毎日のように訴えます
ブランシェ・ルード伯爵令嬢は、第一王子フレディの婚約者だ。
少し身分が心許ないのにそう決まったのは、フレディに惚れ込まれたからである。
王立学園に入学する二年ほど前に二人の婚約は成立した。
その日からブランシェには、普通の教育だけでなく、王子妃・次代の王妃になるための教育がされることになった。
同じ年齢だった二人が学園に入学する。
しかし、そこでフレディはブランシェ以外の女子生徒と親しくするようになった。
それだけではなく、段々とブランシェの扱いも酷いものになっていく。
細かく言えばキリがないほどに。
普段の政務でさえ、ブランシェに押し付ける有様だった。
当然、そのことを王家に抗議した。
ブランシェは、国王と王妃との対談の場を設けてもらい、フレディの最近の態度を咎める旨を訴える。
しかし、国王たちが返したのは、フレディを諫めるようなものではなかった。
『今だけだから』『若いのだから、そういうものと受け入れなさい』
そのようにブランシェにばかり我慢を強いるものだった。
「……ですが」
「くどいぞ。ブランシェも将来は王子妃、その先は王妃となるのだから、」
「ですが!」
普段は大人しい方であるブランシェがあろうことか国王の言葉を遮って声を荒らげた。
「そのように言われますと私、これからおかしくなっていきそうです」
「……何?」
言葉を遮られた国王は、ブランシェに苛立ち睨み付ける。
王妃も同じだ。不敬だと罰を与えねばならないかと考えた。
「私、これから毎日のように訴えますわ。国王陛下に、王妃様に。ええ、どんな手を使ってでも抗議します。そして、毎日貴方たちに訴えます。どうか、毎日私と会ってくださいませ。私は何だってしてみせますわ。お二人の情に縋るのもいいかもしれませんわね」
「…………好きにするがいい」
「お言葉ありがとうございます、陛下。王妃様、今日はこのような場をいただけて幸いです」
国王も王妃もブランシェを見下していた。
所詮は小娘だと。
毎日訴えに来て、それで何がどうなるというのか。
無駄な努力をあまりにするようなら厳しく言うが……今日のところはこの程度で許してやろう、と。
そうしてブランシェより先にその場を離れた国王たち。
その背中を見ながらブランシェは……。
「ふふ」
ニィッと口の端が裂けたような笑みを浮かべた。
◇◆◇
翌日。
「陛下、ルード伯爵令嬢が陛下にお会いしたいと来ていますが……」
「またか? ああ、いや。そういえば言っておったな」
国王は執務室でその報告を受けて考える。
「毎日訴える、か。ハッ……。そもそも、王に毎日会えると思っているのが傲慢よ」
「……どうされますか?」
「忙しいとでも言っておけ。それか王妃に回すか。まぁ、昨日の今日だ。同じ内容の話を聞かされるだけだろうがな」
「かしこまりました。では、そのように取り計らいます」
国王はブランシェのことをすぐに忘れて執務に戻った。
一方、王妃にもブランシェが来たと報告がいく。
「ブランシェが私に会いに来た? ……ああ、言っていたわね。陛下はどのように?」
「忙しいと言っておけ、とお会いにはなりませんでした。王妃様に話を回してもいいが、おそらく昨日の話と同じことを聞かされるだけだろうとおっしゃっておりました」
「……まぁ、そうよね」
王妃は『別に会ってあげてもいいのだけど……』とは思った。
しかし、昨日会ったブランシェの最後の態度が気に入らなかった。
いつものように大人しく言うことを聞いていればいいものを口答えするように。
それに最後の台詞は、まるで王族である自分たちを脅すかのようだったではないか、と。
「私も忙しいのよ。用件があるのなら手紙にでもしたためさせなさい。すぐに王宮から帰らせるように」
「かしこまりました」
こうしてその日、ブランシェは二人とは会えなかったのだが……。
その翌日。
「陛下、またルード伯爵令嬢が来られているのですが……」
「またか。うっとうしいな、昨日と同じようにしておけ」
「はい、それは承知致しました。ただ……」
「何だ?」
「……どうも、様子がおかしいのです。何やらおかしなことをおっしゃるようになりまして」
「おかしなこと?」
国王は執務の手を止めて、顔を上げる。
「どんなことを言っているのだ?」
「それが……王子の婚約者に対して妙な噂が広まるかもしれないのですが……」
「構わない、言ってみろ」
「は……。『私はブランシェじゃない、フレディだ。父上と母上を出せ、お前たちは私が分からないのか』と。態度も淑女とは思えないほど横柄で、言葉遣いも荒くなっていまして」
「はぁ?」
国王は報告を聞いて、ポカンと口を開けた。
あまりにも突拍子もない言葉だったのだ。
「……何を言っておるのだ」
「申し訳ございません、ルード伯爵令嬢がおっしゃったそのままをお伝えしております」
「そうか……。ああ、いや。そういえば言っておったな。何だってする、情に訴えると。しかし、よりによって……なんと浅はかな上、馬鹿げたことを」
王族の名を勝手に語っていると罰するか?
国王はそう考えたが、それでは問題が大きくなる。
それにまさかブランシェも本気でそのようなことを言っているワケではないだろう。
どうにかして国王や王妃と話せるようにと苦肉の策だ。
やはり所詮は小娘であり、その程度しか出来ない相手だ。
「……頭は痛いがな。捨ておけ、その内に諦めるだろう。迷惑な行為はやめろとだけ釘を刺し、帰らせろ」
「かしこまりました」
ブランシェはこの日も国王たちには会えなかった。
この日以降、ブランシェの奇行は繰り返されることになる。
どうにかして彼女を第一王子の『フレディ』だと認めさせようと、明後日の努力をし始めたのだ。
フレディしか知らないはずのことを王宮使用人たちに訴えてみせて、それを理由に国王たちに会おうとする。
「……そんなもの、ブランシェはフレディの婚約者なのだから聞いていても不思議ではなかろう」
だが、そんなやり方で国王たちが話しを聞こうとすることはない。
むしろ、しつこい上に迷惑極まりないブランシェに段々と苛立ちを感じるようになった。
「もういい。本当に毎日毎日、うっとうしい。しばらく……そうだな。三ヶ月、ブランシェ・ルード伯爵令嬢は王宮に出入り禁止とする」
毎日続いていた国王たちへの訴えも、結局会うことは叶わないまま徒労に終わった。
◇◆◇
王立学園の中庭。
いつものように第一王子フレディが、ブランシェ以外の女子生徒と逢瀬を重ねていた。
そこへやってきたのは彼の婚約者であるブランシェだ。
「……ブランシェ!」
「何だ、ブランシェか」
「まぁ、ブランシェ様? そのように恐ろしい表情をされて。淑女らしくありませんわ」
「ふざけるな! 誰が淑女だ! おい、いい加減にしろ、ブランシェ!」
「はぁ……?」
フレディと女子生徒はブランシェの言葉に首を傾げて互いに顔を見合わせる。
「何を言っているんだ? ブランシェはキミだろう」
「そうですわ、ブランシェ様。一体何をおっしゃっているの?」
「だからふざけるな! お前がブランシェだろう! 僕はフレディだ!」
「……何を言っているの、ブランシェ様」
女子生徒は呆れたようにブランシェを見て、それからフレディの腕を取る。
「ねぇ、行きましょう、フレディ殿下。ブランシェ様はお疲れのようですわ」
「そうだね、行こうか。まったく、ブランシェ、邪魔をするんじゃあない。ボクは学生の間ぐらい自由でいたいんだ。結婚はどうせキミとするんだから、学生の間ぐらい束縛するのはやめてくれないか」
「なっ……」
「しかも、意味の分からないことを言って。それでボクの気を惹こうって? 浅はかだな」
「ぐっ、違う……お前が、」
「ああ、そんなにボクに相手をしてほしかったら……ふふ。どうだい? 今から寝所を共にしようか。何、ボクたちは婚約者なんだ、キミの貞操をボクが奪ったって大した問題じゃない」
「な……!」
フレディは舌なめずりをするようにそう言ってのけ、それから不躾な視線をブランシェの身体に這わせた。
「ひっ……」
「そんなに怯えないで? 大丈夫、優しくしてあげるからさ。最初は痛いっていうけど、そんなのはやってみなくちゃ分からないだろ? ああ、それとも。ブランシェは実は他にも男性を誘っていたりするのかい?」
「何、お前、お前……が」
「ほら、見てごらん、ブランシェ。女性として成熟し始めた身体を男性の皆が、いやらしい視線で見ているのが分かるだろう? いつでもキミは襲われる可能性があるってボクは心配だ。ね? まずはボクに身体を預けてみなよ」
「い……嫌だ! 気持ち悪い! だ、誰が男と!」
ブランシェは心底怯えたように周囲をキョロキョロと見回した。
「おや、魅力的だと褒めてあげただけなのに。これは以前から、そういう目で男性たちを見ていたのかな? はは」
「まぁ、フレディ殿下ったらお戯れを。でも、本当にお気を付けくださいませ、ブランシェ様。淑女らしくない振る舞いをと言って、男性に気軽に身体を許しては……貴方の価値を損ねるだけですよ、くすくす」
「ははは、こんな奔放なブランシェなら、やっぱりそういう目で見られるんじゃないか?」
フレディと女子生徒に嘲笑され、ブランシェは言葉を失くして真っ赤になるしかなかった。
「それはそうと面白い冗談だった。でもね、ブランシェ。『僕がフレディだ』なんて。キミ、王族の名を騙って、許されると思うのかい?」
「うっ……!」
「父上たちにも同じ手を使ったそうだね。王宮に仕える者たちから聞いたよ。みっともないとは思わないのかい? そんな馬鹿げた話を誰が信じるっていうんだ。これ以上、その迷惑な行為を繰り返すなら……不敬罪で罰することになるよ。分かったかい?」
「う、ぐ……だが、でも……」
「今日のところは許してあげよう。でも、これからも同じことを繰り返すなら容赦はしない。分かったね? ブランシェ」
「…………」
「返事は?」
「ブランシェ様、きちんと返事をなさってください。殿下に対して不敬でしょう。婚約者だからと傲慢になったのではなくて?」
「まったくだ。ボクもこんな情けなくてみっともない者がボクの婚約者だなんて嘆かわしい」
「ふふ、殿下。やっぱりブランシェ様には荷が重かったのでは?」
「かもしれないね。……ああ、ブランシェ。そのような言動を繰り返すならキミの有責で婚約は破棄させてもらうことになる。そうなったらキミは傷物令嬢というワケだ。……年老いた男の後妻にでも嫁がされるかもしれないな。想像してごらん? 自分が若くもない、下卑た男性に好きにされることを。キミの細腕じゃあ、きっと抵抗も出来ないだろうね」
「う……」
「はは、分かったならキチンとボクの婚約者らしく慎ましくしていてくれたまえ。でないと……そうなるよ? 一生」
「ひっ……、い、嫌だ……そんなの、僕の身体は……」
ブランシェはフレディの言葉に怯えて震えた。
それを見て満足そうにしながらフレディは去っていく。
その場にへたり込むブランシェを女子生徒は勝ち誇ったように見下して笑うのだった。
◇◆◇
「ブランシェ、執務をやっておいてくれ」
「は……?」
王宮に訪れても、やはり国王や王妃はブランシェに会うことはない。
トボトボと帰ろうとしたところ、ブランシェはフレディの使いに呼び出された。
「何を……」
「キミ程度でも、王子の執務ぐらいこなせるだろう。ボクの代わりにやっておいてくれたまえ」
「だ、誰が! 誰がそんなことを……!」
「キミはボクの婚約者だろう? 黙ってやっていればいいんだよ」
「お前! ふざけるなよ!」
ブランシェが激昂してフレディに襲いかかろうとした。
突然の奇行に護衛たちは行動が遅れる。
だが、あっさりとフレディ自身の手でブランシェは取り押さえられてしまった。
「ぎゃっ、ぐっ……!」
ギリギリと力尽くで取り押さえられるブランシェ。
「い、痛い……やめ……」
「キミ、分かっている? 王族であるボクに暴力で訴えるとか許されるワケないだろう。処刑でもされたいのかい?」
「ぐっ……そんなこと出来るワケ……」
「出来ないとでも?」
「あぐっ! や、やめろ! 痛い!」
「キミの評判、最近はどんどん下がっていっているよ。まったく、情けない婚約者を持つとこうも苦労するのか」
「ぎゃっ」
ブランシェはフレディに突き飛ばされて、その場にへたり込んだ。
「罰だ。机の上にある執務を片付けるまで、この部屋を出ることを許さない」
「な……」
「ボクは遊びに行くとするよ、ブランシェ。有難く思うんだね。王族に暴力を振るおうとしたキミをこれだけで許してあげるんだからさ」
「ま、待て……ブランシェ……」
「まだそれ言っているの? だから、ブランシェはキミだよ。何? 催眠術か何かで『私はフレディ殿下だ』って思い込まされでもしたの?」
「え?」
「思い出してごらんよ、キミは生まれた時からブランシェ・ルードだった。仮に……記憶が混濁していて、ボクとの思い出がさもボク自身であるかのように思い込んだって、キミがブランシェであることには変わりない。鏡は見たかい? それが真実だ。もし、催眠術が正解なら……早く自分を取り戻せるといいね、ブランシェ」
「…………」
呆然とした状態でブランシェは執務室に取り残されてしまった。
しばらくそうしていたが、フラフラと立ち上がり、出ていこうとする。
しかし。
「執務をしてください、ルード嬢」
「……執務?」
「殿下がおっしゃられたでしょう。殿下に殴り掛かった貴方を許すための罰です。しっかりとこなしてください」
「だ、誰が……そんな」
「では、牢へ入られますか? 殿下はああおっしゃられましたが、流石に王族への暴力行為は看過し難いものです。貴方を拘束し、陛下に報告致します」
「父上に……それなら、父上は僕に会いに来るか……?」
「……陛下がわざわざ罪人に会おうとはされないでしょう。陛下や殿下たちが話し合って貴方の処遇を決めるのみです」
「くっ……それでは、アイツが……」
ブランシェは淑女らしさの欠片もなく、悔しげに表情を歪ませた。
「ルード嬢、執務を」
「ぐっ……」
結局逃げることは出来ず、ブランシェは執務をするしかなくなった。
◇◆◇
その後、ブランシェには王妃教育が厳しく課されるようになる。
「な、何故……」
「殿下から報告がありました。貴方の今の態度もさることながら、教えた教育がまったく身になっていないようだと」
「そ、それは……」
「試験をした後、その結果次第で再教育となります」
結果、ブランシェは散々な結果を叩き出すことになった。
「はぁ……以前までは出来ていたのに。あの頃は付け焼刃だったようですね。きっちりと覚え切るまでやり直しです、ブランシェ様」
「ぼ、僕は……こんな」
ブランシェには自由な時間がどんどんなくなっていった。
本来は終わっているはずの王妃教育がやり直しとなったのだ。
学園の授業と両立することは難しく、学園以外でのほとんどの時間が教育に当てられた。
「嫌だ! こんな生活! 僕は王子なんだぞ!?」
「……貴方は、まだ王族ではありません。フレディ殿下の婚約者として準王族ではありますが、そのようにおっしゃるのは王族へに不敬に当たります」
「違う! 違うんだ! 僕が……僕がフレディなんだ! ブランシェじゃない、ブランシェじゃない……! うわぁああああ」
泣き崩れようともブランシェへ課される教育は終わることはない。
ブランシェは厳しく教育し直されることになった。
そして。
「ブランシェ、また仕事をしておいてよ。この前みたいに散々な結果じゃないといいね」
「……お前」
「お前、じゃないだろう? 相変わらず言葉遣いがなっていないな。キミ、きちんと教育を受けないといつまでたっても王妃教育は終わらないよ?」
ブランシェはギリギリと服の裾を握り締める。
「この前、キミに任せた執務は散々な結果だった。実はアレが理由でキミの再教育が決まったんだ。だから、この執務はキミへのテストのようなものなんだ。しっかりやってくれたまえ。ああ、結果は厳しくチェックするからね。不正しようなんて考えても無駄だよ」
「…………」
「返事。その程度も出来ないか?」
「ぐ……は、はい……」
厳しい教育の末、ブランシェの心は折れ始めていた。
死んだような目で執務に取り組むブランシェ。
「どうしてこんなことに……」
ブランシェの目には涙が浮かんでいたが、誰も彼女を慰める者は居なかった。
ブランシェの心が休まらない日々は数ヶ月も続いた。
言動の修正もさることながら、ここにきての王妃教育のやり直しが彼女の評価を著しく下げていた。
フレディの取り計らいで執務を任せてはみるものの、やはり抜けが多く至らない。
「まったく使えない婚約者を持つとボクも苦労するよ、ブランシェ」
「…………申し訳、ござい、ません……フレディ、殿下」
「キミさ、まだそれ続けるの? キミがブランシェじゃなくてボクだって。皆呆れているよ」
「…………」
「だいたい、キミがフレディなら、ここに居るボクは誰なのさ」
「それは……だからブランシェだと……」
「はぁ。キミから見てさ。ボクがブランシェらしく振舞ったことってあったかな?」
「え……?」
「ボク、そんなに女性らしく見えるかい? そう振る舞ったって誰かに聞いた? 言葉遣いは?」
「え、でも……」
「仮に。仮にだよ? キミの中身がブランシェではない、何者かだとしよう。でも、ボクはボクだ。ボクこそがフレディであり、それは生まれた時から変わらないことなんだよ」
「え? え? ブランシェじゃ……ない?」
「当たり前だろう。キミ、そろそろ精神的にどうかしていると疑われているからね? この数ヶ月はどうにか耐えていたけど……もう限界かも」
ブランシェは混乱したようにフレディを見つめた。
「でも、だって。じゃあ、じゃあ、僕は誰……?」
「まだ続けるんだ……。だから、ブランシェだってば。何? 二重人格なの?」
「二重……人格……」
ブランシェはフラフラと、自分を見失ったようにその場にへたりこんだ。
「まぁ、いいけど。今日の分の執務もお願いするよ、ブランシェ」
「あ……ま、待って……」
部屋から去っていくフレディに泣き縋るように手を伸ばすが、彼がブランシェに答えてくれることはなかった。
「僕、僕は……ブランシェ……じゃない……本当に? 二重人格? アイツは本物の僕なのか……? 何がどうなって……」
追い詰められながら、ブランシェは厳しい日々を送った。
厳しく教育されたことでどうにか執務も出来るようになってくる。
だが、その頃にはもう満身創痍になり、くたびれた様子になっていた。
ブランシェが国王たちに抗議してから一年が経つ。
あれからブランシェが国王や王妃とまともに会話したことはなかった。
◇◆◇
ルード伯爵とブランシェ、国王と王妃、そしてフレディで話し合いが行われる。
「……これが最近のブランシェの素行と、王妃教育の結果です。試しに執務をやらせてみたのですが……思わしくない結果でした」
「そうか……」
「以前はあんなに優秀だったのに……」
「申し訳ございません、娘が至らず」
「ルード伯爵、こればかりは仕方ないさ。人にはどうしても向き不向きがある。でもね、この有様では……とても王妃には据えられないとボクは思っている。父上、母上、どうでしょうか」
「……うむ。そうだな……。元々、伯爵家というだけで周りからは反発があった。それもフレディがあれだけ熱心にブランシェをと望むから強引に婚約を結んだのだが……」
「それでもブランシェが優秀だったから今まで許されていたのよ。それなのにこれでは……」
「……ボクも正直、過去のことは反省しています。ボクの気持ちだけでブランシェを今まで束縛してしまった。きっと無理をさせていたのだと思います。それもやはり限界があったのでしょう。だから、おそらくこれ以上は……」
「そうだな」
「父上、母上、そしてルード伯爵。ボクはブランシェとの婚約を白紙にしてほしいと考えています」
「……白紙、ですか」
「はい。ブランシェに瑕疵は……その。失礼ながら最近の態度や、この結果のことを考えると瑕疵がなくはないのですが……」
「そう、ですな……。特に最近は何もかも……」
ルード伯爵は落ち込んだように目を伏せた。
「それでも最初はボクが発端です。ボクの一方的な気持ちでブランシェを縛り付けてしまった。ブランシェは、きっとボク、フレディのことを愛していなかったでしょう。好きなんて気持ちは欠片もなかったはずだ。ブランシェ・ルードは一度もフレディ・オーベルのことを愛したことなどない」
「な……」
ブランシェはフレディの言葉に絶句する。
「それでも真面目なブランシェは今まで頑張ってくれました。結果は最終的には良くなかったけれど、本当に頑張っていてくれたんです。それは王妃教育を請け負ってくれていた教師陣も認めてくれています。学園に入る前にはきちんと王妃教育を完璧に修めていたと。……でも、精神的な脆さがあったのでしょう。やはり好きでもない男性に嫁ぐことにも限界があったのだと……」
「フレディ殿下……」
「ルード伯爵、父上、母上、ボクはもうブランシェを解放してあげたい。ボクという最低の枷を彼女から取り払い、自由にしてあげたいんです!」
「フレディ……」
「ま、待って……」
「だから、ブランシェ。キミとの婚約を……ボクは白紙にしてもらいたい。そして、契約を交わそう。二度とボクは、フレディ・オーベルはブランシェ・ルードとの婚約を結ぼうとしない、結婚をしようと迫らないと。もしも『気が変わった』と言ってボクが暴走するなんてみっともない真似をするのなら。父上、母上、ボクのことを廃嫡していただいて構いません」
「……! ま、待って! 待ってくれ、そんなことは」
「ブランシェ、これはボクの決意なんだ。キミには王族になることが……向いていない。王族と名乗れる能力だって……なかった。キミは、ボクのことを好きだったことも愛したこともなかった。そうだろう?」
「そ、そんなはずない! そんな、ブランシェは……!」
「分かるよ、キミの態度を見ていたら。キミの表情を見ていたら。一度も、キミから恋愛感情を感じたことなんてなかった。本当にごめん、ブランシェ。好きでもない男に嫁ぐなんて心底嫌だっただろう? ボクのことが、フレディ・オーベルのことが大嫌いだっただろう? いいんだ。キミのその感情は間違いなんかじゃない。そして罰されることでもない。ボクは……どこかで『王族なら女性は自分に惚れて当たり前』だなんて、傲慢で馬鹿げた考え方をしていた。そんなワケがないのにね……。ブランシェ、ごめんね。本当に、好きでもないボクと婚約なんかさせてしまって。ボクがすべて悪かったんだよ……」
そう言って、フレディは頭を下げて謝罪した。
「な、な、な……!」
「父上、ルード伯爵。どうかお願いします。ボクとブランシェの婚約を白紙にしてください」
「ま、待て! 嫌だ! そんなの、僕はブランシェと別れるつもりなんて!」
「……キミの精神がおかしくなってしまったのは分かっている。それもきっとボクのせいなんだ。ボクがキミを婚約者に据えたせいで、そんな風におかしな言動をするようになってしまった。……すまない、ブランシェ、ルード伯爵……ボクのせいで……」
「フレディ……」
「でも、どうか。彼女には瑕疵などないと公表してほしい。婚約は破棄ではなく、白紙に。それから……ルード伯爵。次の彼女の縁談は、今度こそ彼女の意に沿ったものにしてあげてほしいのです。陛下、どうか彼女には幸せな人生を歩んでほしい。だから、どうかお力添えを。彼女が想った相手の下へ嫁げるように」
「……フレディ、そこまでか。……いいのだな?」
「はい、覚悟は出来ています。これはボクのブランシェへの最後の礼儀です。……でも、これだけは信じてほしい。喩え彼女との婚約が白紙となり、二度と彼女と関わることがなくなったとしても。ボクは彼女のことが好きだった。だから……その。しばらくは、この場の覚悟を簡単に撤回して……暴れるようになってしまうかも」
「ははは……。そんなにか?」
「はい、ですが、それではブランシェも困るでしょう。ですから、きっちりと今後二度とフレディ・オーベルはブランシェに干渉しないと契約を結びます。貴族院と教会にもその契約書を提出し、それを貫いてみせると示します。これは、王族としてのボクなりの覚悟だ」
「フレディ……」
「お、お前! ふざけるなよ! お前、やっぱりブランシェだろう!」
「ブランシェ! いい加減にしてくれ! いつまでそんなバカなことを言っているんだ!」
「いいんだ、ルード伯爵! ブランシェがおかしくなってしまったのは……ボクのせいなんだよ、だから」
「殿下……」
「だから! 僕が!」
「もうやめるんだ! ブランシェ!」
「ぐっ」
ルード伯爵に一喝され、ブランシェは口を噤むしか出来ない。
フレディはそんなブランシェを困ったような表情で眺めた。
「……分かった。フレディの決意は固いようだ。それに残念だがブランシェの能力は王子の妃になるには足りていない。執務はロクに出来ず、教育も進まず……これでは反発を抑えるのは難しいだろう。王としても、ブランシェはフレディの婚約者として相応しくないと判断する」
「ま、待って……待ってください、父上……」
「…………精神的に追い詰められているのも見ての通りだ。だが、フレディの言ったように元は王家からこの婚約を強引に取り付けたもの。このような状況に追い込まれなければ、ブランシェがこうならなかったのは……きっとそうなのだろう。二人の婚約は白紙とする」
「な……!」
「ありがとうございます、父上」
「貴方はそれでいいのね、フレディ?」
「はい、母上。ただ、その。……本当に彼女のことが好きだったので、明日からおかしくなるかもしれません。毎日のように訴えるかも。またブランシェと婚約させてくれ、って」
「それは……」
「そうなった時はどうかボクを止めてください、父上、母上。王子らしく、一度した契約は守れと。みっともない真似はするなと。どうかよろしくお願いします」
「……分かったわ。貴方は私たちの息子だもの、しっかりと見守っていくわね」
「ありがとうございます、母上。父上、どうかお願いします。国王陛下から彼女の望む縁談を支援するとお約束ください、この通りです」
フレディはその場で床に膝を突き、頭を地面に擦りつけて願った。
「……分かった。フレディがそこまでするのだ。そのように取り計らおう」
「ま、待ってください! お願いします、そんな、嫌だ! 僕は!」
「ルード伯爵、これ以上はブランシェの精神に負担が掛かるだろう。どうか屋敷へ連れ帰り、療養させてあげてほしい」
「分かりました。フレディ殿下、娘のことをそこまで考えてくださってありがとうございます」
「いいや、今まで本当にすまなかったな」
まだ納得のいっていないという様子で必死なブランシェを無理矢理に伯爵が連れ出し、退出していった。
「フレディ、本当にいいのか?」
「はい、父上。気持ちだけではどうにもならないことがあります。ブランシェを婚約者に据えていたら、ボクの経歴も危うくなっていたでしょう。特に最近のブランシェは……ひどかったから」
「……そうだな」
以前はともかく、今のブランシェでは。国王たちもそう思っていたからこそ、婚約の白紙は滞りなく進んだのだった。
しかし、その翌日。
「ボクが本物のフレディだ! 昨日までのボクは別人だったんだ!!」
「きゃああ! おやめください、フレディ殿下!」
フレディは王宮にある物に当たるようになった。
「ふざけるな! ボクだ! ボクこそが本物なんだ! 皆、騙されやがって!」
使用人たちにまで手を出し始め、暴れ回り始めるフレディ。
そのことはすぐに国王にも報告がいった。
「フレディ……!? お前、何を!」
「父上! ふざけるな! あんなのに騙されて! ボクが本物のフレディです!」
「はぁ……?」
「今すぐブランシェの婚約を戻してください! 絶対にあの女を逃がしてやるもんか!」
「お、お前一体何を……?」
「黙れ! たかが国王が! どうせ、ボクがすぐに王になるんだ! そうしたらお前なんかすぐに追い出してやる!」
「な……」
人が変わったような言動をするフレディに言葉を失う国王。
「嘘だと思うなら、あの女に聞いてみるといい! こうして本物のボクが、ボクの身体に戻ったんだ! 今頃、あの女だって元に戻っているはずだ! だから、今すぐにブランシェに確認を!! お前は入れ替わっていたんだろうと! そうしたらあの女は認めるはずだ!」
国王も王宮で働く者たちも訳が分からなかった。
フレディの気が触れたのかと思ったが、入れ替わったというのはこの一年、ブランシェがずっと言っていたことでもある。
それをフレディまで言い出したのだ。
そのため、『まさか?』という思いに駆られる。
「さぁ、早く! ルード伯爵家に確認を!」
「……分かった。だが、フレディ。先程の言葉は聞き捨てならない」
「ハッ。どうせボクが王になるのは決まっていることでしょう? なら何がおかしいって言うんですか」
「……そうか。お前の考えは分かった。喩え、一時期の自暴自棄からの発言とはいえ、お前の性根は理解した」
「フン!」
フレディは不遜な態度でその後も国王をあしらう。
国王からの視線がどんどん冷えこんでいくことに気付かないように。
その夜。ルード伯爵家に聞き取りにいった者の報告が国王の下へ届いた。
「どうだった?」
「それが……その。ありのまま申し上げますと、ルード伯爵令嬢の方もご自分をフレディ殿下であると」
「……はぁ」
「ようやく信じてくれたと涙を流しておりましたが……仮に二人が入れ替わっていたという不思議な現象が起きているとしても、これでは」
「二人ともが本物のフレディを名乗っているということになる、だな?」
「……はい」
「まったく、ややこしい真似を……」
「伝染するものでしょうか。或いは、片方が影響を受けたのか」
「ブランシェは一年以上、似たような真似をし続けていたからな。もしかしたら自分もそう振る舞えば思い通りになるとでも思ったのかもしれない。フレディめ、情けない……」
「陛下、お話し中、失礼致します。フレディ殿下がお話ししたいと来られています」
「フレディが? ……通せ」
この期に及んで何を、と王は思う。
だが、部屋へやってきたフレディは国王の心象を大いに悪くした。
「父上! 実はボクは元の姿に戻ったのです! 今までボクはブランシェとして生きていましたが……ようやく戻れました!」
「……何を言っている」
「はい、父上! 信じられないかもしれませんが、ボクはこの半年、ブランシェと身体を入れ替わっていたのです!」
「…………半年?」
「はい! 半年、入れ替わっておりましたが、実は先程! 一時間ほど前でしょうか? こうして無事に元の身体に戻ることが出来ました! ボクこそが本物のフレディ・オーベルです!」
「一時間前……」
国王は胡乱な目でフレディを見た。
よもや、フレディは好きだった婚約者を手放しておかしくなってしまったのだろうか。
「……そうか。では、まず療養せよ。話は明日、聞こう」
「かしこまりました! いやぁ、久しぶりの入浴です! 伯爵家では入れませんでしたから!」
「……待て。何故、入浴が出来なかった?」
「え? それは……はは、父上、あれですよ。伯爵家なんて貧乏な家では入浴もままならないでしょう?」
「…………もういい」
そんなワケがないだろうと国王は思ったが、あまりにも浅はかな嘘に興味を失くした。
「…………」
「……失礼ながら、こちらの方は演技としか言えませんね」
「だろうな。あんなにも愚かな息子だったか……」
ブランシェは精神を病んでしまったのだろう。
だが、フレディの方は演技としか思えなかった。
翌日からもフレディのおかしな言動は続いた。
「本当なんです! 今、ボクは元の身体に戻ったんです! ですから婚約を元に戻してください!」
「……フレディ。貴方、言っていることが滅茶苦茶なのよ」
「ですが本当なんです! 母上なら信じてくれますよね! 可愛い息子が真剣に訴えているのですから!」
「はぁ……毎日、毎日……馬鹿な訴えを」
元の身体に戻った、だけならばいい。
良くはないが、ブランシェの供述と重なれば真実かもしれないと思えた。
だが、調べたところ相変わらずブランシェは以前と同じおかしな言動で、自分をフレディだと思い込んでいる。
フレディはそのことを知っていたから、それを利用して婚約の白紙を撤回させたいらしいが……。
設定が曖昧過ぎて支離滅裂だった。
入れ替わった時期は一年前なのか、半年前なのか、数日なのか。
そして、元の姿に戻ったタイミングはいつも適当で。
その上、国王に対してあり得ない発言をしたという。
「……どうなってしまったのよ、あの子は」
気を病む王妃だが、さらに良くないことが起こる。
フレディが王宮の階段から足を踏み外し、大怪我を負ったのだ。
歩いて外に行けなくなり、ストレスが溜まるのだろう。
フレディの言動はますます酷くなっていく。
ブランシェとの婚約が白紙となってから、たった三日の出来事だった。
「ボクが本物のフレディだって言っているだろう!」
手が付けられない。誰もがそう思った。
そして、婚約白紙から四日目。
ルード伯爵邸でブランシェは。
「ブランシェ……調子はどうだい?」
「お父様」
婚約を白紙にした日、王宮から人がやってきてブランシェに問いかけた。
貴方は本物のフレディ殿下ですか、と。
そう聞くとブランシェは涙を流してようやく信じてくれたのだと言った。
その後、使者と共に王宮へ行こうとしたが、まずは王の判断を聞いてからだと返された。
ブランシェは、王宮からの迎えを待つように大人しく過ごしていた。
それでも、自分がフレディなのだという言動を改めることはなかったが。
「今までご迷惑をお掛けしました、お父様」
「……ブランシェ?」
「はい、ブランシェです。ブランシェ・ルード。……今までおかしな言動をしてしまっていたこと、誠に申し訳ございません」
ペコリと品良く頭を下げる娘にルード伯爵は涙を流す。
「ああ、そんな、ブランシェ。元に、……戻ってくれたのかい?」
「……はい、お父様。私は元に戻りました。きっと使者さんが私の『嘘』を信じてくれたのが理由でしょう。自分でも今までどうにもならなかったのです」
「ああ……そう、だったのか」
今まで娘が自分をフレディだという妄言を吐くのを否定してばかりだった。
だが、それが間違いだったのだ。
まずは娘の言うことを聞き、肯定してあげるべきだった。
「……お父様。どうか、お願いがあります。聞いていただけますか?」
「ああ、ああ、ブランシェ」
「私、好きな人が居るんです。それはフレディ殿下じゃありません」
こうして。
ブランシェは国王の推薦もあり、願った相手との縁談を用意してもらった。
もちろん相手に強制はしない。
ブランシェの評価も厳しいだろうし、フレディと同じことを相手にするのは嫌だったからだ。
「……実は私もブランシェ嬢のことが……」
だが、ブランシェが好意を寄せていた相手は以前から彼女のことを気に掛けていた。
彼女が婚約してから諦めていたし、この一年は心を痛めていたが立場上、何も出来なかったのだ。
「いいのです。むしろ、あの頃の私に近付いて、私が嫌われていた方が嫌でしたから」
「その……もう大丈夫なのですか、ブランシェ嬢」
「まだしばらくは療養しようと思いますが、精神的には落ち着いてまいりました」
「それは良かった」
「では、どうか。前向きに」
「はい、貴方が認めてくれるのなら」
ブランシェは新しい婚約を結んだ。
地に落ちていた評判をどうにか覆そうと今では婚約者と共に頑張っている。
一方でフレディは。
「ぼ、僕が本物だ! 本物のフレディ・オーベルなんだ、この僕が! だから、父上! 母上! ブランシェとの婚約を元に戻してください!」
「はぁ……」
「……ブランシェはもう新しい婚約を結んだよ。私が推薦した」
「な! 撤回を! どうか撤回を! あれは違うのです! 今の僕こそが本物なのです!!」
そうしてフレディは毎日訴える。
だが、言動のおかしくなった息子に愛想を尽かして、国王と王妃は遠ざかっていった。
やがて病気療養という名目でフレディは王都を去ることになる。
王位継承権は次へと移り、フレディが王になる道は断たれてしまった。
それでも。そうなっても、尚。
「僕が本物のフレディなんだああああ!!」
フレディは毎日訴えるのだった。