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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第69話 バレンタインの和菓子

 あの日、千尋さんと将来について話し合ってから、僕たちはそれぞれの家族に進路の相談をした。


 僕は母さんに、筑波大学の情報学群を目指したいこと、千尋さんと同じ大学で、お互いの専門性を高め合いたいことを伝えた。母さんは優しく微笑んで言ってくれた。


「健太が自分で決めたことなら、お母さんは応援するわ。好きなように頑張りなさい」


 千尋さんも、水野屋のご家族に経営学を学びたいと相談したそうだ。おばあちゃんもご両親も、千尋さんの決断を前向きに受け止めてくれたらしい。


「千尋の好きなようにやってみなさい。応援してるから」


 そう言ってもらえたと、千尋さんは嬉しそうに報告してくれた。


 それから、僕は受験勉強に本腰を入れ始めた。卓也さんに言われた通り、受験勉強7割、技術学習3割のバランスで。参考書と向き合う日々。模試の結果を分析して、弱点を潰していく。


 千尋さんも同じように頑張っていた。LINEでは、お互いの勉強の進捗を報告し合った。時には励まし合い、時には息抜きの話もして。


 そんな忙しい日々の中、気づけば2月も中旬になっていた。


 そして今日は2月14日。バレンタインデー。


 今年のバレンタインデーは土曜日で、千尋さんとデートに行く約束をしていた。


 ◆


 バレンタインデーの朝、僕は目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋を優しく照らしている。今日は千尋さんとのデートする約束の日だ。


 ベッドから起き上がり、カレンダーを見つめる。赤い丸がついた日付。自分でつけた印だった。


 階段を降りると、母さんがキッチンで朝食の準備をしていた。


「おはよう、健太」


「おはよう」


 テーブルに座ると、母さんがトーストと目玉焼きを置いてくれた。


「今日はバレンタインデーね。千尋ちゃんとデート?」


 母さんの言葉に、思わず頬が熱くなる。


「うん。駅前で待ち合わせ」


「そう。楽しんできなさい」


 母さんは微笑みながら、自分の分のトーストを焼き始めた。


「そういえば健太、今日はね、私、泊まりの仕事で明日の昼まで帰ってこられないの」


「ふーん?」


「ええ。急な出張が入っちゃって。夕飯は冷蔵庫に用意しておくから、温めて食べてね」


「わかった。気をつけてね」


「ありがとう。じゃあ、いってらっしゃい」




 駅前の待ち合わせ場所に着くと、千尋は既にそこにいた。


 今日の千尋は、淡いピンクのコートを着ている。髪は後ろで一つに結んでいて、いつもより大人っぽく見えた。


「千尋さん、おはようございます」


「おはようございます、健太さん」


 千尋は少し緊張した様子で微笑んだ。


「あの……これ」


 千尋が差し出したのは、綺麗にラッピングされた小さな箱だった。淡いピンクのリボンがかけられている。


「バレンタインなので……チョコレートではないんですけど」


「ありがとうございます」


 僕は箱を受け取り、丁寧にリボンをほどいた。包装紙を開けると、中から艶やかな茶色の和菓子が現れた。


「チョコレート饅頭なんです」


 千尋の説明に、僕は感嘆の声を上げた。確かに、外見はまるでチョコレートのような色と艶。でも、これは間違いなく和菓子だ。


「すごい……本当にチョコレートみたいです」


「中身は特製のあんこなんです。ココアを練り込んでみました」


 一つ手に取り、一口食べてみる。


 口の中に広がったのは、優しい甘さと、かすかなチョコレートの風味。でも、和菓子特有の優しさも失われていない。


「美味しい……本当に美味しいです」


「良かった」


 千尋が安堵したように微笑む。


「実は何度も試作したんです。ココアの量とか、あんこの練り方とか……」


「千尋さんが作ってくれたものが一番美味しいです」


 僕の素直な感想に、千尋は嬉しそうに頬を染めた。


「健太さんに喜んでもらえて良かったです」


 その笑顔を見て、僕の胸は温かくなった。バレンタインデーに、千尋がこんなに心を込めてプレゼントを作ってくれた。それだけで、今日は特別な日になる。




 カフェでお茶を飲みながら、僕たちは色々な話をした。


「受験勉強、順調ですか?」


 千尋の質問に、僕は頷いた。


「はい。卓也さんに言われた通り、受験勉強と技術習得をいいバランスでやってます。技術習得にたまに夢中になってバランスがおかしくなっちゃうこともありますが」


「偉いですね」


「千尋さんは?」


「私も、頑張ってます。勉強は授業以外はほとんどやってこなかったので、受験対策という意味では初めてで色々戸惑ってます……」


「一緒に頑張りましょう」


 筑波大学。二人の共通の目標。そこに向かって、二人で努力している。そう思うと、胸が熱くなる。


 カフェを出た後、僕たちはショッピングモールを散策した。


 書店では、参考書を見たり、お互いに面白そうな本を紹介し合ったり。雑貨店では、ちょっとしたプレゼントを探したり。


 手を繋いで歩く。何気ない会話が楽しい。バレンタインデーという特別な日を、千尋と過ごしている。


「健太さん、写真撮りませんか?」


 千尋の提案で、僕たちはカフェの前で写真を撮った。セルフタイマーをセットして、二人で並ぶ。


「はい、チーズ」


 シャッターが切れる音。写真の中の僕たちは、幸せそうに笑っていた。




 午後3時頃、空が曇り始めた。


「あれ、天気予報では晴れだったのに」


 僕がそう言うと、千尋も空を見上げた。


「雨、降りそうですね」


 その言葉通り、ポツポツと雨が降り始めた。


「傘、持ってきてないです……」


 千尋が困ったように言う。僕も同じだった。


「千尋さん、家まで送りますよ」


「でも健太さんの家の方が近いですよね」


 雨が本降りになり始める。


「一度健太さんの家で雨宿りさせてもらってもいいですか?」


「もちろんです。急ぎましょう」


 僕たちは雨の中を走り始めた。




 息を切らしながら、僕の家に到着した。


 二人ともずぶ濡れ状態だ。


「ごめんなさい、濡れちゃって」


 千尋が申し訳なさそうに言う。


「大丈夫です。タオル持ってきますね」


 玄関で靴を脱ぎ、リビングに入った瞬間、テーブルの上に置かれた紙が目に入った。


 母さんからの書き置きだ。


『今夜は泊まりの仕事で明日の昼まで帰りません。夕飯は冷蔵庫に用意してあります。健太』


 朝、母さんが言っていたことを思い出す。そうだった、今日は母さん、泊まりだったんだ……


 千尋と顔を見合わせる。


 二人きり。


 この家に、僕たち二人だけ。


 静寂の中、心臓の音が聞こえそうだった。千尋も同じように緊張しているのか、少し頬を染めている。


「千尋さん、風邪引いちゃうから……着替え、貸します」


「ありがとうございます」


 僕は千尋にタオルと着替え(母さんの服)を渡した。


「浴室で着替えてください」


 千尋が浴室に向かうのを見送ってから、僕も自室で着替えた。




 しばらくして、千尋がリビングに戻ってきた。


 母さんの少し大きめのセーターを着た千尋。いつもと違う、家庭的な雰囲気。それが妙に新鮮で、僕はドキドキしていた。


 リビングで向かい合う。


 窓の外、雨は降り続いている。


 言葉少なに、お互いを見つめ合う。


 千尋から静かに声がかかった。


「……健太さん」


「はい」


「今日は…その……」


 言葉を探している千尋。


 僕も勇気を出して言った。


「……千尋さん、今日は……泊まっていきますか?」


 千尋は少し驚いたように目を見開いた。でも、すぐに静かに頷いた。


「……はい。泊まっていきます」


 その返事を聞いて、僕の心臓は激しく鳴り始めた。


 窓の外の雨音だけが響く。




 時計を見ると、もう夕方だった。


「お腹、空きましたね」


 千尋の言葉に、僕は頷いた。


「母さんが用意してくれた夕食、温めますね」


 冷蔵庫を開けると、カレーとサラダが入っていた。


「お母様、気が利きますね」


 千尋が微笑む。


「私も手伝います」


「ありがとうございます」


 二人でキッチンに立つ。千尋が手伝ってくれる。


 鍋にカレーを移し、火にかける。千尋がサラダを盛り付けてくれた。


 一緒にカレーを温め、食卓に並べる。


 向かい合って座り、食事を始めた。


 少し緊張した空気。でも、いつもの二人の会話もある。


「このカレー、美味しいですね」


「母さんの十八番ですね。昔から、これを食べると落ち着くんです」


 今日のデートの思い出を話したり、チョコレート饅頭の話をしたり。


 でも、時々訪れる沈黙。


 その沈黙も、心地よかった。


 食事を終え、二人で食器を洗う。


 並んで立つキッチン。僕が洗い、千尋が拭く。


 まるで新婚夫婦のようだ、と僕は思った。千尋も同じことを思っているのか、頬を染めている。


「こうやって二人で家事をするの、初めてですね。和菓子はウチでよくしてますが、ご飯は……前回はお母様もいらっしゃいましたしね。でも……悪くないです」


「僕もなんか幸せな気分です」


 千尋の微笑みを見て、僕の胸は温かくなった。




 食器を片付け終わり、リビングへ戻った。


 窓の外、雨は降り続いている。でも、少し小降りになってきた。


 二人、ソファに座る。


 しばらく沈黙。


 僕は決心した。


「千尋さん」


「はい」


「僕の部屋で……もっとゆっくりしませんか?」


 千尋は少し驚いた表情を見せた。でも、すぐに優しく微笑んだ。


「はい」


 静かに頷く千尋。彼女の頬はこころなしか染まっていた。


 僕の心臓が激しく鳴る。


 二人は、立ち上がり、階段を上がり、僕の部屋へ向かう。外はまだ雨が降り続いている。




 ──二人きりの、長い夜が始まろうとしていた。


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