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7時22分の電車で始まる恋  作者: ほしみん


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第11話 距離が縮まって

 その日を境に、僕と千尋の関係は以前より自然になった。


 むしろ、あの気まずい出来事を共有したことで、以前より話しやすくなった気さえする。


「気をつけてね」


「行ってきます」


 月曜日の朝、僕は母に見送られて意気揚々と家を出る。


 電車に乗ると、千尋はいつもの場所にいた。僕と目が合うと、軽く微笑んだ。もう、あの一週間の気まずさは完全になくなっていた。


「今日は安全な本ですね」


 僕が千尋の読んでいる『吾輩は猫である』を見て、少しからかうように言った。


「ええ、今日は祖母のチョイスではなく、自分で選びました」


 千尋が笑った。頬が少し赤くなっているのは、まだ先日のことを思い出しているからかもしれない。


「でも、祖母に『今日は何を読んだの?』って聞かれるのは相変わらず大変です」


「そうでしょうね。答えに困りますでしょうね」


 僕も微笑んだ。


「夏目漱石はお好きなんですか?」


「はい。ユーモアがあって読みやすくて。健太さんはどんな本を読まれるんですか?」


「理系の本ばかりで。物理とか数学とか」


「ああ、そういえば前もおっしゃってましたね。すみません」


「いえ、お気になさらず。最近はパソコン関係にも手を出し始めてるんですよ」


「パソコン?」


「プログラミングとか、ウェブサイト作成とか」


 千尋が本当に感心したような顔をしたのをみて嬉しくなる。実のところ、千尋に感心してもらえるようなジャンルを探してパソコンに手を出したのだけど、どうやら正解だったようだ。


「今度、健太さんのおすすめの本があったら教えてください」


「本当ですか?」


「はい。せっかくなので、健太さんの好きな分野も知ってみたいんです」


 僕の胸がドキッとした。千尋が、自分に興味を持ってくれている。こんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみなかった。


「じゃあ……ジュール・ヴェルヌの『神秘の島』なんてどうでしょう?古い小説ですけど」


「ジュール・ヴェルヌ?『海底二万里』の?」


「そうです!『神秘の島』は無人島に流れ着いた人たちが科学の力で生活を築いていく話で……」


 僕の目が輝き始めた。千尋は少し驚いた。いつもの穏やかな僕とは違って、とても熱心な表情をしている。好きなことを話している時の僕は、こんなに生き生きするのか、と思った。


「特に面白いのが、ニトログリセリンを使って湖を爆破するシーンなんです。島の水位を上げるために岩盤を爆破するんですけど、その時の化学反応の描写が……」


 僕が話し続けている間、千尋の表情が微妙に変わっていった。


「……なにもない無人島で火薬を彼らは作るんですよ。グリセリンをニトロ化してニトログリセリンを作るんですよね。あ、ニトロ化は化学でやったかもですけど、濃硫酸と濃硝酸を混ぜて混酸をつくって、で、グリセリンの水酸基を硝酸基に置換するんです。

 ニトロ化は火薬を作るときによく使う手法で繊維のもととなるセルロースもニトロ化したらニトロセルロースになって……」


 僕が更に熱を込めて語り続けようとした時、


「あ……あの……」


 千尋が小さく手を上げて、僕の話を止めた。僕はハッと我に返った。


「あ、すみません。つい熱くなって……」


 千尋は少し困ったような、でも完全に引いているわけでもない、複雑な表情をしていた。


「健太さんって……そういうの好きなんですね」


「え、ええ……変ですよね」


「変というか……ちょっと怖いかも」


 千尋が正直に答えた。僕の顔が真っ赤になった。


「すみません!別に悪いことに使うつもりとかじゃなくて、ただ化学的に興味深くて……」


「分かってます。でも、男子校の人って、そういうのに興味を持つものなんですか?」


 千尋の素朴な疑問に、僕は苦笑いした。


「いえ、たぶん僕だけです……友達にも変だと言われます。友達の山田なんか『僕の趣味は危険すぎる』って言うんですよね……」


 僕がしょんぼりすると、千尋は慌てた。


「あ、でも!知識が豊富なのは素晴らしいことだと思います」


「本当ですか?」


「はい。ただ……今度からは、もう少し普通の科学の話から始めてもらえると……」


 千尋が苦笑いした。僕も苦笑いした。


「次は天文学の話にします。星座とか、宇宙の話とか」


「それなら安心です」


 千尋がホッとした顔をした。


「楽しみにしています」


「桜ヶ丘駅、桜ヶ丘駅です」


 アナウンスが流れた。


「それでは、また明日」


「はい、また明日」


 千尋が降りていく時、振り返って小さく手を振った。僕も慌てて手を振り返した。


 そんな会話を交わしながら、僕は思った。


 千尋との時間が、毎日少しずつ特別になっている。でも、まだそれが何を意味するのかは、僕自身にも分からなかった。


 学校に着くと、山田が待っていた。


「健太、最近朝の調子がいいな」


「そう?」


「なんか、朝から機嫌がいいっていうか」


 山田の観察力に、僕は少し慌てた。そんなに分かりやすいだろうか。


「なあ、山田」


「なんだ?」


「女の子に火薬の話をする男子ってどう思う?」


「コエーよ」


「だよなぁ」


 しょぼんとする僕を呆れた目線で見る山田。


「でもピクリン酸(下瀬火薬、日露戦争で使われた)ってかわいいと思わない?」


「いや、コエーよ」


 名前が可愛くても駄目らしい。火薬の話は控えよう。

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