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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第46話 温かい食卓

 スーパーで中辛のカレー粉を選びながら、僕は母と千尋が何を話しているのか気になっていた。


 買い物を済ませて家に戻る道すがら、秋の夕暮れが街を優しく包んでいた。家の窓から漏れる温かい光を見て、なんだか幸せな気持ちになる。


「ただいま」


 僕がカレー粉を持って帰ると、台所からは穏やかな話し声が聞こえていた。でも、玄関の戸を開けた瞬間、話し声がピタリと止まった。


「お帰りなさい」


 母と千尋が振り返って僕を迎えてくれる。二人とも温かい表情をしているが、何となく深い話をしていた雰囲気があった。


「ご苦労さまでした」


 千尋がいつもより優しい眼差しで僕を見つめる。


「これ、カレー粉。中辛で良かったよね」


 僕が袋を渡すと、母が受け取った。


「ええ、ありがとう。それじゃあ、三人でカレーを完成させましょうか」


 カレー粉を入れて煮込む。母がおたまでゆっくりとかき混ぜていく。スパイスの香りがキッチン全体に広がった。


「健太、ここは弱火でじっくりね」


 母が教えてくれる。千尋も横で見守りながら、時々鍋を覗き込んでいた。


「いい香りですね」


 スーッと匂いを嗅いで、千尋が幸せそうに言う。その表情がとても自然で、まるで本当の家族のように感じられた。


「三人で作ると、より美味しくなるものよ」


 母が千尋に微笑みかける。千尋も嬉しそうに頷いた。


 僕は二人のやり取りを見ながら、何か特別な空気を感じていた。母と千尋の間には、僕の知らない何かが通じ合っているような。




 夕食の時間。三人でテーブルを囲んで、カレーを味わった。


「いただきます」


 三人で声を揃えて手を合わせる。こんな些細なことが、なぜか特別に感じられた。


「美味しい」


 千尋が一口食べて、幸せそうな表情を見せた。


「千尋さんが野菜を切ってくれたおかげね」


 母が優しく言う。


「いえ、お母様の味付けが素晴らしくて」


「二人とも謙遜しすぎです。このカレーは三人の成果なんで、素直に『美味しい』でいいじゃないですか」


 僕が言うと、母と千尋が顔を見合わせて笑った。


「健太がそんなこと言うなんて珍しいわね」


「本当ですね。健太さん、今日は少し違います」


 千尋の言葉にドキッとした。違うって、どういう意味だろう。


 それにしても、僕がいない間、母と千尋さんの間でどんな話があったのだろう。


 千尋の眼差しが時々僕を見つめていた。その瞳には、何か深い感情が宿っているような気がした。同情?いや、違う。もっと温かくて、包み込むような何か。


 母も時々僕を見ては、微笑んでいた。まるで何か大切なものを千尋に託したような、そんな安堵の表情だった。




 食後、母がお茶を淹れてくれた。三人でゆったりとした時間を過ごす。


「千尋さん、水野屋さんの調子はどう?」


 母が尋ねる。


「はい、おかげさまで。健太さんに作っていただいたシステムのおかげで、注文も順調に増えています」


「それは良かった。健太も誰かの役に立てて嬉しいでしょう?」


 母が僕を見る。


「うん、千尋さんや水野屋さんのお役に立ててるみたいで、嬉しいよ」


「健太さんには感謝してもしきれません」


 千尋が深々と頭を下げた。


「そんな、千尋さんが喜んでくれることが一番の報酬ですから」


 僕の言葉に、母が意味深な笑みを浮かべた。


 時計を見ると、もう8時を過ぎていた。


「そろそろ御暇いたします」


 千尋が立ち上がる。たしかにもういい時間だ。


 玄関で、千尋が母に深々とお辞儀をした。


「今日は本当にありがとうございました。とても……大切なお話を聞かせていただいて」


「こちらこそ、千尋さんとお話できて良かったです」


 母が温かく答える。


「じゃあ、千尋さんを見送ってくるね」


 僕が言うと、母が頷いた。


「気をつけて行ってらっしゃい」




 千尋を家まで送っていく道すがら、僕たちは並んで歩いていた。


 街灯が点々と道を照らしている。夜の空気は少しひんやりとしていて、秋の深まりを感じさせた。千尋は僕の隣を歩きながら、時々僕の横顔を見ているような気がした。


「今日のカレー、本当に美味しかったです」


 千尋が静かに言った。


「母も千尋さんと一緒に作れて楽しそうでした」


「お母様、とても素敵な方ですね」


「そうですか?」


「はい。お母様は健太さんを本当に大切に思っていらっしゃるのが伝わってきます」


 千尋の言葉に、僕は少し照れた。


 しばらく無言で歩いた。秋虫の声が響いている。


「千尋さん」


「はい?」


「今日は、母とどんなお話をしたんです?」


 千尋が少し歩調を緩めた。そして、ゆっくりと口を開いた。


「お母様から……健太さんのこと、いろいろ教えていただきました」


「僕のこと?」


「はい。健太さんがどんなに優しい人なのか、どんなに頑張ってこられたのか」


 千尋の声が少し震えているような気がした。


「とても大切なお話でした」


 千尋の表情に、何か含みを感じたが、それがどんな決意なのか、僕にはまだ分からなかった。


 水野屋の前に着いた。


「今日はありがとうございました」


 千尋が振り返って、深くお辞儀をした。


「こちらこそ。また明日、電車で」


「はい、明日の電車で」


 千尋が店の中に入っていくのを見送ってから、僕は帰路についた。


 ◆


 翌日の朝、いつもの電車で千尋と会った時、彼女の様子がいつもと違うことにすぐ気がついた。


「おはようございます」


「おはよう、千尋さん」


 千尋の表情は穏やかだったが、僕を見つめる眼差しに、昨日とは違う深さがあった。


「健太さん」


「はい?」


「今日の放課後、少しお時間をいただけますか?」


「もちろんです。どうしたんですか?」


 千尋が微笑む。


「お話ししたいことがあるんです。公園で……」


 その時の千尋の表情が、とても真剣で、同時にとても優しかった。


 きっと昨日、母から聞いた話と関係があるのだろう。


 僕は頷いた。

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