第38話 恋人同士
僕はその日朝4時に目が覚めた。
昨日のことが夢ではなかったか、何度も確認したくなる。千尋の涙、手の温かさ、「私も好きです」という言葉。
全部現実だった。
千尋と、恋人同士になった。
いつもより早く起きてしまった僕は、洗面台の鏡の前で髪型を何度も直した。
「あら健太、今日は随分早いのね」
母が朝食を作りながら言った。
「う、うん……」
「なんだかえらく嬉しそう。もしかして、文化祭でもしかしてなにかあったのかしら?」
母の問いかけに、僕は頷いた。
「母さんのアドバイス通り、告白したよ」
「ってことは、成功したのね」
「うん」
「あらまあ、良かったじゃない!でも、浮かれすぎて遅刻しないように気をつけなさいよ?」
「遅刻?」
「恋人ができると、夢見心地になって遅刻する男の子っているのよ」
母がクスクス笑った。僕は慌てて時計を確認した。まだ十分に時間はある。
「大丈夫だよ」
「本当に?顔がニヤニヤしてるけど」
母の指摘に、僕は慌てて表情を正そうとした。でも、どうしても口角が上がってしまう。
◆
電車に乗る前、僕は駅のホームで深呼吸した。
昨日までは、千尋と特に約束をしていたわけじゃなかったので、彼女と会えるかどうか分からない不安があった。でも今日からは違う。千尋は僕の恋人だ。ちゃんと乗る時間と車両を二人で約束したから、問題なく会えるのだ。
電車がホームに入ってくる。千尋が乗ってくるのを待っている時の胸の高鳴り。千尋と目が合った時の、お互いの恥ずかしそうな笑顔。
「おはようございます」
「おはようございます」
いつもと同じ挨拶なのに、全てが特別に感じられた。
千尋が僕の隣に立った。いつもより少し近くに。
「健太さん」
「はい?」
「昨日は……本当に嬉しかったです」
千尋が小さく言った。
「僕の方こそ。勇気を出して良かったです」
僕も小さく答えた。
お互い、昨日のことを思い出して頬が赤くなった。
電車が動き出す。いつもと同じ車両、いつもと同じ時間。でも、今日からは「恋人同士」として。
千尋が文庫本を開いたが、全然読んでいない。ページをめくる手が震えている。僕も参考書を持っているが、文字が頭に入らない。
二人とも、相手のことばかり意識していた。
「千尋さん」
僕が小さく呼びかけた。
「はい?」
「今日から……千尋さんと『恋人』として、どう接したらいいか分からなくて」
僕の正直な気持ちに、千尋がクスッと笑った。
「私も同じです。恋人同士って、初めてで。でも……今まで通りでいいんじゃないでしょうか?」
千尋の提案に、僕は安心した。
「そうですかね。うん、そうかも。無理に変える必要はないですよね」
「はい。でも……」
千尋が恥ずかしそうに言った。
「でも?」
「少しだけ、恋人との登校って特別な感じがして、いいですよね」
千尋の言葉に、僕の心が温かくなった。
「改めて……お付き合いしてください」
僕がもう一度、きちんと言った。
「はい」
千尋が微笑んで答えた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その時、電車が急ブレーキをかけた。千尋が僕の方に倒れかかる。
僕が慌てて千尋を支えた時、二人の手が触れ合った。
「すみません」
「大丈夫ですか?」
二人とも赤くなって、手を離した。でも、昨日までとは違う種類のドキドキだった。
桜ヶ丘駅に着いた時、千尋が振り返った。
「健太さん」
「はい?」
「今日も、ありがとうございました」
「こちらこそ」
千尋が電車を降りる時、いつもより長く手を振ってくれた。
電車の窓に映る自分の顔が、なんだかとても幸せそうに見えた。
僕は席に座りながら思った。
やっと、本当の始まりが来た。
これから千尋とどんな時間を過ごすことになるのだろう。
どんなことでも、千尋と一緒なら乗り越えられる気がした。
◆
学校に着いた時、山田が僕の顔を見て言った。
「おい、健太。なんか顔が違うぞ」
「え?」
「なんていうか……幸せそうっていうか」
山田の指摘に、僕は慌てた。
「そんなことないよ」
「いや、絶対何かある。もしかして……」
山田が意味ありげな顔をした。
「千尋さんに告白成功したのか?」
僕は何も答えられなかった。でも、その表情で山田は全てを理解した。
「うおおお、健太、告白成功したのか!!!やったな!」
山田は、大声で興奮し僕の肩を叩いた。
「山田、声が大きいよ」
「おめでとう、健太!」
山田の声に気づいて、クラスメイトの何人かが集まってきた。
「健太、まじで?」
「おおお、おめでとう!よく頑張ったな」
「佐藤くんすごいじゃない!おめでとう」
クラスメイトの女子も祝福してくれる。みんなの祝福に、僕は嬉しくなった。
友達に祝ってもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ。
結局その日の授業中、僕は千尋のことばかり考えてしまい、上の空だった僕は、当てられて答えられず恥をかくといういつものパターンをやらかしてしまった。
でもそんな僕を事情を知ってるクラスメイトはニマニマと見ていた。
◆
放課後、LINEが鳴った。千尋からだった。
『健太さん、今日は一日そわそわしてました
朝の電車で、いつもと同じなのに全然違って感じました』
僕は嬉しくなって、すぐに返事をした。
『僕も同じでした。今までも特別だったけど、もっと特別になった感じです』
『健太さん、明日の朝の電車も楽しみです♥』
千尋の可愛らしいメッセージに、僕は嬉しくなった。
『僕も楽しみです!
千尋さんと一緒の時間が、一番幸せです』
すぐにハートマーク付きの返事が来た。
『嬉しいです♥
健太さんは私の大切な恋人です』
僕はベッドに寝転がって、スマホを見つめた。
「恋人」という言葉を、千尋と交わしている。それが本当に幸せで、夢みたいだった。
『明日も電車で会えるのが楽しみです』
僕が送ると、すぐに返事が来た。
『私も楽しみです
おやすみなさい、健太さん』
『おやすみなさい、千尋さん』
その夜、僕はなかなか眠れなかった。
明日からの毎日が、どんなに素晴らしいものになるのか、想像するだけで胸がいっぱいになった。




