第22話 初めての水野屋
日曜日の約束の時間に、僕は緊張しながら水野屋の前に立っていた。
千尋からもらったLINEの地図を頼りに来たが、商店街の奥にひっそりと佇む小さなお店だった。
古い木造の建物で、暖簾には「創業明治四十年 水野屋」と書かれている。建物自体に歴史を感じさせる重みがあった。ガラス戸の向こうには、美しく並べられた和菓子が見える。季節の花を模した上生菓子、艶やかな大福、色とりどりの落雁。
僕は、深呼吸をして、戸を開けた。
「健太さん!」
千尋が店の奥から出てきた。白い割烹着を付けていて、いつもの制服姿とは全然違って見える。髪も後ろで結んでいて、なんだか普段よりずっと大人っぽい雰囲気にドキッとする。僕は千尋の新しい姿格好を見るたびに心が動かされるようだ。
「お邪魔します。すみません、お忙しい時に」
僕が恐縮していると、千尋は嬉しそうに笑った。
「大丈夫です。今日は祖母の調子も良いんです。来てくださって、本当にありがとうございます」
店の奥から、上品そうなおばあさんが出てきた。
「あら、千尋。お友達?」
「はい。いつも電車でお話しさせていただいている、佐藤健太さんです」
僕は慌てて頭を下げた。
「はじめまして。佐藤健太です。本日はお邪魔いたします」
「まあ、これはこれはご丁寧に。千尋の祖母の千世です。よろしくお願いしますね。千尋がいつもお話ししているのは健太さんのことだったの」
千尋の顔が真っ赤になった。
「おばあちゃん!」
「何を恥ずかしがってるの。『電車で親切な男の子がいて』って、毎日のように聞いてるのよ」
おばあちゃんがニコニコしながら千尋を見る。千尋はますます赤くなった。
「『今日は健太さんと本の話をした』とか、『健太さんは理科が得意で』って、もう毎日毎日」
「おばあちゃん、やめてよ!」
「あら、恥ずかしいことなの?私は嬉しいのよ。千尋がこんなに楽しそうにお友達の話をするの、初めてだから」
僕も思わず顔が熱くなった。千尋が、自分のことを家で話してくれていた。それも毎日。
正直嬉しい。それもかなり。
「そうそう、健太さん。千尋ったら最近『理科の本も読んでみたい』なんて言い出して。あの子が理科に興味を持つなんて本当に初めてだったのよ」
「おばあちゃん!!ホントやめて!」
千尋が今度は本気で困った顔をした。僕は嬉しくて、思わず笑いそうになった。千尋も自分のことを考えてくれているなんて。
あらあら、なんていいながら急須と湯呑みを食器棚からいそいそと取り出す。
「健太さん、お茶でもいかが?」
おばあちゃんが3人分湯呑みを卓袱台に置くと、蒸らしたお茶を急須で注ぐ。
「ありがとうございます。ぜひ」
奥の座敷に通されると、僕は改めてお店の歴史を感じた。古い柱時計、年季の入った座卓、丁寧に手入れされた畳。全てが大切に使い続けられている。
「健太さん、これが今朝私が作った生菓子です」
千尋が美しい和菓子をお盆に乗せて持ってきた。薄紫の菊の花を模した菓子で、見ているだけでうっとりするほど繊細だった。
「すごい……これ、千尋さんが?」
「はい。まだまだ下手で恥ずかしいんですけど……」
僕は一口食べて、驚いた。上品な甘さが口の中に広がって、お茶の苦みと絶妙に調和する。
「おいしい!本当においしいです」
僕が感動すると、千尋の顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「はい。こんなに繊細で、優しい味……」
おばあちゃんも嬉しそうに頷いた。
「夏休み以降野崎さんにお世話になったおかげでかなり上達したわ。本当にうまくなったわね」
おばあちゃんは千尋を褒める。千尋さんは嬉しそうだ。
「千尋は頑張って和菓子を作ってくれたけれど」おばあちゃんは少し表情を曇らせた。「でも最近は、千尋くらいの若い子たちには和菓子って馴染みがないのよね。洋菓子やコンビニスイーツの方が身近だから。
お客さんも高齢化していて、若い層に買ってもらえないから、和菓子を食べてくれる人がどんどん減ってるの」
「千尋さんに紹介される前までは、お恥ずかしながらあまり機会がありませんでした」
「別に恥ずかしくはないわよ。時代の流れね。
大手の和菓子屋さんも危機感を感じて、インターネット販売したり、色々工夫しているようだけど、パソコンに疎いわたし世代じゃどうにも難しくてねぇ」
おばあちゃんが少し寂しそうに言った。
ここだ。僕は準備してきたアイディアを言う。
「あの……」
僕が口を開くと、千尋とおばあちゃんが僕を見た。
「差し出がましいようで恐縮ですが、よろしければ僕、お店のホームページ制作お手伝いしてもよろしいでしょうか?」
僕が言いかけると、おばあちゃんが目を丸くした。
「まあ、そんなことができるの?」
「はい。千尋さんからも和菓子需要が落ちてる話をちらっと聞いてまして、なにかお手伝いできないか考えていたのですが、実は僕パソコンが得意でして、ホームページ制作とかもできるので」
本当は、今回のために必死で勉強してきたのだけど。
「あらまあ。そんなことお願いしちゃってもいいのかしら」
オロオロとしながらおばあちゃんが僕のことを見る。
「健太さん、甘えちゃってもいいの?」
千尋も、僕を見る。
「はい、もちろんです」
僕は少し照れながら続けた。
「今度、もしお時間があるときに、どんなことができるか相談させていただけませんか?」
「ありがたいお話ね。でも、お金のこともあるし……」
「いえ、お代は結構です。千尋さんにいつもお世話になってるお礼ということで」
「それはだめ。何かを受け取って対価を支払わないのはプロとして失格なの。健太さんの作ってくれたホームページがよかったらちゃんとお支払いするわよ」
「おばあちゃん、大丈夫なの?」
「千尋、それくらいのお支払いができないほど、追い詰められているわけではないのよ。安心なさい」
「その……僕精一杯頑張ります」
僕は頭をおばあちゃんに下げた。
「こちらこそよろしくおねがいしますね」
おばあちゃんも僕に頭を下げてくれた。
がんばろう。
その後、千尋が店内を案内してくれた。製造場では、千尋の父親が黙々と和菓子を作っていた。挨拶をすると、無言で会釈をしてくれた。無口で、真面目で、優しそうな人だった。ザ、職人という印象の方だった。千尋さんが真面目なのは父親譲りなのかもしれない。
「これが商品の写真アルバムです」
千尋が古いアルバムを見せてくれた。季節ごとの美しい和菓子の写真が並んでいる。
「すごい……これ全部、水野屋さんの商品ですか?」
「はい。祖母と父が作ってきたものです」
「これをホームページに載せたら、きっと多くの人に見てもらえますよ。中には興味を持ってお店に来てくれる人もいるかも」
「あの……お店や商品の写真を撮らせていただけませんか?ホームページに載せる用の写真です」
僕がお願いすると、千尋とおばあちゃんが顔を見合わせた。
「もちろんよ。どんな写真が必要かしら?」
スマホを取り出して、店構えや商品棚、千尋の作った美しい菊の和菓子などを撮影させてもらった。千尋も手伝ってくれて、商品を綺麗に配置してくれる。
「千尋さんも一緒に写ってもらえませんか?作り手の顔が見えると、お客さんも安心しますから」
「えっ、私が?」
千尋が恥ずかしそうにしたが、おばあちゃんに背中を押されて、和菓子を持った写真を何枚か撮らせてもらった。
他にも水野屋の特徴や、様々な課題などを聞いてまわった。中には千尋も認識していなかったものもあるようで、興味深く聞いていた。
あっという間に時間が過ぎて、帰り際、千尋が見送りに出てきてくれた。
「健太さん、今日は本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。和菓子もおいしかったし、楽しかったです」
「来週も……来てくれますか?」
千尋が少し恥ずかしそうに聞いた。
「もちろんです。次はもう少し具体的なお話をさせてください。今日聞いたお話を整理してみます」
「楽しみです」
千尋の笑顔を見て、僕は確信した。きっと水野屋を多くの人に知ってもらえる。そして、千尋と一緒に何かを作り上げていけることが、とても嬉しかった。




