第31話 紅葉の名所でデート
秋祭りから一週間後の土曜日の朝、僕は駅のホームで千尋を待っていた。
あの日千尋から「お時間いただけませんか?」と誘われた約束の日。いつもと違って、水野屋ではなく外での待ち合わせだ。
夏に星を見に行って以来の、本格的なお出かけ。でも、あの時とは僕の気持ちが全然違う。
あの夜、千尋への想いに気づいてから、そして秋祭りの日に「もっと積極的になろう、気持ちを伝えたい」と決意してから、僕の中で何かが変わった。
今日は、好きになった人との初めてのデート。そう考えると、心臓の鼓動が早くなる。
千尋は僕のことをどう思っているんだろう。友達として?それとも……。
手のひらに汗をかいているのを感じながら、僕は改札口を見つめた。緊張と期待で、胸がいっぱいだった。
「健太さん、お待たせしました!」
千尋が小走りでやってきた。カジュアルな服装の千尋を見るのは初めてで、新鮮だった。ベージュのカーディガンにチェックのスカート、小さなリュックを背負っている。
「今日はよろしくお願いします」
千尋が少し照れたように言った。秋祭りの時のお礼がしたいと言ってくれていた千尋。
「こちらこそ。お礼だなんて、僕の方が千尋さんにお世話になりっぱなしですよ」
「秋祭りの時は本当にありがとうございました。今日は絶好のお出かけ日和ですね。行き先も健太さんにご提案していただいて、何から何までありがとうございます」
「僕こういうの企画するの好きなんですよ。ちょうど箱根の紅葉、今が見頃らしいですからちょうどいいかなって。強羅公園と箱根美術館の庭園が特に綺麗だそうです」
「わぁ!楽しみです」
僕たちは新宿駅から小田急ロマンスカーに乗り込んだ。観光地へのちょっとした小旅行、本格的なデートの始まりだ。
「あの、健太さん」
千尋が隣を歩きながら言った。
「こうして二人で遠出するの、初めてですね」
「そうですね」
前回一緒に星空を見たのは、桜ヶ丘駅から徒歩20分とわりと近場だったが、今回は都心から離れた日帰り箱根小旅行だ。
ロマンスカーの車窓から流れる景色を眺めながら、隣に座る千尋を意識する。いつもと違う特別な時間。
ああ、幸せだなぁ。
箱根に着いて、まず向かったのは強羅公園だった。フランス式整型庭園で、秋の花々と紅葉のコントラストが見事だ。
「綺麗……噴水と紅葉の組み合わせが素敵」
千尋が目を輝かせた。観光客で賑わっているが、それがかえってデートらしい雰囲気を演出している。
「撮影には最高の場所ですね。でも最初は園内を散策しましょうか」
「はい!」
僕たちは手をつなぎそうになって、慌てて離した。まだそういう関係じゃない。でも、距離は確実に縮まっている。
園内のカフェで一休みした後、千尋がリュックから和菓子の入った箱を取り出した。
「お礼って言ったのに、またお菓子まで作ってきてくれたんですか?」
「秋にちなんで、紅葉をモチーフにした上生菓子を作ってみたんです。一緒に食べませんか?」
「ありがとうございます。あのベンチで食べましょうか?」
僕たちはローズガーデンの見える特等席に移動した。千尋が和菓子を丁寧に並べる。背景には色とりどりの薔薇と紅葉のコラボレーション。
「こんな感じでしょうか?」
「綺麗……」
千尋が和菓子を見つめながら呟いた。紅葉の葉が舞い散って、和菓子の周りに自然に散らばる。
「本当に芸術みたいですね。あ、せっかくですし、SNS用に写真撮りませんか?すごく映えると思うんですよ」
僕がスマホを取り出してパシャリ。
千尋が言った。
「せっかくですし私もお菓子と一緒に撮ってもらえませんか?」
「もちろんです」
千尋が恥ずかしそうに微笑んだ。紅葉を背景に、和菓子を手に持つ千尋。緊張しているのか笑顔が固い。
「もう少し自然な笑顔で」
「こ、こうですか?」
うーん、まだこわばっている。
「千尋さん、好きな和菓子の話をしてください」
「え?」
「話している時の表情が一番自然になりますから」
千尋が話し始めると、表情が柔らかくなった。シャッターを切る。
「いい写真が撮れました」
撮った写真を見せると、千尋が嬉しそうに覗き込んできた。距離が近くて、髪からほのかに甘い香りがする。
「本当だ、すごく綺麗……」
「千尋さんが綺麗だからですよ」
思わず本音が出てしまった。千尋の顔が赤くなる。
「そ、そんな……和菓子と紅葉が綺麗なんです」
慌てて訂正する千尋が愛おしい。
次に向かったのは箱根美術館の庭園。苔庭と紅葉の組み合わせが有名で、まるで絵画の中にいるような錯覚を覚える。
「ここ、京都みたい……」
千尋が息を呑んだ。確かに、日本庭園の美しさは格別だった。
「健太さん、これ食べてみてください」
千尋が和菓子を差し出した。
「撮影用じゃないんですか?」
「予備も作ってきました。感想を聞きたくて」
僕は和菓子を口に入れた。栗の優しい甘さが広がる。
「美味しいです。秋の味がします」
「良かった……」
千尋がほっとしたように微笑んだ。
お昼は美術館併設のレストランで食事をすることにした。
「こんな素敵なところで食事なんて……」
「たまにはこういうのもいいでしょう?」
窓から見える紅葉を眺めながらのランチ。千尋との会話も弾む。
「実は今日のために、お小遣い貯めてたんです」
僕の言葉に、千尋が頬を赤らめた。
「健太さん、そんな……」
「千尋さんと一緒だから、特別な日にしたかったんです」
レストランの料理を楽しみながら、本当のデートのような時間を過ごした。
「健太さん」
千尋が急に真剣な顔になった。
「私、最近思うんです」
「何をですか?」
「健太さんと出会えて、本当に良かったって」
突然の言葉に、僕の心臓が跳ねた。
「水野屋も変わったし、私も変われた。全部、健太さんのおかげです」
「僕の方こそ、千尋さんと出会えて……」
言葉を続けようとした時、風が吹いて紅葉が舞い散った。まるで映画のワンシーンのような光景。
千尋の髪に紅葉が一枚引っかかった。
「あ、葉っぱが」
僕が手を伸ばして取ろうとすると、千尋も気づいて手を上げた。手と手が触れ合う。
一瞬、時が止まったような気がした。
お互いの目を見つめ合う。千尋の頬が赤く染まっている。僕の顔も熱い。
「あの……」
千尋が何か言いかけた時、近くで子供たちの声がした。魔法が解けたように、僕たちは手を離した。
午後は箱根ロープウェイに乗って大涌谷へ。
「富士山が見える!」
千尋が興奮して僕の腕を掴んだ。その自然な仕草に、胸が高鳴る。
夕方、芦ノ湖まで降りてきた。湖畔から見る夕日と紅葉のコントラストが美しい。
「最後にもう一枚」
僕がカメラを構えると、千尋が言った。
「健太さんも一緒に写りませんか?」
「え?」
「記念に……」
千尋の提案に、僕の胸が高鳴った。
セルフタイマーをセットして、千尋の隣に座る。肩と肩が触れ合う距離。
「はい、チーズ」
シャッターが切れる瞬間、千尋が少し僕に寄り添ってきた。
写真を確認すると、二人とも自然な笑顔で写っていた。
「いい写真ですね」
「大切にします」
千尋が小さく呟いた。
帰りのロマンスカーで、千尋が僕の肩にもたれかかってきた。
「ちょっと疲れちゃった……」
「ゆっくり休んでください」
千尋の髪からシャンプーの香りがする。この距離の近さに、ドキドキが止まらない。
地元の駅に着いて、改札を出る前に千尋が振り返った。
「今日は本当に楽しかったです」
「僕もです」
「また……」
千尋が立ち止まった。
「また、こうして一緒に出かけられたらいいですね」
その言葉に、僕の心が温かくなった。
「はい、ぜひ」
「今度は、違う場所にも行ってみたいです」
「いいですね。鎌倉とか、江ノ島とか、日光とか」
「全部行きたいです!」
「わあ、楽しみです」
千尋の笑顔が夕日に照らされて、とても綺麗だった。
駅で別れる時、千尋がスマホを取り出した。
「今日の写真、早速投稿してもいいですか?」
それは、笑顔で千尋が和菓子と一緒に撮った写真だった。
「千尋さんが写っちゃってますが大丈夫ですか?」
「私自身、先日のお祭りでも写真取られてあげられてますし、今更かなって。健太さんの撮ってくれた素敵な写真、ぜひ載せたいです」
「であれば、良いと思います」
「嬉しい。キャプション、何て書こうかな……」
千尋が考えている横顔を見ながら、僕は思った。今日は仕事という名目だったけど、本当のデートみたいだった。いや、これはもうデートと言ってもいいのかもしれない。
「『秋の紅葉と和菓子。大切な人と過ごす特別な時間』……これでどうでしょう?」
千尋の言葉に、僕の顔が熱くなった。「大切な人」という部分に、特別な意味を感じずにはいられなかった。
「素敵だと思います」
「じゃあ、これで投稿しますね」
改札を通る前に、千尋が振り返った。
「健太さん、今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ」
「また月曜日に」
「はい、また」
千尋が手を振って改札を通っていく。その後ろ姿を見送りながら、僕は確信した。
秋祭りの日に決意した「もっと積極的になろう。千尋に気持ちを伝えたい」という想い。
そして今日のデートのような時間。もしかしたら千尋も、僕と同じ気持ちでいてくれるかもしれない。
今日は、忘れられない一日になった。




