第56話 特別な夜
「健太さん、JavaScriptのフォーム、ついに完成しました!」
「本当ですか!?」
千尋は飛び跳ねるほど嬉しそうに反応してくれた。
家族はみんな買い物に出かけているようで、水野屋には僕たち二人だけだった。
いつもと同じく、千尋の部屋で過ごしていた。千尋は僕の隣にぴったりと座って、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
「健太さん……すごい、本当にすごいです!」
思わず僕の腕にしがみついてくれる千尋。
「実は……卓也さんからも認めてもらえたんです」
「あの厳しい方からですか!?」
千尋の目が輝いた。
「はい。『まあ、やっと宿題完成だな』って言われました」
「それって……一見褒めてなさそうで、実際はすごく褒めてるってことですよね?」
「そうなんです!さらに『本格的に面倒をみてやろう』とも言ってもらえて」
「健太さん、本当にすごいです!」
千尋は嬉しそうに目を輝かせた。
「でも……年末の納品で忙しいから、年明けまで待てって」
「年明け……それまで健太さんと……」
千尋はちょっと嬉しそうな表情を見せた。
「ここしばらく忙しくて千尋となかなかお話できなかったですよね。」
「あ、いえ……」
千尋は少し赤くなった。
「健太さんの頑張りをみて、私も応援しないとなって思い見守ってました。
それと──」
「それと?」
「私も負けてられないと思って、和菓子作りとSNS活動がんばりました!
そうそう!これ、見てください。私も写真、うまくなってきたんですよ?」
千尋はスマホを取り出した。
「おお!プロの写真みたいです。なんか以前と比べてぐっと引き込まれる写真になった気がしますね。すごい──
でも一体何が変わったんです?良くなったのはわかりますが、具体的に何が変わったから良くなったのかが全然わからないです」
本当にすごい。以前の千尋の写真も綺麗だったけれど、この写真は見ているだけで引き込まれる。まるでその場にいるような臨場感がある。
胸を張って千尋が答える。こころなしかうれしそうだ。
「構図辞典っていう本を買って、勉強したんです。より魅力的に写真を魅せる写真の撮り方を学びました」
「構図、ですか」
首を傾げていると、千尋が最近撮った和菓子の写真を見せてくれた。
「この写真は三分割構図で撮ったんです」
「三分割構図?」
「はい、こんな風に……」
千尋は手近にあった紙に、さらさらと四角形を描いた。
「写真を縦横三等分に分けて、この交点に大事なものを置くんです」
千尋の指が紙の上を滑って、左下の点を指す。
「ここに和菓子を置いて……」
今度は右上を指差す。
「ここに紅葉を配置したんです。そうすると、見てる人の目が自然に動いて、まるで物語を読んでるみたいになるんですよ」
「物語……ですか?」
「はい!見る人に『秋の午後に、お庭を眺めながらこの和菓子をいただく』みたいな情景を想像してもらえるように」
「おお、なるほど」
僕は感心した。確かに、写真から情景が浮かんでくる。
「でも以前の写真も綺麗だったと思うんですが……」
「ああ、それなんです」
千尋は別の写真を見せてくれた。
「これが以前撮った写真。和菓子が画面の真ん中にぽつんと……」
「あ、確かに印象が違いますね」
「そうなんです。これだと和菓子しか見えなくて、背景の紅葉があまり気にならないでしょう?」
言われてみれば、その通りだった。綺麗だけれど、どこか物足りない。
「でも三分割構図だと、和菓子も紅葉も両方がちゃんと目に入ってきます」
「すごいな……同じ材料なのに、こんなに違って見えるなんて」
「そうなんです!日の丸構図だと、『ただ和菓子があります』っていう説明写真になっちゃうんです。でも三分割構図なら、『この和菓子にはこんな背景やストーリーがあります』って伝えられるんです」
千尋は別の写真を見せてくれた。
「こっちは対角線構図です。和菓子を斜めに配置することで、動きが出るんです」
「動きが出るって……ああ、確かに!この写真、見ていて視線が自然に流れていく感じがします」
僕は感心して言った。同じ和菓子でも、撮り方ひとつでここまで印象が変わるなんて。
「この季節の和菓子は三角構図にしました。安定感があって、和菓子の上品さが表現できるんですよ」
「三角構図……なるほど、確かに安定感がありますね。見ているだけで上品な気持ちになります」
「確かに見栄えが全然違いますね。構図が違うだけでこうも印象が変わるですね……」
「でしょう?構図ってすごく面白くて……」
「千尋さんも本格的に勉強されてたんですね」
「はい!本当は焦点やぼかし具合とか、画角とかそういうのにもっとこだわりたいんですが、スマホだと限界があってできないんですよね。一眼レフっていうカメラが必要なんですけど、お高いんです」
「高いってだいたいいくらくらいなんです?」
「入門機で25万とか……」
「にじゅう──」
それはとてもじゃないが高校生が手を出せない額だ。
「まあ、カメラの件はいいんです。SNSに投稿する文章や写真の構図の試行錯誤、それに、システムのおかげでお客様が増えて……忙しくて、その……」
「その?」
「寂しさを紛らわせることができました」
千尋は小声で、はにかみながら言った。
「忙しさにかまけて、千尋さんを寂しい思いをさせてしまってごめんなさい」
「ううん、私も健太さんが頑張ってる姿を見てるのが嬉しかったんです」
僕たちはお互いを見つめ合った。千尋の頬がほんのり赤くなっている。
技術の話をしていたはずなのに、いつの間にかこんな雰囲気になっていた。
「でも……」
千尋が小さくつぶやいた。
「でも?」
「やっぱり寂しかったです」
千尋の正直な言葉に、僕の胸がキュッと締め付けられた。
外から聞こえていた車の音も、いつの間にか止んでいる。
「静かですね」
「今日はみんな出かけてるんです……二人きり、ですね」
千尋は少し恥ずかしそうに言った。
「はい……」
僕もドキドキしながら答えた。
「こんな風に二人だけでいるの……久しぶりです」
「そうですね」
僕は優しく千尋の頬に手を添えた。
「健太さんの手……温かい」
千尋は囁くように言って、そのまま手のひらに頬を寄せた。
「健太さん……言いたいことがあります」
「何ですか?」
「私……本当は寂しかったです。もっともっと、甘えたかったです」
「千尋さん……ごめんなさい」
「ううん、そうじゃなくて」
千尋は僕の顔に近づいてきた。そして……キスをしてくれた。
「今甘えさせてください」
最初は優しく唇を重ねるだけだった。でも徐々に、お互いの気持ちが高まっていく。
これまでも隙を見てはキスをしていた。でもこんなに長く、深いキスをしたのは初めてだった。
千尋が僕の唇をそっと開いて、より深いキスを求めてくる。僕も千尋の要求に応えた。
長く、深く、愛情たっぷりのキス。時間を忘れて、お互いを求め合った。
キスの後、額を合わせてじっと見つめ合った。千尋の頬が真っ赤に染まっている。
「健太さん……」
千尋が小さく囁いた。
僕は無言で手を、千尋の背中に回した。千尋も僕に身を寄せてくる。
「千尋さん……」
僕は千尋を優しく抱きしめた。千尋の鼓動が僕の胸に伝わってくる。僕の鼓動も激しく打っていた。
「健太さんの心臓……ドキドキしてます」
「千尋さんのも……すごくドキドキしてる」
僕たちは抱き合ったまま、お互いの温もりを感じていた。千尋と触れ合う肌、布ごしに伝わる柔らかな感触……すべてが愛おしかった。
千尋からほのかに香る千尋の匂い。僕の腕の中で小さく震える千尋の体温。屋内で、しかも千尋の寝室で、千尋を感じたのは初めてだった。
千尋の髪が僕の頬に触れる。ふわりと柔らかく、ほんのりと甘い香りがする。僕の腕の中にすっぽりと収まる千尋の小さな体が、とても愛おしい。
(千尋……)
僕の心臓が激しく鳴っている。千尋にも聞こえているだろう。
千尋が僕の胸により深く顔を埋める。僕のシャツ越しに伝わる千尋の息遣いが、くすぐったくて温かい。
「健太さん……温かいです」
千尋が小さくつぶやく。その声が少し震えている。
「千尋さんも……とても温かい」
僕は千尋をより強く抱きしめた。千尋の背中の線が僕の腕の中にはっきりと感じられる。
しばらくそのまま抱き合っていると、千尋がそっと顔を上げた。僕たちの視線が近い距離で交わる。
「健太さん……」
千尋の瞳が潤んでいる。頬が桜色に染まって、唇がわずかに震えている。
僕は千尋の頬にそっと手を添えた。千尋の肌がとても柔らかく、温かい。
「千尋さん……綺麗です」
「健太さん……」
千尋が僕の手に自分の手を重ねる。千尋の手も少し震えている。
気がつくと、僕の手が千尋の服の裾に触れていた。
千尋がビクッと身を震わせる。でも、僕の手を払いのけようとはしなかった。
(このまま……いいのかな)
僕の心の中で理性と感情がせめぎ合っている。千尋を愛しく思う気持ちと、彼女を大切にしたいという気持ちが複雑に絡み合う。
僕は千尋の目を見つめた。千尋も僕を見つめ返している。
「千尋さん……怖くない?」
千尋が小さく首を振る。
「健太さんとなら……大丈夫です」
その言葉に、僕の胸が熱くなった。
千尋の呼吸も少し荒くなっている。僕の胸に顔を埋めたまま、小さく息づいている。
僕の手がゆっくりと千尋の服に触れる。薄い布越しに伝わる千尋の肌の温かさ。千尋の体が小さく震える。
千尋が僕を見上げる。その瞳には信頼と、少しの不安と、そして愛情が混じっている。
「千尋さん……」
「健太さん……」
僕たちの顔が近づいていく。千尋の吐息が僕の肌に触れる。
千尋の息が止まる。僕の指先が千尋の肌に触れそうになる。
(大丈夫……?)
僕が心配そうに見つめると、千尋がかすかに頷いた。
僕の理性が完全に飛んでしまいそうになる。
僕は慎重に、ゆっくりと裾を持ち上げる。千尋の白い肌が少しずつ見えてくる。
千尋が目を閉じて、僕に身を委ねる──
そのとき、外でガタンという音がした。
「あぁ、おばあちゃんが帰ってきたみたい」
千尋は慌てて僕から離れた。
ふたりとも顔が赤い。流石の千尋も緊張していたようだ。
またお預けになってしまった。今日はかなりいいところまでいったのになんでこういうときばっかり!!!




