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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第45話 母の想い──母視点──

 主人……健太の父親は、中学校で理科を教えていました。


 義人という名前で、本当に義理人情に厚い人でした。健太が小さい頃、よく一緒に実験をして遊んでいました。


「お父さん、今度は何の実験?」


 健太がキラキラした目で聞くと、義人は嬉しそうに笑って答えていました。


「今日は空気の実験をしようか。見えないけれど、確かに存在するものがあるんだよ」


 そんな日々が、あの日まで続くと思っていました。




 健太が小学4年生の春でした。


 義人が学校からの帰り道、交通事故に遭ったんです。


 相手は居眠り運転のトラック。義人は即死でした。


 病院に駆けつけた時、私は現実を受け入れることができませんでした。


 さっきまで「おかえり」と言葉を交わしていた人が、もうこの世にいない。


 健太は学校で事故の知らせを聞いて、真っ青な顔で病院にやってきました。


「お父さんは?お父さんは大丈夫なの?」


 10歳の健太に、どう伝えればいいのかわからなくて。


 でも、健太は私の表情を見て、すべてを理解してしまいました。


「お父さん、もういないの?」


 私は頷くことしかできませんでした。




 その日から、健太は変わってしまいました。


 急に大人びて、私のことを心配するようになって。


「お母さん、僕が守るから」


 まだ10歳だった健太が、私の手を握って言ったんです。


「お父さんができなかった分まで、僕がお母さんを支えるから」


 その言葉を聞いて、私は涙が止まりませんでした。


 本来なら、私が健太を支えなければいけないのに。


 でも、健太はその時から「男として」母を支えようとしてくれたのです。




 母子家庭での生活は、想像以上に大変でした。


 義人の遺族年金とパート収入で生活を支えましたが、経済的な不安は常にありました。


 でも一番辛かったのは、健太に父親のいない寂しさを味わわせていることでした。


 運動会でお父さんと一緒にいる家族を見つめる健太の横顔。


 参観日で、一人だけお父さんがいない現実。


 私は健太にとって十分な家族になれているのだろうか、と毎日自分を責めていました。


「お母さん、僕は全然寂しくないよ。お母さんがいてくれるから」


 健太はいつもそう言ってくれました。でも、私にはわかっていました。


 健太が我慢していることを。




 中学生になった健太は、ますます私のことを気遣うようになりました。


 勉強は一人でしっかりとやり、私に心配をかけないよう常に気を遣って。


 友達付き合いも控えめで、いつも母親である私のことを最優先に考えてくれました。


 私は嬉しい反面、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


 健太には、もっと自由に、もっと楽しく青春を過ごしてほしかったのに。




 でも、高校生になって健太が千尋さんと出会ってから、すべてが変わりました。


「千尋さんって人と、電車で知り合ったんだ」


 健太が初めて自分から恋愛の話をしてくれた日。


 私は心の中で、小さくガッツポーズをしました。


 ようやく健太が、年相応の恋愛感情を持てたのだと。


 千尋さんのことを話している時の健太の表情は、父親を失って以来、見たことがないほど輝いていました。


 水野屋のお手伝いをしている話。


 一緒に勉強している話。


 千尋さんの家族がどんなに温かいかという話。


 健太が話すたびに、私は安心感が増していきました。


 この人なら、健太に本当の家族の温かさを教えてくれる。


 健太が長い間我慢していた「父親のいない寂しさ」を、癒してくれる。


 そう確信していたのです。


 今日、千尋さんと直接お話しして、その確信は確証に変わりました。


 千尋さんは、健太の優しさの根源を理解してくれている。


 そして、健太のことを心から大切に思ってくれている。


 何より、千尋さん自身が、温かい家族に育てられた素晴らしい方でした。


 ◆


 私は健太の父の話を千尋さんに伝えきると、頭を下げた。


「千尋さん本当にありがとう」


「そんな、とんでもない。私こそ、いえ、私達こそ、健太さんに助けてもらうばかりで。」


「いいえ、私が長年できなかったことをあなたはしてくれたの。ずっと私に気を遣って、心配かけないように無難なことばかりやっていた健太が、あなたに出会ってから毎日が本当に楽しそうで」


 目尻から涙がこぼれる。いやね、年を取ると涙もろくなる。


 私が千尋さんに伝えた言葉は、本心でした。


 千尋さんという存在が、健太にとって「欠けていたパズルのピース」を埋めてくれると感じたからです。


 健太の幸せそうな笑顔。


 千尋さんを大切に思う気持ち。


 そして、千尋さんが健太を慈しんでくれる優しさ。


 これらすべてが、義人が生きていたら健太に与えてくれたであろう「完全な愛情」を、補って余りあるものでした。




 玄関から健太の「ただいま」という声が聞こえてきました。


 私と千尋さんは慌てて涙を拭いて、笑顔で健太を迎えました。


 でも、千尋さんの心には今日の話が深く刻まれたと思います。


 健太の優しさの根源。


 そして、私が千尋さんに寄せている期待の重さ。




 夜、健太を寝かしつけてから、私は一人で義人の写真を見つめました。


「あなた、健太は素敵な人と出会ったのよ」


 写真の義人に話しかけました。


「千尋さんっていう、とても素晴らしい方。健太のことを、本当に大切にしてくれている」


 もし義人が生きていたら、千尋さんのことをどう思っただろう。


 きっと、私と同じように気に入って、健太の恋人として認めてくれたでしょう。


「健太が幸せになれそうよ。ようやく、父親のいない寂しさを忘れられるくらい、愛されているの」


 私は写真の義人に微笑みかけました。


 明日から、健太と千尋さんの関係はきっとさらに深まっていくでしょう。


 私は母親として、二人を見守り、支えていきたいと思います。


 そして、千尋さんには改めて伝えたい。


「健太を、よろしくお願いします」と。


 健太の幸せが、私の一番の願いだから。


 千尋さんと一緒にいる健太の笑顔が、私にとって何よりも大切だから。


 今夜は久しぶりに、安心して眠ることができそうです。


 健太の未来に、明るい光が差し込んでいることを感じながら。

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