第17話 職人との出会い
土曜日の午後、僕は千尋と駅前で待ち合わせた。いつもより早めに家を出て、約束の時間の15分前には到着していた。
千尋も約束の時間の10分前に来た。楽しみにしてくれたのだろうか。
いつもの制服ではなく、淡い青色のワンピースに白いカーディガンを羽織っていた。私服の千尋を見るのは初めてで、ドキドキした。可愛い。
「お早いですね。お待たせちゃいましたか?」
「いえ、僕も今来たところです」
僕は、可愛い千尋にもじもじしながら答えた。
「健太さん、今日は本当にありがとうございます」
千尋が深く頭を下げた。
「気にしないでください。僕も今日楽しみにしてたんですよ。じゃあ行きましょうか」
「はい!」
◆
野崎さんの工房は、駅から歩いて20分ほどの距離だったが、千尋と色々話していたらあっという間だった。
そこは、住宅街の一角にある古い日本家屋だった。看板には「野崎和菓子工房」と書かれている。
「なんだかちょっと緊張します」
千尋が小さく言った。
「大丈夫ですよ。母が言うには、とても優しい方だって」
僕が励ますと、千尋は少し安心したような顔をした。
呼び鈴を鳴らすと「は~い」という声がした。
僕もなんだか緊張してきた。心なしか手汗がでてきた。
ガラッと音がなり野崎さんと思しき、白髪の老人が玄関から顔を出す。
60代の穏やかそうな男性だった。白髪で、職人らしい丁寧な身のこなしをしている。
僕はごくっとつばを飲み込むと勇気を出して切り出した。
「はじめまして、僕は佐藤健太と申します。あの、野崎さんでしょうか?」
「うん。君が健太くんだね。お母さんから聞いたよ。和菓子作りについて学びたいって」
「はい。千尋さんの家のお店で……あ、紹介が遅れました。こちらがおうちが和菓子屋さんの……」
「は、はじめまして。紹介に預かりました、私、水野千尋と申します!」
ペコリとお辞儀する千尋。まじまじと見る野崎さんは顎をひと撫でする。
「ああ、水野屋さんの娘さんか。もちろん知ってるよ。老舗の良いお店だ」
千尋が驚いた。
「ウチのお店のこと、ご存知なんですか?」
「もちろん。昔は同業者の集まりでよくお会いしてた。お祖父さんは職人気質の立派な方だったなあ」
野崎さんの目が優しくなった。
「最近は大変だろうね。でも、伝統的な和菓子の技術はそう簡単には失われないものだよ」
野崎さんは千尋に向かって言った。
「君が跡を継ぐつもりなのかい?」
千尋は少し困ったような顔をした。
「それは……まだ分からないんです」
「無理に決める必要はないさ」
「でも、家の手伝いはしたくて、私もお手伝いしてるんです。その、自分でも和菓子作りを勉強してるんですが、全然うまくならなくて力になれなくて歯がゆくて──
それでご相談にのっていただきたくて」
「ああ、そういうことかい。うん。若い子が和菓子作りに興味を持ってくれるのは嬉しいねぇ」
うんうん、と頷く野崎さん。
「それなら、もしよかったら、時々ここに来てみないかい?基本的なことから教えてあげるよ」
千尋の目が輝いた。
「本当ですか?」
「ああ。ただし、片手間でできることじゃない。本気で学ぶつもりがあるという条件付きだが」
千尋は僕を見た。僕は頷いた。
「もちろん本気です。ぜひともお願いします!」
情熱的な千尋の言葉に、野崎さんは優しく頷いた。
「それじゃあ、来週の土曜日から始めようか。まずは基本的な餡の作り方からだ」
「本当にありがとうございます」
千尋が深くお辞儀をした。
「いやいや、若い世代に技術を教えられるのは嬉しいことだよ」
野崎さんがおもむろに立ち上がり工房の奥へと向かう。そして、小さな包みを持って戻ってきた。
「これは今朝作った羊羹だ。ほら、食べてみて」
僕と千尋は遠慮がちに受け取った。一口食べると、上品な甘さが口の中に広がった。
「美味しいです」
僕が素直に感想を言うと、野崎さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。でも、これくらいは千尋さんも必ず作れるようになるよ」
少し歓談したあと、別れの挨拶をして、工房を出る。
千尋は何度も振り返って野崎さんに手を振った。
◆
「健太さん」
歩きながら、千尋が小さく声をかけた。
「はい」
「今日は本当にありがとうございました。健太さんのお母さんにもお礼を伝えてください」
「母も喜ぶと思います」
「野崎さん、とても優しい方でしたね。おじいちゃんのお友達だったなんて」
千尋の顔が明るかった。久しぶりに見る、心から嬉しそうな表情だった。
「良かったです。千尋さんが笑ってると、僕も嬉しくなります」
僕がそう言うと、千尋は少し頬を赤らめた。
「──健太さんって、優しいですね」
「そんなことないです」
「いえ、優しいです。私のために色々してくれて」
二人は並んで歩いた。夕方の住宅街は静かで、時々犬の散歩をする人とすれ違った。
「健太さんは、和菓子がお好きなんですか?」
歩きながら、千尋が聞いてきた。
「うーん、普段全く食べないわけじゃないんですが、正直、頻繁には食べないですね。
でも、野崎さんの羊羹は本当に美味しかったです」
「そうですか……」
千尋が少し考え込んだ。
「どうしました?」
「いえ、今度、うちのお店の和菓子も食べてもらえたらいいなって」
「もちろんです!ぜひ食べたいです」
僕の即答に、千尋が嬉しそうに微笑んだ。
「来週から頑張ります」
「僕も時々見学に行ってもいいですか?」
「もちろんです。一緒に勉強しましょう」
千尋の返事に、僕の胸がドキドキした。これからも千尋と一緒に時間を過ごせる。それだけで十分だった。
駅までの帰り道、千尋が突然立ち止まった。
「健太さん」
「はい?」
「私、その……」
千尋の目にうっすら涙が浮かんでいた。
「今日、本当に嬉しかったんです。野崎さんがおじいちゃんのことを覚えていてくださって、私に教えてくださるって言ってくださって……」
僕は黙って千尋の話を聞いた。
「おじいちゃんが亡くなってから、お店のことで頭がいっぱいで、何も考えられなくて。でも今日、少し希望が見えた気がします」
「それは……良かったです。ホントに……」
僕は心からそう思った。
「健太さんのおかげです。本当に、本当にありがとうございます」
千尋が深くお辞儀をした。
「そんな、大げさですよ。僕はただ……」
「ただ?」
「千尋さんの笑顔が見たかったからです」
僕の言葉に、千尋の頰が赤く染まった。
「健太さんは、ずるいです」
「え?」
「そんなこと言ったら、私……」
千尋が言いかけて、止めた。
「来週から、頑張りましょうね」
「はい、一緒に頑張りましょう」
夕陽が二人を優しく照らしていた。




