第64話 冬休みの成果報告
新年も三が日が過ぎ、いつもの平穏が戻りつつあった1月4日。僕は山田の家を訪れていた。
用があるのは山田ではなく、山田の兄、卓也さんだ。
正月の挨拶を兼ねて、この冬休みに取り組んだ技術学習の成果を報告するためだった。
玄関先で山田と顔を合わせた。
「あけおめ、健太」
「こちらこそ、あけおめ。今年もよろしく」
「お前年始から、彼女のためとはいえ、ホント頑張るよな。あの気難しい兄貴と継続的にやってけるんだからすげーわ。頭上がらねーぜ。兄貴が部屋で待ってるよ」
山田が苦笑いしながら言った。どうやら卓也さんの厳しさは家族にも知れ渡っているようだ。
卓也さんの部屋に案内されると、彼は少し面倒くさそうな表情で迎えてくれた。
「ああ、あけおめ。で、冬休みは何か進歩した?」
リビングに通されながら、僕は少し緊張しつつ答えた。
「はい、かなり頑張りました。冬休みはほぼ全部技術の勉強に充てたんです」
千尋といるとき以外は、と心の中で補足する。
「ふーん。具体的には何をやった?」
コーヒーを淹れてもらいながら、僕は冬休みの成果を整理して話し始めた。
「まず、Linuxの基本操作をかなり覚えました。コマンドラインでファイル操作とか、基本的な操作は一通り覚えたと思います」
Linuxは、WindowsやMacとは違うオペレーティングシステムで、マウスではなく主にキーボードで文字コマンドを入力して操作する。いわゆる「黒画面」と呼ばれるターミナルに文字を打ち込んで、コンピューターに指令を出すのだ。ついに自分もあの黒画面で操作できるようになったと思うと、不思議と浮足立つような気持ちになった。最初は慣れなくて苦労したが、慣れてくると普通のパソコンより効率的に操作できるようになった。多くのWebサーバーでLinuxが使われているため、Web開発には必須の技術だ。
「WSL2でローカルでWebサーバーを立ち上げもやってみました。localhostにちゃんとアクセスできましたよ」
「まあ、そうだね。実際に動かしてみるのが一番覚える」
うんうん、と頷く卓也さん。
「それで、AWSの無料枠でも実際にWebサーバーを構築できました」
AWSは、Amazonが提供しているクラウドサービスだ。今まで僕が使っていたのは自分のパソコンにサーバーを立てる方法だったが、それだと自分のパソコンの電源を切るとウェブサイトが見られなくなってしまう。しかし、AWSを使えば、24時間365日稼働し続け、世界中どこからでもアクセスできるウェブサイトを構築できる。
以前使っていたFTPサーバーは、単純にファイルをアップロードするだけのものだった。一方、AWSは仮想的なコンピューター全体を借りているようなもので、そこに自分でLinuxをインストールし、Webサーバーソフトウェアを設定し、データベースまで構築できる。まさに「クラウド上に自分専用のコンピューターを持つ」ような感覚だ。
僕がやったことを説明しつつ、AWSの自分なりの理解を説明したところ、卓也さんの表情が少し関心を示したように見えた。
「へえ、それは頑張ったな。初心者がAWSでサーバー立てるのって、最初は結構ハードル高いんだが、ツッコミどころはあるものの、よく理解してるよ」
僕は得意げに頷いた。でも、次に思い出したのは、あの恐怖体験だった。
「ただ……一つ、とんでもない失敗をしたんです」
「何だ?」
「AWSの設定で、無料枠を超えてしまったかもしれないと思って……請求画面を見たら、びっくりするような金額が表示されていたんです」
卓也さんは「ああ」という顔になった。
「で、どうした?」
「真っ青になって、慌てて全部のサービスを停止して……後で調べたら、実際は無料枠内での利用だったんです。請求画面の見方を間違えていただけで」
卓也さんは少し苦笑いした。
「それはAWSあるあるだな。俺も最初の頃、同じことで一晩中心配して眠れなかったことがある」
「本当ですか?」
「AWSの請求画面は分かりにくいからな。まあ、実際にそういう体験をすると、逆に課金の仕組みとか注意点がよく分かるようになる」
少し安心した気持ちで、僕は続けた。
「TypeScriptとNodeについても勉強したんですが……こっちはむちゃくちゃ苦戦しました、というか現在進行中で大苦戦してます」
「どんなところで?」
「PropertyとかオブジェクトのTypeScript的な考え方が、どうしても理解できなくて。Reactのコンポーネントとpropsの概念も、頭では分かった気になるんですが、実際に書こうとすると手が止まってしまうんです」
「そりゃ当然だ。JavaScriptとTypeScriptの違い、ブラウザとNodeの実行環境の違い、そこにReactの概念も加わるんだから、混乱して当たり前」
卓也さんは淡々とした口調で答えた。
「まあ、実際にサーバー立てたのは悪くない。React+TypeScriptは最初そこで躓くのが普通だから、焦ることはない」
僕は少しほっとした。でも、卓也さんの次の質問で、その安心感は一気に消え去った。
「ところで、健太。さっき冬休み、ほぼ全部技術の勉強に割り当てたって言ってたが、受験勉強はどうなってる?」
「え……あー、まあ……」
僕は言葉を濁した。正直に言えば、この冬休み、受験勉強らしい受験勉強はほとんどしていなかった。技術の学習が面白くて、つい夢中になってしまい……
「まさか、技術の勉強ばかりで、受験勉強はおろそかになってるんじゃないだろうな?」
卓也さんの表情が明らかに厳しくなった。
「あー……実は、そうなんです。技術の方が面白くて、ついそっちばかり……」
「健太、それはダメだ」
卓也さんの声に、冷たい響きが混じった。
「大学受からないと、技術も水野屋さんの……えーっと彼女的にもよくないだろ」
その言葉に、僕は背筋が凍るような思いがした。一浪して千尋と学年が変わるなんて、絶対に嫌だ。
「プログラミングの学習は悪いことじゃない。だが、今のお前にとって一番大切なのは大学受験だ」
卓也さんは少し間を置いてから、続けた。
「プログラミングを現実逃避の手段にするな」
その指摘は、僕の胸に深く刺さった。確かに、受験勉強の大変さから逃げるように、技術学習に没頭していた部分があった。
「なんて偉そうに説教してる俺もな、受験生の時、同じような失敗をした」
卓也さんの表情が少し和らいだ。
「受験勉強が嫌になって、ゲームに逃げた時期があった。結果、あとでかなり追い詰められて、今でも後悔してる」
「そうだったんですか……」
「お前は技術に向いてるし、将来性もある。だが、まずは大学に入ることが最優先だ。千尋ちゃんのためにも、ちゃんと大学生になれ」
卓也さんの言葉に、僕は深く頷いた。
「技術の学習を完全にやめろとは言わない。バランスの問題だ」
「バランス……ですか?」
「受験勉強7:技術学習3くらいの比率にしろ。技術も続けるが、メインは受験勉強だ」
その提案は、現実的で実行可能に思えた。
「それなら、できそうです」
「受験が終わったら、思う存分技術の勉強ができる。大学に入れば、もっと本格的なことも学べるし、仲間も見つかる」
僕は新年の決意を固めた。
「分かりました。今年は受験勉強をメインに、技術は補助的に続けていきます」
「それでいい。千尋ちゃんとも、受験のことを意識した付き合い方をしていけ」
卓也さんの助言に、僕は心から感謝した。技術学習に夢中になって、一番大切なことを見失いそうになっていた。でも、こうして現実に引き戻してもらえて良かった。
「ありがとうございます。卓也さんのおかげで、また頑張れそうです」
「まあ、頑張れ。お前の受験、一応応援してやるから」
その日帰り道、僕は新年の抱負を改めて心に刻んだ。大学合格。それが今年の最優先事項だ。技術も千尋も、全てはそれからだ。
冬の夕日が電車の窓を照らしながら、僕は新しい年への決意を胸に、家路についた。




