第39話 週末の初デート
週末の土曜日。僕は朝から落ち着かなかった。
今日は千尋と初めて、電車以外の場所で会う約束をしている。正式な「デート」だった。
「健太、朝からそわそわして。どこか行くの?」
朝食の時、母が気づいた。
「千尋さんとデートの約束をしたんだ」
僕は恥ずかしそうに答えた。恋人になったとはいえ、母の前で「デート」と言うのはまだ照れくさい。
「あら!初めてのデートね!楽しみでしょう?」
「初めてってことは実はないんだけど……いや、恋人になってからは初めてか」
「あら、そうなの。健太やるわね。それで、今日はどこに行くの?」
母が興味深そうに聞いた。
「映画見に行く予定。千尋さんのおすすめの映画があるんだって」
「あら素敵じゃない。それならもう少しいい服着ていったほうがいいわよ」
「え、そろそろ出ないといけないんだけど」
「ほら、こっち来なさい」
僕は、母の言いなりで服を着替えさせられるのだった。
◆
桜ヶ丘駅の改札前で、僕は緊張しながら千尋を待っていた。
普段は制服姿しか見たことがない。今日の千尋はどんな服装だろう。そもそも、自分の服装は大丈夫だろうか。
「健太さん!」
声をかけられて振り向くと、千尋が立っていた。
薄いベージュのワンピースに濃いめのブラウンのカーディガン。足元は黒いタイツに茶色のショートブーツ。いつものポニーテールではなく、髪を少し巻いている。11月の肌寒さに合わせた秋らしい装いだった。
千尋の可愛さに僕は一瞬、息を止めた。
「千尋さん……可愛いですね」
思わず口に出してしまった。千尋の頬がほんのり赤くなる。
「ありがとうございます。健太さんも、とても素敵です」
千尋も僕の紺色のポロシャツとベージュのパンツ姿を見て、嬉しそうに微笑んだ。
母にコーディネートしてもらって本当に良かった、と心から思った。
「映画は14:30ですので、それまでどうしましょうか」
「商店街のお店を一緒に見て回りたいなって。お店を一緒に見て回るのもデートの醍醐味かなって」
僕が恐る恐る提案すると、千尋が頷いた。
「それは素敵です。いきましょう」
二人は駅前の商店街を歩き始めた。
土曜日の午前中で、たくさんの人が行き交っている。
「あ、本屋さんがありますね」
千尋が指差した。
「入ってみませんか?千尋さんが普段読まれている本、見てみたいです」
僕の提案で、二人は本屋に入った。
「健太さん、これ面白そうです」
千尋が手に取ったのは、宮沢賢治の短編集だった。
「『銀河鉄道の夜』が入ってますね。星の話も出てくるので、健太さんも楽しめるかも」
「本当ですか?今度読んでみます」
僕は嬉しくなった。千尋が自分の興味も考えて本を選んでくれている。
「僕も千尋さんにお勧めしたい本があるんです」
僕が手に取ったのは、『宇宙のしくみ』という一般向けの科学書だった。
「写真がたくさんあって、文学を読む感覚で宇宙のことがわかるんです」
「素敵ですね。買ってみます」
千尋が嬉しそうに言った。
お互いが選んだ本を手に取り、会計を済ませた。
「ありがとうございます。大切に読みます」
千尋が本を胸に抱いた。僕も嬉しくて、胸がいっぱいになった。
本屋を出ると、お昼の時間になっていた。
◆
「お腹が空きましたね」
「あの……どこかでお昼を食べませんか?」
僕が提案すると、千尋が頷いた。
「知っている場所はありますか?」
「実は、よくわからなくて……」
僕は正直に答えた。デートの経験がない彼には、どこが良いかわからない。
「じゃあ、一緒に探しましょう」
千尋が優しく言ってくれた。
二人は商店街を歩いて、小さな洋食屋を見つけた。
「ここ、美味しそうですね」
窓から見える店内は、カップルや家族連れで賑わっていた。
「入ってみましょう」
店内に入ると、案内された席は窓際の小さなテーブルだった。
「何にしますか?」
千尋がメニューを見ながら聞いた。
「千尋さんは?」
「オムライスにします。健太さんは?」
「僕も同じものを」
僕は迷わず答えた。千尋と同じものを食べたかった。
料理が来るまでの間、二人は他愛のない話をした。
「改めて、こうやって向かい合って話すの、初めてですね」
千尋が言った。
「そうですね。電車だと、いつも隣に座ってましたから」
「今日は健太さんのお顔がよく見えます」
千尋がそう言って微笑むと、僕の顔が熱くなった。
「僕も……千尋さんのこと、もっと知れた気がします」
「どんなことですか?」
「本を選ぶ時の真剣な表情とか、歩く時の仕草とか……電車では気づかなかったことがたくさん」
僕の言葉に、千尋も嬉しそうになった。
「私も同じです。健太さんが優しく気を遣ってくださる様子とか、本当に素敵だなって」
二人は見つめ合って、また顔を赤くした。
オムライスが運ばれてきた時、千尋が小さく声を上げた。
「可愛い!ハートの形に描いてあります」
ケチャップでハートが描かれたオムライス。偶然だったが、デートにぴったりだった。
「写真、撮りませんか?」
僕が提案すると、千尋が頷いた。
「初めてのデートの記念になりますね」
千尋の「初めてのデート」という言葉に、僕の胸が高鳴った。
料理の写真を撮った後、食べ始めた。
「美味しいですね」
「本当に。また今度、来たいですね」
僕が言うと、千尋が嬉しそうに微笑んだ。
「また今度……いいですね」
食事を終えて、映画館に向かった。
◆
上映時間を確認すると、ちょうど良い時間に恋愛映画が始まる予定だった。
「これ、どうですか?」
僕が聞くと、千尋が少し恥ずかしそうに答えた。
「はい。見てみたかった映画です」
チケットを買う時、僕は迷わず財布を出した。
「僕が払います」
「そんな、申し訳ないです」
「今日は僕がお誘いしたんですから」
僕の言葉に、千尋は「ありがとうございます」と小さく答えた。
映画館の暗い中で、二人は隣同士に座った。
映画が始まると、千尋は集中して画面を見ていた。横顔が美しくて、僕は時々千尋の方を見てしまう。
映画の途中、感動的なシーンで千尋の目に涙が浮かんでいるのが見えた。
僕は無意識に、ポケットからハンカチを出して千尋に渡そうとした。
その時、千尋も同時に涙を拭こうと手を動かした。
二人の手が触れた。
「あ……」
お互いに小さく声を出して、慌てて手を引っ込めた。
でも、その一瞬の接触で、僕の心臓は激しく鳴り始めた。千尋も同じような気持ちなのか、顔を赤くしている。
映画が終わって、外に出ると夕方になっていた。
◆
「楽しかったです」
千尋が言った。
「僕も。千尋さんと一緒だと、時間があっという間でした」
僕が答えると、千尋も嬉しそうに微笑んだ。
駅まで歩きながら、千尋が言った。
「今日は本当にありがとうございました。とても素敵な一日でした」
「こちらこそ。また……今度も、どこか出かけませんか?」
僕が恐る恐る聞くと、千尋が嬉しそうに頷いた。
「はい。ぜひ」
駅で別れる時、二人は向かい合って立った。
「今日はありがとうございました」
千尋がお辞儀をした時、僕は思い切って言った。
僕は今日一日の幸せを噛み締めた。
初めてのデート。二人の距離が、また少し縮まった気がした。




