量り売りの少女
「いくらですか?」
客が少女に尋ねた。
客の手には高いダイヤのついた指輪。巷で有名なブランド店のものだろう。
「さあ...?量りに乗せてみて」
少女は置いてある量りを指さした。
客は納得しない様子で指輪を量りに乗せる。
コト、という優しい音を鳴らした量りは、指輪に値札を巻き付けた。
「百円...?」
客が値札を見て呟いた。
有り得ないという表情だ。当たり前だろう。その指輪は普通に買うと百万を超える。中古だとしても。
しかし量りは当たり前のように百円という値札をつけた。
「安いわね」
少女は淡々と告げた。
客は顔を真っ赤に染めて指輪を握りしめた。恥ずかしくなったのだろう。自信ありげに出した物が安いと言われて。
―量り売りの少女―
都会の少し外れた場所に時々現れる少女は、客が持ってきた物を量りに乗せて量りが値段をつける。その値段に客が納得すれば客は物を少女に渡し、少女は量りが決めた額を客に支払う、という仕事をしている。
その話は子供たちが都市伝説として語り継がれてきたが、極偶に何かの縁があった人だけが少女に出会った。
「売りますか?」
少女は客に聞くと、客は首を横に振った。
「どこか別のところで売った方が高く売れます。百円なんて有り得ないしね。でも、一つ気になることがあるわ。貴方、何者?」
客がそう聞くと、少女はぼんやりとした声で答えた。
民族衣装のようなカラフルな服に身を包んだ十三歳ぐらいの少女。髪を腰あたりまで伸ばしてバンダナを巻いている。
「量り売りの少女です。あなたの大切なものを買い取る...。それだけの人ですよ」
少女はふわりと笑って俯いた。黒く上に上がったまつ毛が下に下がる。
「さようなら。また、何か大切なものがあればどうぞ」
少女は客に手を振った。その時は顔を上げていることを客は認識した。ふわりと笑う顔には灰色が滲んでいる。
「えぇ、さようなら」
客は赤い口紅が光る唇で笑った。ダイヤのついた指輪をバッグに適当に押し込んで笑った。まるで、涙を耐えるように。
「なぁ、頼むよ。一度だけならいいだろう?」
男の腕が絡みつく。白い腕に不釣り合いなほどに光る指輪は、私が昨日少女に売ろうとしたものだった。
バッグに入っているのを思い出して気まぐれでつけた指輪を撫でる男に、私は嫌悪感さえ覚えた。
「そしたらお金、いくらくれるの?」
私が口の端を持ち上げて聞くと、男は鼻息を荒くして答えた。
「十、望むなら二十はあげるよ」
ダイヤが視界の端でキラリと光った。男の瞳に映る私はあまりにも醜くて、思わず目を細めた。
金しか見てない女だとよく言われた。
初めは単なる好奇心。自分ってこんなに価値があるのだと知って、思い上がった。
高いバッグに高いリップ、指輪、お酒、現金...。
どんどん欲しいものが満たされていく度に、私の心は削れた。街ですれ違う酔っ払った大学生、昼間にすれ違う初々しいカップル。自転車を押して歩く学生。
どんなキラキラと輝く宝石よりも、輝いて見えたその人たち。
「いいなぁ」
苦しそうな声で呟いた私の声は、空気に溶けた。
薄暗い中で私の身体を触る男の顔なんか、見たくなかった。誰かの瞳に映る自分が嫌いだ。
過去を思い出す。
0点のテスト、錆びた家の鍵、譲ってもらえないブランコ。先生に言われる心配の言葉。
変わろうと思った結果がこうだ。誰かの結婚の報告を見る度に自分の左薬指を眺める。
卒業アルバムにいる自分は誰とも話していなかった。椅子に座って本を読んでいた。
誰も私を見ていなかった。
好きな男の子には好きな女の子がいた。白い肌で鈴のように笑う子。羨ましかった。あんな子になりたかった。スタイルが良かったから、可愛かったから。モテてたから。友達が沢山居たから。
あの子はどうして可愛くなったのか、誰かが聞いていた。その子は鈴のように笑って答えていた。
彼氏の為だと。
私の今は、あの子の外見に近づこうとしている節がある。白くしようと何度サプリを飲んだ?メイクを勉強したとき、頭に浮かんだ顔は誰?
あの子は彼氏の為に可愛くなりたいと言った。
私は?私は、何のために努力している。
分からない。分からないのだ。
昨日の少女が羨ましい。
可愛い少女だった。凛とした真っ黒な目は、私を映さなかった。ただ周りの商品が反射していた目。
微笑んだ顔は優しい狐のようだった。
行為はあっという間に終わる。
指についた指輪が光り、私はベッドサイドに置かれた封筒の中身を確認して部屋を出た。
何処かに行きたくなって、知らない公園に行った。
ゾワリと外の空気が鼻の穴に入ってツンと傷む。
指に違和感を抱いて私は指輪を見た。指紋が付いていて汚いからコートの袖で拭いてあげると、指輪に映る自分が歪んでいた。
あの子だったら綺麗に映るかな。
そう思う自分の顔はそこに存在しているのか分からないほど歪んでいる。
ぽた、と雫が落ちた。
指輪と同じぐらい綺麗な光を放って。
指に感じる違和感を拭いきれなかった私は、いてもたってもいられずに指輪を外して投げた。
草むらに入った指輪は光を失っていた。太陽とか、電気とか、そういう光がないと輝けない指輪。
もう忘れた男から貰ったものだ。
あげるよと言われた時は舞い上がったのを覚えている。
一度指にはめてみたかったと笑顔で返した。その代わりに身体を渡した。
その時は、指輪がすごく輝いて見えた。だから身体を渡す時も苦ではなかった。むしろ、喜んで渡した。
あぁ、あの時からだ。
しばらくその指輪を毎日はめて過ごしていた。キラキラと輝くダイヤを周りに見られていると自信がついた。大人になったんだと思った。
あの時気付いたんだ。
こうすれば欲しいものが手に入ると。こうすれば誰かが私を必要としてくれると。私が良いと言ってくれる人が居ると。
あの時気づかなければ良かったのだ。
気付いていた事が嫌悪感なら...。私は。
「助けて」
上擦った声でそう言うと、私の瞳からぽたぽたと雫が落ちた。
「助けて、誰か」
私が思い浮かべたのは、量り売りの少女だった。
あの少女に、もう一度会いたい。
物を売りたいんじゃない。何をしたくて会いたいのか分からない。でも、とにかく会いたかった。
そう思った時、私の視界が温かく染まった。
柔らかい光に目が慣れるまで、私は半分寝ていた。
しばらくしてやっと覚醒してきた頭の中に、一つの声が響く。
「いらっしゃいませ。何を売りますか?」
落ち着いたモノトーンな声、暖かい気温。私は思わず顔を上げると、目の前には少女が居た。昨日の少女だ。
店内には知らないものが並んでいて、天井にはシャンデリアが飾られている。昨日と同じ店だ。
「あ...」
私が声を漏らすと、少女は目を細めて笑った。
「今日はそれを売りに来たんですか?」
少女の視線の先は、私の目より少し下...。
頬に垂れている雫だった。
「量りに乗せてみてください。値段はどうかしら」
私はフラフラと立ち上がって指で涙を拭い、量りに乗せた。ほぼ乾燥しているのに、しっかりと雫に見える。
量りがコト、と音を立てて値札を置いた...。
と思ったが、今回は違った。
「え?」
私は思わず驚いた。そこに置かれているのは草むらに投げた指輪だった。
「これ、私がさっき投げた指輪」
「量りが貴方に似合うと思って出したんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「この指輪は、貴方にとって必要な物です。量りがそう判断したんです。物の大切さは、誰に貰ったかではなく、どういう時間を過ごしたかで決まるものです。
貴方はこの指輪を誰から貰ったか覚えていないのなら、思い出さなくて良いんです。
でも、この指輪と過ごした思い出は、忘れちゃいけないんです。それが、人生の財産になるから」
私は分からなかった。この少女の言っている意味全てが。だけど、気が付くと私は指輪を手に取って泣いていた。
「ごめんね」
そう呟いた。その指輪に向かって、そう呟いた。
私はまだ子供だ。指輪一つで大人になったと勘違いしたただの子供だ。年齢が精神に直結するとは限らない。
指輪が似合うようになりたかった。
大人になりたかった。
だけど何時もから回っていた。
その正体が、指に感じる違和感だったのだろう。
私は指輪を撫でた。キラリと光るダイヤモンドに、雫が落ちる。
「じゃあ、この雫貰います」
そう告げた少女の顔は分からなかった。笑っていたのか、呆れていたのか分からない。
お礼を言おうと私は顔を上げた。
しかしそこは、先程の公園だった。
辺りを見渡すと草むらの影に一つ光るものが見えた。
立ち上がって拾うと、投げ捨てた指輪だった。私の手の中には少女に貰った指輪はない。だけどそんなことどうでも良かった。夢だと思えばいいやと思った。
手元にある指輪の方が綺麗で、見とれていた。
指にはめると、違和感なんて無くて、初めから私の指のために作られたのかと思うぐらい馴染んで、似合っていた。
私は再度その指輪に見とれた。厳密に言うと、指輪と自分の指に見とれていた。こんなに指輪が似合うことなんて、そうそう無い。
しかし私はある事実に気がついた。
指輪はとても綺麗だ。
でも、その指輪に映る私は、もっと綺麗だった。
読んで頂き、ありがとうございました!