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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第47話 支え合う心──千尋視点──

 健太さんの家から戻り、寝室に入った。


 昨夜、健太さんのお母様との会話を思い返している。


『健太のお父さんは、健太が10歳の時に交通事故で亡くなったの。それからあの子、すっかり遠慮がちになってしまって』


 お母様の悲しそうな表情が忘れられない。


『本当は甘えたい年頃なのに、私を支えなければって、一人で背負い込んでしまって』



 私は健太さんとの思い出を振り返っていた。


 **初めて出会った時のこと。**


 あの春の朝、電車で健太さんにぶつかってしまった。私は慌てて「すみません」と謝ったけれど、健太さんは「大丈夫です」と言って、小さく微笑んでくれた。


 あの時の健太さんの表情を思い出すと、確かに丁寧すぎるほど丁寧だった。普通なら「大丈夫」だけで済むところを、きちんと「大丈夫です」と敬語で答えてくれて。


 そして何より、その後すぐに距離を取ろうとしていた。私がまた近づいてしまわないように、さりげなく一歩下がって。


 私はあの時、「優しい人だな」と思った。でも今思えば、それは優しさだけじゃなくて、遠慮だったのかもしれない。


 **初めての会話も、そうだった。**


 電車の遅延で困っていた時、私は思わず「参りましたね」と呟いてしまった。独り言のつもりだったのに、健太さんは遠慮がちに「本当に…遅刻しそうですね」と答えてくれた。


 あの時の健太さんの声は小さくて、まるで私に話しかけていいか迷っているようだった。私が一人で困っているのを見かねて声をかけてくれたのに、自分から話しかけたことを申し訳なく思っているような。


 私は嬉しかった。初めて健太さんと会話ができて、同じ悩みを共有できて。でも健太さんは、きっと「余計なことを言ってしまったかな」って思っていたんだろう。


 **夏休みの、あの初めてのLINE。**


「千尋さん、お疲れさまです。お店のお手伝い、大変ですか?」


 今思えば、なんて丁寧なメッセージだったんだろう。私たちはまだ高校生なのに、まるでビジネスメールのように「お疲れさまです」から始まって。


 普通の男子高校生なら「元気?」とか「どう?」とか、もっとカジュアルに送ってくるはず。でも健太さんは違った。私に対して、常に敬語で、常に丁寧で。


 私はあの時、健太さんの真面目さに好感を持った。でも実は、健太さんは私との距離を測りかねていたのかもしれない。どこまで親しくしていいのか分からなくて、だから一番安全な「丁寧語」を選んだのかも。


 **水野屋に初めて来てくれた時も。**


「お邪魔します」「すみません、お忙しい時に」って、玄関に入る前から何度も何度も謝って。


 おばあちゃんも私も、健太さんを家族のように歓迎していたのに。「健太君」って呼んで、お茶を出して、まるで孫のように接していたのに。


 それでも健太さんは「恐縮です」「ありがとうございます」「お世話になります」って、ずっと謙遜ばかり。


 私はあの時、「なんて礼儀正しい人なんだろう」って思った。でも今思えば、健太さんは居心地悪かったのかもしれない。こんなに良くしてもらっていいのか、自分はそんな価値のある人間なのか、って。


 **ウェブサイトを作ってくれた時も。**


 あんなに素晴らしいホームページを作ってくれたのに「僕なんかが」「差し出がましいようで」って、自分を卑下してばかり。


 私もおばあちゃんも感動していたのに、健太さんは「まだまだです」「もっと勉強します」って、自分の成果を認めようとしなかった。


 私はあの時、健太さんの謙虚さに感心した。でも実は、健太さんは本当に「僕なんか」だと思っていたのかもしれない。自分には価値がない、だからこんなに褒めてもらう資格がない、って。


 **Instagram開設を手伝ってくれて、海外からいいねが来た時も。**


 あの時の私の驚きと感動を覚えている。「アメリカやフランスの方が見てくださってる!」って興奮していたのに、健太さんは「たまたまです」「僕は何もしてません」って。


 AIDMA理論を教えてくれて、ハッシュタグの使い方を教えてくれて、写真の撮り方まで指導してくれたのに。全部健太さんのおかげなのに、手柄を認めたがらない。


 私はあの時、健太さんの控えめさに好感を持った。でも今思えば、健太さんは本気で「僕は何もしてない」と思っていたのかも。自分の貢献を、価値のないものだと思い込んでいたのかも。


 **そして、あの告白の時だって。**


「僕なんかが千尋さんのような素敵な人を好きになるなんて、おこがましいですが」


 私はあの時、健太さんの謙虚さに心を打たれた。でも実は、健太さんは本当に「僕なんか」だと思っていたんだ。自分は愛される価値のない人間だと、心の底から信じ込んでしまっていたんだ。


 全部、全部繋がった。




 健太さんの全ての謙遜、全ての自己卑下は、お父さんを失った傷から来ていたんだ。お父さんを失って「自分は愛される価値がない」と思い込んでしまったのかもしれない。


 あの控えめな態度も、全部心の防御だったのね。


 恋人になっても、健太さんはまだ遠慮している。


 遠慮をしている?それはそうかもしれない。


 でも、じゃあ私は?


 私は彼にちゃんと真摯に向き合っているのだろうか?


 私は待っていたら正解なのか?


 そうじゃない、遠慮している彼に私から向き合わないと。


 私から心を開かないと。


 ◆


 朝の電車で健太さんを見つけた時、私の心は昨夜のお母様との会話でいっぱいだった。


「おはようございます」


「おはよう、千尋さん」


 健太さんはいつものように優しく微笑んでくれる。


 でも私には見えてしまう。いや、見えるようになってしまった。


 あの控えめな表情の奥にある、何かを抱え込んでいるような影が、昨夜の健太さんのお母様から聞いたお話で見えるようになってしまったのだ。


 電車の揺れで健太さんと肩が触れそうになる。以前なら恥ずかしくて離れていたけれど、今は違う。健太さんの温かさを感じていたい。


「健太さん」


「はい?」


 健太さんは不思議そうな顔をしている。


「今日の放課後、少しお時間をいただけますか?」


「もちろんです。どうしたんですか?」


「お話ししたいことがあるんです。公園で……」


 今度は私が健太さんを支える番。


 ◆


 放課後の公園で、私は健太さんを待っていた。


 ベンチに座りながら、夕方の空を見上げる。秋の日は短くて、もう西の空がオレンジ色に染まり始めていた。公園の木々も少しずつ色づいて、風が吹くたびに数枚の葉が舞い落ちてくる。


「千尋さん」


 振り返ると、健太さんが少し息を切らせて歩いてきていた。


「お待たせしました」


「いえ、私も今来たところです」


 健太さんが私の隣に座る。二人の間には、いつもより重い空気が流れていた。


 深呼吸をして、私は意を決して口を開いた。


「健太さん…お母様から聞きました」


「お父様が亡くなられたこと」


「ああ、母さんとその話をしてたんですね。でももう7年も前のことですから……」


「そんなこと、ないんじゃないでしょうか」


「え……」


「お父様が亡くなられたあと、健太さんもお母様もものすごい大変だったとお聞きしました。そして、健太さんはすごい、お母様をお気遣いされるようになったと」


「母はそんなことを言ってたんですか?」


「ええ、お母様、とても心配されていました。『あの子が私に気を使いすぎて、自分の幸せを後回しにしてしまうんじゃないか』って」


「そう……でしたか」


 健太さんは中空を見ている。私に目を合わせてくれない。


「私は──」


 私は一段階声を大きくする。


「私はその話を聞いて腑に落ちたことがあるんです」


「腑に落ちたこと?」


「健太さんはものすごい気を使われる方だなって、ずっと思ってたんです。私にもおばあちゃんにも。すごくすごく大事にしていただいているな、と思う一方で、実はその気遣いに距離を感じているんです」


 ビクっと動く健太さん。


「私達は恋人になりました。そんな今でも、健太さんは私に遠慮していませんか?」


 健太さんが言葉を失った。図星だったようだ。




「僕……まだ女の子のことがよく分からなくて」


 健太さんが困惑した表情で呟く。


「いえ、違いますね……」


 健太さんが俯いて、小さく首を振る。


「僕、人との距離の取り方が分からなくなってしまったんです」


 言葉を探すように、少し間を置いて続ける。


「父が亡くなってから、母に心配かけないようにって……それがいつの間にか、誰にも迷惑かけないようにって変わっていって」


 健太さんの声が震えている。


「気がついたら、誰とも深く関わることができなくなっていました」


「ふふ」


 急に笑う私に健太さんは首を傾げる。


「私はずるいんです」


「え?」


「『遠慮してませんか?』なんて、健太さんを責めるようなことを言いましたが、そういう私だって変わらないんです」


「え、いえ、そんな──」


「そうなんですよ」


 私は健太さんの目を見つめて言った。


「私もずっと待っていただけでした。健太さんが動いてくれるのを、いろいろなことを提案してくれるのを」


 少し照れながら続ける。


「私、健太さんに甘えてばかりで……何かをしてくれるのを待っているばかりで、自分から何かするのが怖かったんです」


 健太さんが驚いたような表情を見せる。


「でも今日は違います。今日は私が、健太さんを支える番です」


 私の言葉に、どう言葉にしていいか戸惑う健太さん。


 私は静かに立ち上がって、健太さんの隣に座り直した。


「健太さん、こちらに」


 私から心を開こう。


 そっと健太さんの頭を、私の胸に抱き寄せた。


「もう遠慮しなくていいんですよ」


 健太さんは最初は驚いていたけれど、だんだんと力が抜けていく。


「私に甘えてください…亡くなられたお父様の分も、私が愛しますから」


 健太の頬を一筋の涙が伝った。私も胸が熱くなる。


 健太さんの心の氷が、少しずつ溶け始めているのを感じる。


「千尋さん…」


「はい、何でも話してください」


「僕、本当は…いつも不安だったんです」


「健太さん…」


「お父さんがいなくなってから、大切な人を失うのが怖くて」


 健太さんの心の奥にあった想いが、ようやく言葉になった。私の胸は温かくて、きっと健太さんにとって安心できる場所になっているんだと思う。


「もう一人で抱え込まなくていいんです。私がいますから」


 私の声に、健太さんの心の氷が溶けていくのを感じる。


「ありがとう、千尋さん」


 健太さんの声が震えている。


「こちらこそ。健太さんが心を開いてくれて、嬉しいです」


 夕日が完全に沈んで、辺りが薄暗くなってきた。でも私たちの心は温かかった。


 健太さんに出会えて、本当に良かった。


 お互いを支え合える関係になれて、私も成長できた気がする。


 これからも、健太さんと一緒に歩んでいこう。

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