第03話 三日目の気づき
「健太、また早起きね」
あの子が気になり始めてから三日目の朝、母が驚いたような顔をした。
「なんか、目が覚めちゃうんだ」
僕は適当に答えて、いつものように家を出た。でも内心では分かっていた。あの子に会えるかもしれないから、自然と目が覚めるのだ。
「おはよう、健太くん」
「おはようございます」
近所のおばさんへの挨拶も、もうすっかり慣れた。
駅に着くと、僕の心臓が少し早く鳴り始めた。今日も彼女はいるだろうか。
7時22分発の電車が入ってくる。僕はいつもの場所に立った。
そして、あの子はいた。
三日目の朝も、彼女は同じ電車の同じ場所にいた。
僕はもう驚かなかった。というより、驚かないふりをしていた。でも内心では、ホッとしていた。
(やっぱりいた)
彼女は今日もまた文庫本を読んでいる。僕は見ないようにしようと思いながら、つい視線が向いてしまう。
(また見てる……)
僕は慌てて視線を逸らした。窓の外を見る。桜のつぼみが、また少し大きくなったような気がする。
でも気がつくと、また彼女の方を見てしまっている自分がいる。
今日は集中して本を読んでいるようで、時々眉をひそめたり、小さく笑ったりしている。表情豊かに読書をする姿が、何だか魅力的に見えた。
どんな本を読んでいるんだろう。タイトルが見えないかと思ったが、角度的には無理だった。
電車の揺れに合わせて、彼女の髪が微かに揺れる。
(これは偶然じゃない)
僕はようやく認めた。彼女も毎日、この時間の電車に乗っている。通学のためだろう。つまり、明日も会える。
その考えに、僕は妙にドキドキした。
「次は桜ヶ丘駅、桜ヶ丘駅です」
アナウンスが流れる。彼女が文庫本を閉じた。
僕は思わず見てしまった。今日も彼女は電車を降りて行く。
僕は今日も、その後ろ姿を見送った。制服の襟元、歩き方、すべてがなんとなく上品に見えた。
◆
一時間目は現代文だった。担任の先生が芥川龍之介の話をしている。
「『羅生門』は高校生にとって重要な作品だが……」
でも僕の頭は、あの子が読んでいる本のことでいっぱいだった。芥川龍之介を読んでいるのだろうか。それとも違う作家だろうか。
「佐藤、この表現についてどう思う?」
「え?あ、はい……」
先生に当てられて、僕は慌てた。何を聞かれたのか分からない。
「す、すみません、聞いてませんでした」
頭を掻き少しうつむきながら正直に答えた。
「ぼーっとしてちゃだめじゃないか。春の陽気だからって、浮かれてちゃだめだぞ」
クラスの皆がクスクス笑った。僕の顔は赤くなった。
(俺、本当に変だ)
二時間目は数学、三時間目は英語。でも結局、集中できなかった。頭の片隅に彼女のことがあった。本を読む時の集中した横顔。眉をひそめるしぐさ。小さく笑う表情。
昼休み、山田が声をかけてきた。
「健太、最近なんか変じゃない?」
「変って何が?」
「なんかボーッとしてることが多いぞ、お前」
僕はドキッとした。山田に気づかれている。
「マジで?べ、別に、何でもないよ」
「お前、まさか……彼女でもできたか?」
山田の冗談に、僕はさらに動揺した。
「バカ言うなよ。んなわけないよ。君も知ってる通り僕は女の子に話す勇気もないのに、ましてそんな相手がいるわけないだろ」
「そりゃそうなんだろうけどさー」
山田は不思議そうな顔で僕を見る。僕は思わず顔を背ける。なんとなく、自分でも嘘をついているような気がしたからだ。
放課後、僕は図書館に寄った。
別に調べ物があるわけじゃない。何となく、足が向いてしまった。
文庫本のコーナーを見て回る。あの子が読んでたのは、夏目漱石、太宰治、川端康成……。それとも現代の作家だろうか。
手に取った『こころ』のページをめくってみる。でも活字が頭に入ってこない。
あの子はこういう本を読むのだろうか。それともミステリー系だろうか。恋愛小説だろうか。
僕は自分が何をしているのか分からなくなった。
(なんで俺、こんなことしてるんだ)
図書館を出て、帰りの電車に乗る。
(明日も……同じ電車かな)
家に帰る電車の中で、僕はそんなことを考えていた。なんとなく、明日が気になった。
家に着くと、母が夕食の準備をしていた。
「お疲れさま。今日はちゃんと授業を聞いてた?」
「え?なんで?」
「なんとなくよ。最近、上の空な感じがするから」
母にまで気づかれている。僕は慌てて否定した。
「そんなことないよ。ちゃんと聞いてる」
でも実際は、先生にも山田にも同じこと言われた。今日一日、あの子のことばかり考えていた。
これは一体、何なんだろう。




