第16話 母の助言
その日の夜、一階のキッチンで調理をしている母に、千尋の和菓子作りの件について、切り出した。
「母さん、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?どうしたの?」
包丁でキャベツを刻む手を止める。
「和菓子職人の知り合いがいるって言ってなかった?」
「ああ、野崎さんのこと?どうして急に?」
興味深そうに僕を見た。僕が自分から何かを頼むのは珍しいからだろうか。
「実は……友達に、和菓子屋の娘さんがいて」
「友達?」
目がキラリと光った。
「えーっと……」
僕の顔が赤くなった。母は察したような顔をした。
「娘さん──ねぇ」
「……はい」
「へえー!」
母が箸を置いて、完全に僕の方に体を向けた。
「健太に女友達なんて、生まれて初めてじゃない?どんな子?可愛い?性格は?」
「母さん!」
僕の顔が真っ赤になった。
「何よ、普通の質問でしょ。年は?同じ高校?どこで知り合ったの?どのくらい仲良くなったの?」
母の質問攻撃が始まった。まいった。母の目が完全に興味深々モードに入っている。
「えーっと……名前は千尋さんっていうんだけど、同い年だけど別の学校で、電車で……」
「千尋……いい名前ねぇ。電車で知り合ったの?別の学校?ナンパ?」
「ナンパじゃないよ!偶然話すようになって……」
「へー、『偶然話す』!あの健太がねぇ。やるわねー」
こういうおばさんモードになると、どうしようもない。げっそりした顔で質問のマシンガンをしばし適当にあしらってると、やっと本題に戻ってきた。
「で、その子のお店が大変って?」
僕はため息をついて、千尋の家の事情を説明した。明治時代から続く和菓子店のこと、おばあちゃんが体調を崩したこと、お客さんが減ってきていること、千尋が将来に悩んでいること。
母は真剣に聞いていた。
「なるほどねー。大変な状況なのね。それで健太がなんとかしてあげたいわけね。『そういうこと』なのね」
「べつに、そういうことってわけじゃ……ただ、困ってるから……」
「そういうことじゃない?」
母がニヤニヤしながら聞き返した。
「その子のために、和菓子職人を探してあげるのに?健太がそこまでするなんて、よっぽどその子のことが..……」
「母さん、違うって」
僕が慌てて否定した。
「そうじゃなくて彼女が……困ってるから……」
「困ってる女の子を助けたいのね。いい心がけじゃない」
「母さん、からかわないで」
「からかってないわよ。素直で良いことだと思ってるの。野崎さんのこと、明日聞いてみるわ」
母が真面目な顔になった。
「でも健太」
「何?」
「その子のことを助けたいあんたの気持ちは分かるけど、あんまり一人で抱え込みすぎないようにね?」
「どういう意味?」
「若い男の子が女の子のために頑張りすぎると、空回りすることがあるの。その子の気持ちも考えなさい」
僕は母の言葉を考えた。確かに、自分の気持ちばかり先走って、千尋がどう思っているかちゃんと聞いていない。
千尋は本当に和菓子職人の修行を望んでいるのだろうか。それとも、単に家業の手伝いができる程度で十分なのだろうか。僕は彼女の本当の気持ちをまだ理解していないかもしれない。
「分かった。ちゃんと千尋さんと話してみる」
「それがいいわね。相手の気持ちを聞くことが一番大切よ」
母は優しく微笑んだ。
「それと健太」
「まだ何?」
「今度その子を家に呼びなさい。母さんも会ってみたいから」
僕の顔が真っ赤になった。
「無理だよ」
「なんで?」
「だって、まだ友達だし……」
「『まだ』?」
誘導尋問がうますぎる。
「それに、友達なら会っても問題ないでしょ?それとも、友達じゃないの?」
母がまたニヤニヤした。僕は答えに困った。
そもそも千尋は友達なのか、それとも違うのか。自分でもよく分からなかった。
「まあ、とりあえず野崎さんに聞いてみるから」
母が立ち上がった。
「ありがとう、母さん」
「どういたしまして。でも健太」
「うん?」
「もしあんたがその子のことが本当に好きなら、素直になりなさい。男の子が変にかっこつけると、女の子は気づかないものよ」
「母さん……」
「好きじゃないって言うなら、それでもいいけどね」
母が意味深に笑って、キッチンに向かった。
◆
その夜、僕は自分の部屋でベッドに横になりながら、今日の母との会話を思い返していた。
母の言葉が心に引っかかっている。「その子の気持ちも考えなさい」──確かにそうだ。僕は千尋を助けたい一心で、彼女が本当は何を望んでいるのか、きちんと聞いていなかった。
千尋のことを思い浮かべる。電車での初めての出会い、文学の話で盛り上がったこと、LINEで交わしたメッセージ。どれも大切な思い出だ。
でも、僕は千尋の内面をどれだけ理解しているだろうか。彼女が和菓子店を継ぐことをどう思っているのか、将来何をしたいと思っているのか。
千尋のことが好き。それは間違いない。だからこそ、彼女の気持ちをもっと知りたい。でも、それを伝える勇気はまだなかった。
僕はスマートフォンを手に取り、千尋とのLINEのやり取りを読み返した。彼女の優しい言葉、時々見せる寂しげな表情のスタンプ。全てが愛おしく感じる。
翌朝、母が朝食を作りながら言った。
「健太、野崎さんに連絡してみたわ」
「どうだった?」
「来週の土曜日、時間が空いてるって。良かったわね」
僕は飛び上がった。
「マジで?」
「本当よ。でも、まずはその千尋さんに了解を取らないとね」
僕は深呼吸をして、千尋にLINEを打った。
『千尋さん、母が知り合いの和菓子職人さんに連絡を取ってくれました。来週の土曜日、お時間があるそうです。もし良ければ、一緒に会いに行きませんか?』
すぐに既読がついた。しばらくして、返事が来た。
『健太さんのお母様にまでご協力いただいて……本当にありがとうございます。ぜひお願いしたいです♥
健太さんも一緒に来てくださるんですね?』
ハートマークが添えられていた。僕の心臓が跳ねた。
『もちろんです。千尋さんが不安なら、僕も一緒にいます』
『心強いです。健太さんがいてくれるだけで、安心します♥』
またハートマーク。僕は嬉しさのあまり、ベッドの上でバタバタと足を動かした。まるで小学生みたいだ、と自分でも思ったが、止められなかった。
その時、ドアがノックされた。
「健太?まだ起きてる?」
母の声だった。
「うん、起きてる」
ドアが少し開いて、母が顔を出した。
「千尋さんには連絡した?」
「うん、今LINEで。土曜日、大丈夫だって」
「そう、良かったわね」
母が部屋に入ってきて、僕のベッドの端に座った。
「健太、一つアドバイスしてもいい?」
「何?」
「その子と会う時は、自然体でいなさい。無理して格好つけようとすると、かえって失敗するから」
「分かってる」
「本当に分かってる?」
母が優しく微笑んだ。
「初めて好きな子ができると、どうしても良いところを見せたくなるものよ。でも、相手が好きになるのは、飾らないありのままのあなただから」
僕は母の言葉を噛みしめた。確かに、千尋の前では少し緊張して、いつもの自分じゃない時がある。
「ありがとう、母さん」
「どういたしまして。頑張ってね」
母が部屋を出て行った後、僕はもう一度千尋とのLINEを見返した。
来週の土曜日、野崎さんに会いに行く。千尋と一緒に。それが楽しみで、でも少し不安で、複雑な気持ちだった。




