第41話 はじめての共同作業
お店の作業スペースで、千尋が注文書が錯綜している机に案内してくれた。いつもはきれいに整頓されている机が、今日はメモやノートなどが無造作に積み重ねられていた。確かに、以前の倍以上の量があるように見える。
「昨日も、同じお客様の注文を間違えて二重に作ってしまって……」
「それは大変でしたね」
僕が千尋の隣に座る。
「健太さん、これまでSNS運用やウェブサイト運用をしてきましたが、注文のデジタル化って水野屋でも可能でしょうか?」
「そうですね。注文がこれだけ増えているなら、絶対に管理システムが必要だと思います」
僕が真剣に答えると、千尋が僕の手を取った。
「やっぱり健太さんに相談してよかった。お言葉に甘えて、お手伝いを再開していただいても大丈夫でしょうか?」
千尋の頼ってくれる眼差しに、僕は嬉しくなった。
「もちろんです。僕もそのつもりでいましたので」
「ありがとうございます!」
千尋が嬉しそうに微笑んで、思わず僕の手を掴んだ。
意識的にお互いに手を掴むのは初めてかもしれない。また千尋との距離が一段階近づいた気がする。
千尋は僕のドキドキには気づかない様子でそのまま続ける。
「デジタル化をすべきだ、というのはわかるのですが、具体的には、どんなことをすればいいでしょうか?」
「複雑なことをやろうと思えばいくらでもできるのですが……でも段階を追って、ですよね。まずは、クラウドで注文を管理できたらいいですよね。Googleスプレッドシートってご存知ですか?」
「表計算ソフトということはしってるのですが、表計算ソフトがなんなのか自体はよく知らないんです。ご教示いただけますか?これおばあちゃんも聞いててもらったほうがいいかも。ちょっとおまちくださいね。
おばあちゃ~ん」
千尋はおばあちゃんを呼びに、家の奥へと向かう。
おばあちゃんを連れて戻って来ると二人は机の前に座る。
「健太さんいらっしゃい。お見苦しいところをみせちゃってごめんね」
「いえいえ。じゃあ早速説明始めますね」
「表計算ソフトって、簡単に言うと電子の帳簿みたいなものです。縦と横に罫で区切ったマス目状の表に、数字や文字を入力できるんです」
僕が説明すると、おばあちゃんが首を縦に振った。
「ああ、そういうことなのね。でもコンピューターは苦手でねえ」
「大丈夫です。Googleスプレッドシートはインターネット上で使えるサービスなので、表を作って、みんなで情報を共有できます。パソコンだけじゃなく、スマホからも見られるんですよ。ほら」
僕は二人にスマホを見せる。
「すごい……そんなことができるんですね」
千尋がノートパソコンを持ってきてくれた。僕たちは三人で机を囲んで、一緒に画面を見る。
「項目は……注文日、お客様名、連絡先、商品名、個数、お届け日、進捗状況……こんな感じでしょうか」
僕が実際に作成していくと、千尋が最初はおそるおそるといった様子だったが、だんだん身を乗り出して見ている。
「わあ、こんなふうに整理されるんですね!」
「進捗状況も『注文受付』『製造中』『完成』『発送済み』って分けると分かりやすいですよ」
「一目でどの段階か分かりますね!これなら私でも使えそうです」
千尋が興奮して、思わず僕の肩に寄りかかった。む、胸が腕に当たってる。布越しに柔らかい感覚が伝わってくる。
僕は赤面する。
恋人になってから、こうした自然なスキンシップが多くなった気がする。
「フィルター機能も試してみましょうか。千尋さん、『今日発送予定』って条件で絞り込んでみてください」
「え、私がですか?どうすれば……」
「この矢印をクリックして、『発送済み』以外を選んでみてください」
千尋が恐る恐るクリックすると、画面が変わった。
「あ!本当に絞り込まれました!」
「今度は『特定のお客様』で検索してみましょう」
千尋が操作すると、だんだんコツを掴んできたようだ。
「わあ、これなら間違いも少なくなりそう!」
実際に今日の注文データを入力してみると、一覧で見やすく表示された。
「こうやって見ると、注文の流れがよく分かりますね」
「それに、売上の集計も自動でできるんです」
僕がSUM関数を使って月別売上を計算すると、数字が表示された。
「9月の売上が……こんなに!」
千尋が驚いて、思わず僕の手を握った。その温かさに、僕は息を呑んだ。
「SNSを始める前の倍以上になってる」
千尋の目に涙が浮かんでいるのを見て、僕は胸がいっぱいになった。
「千尋さんと水野屋のみなさんが頑張った成果ですね」
「でも、健太さんが教えてくれなかったら……私一人じゃ、きっと何もできませんでした」
千尋が僕を見つめて、両手で僕の手を包んでくれた。恋人になってから、こうした瞬間がとても特別に感じられる。
データ入力が進むにつれて、僕たちは自然に近くに座るようになった。そしてそれに伴い接触も増えていく。どこが、とはいわないが。
「健太さん」
「はい?」
「こうして一緒に作業してると、なんだか……」
千尋が恥ずかしそうに俯いた。
「何か?」
「夫婦みたいですね」
千尋の言葉に、僕の顔が真っ赤になった。夫婦……僕と千尋が夫婦。想像するだけで、胸がドキドキして言葉が出ない。
「そ、そうですね……」
声が上ずってしまう。千尋も恥ずかしそうに頬を染めている。
「将来、健太さんと一緒にお店を支えていけたら……なんて」
千尋の素直な気持ちに、僕の胸がいっぱいになった。一緒に未来を歩んでいけたら、どんなに幸せだろう。
「僕もです。千尋さんと一緒なら、どんなことでも頑張れそうです」
午後2時頃から始めた作業も、気がつくと一時間以上が経っていた。夕方の光が差し込む頃、一通りのシステムが完成した。
「これで注文管理がずっと楽になりますね」
「本当にありがとうございます。整理や見える化ができて、すごく嬉しいです」
千尋が満足そうに微笑んでいる。
その時、階下から声が聞こえてきた。
「千尋、お客様がいらしてるわよ」
「あ、お母さんの声です。ちょっと待っていてください」
千尋が慌てて階下に降りていく。しばらくして戻ってきた千尋の後ろに、千尋のお母さんがついてきた。
「健太くん、いつもお疲れ様。今日もお手伝いしてくれたのね」
お母さんは和菓子職人らしく、手にうっすらと粉が付いている。エプロンを外しながら、親しみやすい笑顔で話しかけてくれた。
「こちらこそ、いつもお世話になっています」
僕が立ち上がって挨拶すると、お母さんが優しく微笑んだ。
「千尋から聞いてるわよ。パソコンで注文管理ができるようになるんですって。私にはさっぱりだけど、若い人はすごいわね」
「千尋さんもすぐに覚えられました。とても飲み込みが早くて」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。千尋のこと、よろしくお願いします」
お母さんの言葉に、僕の顔が熱くなった。千尋も恥ずかしそうに俯いている。
「明日から新しいシステムで頑張ってみますね」
「分からないことがあったら、いつでも連絡してください」
「はい……あの、健太さん」
「何ですか?」
「今日は一緒にお手伝いしてくださって、ありがとうございました。恋人になってから、こうして一緒に過ごす時間が……とても特別で」
千尋の素直な気持ちに、僕の心臓が跳ね上がった。
「僕も同じです。今日はより身近に感じられるようになりました」
二人は廊下ででモジモジした。
◆
玄関まで送ってもらう時、千尋のお母さんが手作りのどら焼きを持ってきてくれた。
「健太くん。いつもありがとう」
「ありがとうございます」
僕が受け取ると、千尋が嬉しそうに微笑んだ。
玄関で別れる時、千尋が僕の手をそっと取った。
「来週も、一緒にお手伝いしてもらえますか?」
「もちろんです。楽しみにしています」
千尋の手が少し震えているのを感じて、僕も名残惜しくなった。
「それに……また、お部屋にも遊びに来てください」
千尋が恥ずかしそうに俯きながら言った。
「はい、ぜひ」
僕が答えると、千尋が安心したように微笑んだ。でも、まだ手を離そうとしない。
「本当に楽しかったです」
「僕もです。千尋さんと過ごした時間は、とても特別でした」
しばらく二人で手を握ったまま、無言で見つめ合った。別れるのが惜しくて、時間が止まればいいのにと思った。
「気をつけて帰ってくださいね」
「ありがとうございます。それでは」
最後に千尋が僕の手をぎゅっと握ってから、そっと離した。
千尋が僕の姿が見えなくなるまで、玄関で手を振ってくれていた。振り返るたびに、まだそこに立っている千尋の姿が、胸を温かくしてくれた。
家に帰る道すがら、僕は今日のことを振り返っていた。千尋の部屋で過ごした時間、一緒に作業した幸せ……恋人になってから、すべてが特別に感じられる。
千尋が僕を頼ってくれて、一緒に水野屋を支えていけること。それが何より嬉しかった。
恋人として、そしてビジネスパートナーとして、千尋との新しい関係が始まったんだと実感した一日だった。




