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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第19話 初めての星空デート

 約束の土曜日がやって来た。


 僕は朝から落ち着かなかった。何を着ていけばいいのか、何を持っていけばいいのか、何を話せばいいのか。頭の中がぐるぐると回転していた。


「健太、そんなにそわそわして、どうしたの?」


 母が興味深げに声をかけてきた。


「今日、千尋さんと星を見に行くんだ」


「あら、今日だったのね。楽しそうね」


 母が優しく微笑んだ。


「でも、何を持っていけばいいか分からなくて」


 僕は星座早見盤と双眼鏡を手に取りながら言った。


「あまり気負わないで。千尋さんは健太と一緒にいることを楽しみにしているんでしょう?道具じゃなくて、健太自身といっしょに過ごしたいんだと思うわよ」


 母の言葉に、少し肩の力が抜けた。


「夜遅いから気をつけてね」


 僕は頷いた。


 ◆


 夕方6時半、僕は桜ヶ丘駅の改札前で待っていた。


 5分前に着いたのに、もう30分も経ったような気がした。スマホで時間を確認しては、周りを見回す。その動作を何度も繰り返していた。


「健太さん!」


 振り返ると、千尋が立っていた。


 いつもの制服姿ではなく、薄い水色のワンピースを着ていた。髪も少しアレンジしていて、いつもより大人っぽく見えた。


「あ、千尋さん。こんばんは」


 僕の声が少し上ずっていた。


「お待たせしてすいません」


「いえ、僕も今来たところです」


 嘘だった。でも、そんなことはどうでもよかった。


「そうそう、これ、軽井沢のお土産です」


 千尋が紙袋を差し出した。


「わあ、ありがとうございます」


 中を見ると、ブルーベリージャムが入っていた。


「軽井沢はブルーベリーが有名なんです。朝のパンに塗ると美味しいですよ」


「美味しそう。明日の朝ご飯に食べてみます。嬉しいなぁ」


 僕はホクホクになりながら千尋と歩みを進める。そんな僕を見て千尋はニコニコしている。


 駅から公園までは20分ほどの道のりだ。


「今日は晴れてよかったですね」


 千尋が空を見上げながら言った。


「そうですね。天気予報では曇りかもって言ってたから心配でした」


「健太さん、今日は何か持ってきたんですか?」


 千尋が僕のリュックを見て聞いた。


「あ、星座早見盤を。でも、使わなくても大丈夫かな」


「見せてください!」


 千尋が興味深そうに覗き込んできた。ふわっとなびく彼女の髪の毛からほのかにシャンプーの香りがして、僕はドキッとした。


 商店街を通りながら、千尋が地元の話をしてくれた。


「あそこのパン屋さん、昔からあるんです。クリームパンがとても美味しくて」


「へえ、今度買ってみようかな」


「あ、そうだ。飲み物買っていきませんか?」


 千尋がコンビニを指差した。


「そうですね」


 コンビニで、僕はお茶を、千尋はオレンジジュースを選んだ。


「あと、これも」


 千尋が小さな箱を手に取った。和菓子だった。


「今日のために、お店から持ってきたんです。『天の川』っていう夏限定のお菓子なんですよ」


 レジで僕が払おうとすると、千尋が止めた。


「今日は私が誘ったんですから」


「でも……」


「いいんです。その代わり、星のこと、たくさん教えてくださいね」


 千尋の笑顔に、僕は何も言えなくなった。


 公園に着く頃には、空が藍色に染まり始めていた。


「わあ、もう一番星が見えますね」


 千尋が空を指差した。


「あれは金星ですね。宵の明星とも呼ばれています」


「きれい……」


 公園の奥にあるベンチに、二人で座った。隣同士に座るのは初めてで、お互いの距離感に戸惑いながら、少し間を空けて腰を下ろした。


「もう少し暗くなったら、もっとたくさん見えますよ」


 僕が説明すると、千尋は嬉しそうに頷いた。


 空が次第に暗くなっていく。一つ、また一つと星が姿を現していった。


「あ、見えてきました!」


 千尋が興奮気味に言った。


「夏の大三角、覚えていますか?」


「はい!ベガとアルタイルとデネブですよね」


「そうです。ほら、あそこに」


 僕が空を指差すと、千尋が同じ方向を見上げた。


「あ、分かります!本当に大きな三角形ですね」


「ベガがこと座の一等星で、アルタイルがわし座、デネブが白鳥座です」


 僕が説明していると、千尋が和菓子の箱を開けた。


「食べながら聞きますね」


 箱の中には、淡い青色の羊羹に銀箔が散りばめられた美しい和菓子が入っていた。


「本当に天の川みたいです」


 僕が感嘆すると、千尋が嬉しそうに微笑んだ。


「祖母が考案したんです。夏の夜空をイメージして」


 一口食べると、上品な甘さが口の中に広がった。


「美味しい……」


「よかった」


 千尋がほっとしたような表情を見せた。


「あ、織姫と彦星の話、覚えていますか?」


 千尋が空を見上げながら言った。


「はい。ベガが織姫で、アルタイルが彦星でしたよね」


「一年に一度しか会えない恋人たち……ロマンチックですよね」


 千尋の横顔が、星明かりに照らされていた。


「でも、実際の距離は約16光年も離れているんです。光の速度で移動しても16年もかかっちゃう距離、なんですよね」


 僕が情緒のないはなしをすると、千尋がくすっと笑った。


「健太さんらしいです。でも、そういう科学的な話も好きですよ」


 その時、空を何かが横切った。


「あ!流れ星!」


 千尋が声を上げた。


「願い事、しました?」


「あ、間に合わなかった……」


 千尋が残念そうに言った。


「大丈夫ですよ。ペルセウス座流星群の時期だから、もう一つ見えるかも」


 そう言って、二人でじっと空を見上げた。


 しばらくして、また一筋の光が流れた。


 今度は二人とも、黙って目を閉じた。


 僕は心の中で願った。


(千尋さんともっと一緒にいられますように)


 目を開けると、千尋も目を開けたところだった。


「何を願ったんですか?」


「内緒です」


 千尋が恥ずかしそうに言った。


「健太さんは?」


「僕も内緒です」


 二人で顔を見合わせて、笑った。


 ベンチに座り直した時、手が偶然触れた。


「あ……」


 お互いに手を引っ込めたけれど、その瞬間の温もりが、まだ指先に残っていた。


「健太さん」


 千尋が静かに言った。


「はい?」


「健太さんといると、私の世界が広がるんです」


 僕の心臓が早鐘を打った。


「科学のこととか、星のこととか。今まで知らなかったことを教えてくれて。ものの見方が変わったというか……」


 千尋が言葉を探しながら続けた。


「千尋さんも、僕に和菓子の世界を教えてくれました。世界を広げてくれてますよ」


 僕が言うと、千尋が微笑んだ。


「お互い、良い影響を与え合えているんですね」


「そうですね」


 二人でまた空を見上げた。


 時計を見ると、もう9時を過ぎていた。


「そろそろ帰りましょうか」


 僕が言うと、千尋が少し寂しそうな顔をした。


「そうですね……」


 帰り道、二人で並んで歩いた。行きよりも、心なしか距離が近くなっていた。


「今日は本当に楽しかったです」


 千尋が駅に着く直前に言った。


「また……一緒に来たいです」


「僕もです。今度は秋の星座を見に行きましょう」


「はい!」


 千尋が嬉しそうに返事をした。


 改札の前で、千尋が振り返った。


「今日は本当にありがとうございました」


「こちらこそ」


 千尋が改札を通って、階段を上がっていく。途中で振り返って、笑顔で手を振ってくれた。


 僕も手を振り返した。




 家に帰ると、母が待っていた。


「どうだった?」


「楽しかった」


 僕は素直に答えた。


「よかったわね」


 母が優しく微笑んだ。


 部屋に戻ってベッドに横になると、スマホが鳴った。


 千尋からのLINEだった。


『今日はありがとうございました。

 星のこと、もっと勉強したくなりました

 天の川、本物も和菓子も、どちらも綺麗でしたね』


 僕はすぐに返事を打った。


『こちらこそありがとうございました。

 和菓子、本当に美味しかったです。

 秋の星座も一緒に見に行きましょうね』


『はい!楽しみにしています。

 おやすみなさい、健太さん』


『おやすみなさい、千尋さん』


 スマホを置いて、天井を見つめた。


 千尋の横顔、偶然触れた手の温もり、一緒に見た流れ星。


 全てが夢のようで、でも確かに現実だった。


 この夏休み最高の思い出ができた。


 そして、これはきっと始まりに過ぎない。


 そう思うと、胸が温かくなった。


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