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死んでも再婚させてあげない

作者: 星森 永羽
掲載日:2026/04/18




 玄関の扉を開けた瞬間、屋敷の空気がわずかに張り詰めた。


 アデルが、そこに立っていた。


 プラチナブロンドの髪はゆるく波打ち、深い青の瞳は氷のように澄んでいる。


 華奢な体つきなのに、姿勢は完璧で、まるで彫像のような威厳があった。


 薄い唇は固く結ばれ、感情を読み取らせない。


「……お帰りなさい」


 その声は静かで、冷たい。


 愛人を連れてきた俺は、不安を押し隠しながら言った。


「話がある」


「そうですか。では応接室へ」


 アデルは一礼し、踵を返す。


 その背筋はまっすぐで、愛人の存在などで揺るがないという態度が露骨だった。




 応接室に入ると、アデルは優雅にソファへ腰を下ろした。


 俺は、愛人の背を押しながら向かいに座る。


 メイベルは、アデルとは対照的に、小柄で丸みのある体つきで、大きな目とふっくらした唇。


 可愛さはあるが、この屋敷の空気には明らかに馴染んでいなかった。


「見て、わかるだろう。

 このメイベルに子供ができた。

 お前とは、離縁する」


 メイベルが、勝ち誇ったように顎を上げた。


 赤い巻き髪が揺らし、まだ膨らんでいない腹に手を当てた。


「オバサン、子供できないんでしょ?

 惨めな思いしたくなければ、さっさと出ていってよね」


 アデルは紅茶を口に運び、まるで虫の声でも聞いたかのように無反応だった。


 薄い唇が、静かに開く。


「もちろん。持参金返還及び慰謝料と財産分与を一括で払うなら、離縁に応じるわ」


 そして執事に向かって言う。


「婚姻契約書の写しと慰謝料算出した用紙を、執務官に言って持って来させて」


 執事が、一礼して出ていく。


 アデルは、再び紅茶を飲んだ。


 白い指先がカップを持つ姿は優雅で、俺たちの言葉など取るに足らないという態度が透けて見える。


「ずいぶん聞き分けがいいのね」


 メイベルが鼻で笑う。


 アデルは答えない。


「おい、無視するな」


 俺が声を荒げると、アデルはゆっくり首を傾げた。


 深青の瞳が冷たく光る。


「平民に発言の許可はしていないわ。メイベル・クレインさん」


 俺とメイベルは、同時に息を呑んだ。


 彼女のフルネームを教えた覚えはない。


 背筋が冷える。


 しかし、こちらも威厳を保たなければならない。


「お前! 夫の客人に向かって!」


 俺が立ち上がったその瞬間、扉がノックもなく開いた。


 執事と執務官が入ってくる。


 あまりに速い。


 まるで、最初から準備していたかのよう……。


 執事が、俺に紙束を差し出す。


 金額を見た瞬間、手が震えた。


「な、なんだ、この金額は?」


 アデルは契約書の写しを指差し、淡々と言う。


「なんだ? って、契約書に基づいて算出しただけよ」


 執事が説明する。


「貴族の婚姻は、家同士の契約です。

 今回の場合、旦那様と平民がアデル伯爵夫人と、その実父ヴェルディエ子爵を侮辱したため、不敬罪に対する賠償も含まれます」


 執務官が、更に追い打ちをかけた。


「加えて、平民との不貞行為は“家格の著しい毀損”と見なされますので、通常の慰謝料の数倍となります」


 喉が乾く。


 メイベルの顔色が青ざめる。


 アデルは、ただ静かに紅茶を飲んでいた。


 深青の瞳は氷のように澄み、俺たちを見下ろしているようにすら感じた。


 メイベルが震える声でつぶやいた。


 さっきまで勝ち誇っていた顔が、紙のように青ざめている。


「……こんなの、払えるわけ……」


 アデルは微笑んだ。


「払えるわ。屋敷、領地、爵位すべて売ればね」


 俺は思わず書類を握りつぶし、机に叩きつけるように投げた。


 もう耐えられなかった。


 立ち上がり、応接室を飛び出す。


 背後でメイベルが、慌てて追いかけてくる足音が響いた。


「ローラン様、待って!」


 廊下に出たところで、執務官が息を切らしながら追いついてきた。


「旦那様! お待ちください!」


「なんだ?!」


 怒鳴ると、執務官は一瞬たじろいだが、すぐに職務的な声に戻った。


「離婚せずとも、不貞と不敬の慰謝料は発生します。

 お支払い願います。


 また奥様が通報した場合、教会裁判所より姦通罪に対する処罰がありますので、お忘れなく」


 俺とメイベルは同時に青ざめた。


 姦通罪──教会が最も嫌う罪の1つだ。


「教会からの処分は、具体的に何だ?」


 俺の声は震えていた。


「資産没収、爵位剥奪、破門などです」


 破門──その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。


「破門……そんなこと知られたら、領民が黙ってないだろう」


 執事が追い付いてきて、言った。


 灰色の瞳は冷静で、情けをかける気配はない。


「もちろん領主交代となるでしょう」


 頭を抱えた。


 視界が揺れる。


 俺の人生が、音を立てて崩れていくのがわかった。


「ねえ、ちょっと……どうすれば……」


 メイベルが袖をつかんでくる。


 大きな目が涙で揺れ、不安と恐怖の色しかなかった。


「黙れ!」


 怒鳴りつけると、メイベルはびくりと肩を震わせた。


 俺は彼女の腕を乱暴に引き、屋敷の外へと歩き出す。


 逃げ道を探すように。




 薄暗いメイベルの家で、俺は頭を抱えていた。


 古い木の床が冷たく、壁にかかった安物のランプが頼りなく揺れている。


 愛人は、部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。


「……ねえ、どうするのよ?

 あんな金額、払えるわけないじゃない……」


 震える声。


「静かにしてろ」


 俺が言うと、メイベルはすぐに反論した。


「だって……子供が生まれる前に入籍しないと、この子が庶子になってしまうじゃないの」


「しかし……」


 言葉が続かない。


 結婚して最初の3年は、アデルと子作りをしていた。


 だが、アデルは妊娠しなかった。


 跡継ぎをどうするか──悩んでいた時に、メイベルが妊娠した。


 愛していない女の子供より、愛している女の子供のほうが家を継ぐべきだ──そう思ってしまった。


「……分かった。

 あいつに頼んで、慰謝料を減額してもらう。

 教会にも通報させない」


 メイベルが、不安げに俺の袖をつかむ。


「本当に……大丈夫かしら」


「大丈夫さ」


 言いながら、自分に言い聞かせていた。


 アデルは、いつも従順だった。


 ぶつかることがあっても、最終的には向こうが折れていた。


 今回だって、説得すればどうにかなる──




 夜遅く、屋敷に戻る。


 使用人が寝静まった頃を見計らい、アデルの部屋へ向かった。


 扉を開けると、彼女は静かに眠っていた。


 月明かりがプラチナブロンドの髪を照らし、まるで絵画のように美しい。


「……何ですか、こんな時間に」


 揺り起こすと、目を開けた妻が言った。


「慰謝料のことだ。

 “慰謝料は不要“と、契約書にサインしろ」


「はい? なぜ?」


「払えないからだ。

 だいたい、お前が妊娠しないのが悪いんだろ。


 メイベルの子供は、俺の直系なのだから跡継ぎにすべきだ。

 お前も本妻だったんだから、この家に責任はある」


 アデルは答えず、呆れたように息を吐いた。


「早くしろ」


 俺は彼女をベッドから立たせ、机の前へ連れていく。


 契約書を広げる。


「あなたは分かってないみたいだから言いますけど、あなたの行動は父に筒抜けなのですよ」


「はあ?」


「使用人の中に、我が家の人間が混ざってるのです。

 仮に私が、この契約書にサインしたところで、父と兄が教会に不貞を通報します」


「な……お前が“しないでくれ“と頼め」


「何のメリットがあって?」


「妻だろう」


「離婚するのでしょう?」


 その瞬間、何かが弾けた。


 ──ゴツン


 怒りに任せて細い肩を突き飛ばすと、彼女は頭を机の角にぶつけて倒れた。


 静まり返る。


 妻は動かない。


 我に返り──近づくと呼吸はあるが弱い。


 血の気が引いた。


 これを知られれば、捕まる。


 今は使用人も寝ている。


 ──隠すなら、今しかない。


 俺はアデルの体を抱え、裏庭へ向かった。


 夜風が冷たく、月が白く照らしていた。


 茂みの奥へ進み、誰にも見られない場所で、必死にスコップを動かした。




 裏庭での作業を終えた俺は、荒い呼吸のまま屋敷へ戻った。


 夜明け前の空気は冷たく、手が震えているのが自分でも分かった。


 アデルの部屋に入り、彼女の手回り品や宝石を乱雑に袋へ詰め込む。


 焦りで指がもつれ、金具が床に落ちて乾いた音を立てた。




 小屋へ向かい、眠っていた御者を叩き起こす。


「起きろ……今すぐ馬車を出せ。

 隣国まで行って戻ってくるな」


 御者は寝ぼけた顔で目をこすり、状況を理解できずにいる。


「……は、隣国……? なぜ?」


 俺は宝石の入った袋を御者に押しつけ、低く、逃げ道を塞ぐように言った。


「いいか。

 戻ってきたら──お前の家族を殺す。

 分かっているな?」


 御者の顔が恐怖で引きつる。


「……承知しました……」


 震える手で手綱を握り、馬車は裏門から闇の中へ消えていった。




 夜が明け、屋敷は騒然としていた。


「奥様が……奥様のお姿が、どこにも……!」

「部屋にもいらっしゃらない!」


 使用人たちが、妻の部屋の前で騒いでいる。


 俺は、何食わぬ顔で現れた。


「昨夜、様子がおかしかった。

 ……家出かもしれん」


 使用人たちは、不安げに顔を見合わせる。


「奥様が家出?」

「おい、馬車が1台なくなっているぞ!」


 俺は深刻そうな表情を作り、“夫として当然の行動”という体で屋敷を出た。




 騎士団詰所の石造りの建物は、朝の冷たい空気の中で重々しくそびえていた。


 俺は震える手で失踪届の書類を握りしめ、扉を押し開けた。


 中は早朝にもかかわらず規律正しく整えられ、鎧の金属音が響いている。


 受付にいた騎士団員に、書類を差し出す。


「妻が……いなくなった。

 失踪届を受理してほしい」


 騎士団員は書類を受け取り、手元のファイルを確認した。


 その眉が、わずかにひそむ。


「……申し訳ありませんが、この届けは受理できません」


「なぜだ!」


 声が裏返った。


 騎士団員は淡々と答える。


「“不受理届”が出されています。奥様ご本人の意思で」


 血の気が引いた。


 不受理届──失踪届を受け付けないよう、事前に本人が申請する制度。


 アデルが……?


 俺がこうする可能性を、最初から読んでいたというのか。


「奥様は“自分が失踪扱いされる可能性”を想定していたのでしょうね」


 騎士団員の言葉が、胸に刺さる。


 失踪届が受理されれば、1年で死亡認定になるはずだった。


 貴族女性が着の身着のまま出ていくのは、自殺と同じ扱いだからだ。


 そうすれば“死後離婚”が成立し、俺は再婚できた。


 だが──


「死亡扱いにするには──7年経過後、裁判所への申し立てが必要です」


「7年……!?」


「はい。7年間の生死不明が条件です」


 膝がわずかに震えた。


 7年──そんなに待てるはずがない。


 騎士団員は、静かに続けた。


「……奥様は、よほどの事情をお持ちだったのでしょう。

 “失踪扱いにされること”を、最初から警戒していたのです」


 俺は何も言えず、ただ呆然としていた。


 詰所の冷たい空気が、皮膚の下まで染み込んでくるようだった。




 屋敷に戻った俺は、自室の椅子に沈み込み、頭を抱えた。


 7年──その間は再婚できない。


 つまり、メイベルの子は7年後に“養子”として迎えるしかない。


 認知するには、アデルの署名が必要だからだ。


 となれば、7年間は“平民の愛人とその連れ子”という扱いになる。


 その間に、次期当主が親族の子に決まってしまう可能性は高い。


 俺は呟いた。


「……先に、離婚届にサインさせればよかった……」


 ──その時。


 扉がノックされ、執事フランツが現れた。


「弁護士が、お越しです」


「弁護士……?」


「ヴェルディエ子爵のです。

 奥様から慰謝料の回収を任されたそうで、委任状をお持ちです。

 すぐに対応しないのであれば、裁判と言っております」


 ヴェルディエ子爵は、妻アデルの父だ。


 背筋が冷えた。


「……応接室に」




 移動して待つと、応接室の扉が開き、黒い鞄を持った男が入ってきた。


 ヴェルディエ子爵の弁護士、アルノー・シモン。


 そう名乗った。


 黒髪をきちんと撫でつけ、灰色の瞳は感情の一切を排したように冷静だ。


「こちらが委任状と請求書です。

 即刻、お支払いください」


 机に置かれた書類には、領地と蓄財を差し出さなければ、払えない額が記されていた。


 喉が、ひくりと動く。


「ア、アデルの持参金を……それを……」


 弁護士は、淡々と告げた。


「持参金は“奥様のもの”であって、ベルトラン伯爵のものではありません。


 婚姻契約書にも明記されています。

 持参金は“妻の私有財産”であり、夫は管理権を持つのみ。


 返還義務はあっても、使用権はありません」


 逃げ道はない。


 アルノーは、書類を指先で軽く叩いた。


「支払いが遅れる場合、ヴェルディエ子爵は“強制執行”の手続きを取ります。

 領主権の差し押さえ、家財の競売──すべて法に基づいて行われます」


 俺は震える手で、執事が用意しておいた領主の権利書と蓄財の目録を差し出した。


「……これで……足りるか」


「確認いたします」


 弁護士は丁寧に目を通し、最後に淡々と告げた。


「確かに。

 では、こちらをヴェルディエ子爵に提出いたします」


 俺は椅子に沈み込み、顔を覆った。


 だが、アルノーは続けた。


「それから、ですね」


「……まだ何かあるのか?」


「愛人のメイベル・クレインさんにも同額を、お支払いいただきます」


「何だって!? これは2人分じゃないのか?」


「それはヴェルディエ子爵を侮った発言ですね」


「いや、違う……。

 しかし、待ってくれ。不可能だろう……」


 アルノーの灰色の瞳が、冷たく光る。


「不可能なら、なぜ貴族の娘を妻にめとっておきながら、平民の愛人に家を乗っ取らせようとしたのですか?」


 言葉が出なかった。


「払えない場合、不貞相手は法に則り無礼打ちになります。


 妊婦を処罰することは禁止されていますので、出産後に200回鞭打ちとなります。


 平民のクレインさんはベルトラン伯爵を寝とった上に、応接室でアデル伯爵夫人を罵倒してますので」


 全て知られている……。


 妻の言った通り、この屋敷にはヴェルディエ子爵側の人間がいるのだ。


 しかし──


 産後の弱った体に、200回も鞭打ちされたら死んでしまう。


「……待ってくれ。

 何とかするから……待ってくれ」


「具体的には?」


「屋敷を売る……先祖代々の宝石も……」


 弁護士は、首を傾げた。


「足りますかね?」


 執事が算出書を差し出す。


 アルノーは目を通し、言った。


「……これだと重い処分は免れますが、追放は回避できませんね」


「そんな……!」


 アルノーは淡々と続けた。


「王国法と教会法、両方に反してますのでね。

 どちらにせよ、もうお会いになれないのに、わざわざ多額の慰謝料を払って命を買う必要はあるのでしょうか」


「会えない……なぜだ? 慰謝料を払うのに?」


「これは今までの分です。

 今後もお会いになるなら、毎年同額を請求いたします」


「はあ!?」


「当然のことです。

 離婚してもいないのに、再犯するのですから。


 それから──『平民の愛人の子供を屋敷に入れることは許さない。

 もし入れたら、赤子であっても処分する。

 必要なら、私軍を動かす』と、ヴェルディエ子爵が仰せです。


 産まれる子はベルトラン伯爵の血を引いていても、身分は平民ですので」


 ──ドスン


 椅子から落ちるようにして、座り込んだ。


 視界が揺れる。


 どうして、こんなことに……。


「それと、ですね」


「…………まだ、あるのか……?」


 もう呼吸が上手くできない。


「奥様が見つかるまで、持参金も預からせていただきます」


「……持参金まで……」


「ええ。奥様の私有財産ですので。

 奥様が事前に、手続きを済ませておられました。

 本日、回収して参ります」


 アデルは──


 生前から、すべてを読んでいた。


 俺の行動も、逃げ道も、制度の穴も。


 執事が、持参金の目録を渡す。


 弁護士は、目を通し言った。


「間違いありません。

 では、馬車に積んでください」


 執事が、使用人に指示を出す。


 アルノーは書類を鞄にしまい、静かに立ち上がった。


「以上です」


 俺は床に座り込んだまま、ただ呆然と弁護士の背中を見送るしかなかった。




 どれほど時間が経ったのか、分からない。


 応接室の床に座り込んだまま、ただ呆然としていた。


 そこへ軽い足音が近づき、メイベルが顔を覗き込んだ。


「どうしたの? 弁護士が来たんでしょ?」


 俺は顔を上げた。


「……なぜ、それを?」


「いま玄関で会って『明日、慰謝料の支払いに応じるか、確認にいく』って。

 ねえ、大丈夫よね? 払ってくれるんでしょ?」


「あ、ああ……もちろん」


 口ではそう言ったが、声は震えていた。


「はー、良かった。

 安心したら、お腹空いちゃったね。

 お昼ご飯食べましょう」


 メイベルが無邪気に笑ったその時、応接室の扉が再び開いた。


「申し訳ありません。

 奥様が持参した宝石が、いくつか足りませんでした。

 どちらにあるか分かりますか?」


 弁護士アルノーが目録を指差す。


 胸が跳ねた。


 ──それは昨夜、妻の殺害後に御者に渡したものだ。


 上手く言葉を返せない。


「紛失となると、賠償していただくことになります」


「いや、違う。

 彼女が家出する時に、一緒に持って行ったんだ」


 咄嗟に答えると、弁護士の灰色の瞳が、わずかに細くなる。


「なぜ、そう言い切れるのですか。

 あたかも見ていたようですね」


「それは……違う。

 いつも大事にしていたから、置いていくはずないと思ったんだ」


「……なるほど。

 では、その旨を記録します。


 こちらに“本人が持ち出し”と書き、サインしてください」


 震える手で、目録に署名する。


 メイベルは状況を理解していないまま、にこにこと笑っていた。


「よかったじゃない。ちゃんと説明できたんだし」


 笑おうとしたが、顔が引きつっているのが自分でも分かった。


 弁護士が、メイベルに視線を向けた。


「ああ、クレインさん。

 ベルトラン伯爵に、お会いになれるのは本日の正午までです。

 退出してください」


「はい? なに言ってるの?」


「正午以降もお会いになる場合は、同額の慰謝料を再度、請求させていただきます」


「はあ? なに、それ?

 慰謝料は1回払えばいいでしょ」


「あなたの場合は、無礼打ちになるので1回で済むでしょうね。

 死ねば、支払い義務から逃れられます。

 ベルトラン伯爵は、また愛人を作るかもしれません」


 メイベルの顔から血の気が引いた。


「は……処罰? 私が? どういうこと?」


「あなたが、この家の女主人を侮辱したため、不敬罪にて無礼打ちになります」


 メイベルは、ぽかんと口を開けたまま固まった。


 その横で、俺はただ冷たい汗を流すしかなかった。


「もちろん、慰謝料を払っていただければ処罰は免れます。

 ──こちらです」


 弁護士は、淡々と請求書を差し出した。


 メイベルは震える手で、それを受け取り……額面を見た瞬間──


 その場に崩れ落ちた。


「そんな……え、嘘でしょ……?」


 大きな瞳が揺れ、赤みのあるブラウンの巻き髪が肩に落ちる。


 俺は目をそらし、何も言えなかった。


「さっき……払ってくれるって……言ったじゃない……」


 メイベルが俺を見る。


 アルノーは書類を整えながら、冷静に告げた。


「私には“払わない”とおっしゃいましたが?」


 メイベルは一瞬、意味が分からないという顔をした。


 次の瞬間、俺に飛びかかってきた。


「どういうことよ?! 嘘つき!

 私とこの子を、どうするつもりなのよ?!」


 泣き叫び、俺の服を掴んで揺さぶる。


 使用人たちが慌てて駆け寄り、メイベルを引き離した。


「クレインさん、落ち着いてください!」

「ここから、お引き取りを……!」


「いや! 離して! ローラン! 助けてよ!」


 メイベルは泣き叫びながら、門の外へ押し出されるように連れて行かれた。


 俺は窓を開け、門のほうを見た。


 メイベルが、必死に何かを叫んでいる。


 その場にしゃがみ込み、頭を抱えた。


 ──もう、どうにもならない。




 弁護士が去っても、まだ外からはメイベルのわめき声が響いてくる。


 俺は耳を塞ぎ、ただその場にうずくまっていた。


 頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない。


 肩を揺すられ、顔を上げる。


「何だ?」


 執事フランツが、いつもと変わらぬ冷静な表情で立っていた。


「使用人全員の辞表です」


「はあ?」


「奥様から事前に『旦那様が法衣貴族になって仕事を探しても、私が失踪したことはすぐ広まり誰も雇わないので、身分を偽って肉体労働するしかなくなる。

 給料を貰えなくなる前に逃げなさい』と言われました」


「なっ……そんなことまで見越して……。


 ……俺を見捨てるのか? こんな状態の時に。

 紹介状書いてやらないぞ!」


「奥様から、すでに紹介状を頂いております。

 “残りの給料を払わない場合は、現物を差し押さえていい“という許可証ももらっております」


 口が開いたまま塞がらなかった。


 執事は、無言で30以上の辞表をテーブルに投げ置き、そのまま出ていった。


 外から、商人たちの声が聞こえてくる。


 値踏みする声、運び出す音。


 すでに業者を手配していたのだ。


 蓄財は弁護士に渡したので、現金はない。


 だから、止めようがない。




 しばらくして音が止み、廊下に出ると──


 彫刻も花瓶も、壁飾りも、ほとんどなくなっていた。


 使用人は1人もいない。


「どうすれば……」


 腹が鳴った。


 そういえば、朝から何も食べていない。


 キッチンへ向かう。


 だが、テーブルの上は空っぽだった。


 食器も、カトラリーも、テーブルクロスも──何もない。


 パンの1欠片すら残っていなかった。


 静まり返った屋敷の中で、俺の呼吸だけがやけに大きく響いた。


 当座の現金がなければ飢える。


 商人を呼ぼうにも、もう誰もいない。


 仕方なく、使わなくなった貴金属を袋に詰め、馬に乗って街へ向かった。


 買い取り商人は、俺の爵位を見て態度を変えたが、値段は容赦なかった。


 それでも、しばらく食いつなげる程度の現金は手に入った。


 食料を買い込み、重い足取りで屋敷へ戻る。


 門をくぐった瞬間、胸がざわついた。


 ──馬車がある。


 近づくと、メイベルが俺の衣装を次々と馬車へ放り込んでいた。


 タンスごと運べないため、服だけを抱えている。


「何してる!」


 振り返ったメイベルの顔は、恐怖と焦りで歪んでいた。


「遠くに逃げるに決まってるでしょ!

 私が死んでもいいって言うの?!」


 それは、そうだが……。


「しかし……俺だって、食べていけないだろう」


「身分を隠して働けばいいでしょう!

 私は妊婦なのよ!」


 その言葉に、喉が詰まった。


 俺は黙るしかなかった。


 メイベルは、どこかで雇った御者に向かって言う。


「出して。急いで」


 御者が頷き、馬車が動き出す。


 メイベルは、最後に俺を一瞥した。


 その目には、愛情も信頼も、もう何も残っていなかった。


 馬車は屋敷を離れ、道の向こうへ消えていく。


 風だけが残り、静寂が屋敷を包んだ。


 俺は袋を抱えたまま、ただ立ち尽くした。




 家の中を確認すると、自分の部屋が荒らされていた。


 高かった舞踏会用の礼服も、宝石も、すべて消えている。


 膝が震えた。


 ──これから、どうすれば……?


 頭を抱えているうちに、外は暗くなっていた。


 腹は減らないが、買ってきた食料が腐るのは困る。


 キッチンに持っていき、料理を試みたが、悉く失敗した。


 焦げ、崩れ、味もつかない。


 涙が滲んだ。


 結局、何もついていないパンをかじるだけで終わった。




 それから着替えようとしても、服がない。


 仕方なくリネン室へ向かうと、使用人の服が数着だけ残っていた。


 俺はそれを手に取り、しばらく見つめた。


 ──もう、これしかない。


 仕方なく使用人の服を着る。


 袖が少し短く、布地も粗い。


 だが、今の俺には必要だった。




 客室や他の部屋を見て回る。


 シーツやタオル、家具はまだ残っている。


 売れば、しばらくは何とかなるかもしれない。


 少しだけ胸を撫で下ろした、その時だった。


 ガチャガチャッ──


 玄関のほうから、金属がぶつかるような音が響いた。


 誰かが入ってきた。


 心臓が跳ね、咄嗟に近くの使用人部屋へ駆け込んだ。


 薄い扉の向こうで、複数の足音が響く。


 ガタンッ、ガチャガチャッ、ドサッ──


 屋敷の中を、荒らし回る音。


 家具が倒れ、引き出しが開けられ、何かが運び出されていく。


「おい! 奥の“隠し部屋”に、先祖代々の宝があるはずだ。行くぞ!」


 息が止まった。


 当主の部屋にある隠し部屋──

 その存在を知るのは、俺とアデルだけ。


 なぜ……知っている……?


 複数の足音が、当主の部屋へ向かっていく。


「金庫の番号は……よし、開いた! 全部持ってけ!」


 背中に冷たい汗が流れた。


 暗証番号を……知っている……?


 金庫の番号を知っているのは、俺とアデルだけ。


 つまり──


 この盗賊たちは、アデルが差し向けた者たち。


 震える手で、口を押さえた。


 隙間から覗くと、盗賊たちは、先祖代々の宝を次々と運び出していく。


「急げ! 夜明け前に全部持ってくぞ!」

「奥様の言った通りだな。ここは、もう空っぽだ!」


 “奥様”という言葉が、胸を刺した。


 アデル……お前は……どこまで?


 暗い使用人部屋の隅で、俺はただ震えながら、屋敷が食い尽くされていく音を聞き続けた。


 そこへ──荒々しい声が響いた。


「おい、家主はいたか?!」

「最初から屋敷は暗かったので、帰ってないのでは?」


 使用人がいないから、灯りをつけていないだけだ。


 俺は息を殺し、薄い扉に背中を押しつけた。


「キッチンに、料理を失敗した跡がありました。

 おそらく食べに出て、そのままどこかにいるのでしょう」

「つまんねえな。

 見つけたら“殺してくれ”って頼まれたのにな」


 ぞっとする言葉が続き、同調する笑い声が重なった。


 やがて足音が遠ざかり、屋敷は静かになったが、出る勇気はなかった。




 朝になり、ようやく使用人部屋から這い出た。


 玄関の扉は、壊されていた。


 釘と板で、簡単に補修する。


 馬に乗って騎士団へ行こうとしたが──

 馬がいない。


 盗賊に連れて行かれたのだ。


 ……徒歩で、行くしかない。


 使用人服のまま、ふらふらと騎士団へ向かった。


 しかし、門前で騎士に止められる。


「平民の方は、憲兵所へ行ってください」


「……は? 私はベルトラン伯爵だぞ」


「身分証の提示を、お願いします」


 言葉を失った。


 俺の部屋には、何も残っていない。


 盗賊が机ごと持って行ったのだ。


 当然、身分証もない。


 騎士は冷たく言い放つ。


「身分証がないなら、平民扱いです。

 憲兵所へ、どうぞ」


 追い払われるように、門前から離された。


 朝の光がやけに白く、世界が遠く感じた。




 憲兵所に行くと、薄暗い室内で憲兵が椅子にふんぞり返り、面倒くさそうに羽ペンを動かしていた。


「──で、盗賊に入られたと」


「検分は? 現場を見に来てくれ」


「騎士団に書類を回して、指令が出ればしますよ」


「そんな……」


 憲兵は肩をすくめた。


「盗賊に入られて6時間以上、経ってるんでしょう?

 しかも真夜中の犯行だ。目撃者もいない。

 今から探しても無理です」


 唇が震えた。


「しかし……家の物が……全部……」


「お気の毒ですが、そういうこともあります。

 ──次の方」


 俺は絶望しながらも、椅子から立ち上がるしかなかった。




 やむを得ず不動産屋に行き、屋敷を買い取るよう頼んだが「すぐに買い手はつかない」と言われた。


 業者を連れて帰り、僅かに残った家具を買い取ってもらう。


 現金は銀行に預けた。


 食事するだけなら、2~3年は食べていける。


 とりあえず胸を撫で下ろし、居間で食事しようとした。


 その時──


 王宮から招待状が届いた。


 貴族全員参加の式典。


 欠席は“重病”のみ。


 嘘がバレれば、虚偽申告で処罰される。


 ……式典が終わるまで、寝てるしかない。


 震える手で、欠席の返事を書いた。


 だが──本来、こういう返事は“使用人が王宮に直接届ける”のが礼儀。


 郵便屋に任せるのは“無礼”とされる。


 使用人は、もういない。


 屋敷の中は静まり返り、風の音だけが響いていた。


 仕方なく、俺は使用人のフリをして王宮へ向かった。


 粗末な使用人服。

 疲れ切った顔。

 髪も整えられていない。


 王宮の門前で、門番が怪訝そうに眉をひそめた。


「……お前、どこの家の者だ?」


「ベルトラン伯爵家の……使いだ……」


 門番は、俺を上から下まで見た。


「その格好で?」


 返す言葉がなかった。


「身分証を見せろ」


 凍りついた。


 今の俺には、何もない。


「……持っていない」


「持っていない? ベルトラン伯爵家の使いが?」


 門番はもう1度、俺の顔をじっと見た。


 そして──


「……お前、ベルトラン伯爵本人だな?」


 心臓が跳ねた。


「ち、違う! 俺は──」


「嘘をつくな。

 “ベルトラン伯爵が落ちぶれて、使用人服を着ている”という噂は、もう城にも届いている」


 言葉を失った。


「ベルトラン伯爵が“使用人のフリをして欠席の届けを出しに来た”と、陛下に報告する」


 膝が震えた。


 ……終わった……。





 玉座の間は、午後の光を受けて白く輝いていた。


 高い天井、赤い絨毯、整列する騎士たち──


 その中心で俺は、ただ項垂れていた。


 身なりは控え室で整えられたため、幾分かマシになっている。


 王の声が響く。


「ローラン・ベルトラン伯爵。

 貴族としての生活を維持できない者に、貴族の称号は持たせられない。

 ──爵位を剥奪する」


 その言葉は冷たく事務的だった。


 俺は、深く頭を下げた。


「……承知しました。

 申し訳ありませんでした」


 ──すべて終わった。


 だが同時に、小さな安堵が生まれた。


 もう、誰からも“伯爵”として責められない。


 肩に乗っていた重さが、少しだけ消えた気がした。


 玉座の間を出て、長い廊下を歩いていると──


 前方に、見慣れた男が立っていた。


 妻の父、アルマン・ヴェルディエ子爵。


「これは婿どの」


 その声だけで、背筋が凍った。


 俺は震えながら立ち止まる。


「──ふん?

 謝罪する能力すら失ったか。

 なぜ私は、ゴミなどに娘をくれてやったんだろうな」


 胸が刺されるようだった。


 アルマンは続けた。


「まあ、いい。

 7年経って、死後離婚が成立したら──その時は、貴様の子供を引き取るがいい」


「……え?」


 思わず顔を上げた。


 屋敷に入れてはいけないはずでは?


「離婚すれば娘と他人になるのだから、誰と暮らそうが関係ない」


 そう言い残し、アルマンは背を向けて歩き去った。


 その姿は、冷たく、揺るぎなかった。


 廊下に1人残され、俺は呆然と立ち尽くした。


 弁護士は言っていた。


 “妊婦は出産するまで処罰できない”と。


 メイベルが逃げて生きているのか、捕まったのかは分からない。


 だが──どちらでも、子供には会える。


 その事実が胸に灯をともした。


 ……子供に……会える……!


 生きる理由が、ようやく見えた。




 俺は、日雇い労働者として働き始めた。


 使用人服のまま、土埃の舞う現場へ行き、重い荷物を運び、汗を流し、手の皮が破れても働き続けた。


 すべては──

 7年後、自分の子に会うために。






 7年分の希望を胸に、俺は裁判所に向かった。


 アデルの“死亡認定”を得て、正式に死後離婚を成立させるためだ。


 だが、必要な書面は複雑すぎた。


 素人には到底、書けない。


 弁護士を探しても、“平民が子爵令嬢と離婚”というだけで、誰も引き受けてくれなかった。


 最後に残ったのは、法外な報酬で悪名高いベルナール・グレイ。


 俺は、売れ残っていた屋敷の権利と引き換えに、彼に依頼した。


 無事に裁判所で死亡認定をもらい、教会で死後離婚の手続きを終えた。


 ──これでようやく、子供を探しに行ける。


 荷物を取りに屋敷へ戻ると、庭で騎士団が作業していた。


「な、何をしているんだ! ここは俺の──」


「止まれ。捜査中だ」


 騎士が見せたのは、王家の封蝋が押された捜査令状。


 背筋が凍った。


 騎士団は淡々と作業を続け、やがて、地中から“妻のアデル”が発見された。


 空気が変わった。


 作業員が身元確認する。


 そして──


「アデル様の遺言書に記されていた通り、遺体の胃の中から“ヴェルディエ子爵家の紋章入りの指輪”が見つかった」


 騎士の声に、膝から崩れ落ちた。


 ……アデル……お前は……最初から……この日のために……?


 騎士団員は、淡々と記録を取っている。


 俺は、震える手で顔を覆った。


 7年間──子供に会うためだけに生きてきた。


 その希望が今、壊れた。


 アデルは死んだ。


 そして、証拠は──


 7年前から準備されていた。


 声も出せず、ただ地面に手をついた。


 そこへ、複数の影が近づいてきた。


 7年前の夜、追い出した御者。


 ヴェルディエ家の弁護士アルノー。


 そして──妻アデルの父アルマン・ヴェルディエ子爵と、その息子ルシアン。


 御者は俺を見るなり、震える指で差した。


「こいつが……俺に、奥様の宝石を押しつけて『隣国へ行け』と。

『戻れば家族を殺す』と脅されました!」


 御者の持つ宝石を、弁護士が確認する。


 目録と照らし合わせ、淡々と告げた。


「一致しました。

 ローランさんは、これを“妻本人が持って行った”と、7年前に証言しましたね?」


 書類のサインを指差され、頭が真っ白になった。


「ああああああああああっ……!」


 叫び声が漏れた瞬間、ルシアンに顎を蹴り上げられた。


 騎士に腕を押さえつけられ、地面に仰向けになる。


 騎士の声が、冷たく響く。


「今回の殺人及び隠蔽工作事件は、陛下の勅命により裁判は行われない。


 お前の身柄は、ヴェルディエ子爵に引き渡す。


 また、お前の血縁4親等まで連座。同様の処分となる」


「……4親等?

 子供も……子供もか! 俺の子!」


 その叫びに、ルシアンが冷ややかに言った。


「貴様に子などいない」


「……え?」


「貴様の愛人は7年前──

 逃亡のために馬車を暴走させ、横転して即死した」


「は……嘘だ……嘘だろ……」


 ルシアンは懐から小さな懐中時計を取り出し、俺の足元へ落とした。


「これは、お前の物だろう?

 ──逃亡の時、愛人が持って行った」


 視界が揺れた。


 喉の奥から声にならない音が漏れ、地面に手をついた。


 ルシアンは淡々と、しかし容赦なく続けた。


「妹から、お前への遺言状だ」


 差し出された紙には、短い一文だけが記されていた。


 ──死んでも再婚させてあげない。


 その言葉が胸に突き刺さり、世界が崩れ落ちた。





 こうして俺と親族は、王命により鉱山へ送られた。


 そこは──かつて、アデルの持参金に含まれていた山だった。


 もし夫婦のままだったら、この鉱山の利益だけで、一生働かずに暮らせた。


 だが、今の所有者はルシアンだ。


 俺たちは“罪人奴隷”となり、事ある毎に叱責され、鞭打たれた。


 親族同士で責任を押しつけ合い、罵り合う。


 周囲の者たちも、俺たちを見下し、冷たい視線を向けた。


 逃げることも、命を絶つことも許されない。


 常に監視がつき、倒れれば治療され、また作業に戻された。


 粗末な食事を口にしながら、俺はただ遠くを見るしかなかった。


 ──もし、あの時。


 アデルを裏切らず、家を守り、愚かな選択をしなければ……。


 この山は、俺の“富”だったはずだ。


 だが今は、俺の“終わり”の場所になった。


 こうして、俺たちは鉱山で働き続けた。


 かつての栄光も、爵位も、未来も失ったまま。




□完結□





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実際の貴族のやり方っぽさが垣間見えて良かったです なろうでは平民が普通に貴族と結婚とかあるのでファンタジーぽく見てますが、やっぱり貴族はこうだよね!を再確認できて安心したwそれにしても7年待って断罪す…
い、命懸けすぎる⋯。 絶対的ロクデナシ男を此処まで追い詰められるなら、自分が生き延びる方向にシフトして華麗にザマァも余裕だったでしょうに⋯。 貴族的プライドと愛憎がぐちゃぐちゃに絡まった結果でしょうか…
これで実はメイベルが浮気してて子の父親ですら無かったとかなら、更なる地獄だな。
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