなコアな客がつくんじゃない」

 玉城は適当な具を指さしながら、主人におでんを注文した。


「そうそう。私なんかもこないだ来てからすっかりここのとりこになっちゃいましたよ」

 ふいに玉城の隣に座っていた先客が口を開いた。屋台では、こうして知らない人とも気軽に会話を交わせることが、玉城にとってここに通う理由のひとつでもあった。


「だよねぇ。あんたもなかなかわかってるじゃない」

 玉城は馴れ馴れしく隣の客の肩を叩いた。客も赤ら顔で玉城に笑いかける。


 歳も近かったせいか、玉城はこの客とすっかり意気投合し、気がつけば二人で瓶ビール三本を空けていた。



「おやっさーん、ビール!」

 玉城は空になったグラスをぐいっと主人に向けた。


「おいおい、今日はやたらの飲むねぇ」

 そう言いながらも主人は玉城のグラスにビールをなみなみに注ぐ。


「まぁね、長かった仕事がやっと終わったからそのお祝いってとこさ」

 玉城はしみじみと言葉をこぼすと、グラスに口をつけた。


「そういやぁ、お仕事は何されてるんです?」

 ひとしきり酔いもまわった隣の客が、とろんとした目を玉城に向けた。


「まぁ、色々だね。夫の浮気現場を突き止めたり、失踪した人間を捜したり……逃げ出したペットを捕まえたこともあったなぁ」

 玉城は顎に生えた無精髭をさすりながら答えた。

 最後に髪を切ったのはいつなのかと思う程もじゃもじゃの頭と、伸び放題の顎髭を見て、おそらく人と接するような仕事ではないのだろうと、その客もなんとなく予想はつけていた。


「ほぇー、ってことは探偵さんかい?」

 それでも客は玉城の意外な返答に目を丸くした。


「探偵ったって、俺一人でやってるチンケな趣味みたいなもんだけどね」

 玉城は小さく笑うと、箸で大根を挟みぱくりと頬張った。


「いやいや私なんて、くる日もくる日も車の運転ばっかりで、そういう刺激の多い仕事には憧れますけどねぇ」

 客が玉城を励ますかのように自分の愚痴をぼやいた。


「まぁ、刺激は多いけどね。現実はドラマで見る程簡単でも綺麗でもないってことさ……」

 玉城は鼻から大きく息を吐くと、再びビールをぐいっと飲み込んだ。


「なんだい、仕事のお祝いの割には随分しけた顔になっちまって」

 主人が冷やかすようにガハハと笑った。


「何ていうか、その終わった仕事ってのがどうもやり切れない終わり方だったもんでさ」


「……良かったら、お話聞かせてもらえませんか? 少しは気が晴れるかもしれませんよ」

 客は玉城に柔和なまなざしを向けた。それをみた玉城は少しだけ眉をひそめた。


「本当は、客の個人情報について話すのはタブーなんですがね。まぁ、当たり障りなく話すことにします。もちろん、この話は私たち三人だけの胸にしまっといてくださいよ」

 そう言うと、玉城は小さく咳払いをしてポツリポツリと語り始めた。


「今から半年前だったかな。俺はある男から人捜しの依頼を受けたんだ。当時は他に依頼されてる仕事も無くて、内容の割に高額な報酬だったもんだから、俺はすぐさま飛びついたよ」

 玉城は当時を思い出すかの様に遠い目をした。


「人捜しったって、事件に巻き込まれてなきゃ必ずどこかに何らかの手がかりは残るもんだ。俺は依頼主からもらった女の写真を持ってとにかく聞き込みをして回った。」

 隣の客も玉城の言葉にじっと耳を傾けている。


「そして一ヶ月前かな。ようやく女をこの街で見つけたんだ。俺が最初に見つけた時は、その女は男と教会から出て来た所だった」


「教会? 変わった所で見つかったもんだね。ミサのお祈りでもしてたのかい」

 主人が不思議そうな顔で口を挟んだ。


「いいや、その後俺は教会に入り、その女の身内を偽って話を聞いてみたら、なんとあの二人はその教会で結婚式の打ち合わせをしていたんだ。最初に依頼を受けた時、その女と依頼主の関係はあえて聞かなかったが、この時俺は、なんとなくこの依頼の全容が見えた気がした」

 玉城はそう言ってグラスに残ったビールを飲み干した。


「わかった! つまりその女と依頼主は恋人関係で、女がその依頼主に嫌気が差して他の男に乗り換えたんだ。それで依頼主が躍起やっきになってその女を行方を追ってると」

 隣の客はパチンと指を鳴らすと得意げに言った。


「そう。俺も最初はそう思ったのさ」

 玉城は含みのある言い方をした。


「……へ? 最初?」

 客は小首を傾げた。主人も口を一文字に結び、玉城の言葉の意味を考えているようだった。


「俺の経験上、そういう女ってのは裏切った男のことなんかさっぱり忘れて能天気に振る舞うもんなのさ。だが、その女はこれから結婚式を控えているのに、その表情はまるでお通夜に参列してるのかと思うほど辛気臭かった」

 玉城はその時の状況を思い出し、皮肉っぽく笑った。


「それは……俗に言うマリッジブルーってやつじゃねえのかい? そういう顔するのは別に珍しいことじゃねえさ」

 主人はゆっくり顔を横に振りながら口を開いた。


「まぁ、その可能性もあった。しかし、なんて言うかなぁ。俺の直感が言ったんだ、これは何かあるぞ……ってさ」


「何かって……なんだいそりゃ?」

 客はまだ納得できないという顔を続けている。


「さてね。とにかく妙なキナ臭さを感じた俺は、今度は逆に依頼主を調べることにした。もちろん、依頼主には内緒でだ」

 玉城が淡々と言葉を続けていく内に、主人も客もその話にどんどん引き込まれ、次第に玉城の方へ少しずつ身を乗り出した。


「そしたら面白いことがわかったよ。どうやらその依頼主は、石油の貿易で大きな財を築いた、とある財閥の一人息子だったのさ」

 玉城はそこで得意げにニヤリと笑った。


「う〜ん? 少し話が見えなくなってきたなぁ。普通そんなたま輿こしを蹴って、他の男に乗り換えるような女は居ないと思うんだが……」

 主人が困惑したように唸り声をあげる。


「まさにその通り。そこで俺はひとつの仮説を立ててみたんだ」


「……仮説?」


「そう、つまりさっきあんたが言った推測がだとしたら、この依頼の全容に全て説明がつく」

 そこまで言葉を続けると、玉城は客の背中をぽんと叩いた。


「はいっ? 私の推測が……逆?」

 客は訳が分からないといった表情で目を白黒させる。


「要するに、俺が捜していた女は自ら依頼主から身を引かされたんだろう。考えてもみれば、彼女はごく普通の家庭で育った一般女性だった。それが財閥の御曹子と結婚ってことになれば、これまでに経験したこともないような世界や人間を相手に生きて行かなきゃならないんだしな。まぁ、おそらく身を引くように財閥の人間に金でも掴まされたんだろうが……」

 玉城はそこまで話し終えると、タバコに火をつけた。


「なるほどなぁ〜、よく言う『住む世界が違う』ってやつかい」

 主人が納得したように腕組みをしたが、客はまだ何か腑に落ちないといった表情を浮かべている。


「いやいや、待ってくれ。それじゃあ依頼主の男がその女を捜す理由がわからなくなる」

 客は玉城に人差し指を向け、問いかけた。


「おそらく、全ての話し合いは依頼主に知らされぬまま行われたんだろう。女を悪者にすることで、男の未練を断ち切るつもりだったんだろうが、財閥側が思う以上に依頼主の愛は深かったって訳だ」

 玉城はにやりと笑うと、口から気持ち良さそうに煙を吐き出した。


「それで……そのことは依頼主に報告したのかい?」


「いやぁ、さっきも言ったが全ては俺の仮説に過ぎない。何の確証もなくこんな話をして依頼主の機嫌を損ねても無駄だし、俺は依頼された通り女の居場所だけを伝えて報酬を貰ったよ」

 すると玉城は、上着の内ポケットから茶封筒を取り出してひらひらと振った。外側から見ても封筒にはだいぶ厚みがあるように見える。


「なるほどねぇ。なんだか世知辛い話だ」

 主人は小さくため息をついた。



 それから二人は再びお酒を酌み交わし、くだらない世間話や、今の政治や経済のことなどを、ああだこうだと話している内にすっかり時刻は深夜零時を回ろうとしていた。



「よっ……とと、なんだかつい飲み過ぎて色々喋り過ぎちまったな。おやっさん、お代置いとくよ」

 玉城は横に置いてあった上着を羽織はおると、長椅子から立ち上がりテーブルの上にお金を置いた。


「へへっ、もうあんたフラフラじゃないか。どれ、私もタクシーが拾える所までお供しますよ」

「また、いつでも来てくださいよっ」

 隣の客もお代を払って立ち上がると、足元のおぼつかない玉城に肩を貸すように二人は屋台を後にした。



「なんだか、見ず知らずの人にここまでしてもらって悪いなぁ」

 すっかり酩酊状態になった玉城が客の顔を見ながら言った。


「なぁに、お安い御用ですよ。それに、この通りを出ればすぐタクシーが捕まるはずですから」


「あんた、やけに詳しいんだね」


「はい、タクシーの運転手なもんですから。申し遅れましたが、私、神宮寺じんぐうじといいます」

 にっこりと笑う神宮寺の言葉に、玉城は少し驚いたように目を開いた。


「なんだぁ、あんたタクシーの運ちゃんだったのか。それならまたどっかで会うこともあるかもなぁ」

 通りに出るまであと十メートル程の所で、向かい側からひとりの男が歩いてきた。男は右へ左へ蛇行しながら歩いており、神宮寺はすぐに酔っ払いだと感づいた。


 すると、すれ違う瞬間に男はバランスを崩しよろよろと玉城の肩へぶつかってきた。


「おい、気ぃつけろぉ〜」

 玉城がすっかりろれつの回らなくなった言葉で注意する。


「おっとと、すいませんねぇ」

 男は、にこりとはにかむと再びふらふらと歩き始め夜の街へ消えて行った。


「……ったく!」

「まぁまぁ、よくあることですから」

 神宮寺は玉城をなだめるように諭すと、通りを抜け無事にタクシーを拾った。



「それじゃあ、この人よろしく頼みます」

 神宮寺はタクシーの後部座席に玉城を乗せると運転手に向かって告げた。そして神宮寺がタクシーを後にしようと数歩歩いたその瞬間、玉城の絶叫が辺りに響き渡った。


「ど、どうしたんですか!」

 驚いた神宮寺が玉城に駆け寄ると、玉城は先ほどの酔いが嘘のように顔が蒼白になっていた。


「大丈夫ですか!」

 神宮寺に肩を揺さぶられながら、玉城は口をパクパクとさせて何かを呟いていた。


「え? 今なんて……」

 神宮寺が玉城の口元に耳を近づけた。




「や、やられた……報酬の金……なくなってやがる……」


 玉城のその言葉に神宮寺も言葉を失った。



    

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