第79話 報告
5月上旬の日曜日、午後2時。
僕と母さんは、水野家の前に立っていた。
深呼吸する。手が震えている。
「大丈夫?」
母さんが心配そうに聞いてくる。
「……行こう」
千尋の両親は、おばあちゃんから既に聞いている。
あの日、僕が倒れて救急搬送された後、おばあちゃんが全て話したと聞いた。
だから今日は、正式な謝罪と、これからのことを話す場だ。
逃げない。ちゃんと向き合う。
玄関のチャイムを押すと、おばあちゃんが出てきた。
「いらっしゃい」
いつもの優しい笑顔ではなく、少し厳しい表情だった。
「お邪魔します」
居間へ案内される。すでに千尋の両親が座っていた。
千尋の父は厳しい表情で腕を組んでいる。千尋の母は心配そうな顔をしている。そして千尋は、正座して僕たちを待っていた。
重い空気が部屋を満たしていた。
僕と母さんも正座する。僕は千尋の隣に座った。向かい側には両親たち。
誰も口を開かない。
「じゃあ、始めましょうか」
おばあちゃんが静かに言った。
「健太くん、千尋、話して」
僕と千尋は頷いた。そして、深く頭を下げた。
「改めて……千尋さんを妊娠させてしまったこと、本当に申し訳ございませんでした」
既に知っている事実。でも、ちゃんと自分の口から言わなければ。
「僕の……責任です」
「二人の、責任です」
千尋が涙声で言った。
千尋の母が顔を覆った。
「千尋……」
震える声。涙がこぼれる音が聞こえた。
「おばあちゃんから聞いた時……信じられなくて……」
千尋の母が泣きながら言った。
「どうして……どうして一人で抱え込んで……」
「お母さん……ごめんなさい……」
千尋も泣いている。
「言えなくて……怖くて……」
「怖かったわよね……健太さんが倒れるまで、誰にも言えなくて……」
千尋の母の涙が止まらない。
千尋の父は、黙って座っていた。拳を握りしめたまま、何か言おうとして、言葉が出ない様子だった。
そして父は、立ち上がった。
「千尋……」
「軽率なことを……」
「あなた!」
千尋の母が夫の腕を掴んだ。
「やめて」
母は夫を睨んだ。父は言葉を飲み込んで、座り直した。拳を握りしめたまま、何も言えない。
頭を抱える父。その表情は複雑だった。
僕の母も泣いていた。
「申し訳ございません……息子が……千尋さんを……」
母が深く頭を下げる。
僕は頭を上げた。
「千尋さんと、結婚させてください」
はっきりとした声で言った。父が顔を上げて、僕を見た。
「僕たちは、この子を育てようと思います。中絶は考えていません」
千尋も頷いた。
「お父さん、お母さん」
千尋が涙を流しながら言った。
「私、産みたいの。健太さんとの赤ちゃんを。健太さんと一緒に、育てたい」
誰も何も言わなかった。時計の音だけが聞こえる。
父は座り直して、頭を抱えた。
「健太……改めて聞くわ。本当に、覚悟はできてるの?」
僕の母が聞いた。
「本気です。絶対に、責任を取ります」
「千尋……あなたも本気なのね」
千尋の母が聞いた。
「うん……産みたい。健太さんとの赤ちゃん」
「まだ18歳なのよ……お母さん、何度考えても心配で……」
千尋の母が涙を拭う。
「……筑波大学は?」
父が低い声で聞いた。
「一年、延期します」
「今年は受けないのか」
「はい。今は、千尋さんと赤ちゃんが最優先です」
父は何も言わず、大きくため息をついた。
おばあちゃんが、ゆっくり口を開いた。
「二人とも、本気なのね」
「はい」
僕と千尋が答える。おばあちゃんは深く息を吐いた。
「あなたの気持ちも分かるわよ」
おばあちゃんが父に向かって言った。
「娘が妊娠した。誰を責めたらいいか分からない」
父は黙って聞いている。
「でもね、もう起きてしまったことなの。健太くんは、この家を助けてくれた。二人は真剣に付き合ってる。そして今、赤ちゃんができた」
「怒っても、変わらないわ」
おばあちゃんが僕を見た。
「健太くん」
「はい」
「千尋を幸せにできる?」
「はい。必ず」
「千尋、後悔しない?」
「しません。健太さんと一緒なら」
おばあちゃんは二人を見て、小さく頷いた。
「じゃあ、決定ね」
そして父を見た。
「二人が決めたことよ。私たちは、支えることしかできない」
父は深くため息をついた。
「……お前たち、覚悟はできてるんだな」
「はい」
「簡単じゃないぞ」
父は長い沈黙の後、千尋を見た。
「千尋」
「はい」
「お前、本当に覚悟はあるのか」
「あります」
千尋がはっきりと答えた。
「健太さんと一緒なら私、頑張れます」
父は目を閉じた。
「……正直、怒ってる。がっかりもした。お前にはもっと違う人生があったはずだ。本当はもっと家族で一緒に過ごしたかった。でも……」
父が千尋を見た。
「お前がそこまで言うなら、父さんは応援するしかない」
千尋の母が言った。
「千尋……本当に、大変なのよ」
「出産も、育児も、想像以上に」
「分かってる。でも……」
千尋の母は深く息を吐いた。
「分かったわ」
「お母さん、手伝うから」
「一緒に、頑張りましょう」
千尋が母に抱きついた。二人で泣いている。
「健太、お母さんも応援するわ」
僕の母が言った。
「しっかりやりなさいよ」
「ありがとう、お母さん」
涙が溢れた。
「で、いつ入籍するんだ?」
父が聞いた。
「千尋さんが18歳になったら、すぐに」
「それまでは?」
「事実婚の形で」
「出産はいつ頃?」
おばあちゃんが聞いた。
「12月頃の予定です」
千尋が答える。
「じゃあ、準備しないと」
千尋の母が言った。みんなで具体的な計画を立て始める。
「僕、アルバイトを始めます。水野屋のメンテナンスも続けます」
「無理するなよ」
父が言った。
「大丈夫です。やります」
「私も、できることはする」
千尋が言った。
「家のこと、手伝う」
「無理しちゃダメよ」
母が心配そうに言った。
「うん」
話し合いが終わり、僕と母さんは帰ることにした。
玄関で千尋と少し話す。
「終わりましたね」
「ええ」
「でも、言えて良かったです」
「はい」
母さんと並んで歩く。
「健太、よくお義父様とお義母様に言えたわね。立派よ」
「ありがとう、お母さん」
「これから大変よ」
「うん、分かってる」
両家に報告した。
怒られた。泣かれた。当然だ。
でも、受け入れてもらえた。応援すると言ってもらえた。
家族がいる。支えてくれる人たちがいる。
一人じゃない。
これから、大変だろう。苦しいだろう。
でも、やる。
千尋さんと、赤ちゃんと、三人で幸せになる。




