SIDE・リオン2
「……刻印、これで完了です」
ライトの声が、静かに部屋に響いた。
焼きつくような痛みが残り、そこに刻まれた紋章はまだじんじんと熱を帯びている。ほんの少し動かすだけでもズキリとくる。
僕はベッドの上で、ぐったりしたまま小さく息を吐いた。
「……はぁ……終わった、んだよね……?」
「はい、完璧ですよ。線も滲まず綺麗に出てます」
テーブルの前のソファにぱふんっと座り込んだライトが、満足そうにそう言った。どこか楽しげで、悪戯の後を楽しむような声。
「ねぇ、リオン……ちょっと、見せて?」
その声にびくっとした。ずっと僕の頭を撫でてくれていたルシアが、そっと僕の額から手を離し、優しく覗き込んでくる。
「えっ……も、紋章……?」
「うん……ちゃんと見たい。リオンの覚悟」
その言葉が、胸にすっと入り込んできた。心臓がドクンと音を立てる。
「……わ、わかったよ……」
僕は横になったまま、片手でズボンをそっとずらした。すると、赤く腫れた左のお尻に、ギルドの紋章が浮かび上がる。
「まだ……赤いね……」
ルシアが小さく呟いて、指を近づけてきた。でも、触れることはなくて、ただじっと、僕の覚悟を見つめていた。
「ごめんね……痛かったね……」
「……ううん。ルシアがそばにいてくれたから、僕……がんばれたよ」
そう言うと、ルシアは少しだけ微笑んだ。そして濡れたタオルをそっと手に取って、慎重に患部に当ててきた。
「ひゃっ……!?」
思わず情けない声が出た。けど、それを聞いてルシアはくすりと笑った。
「ふふっ……ごめんね、ちょっと冷たいよ」
「ま、まじで冷たい……っ!でも、気持ちいい……」
タオル越しに広がる冷たさが、火照った痛みを少しずつ引かせてくれた。
そんなときだった。
「よく、がんばったね……」
ルシアが、そっと僕の額に唇を寄せて、優しいキスを落とした。
「……ルシア……っ」
その温もりが、痛みも、怖さも、すべてを溶かしていくようだった。僕の中の張りつめていた何かが、ふっと緩んだ気がした。
その瞬間――
ぽふん、とベッドに飛び乗る軽い音。僕の気が緩みかけたその瞬間だった。
「いやぁ、いいもの見せてもらいましたよ。愛って偉大ですねぇ~」
ああもう、出た。ライトの茶化し口調。絶妙なタイミングで入れてくるあたり、わざとにしか思えない。
「……ライト……雰囲気ぶち壊しだぞ……」
「ええ、わかっておりますとも。でもそろそろ次の準備も必要でしょう?」
僕とルシアは顔を見合わせた。
「……カップル登録ですよね」
ルシアが小さく、でもはっきりと口にする。
「うん。冷やし終えたら、いよいよ……だね」
あんなに痛かった刻印。でも、たしかにこの時間が、僕たちの絆をもっと深く強くしてくれた気がした。
「そろそろ冷却、終わりそうですね」
ライトがタイミングを見計らい、テーブルの上にぽん、と軽やかに何かを置いた。
「あ、これはカップル登録専用の端末です」
ライトが示したのは、小さな四角い黒い端末。まるでスマホみたいな見た目だけど、中央に丸い紋章のような模様が浮かんでいる。
「これは、出張用なんです。簡易型なので、どこでもカップル登録ができますよ」
「しゅ、出張用って……そんなのまであるんだ……」
ルシアが僕の隣で目を丸くしている。僕も驚いたけど、それより今、何より胸が騒いでいるのはこれから先のこと。
「お二人のタイミングで大丈夫です。真ん中が光ったら、お互いの手を重ね合わせて置いてください」
ライトがまるで儀式の説明みたいに、さらっと言ってのけた。
「そ、それだけ……?」
「はい。それだけで完了です。ですが……」
ライトの言葉が一瞬止まり、意味ありげな笑みを浮かべる。
「心がちゃんと繋がっていないと、登録エラーが出ることもありますので、あしからず」
「そ、そんなことあるの!?」
僕は思わず前のめりになって叫んだ。冷や汗が背中を伝う。心が……ちゃんと繋がってないと……?
「リオン、大丈夫だよ。……私は、ちゃんと繋がってるって、信じてる」
ルシアの声が、そっと僕の耳に届いた。
不安で跳ねそうになった心が、一瞬で落ち着いた気がした。ルシアが、まっすぐ僕を見て微笑んでいる。それだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……ありがとう、ルシア」
僕はそっと立ち上がり、テーブルの前に座った。ルシアも隣に腰を下ろし、緊張した面持ちで僕の手を見ている。
ライトが操作すると、端末の中央が淡く光り始めた。
「さあ、いつでもどうぞ。リオンさん、ルシアさん」
「……うん」
僕は震える指先を、そっと端末の中央に置いた。ルシアも一瞬の間を置いて、僕の手の上にやわらかな手を重ねる。
ルシアの手が、僕の手の上にそっと重なった瞬間――
「……あったかい」
思わず、そう呟いていた。小さくて、やわらかくて、でも確かなぬくもりを持ったルシアの手。その感触だけで、胸がいっぱいになる。
「……緊張、してる?」
ルシアが、上目遣いで僕を見ながらささやく。かすかな震えが、その手からも伝わってきた。
「う、うん……少し、だけ……」
「……私も。……でも、なんか嬉しい」
そっと僕の指を包み込むように、ルシアが指を絡めてくる。
「これで、正式に……“僕たち”なんだよね……」
そう言いながら、なんだか喉が渇いた。息が浅くなる。手の平が汗ばんできているのが分かった。
「うん……リオンと、ちゃんと繋がれてる……」
ふたりの手の下で、端末の光がじわじわと強まっていく。まるで、僕らの鼓動に呼応するかのように。
その時――
「おっと、おっと……そのドキドキ感、こっちまで伝わってきますよぉ?」
ライトの茶化した声が、空気をわざとらしく揺らす。
「……黙ってろってば……!」
僕は思わず背中越しに睨んだ。だけど、ルシアが小さく吹き出したのを見て、ふっと肩の力が抜けた。
……ルシアが笑ってくれてる。それだけで、僕はもう……
「じゃあ、いきますね……」
僕が小さく頷くと、ルシアもゆっくり目を閉じた。
ふたりの手の下で、端末の光が一層強くなり微かな温かさが下からじんわりと伝わってくる。
『認証開始――カップル登録プロセスを実行します』
人工的な女性の音声が、静かに響いた。
「……はじまった」
緊張で息を呑む。ルシアの指先がぴくりと震えた。
……僕らの心が、ちゃんと通じてるって、証明されるんだ。
光が、さらに強く、青と白が混じるような色へと変わっていく。
ピーッ……ピーッ……
『――確認完了。99.7%……条件を満たしました』
端末の声がそう告げた瞬間、光がふっと静かに収束し、僕とルシアの手のひらの間に、わずかなぬくもりが残った。
「……やった、ね」
ルシアが、そっと目を開けて僕を見る。その瞳は、今まででいちばん澄んでいて、揺るぎない光をたたえていた。
「……うん、これで……僕たち、正式に……」
言葉が喉の奥で詰まる。でも、それをルシアはわかっていたのか、僕の手をきゅっと握り返してくれた。
「うん。“ふたり”になれた」
その言葉が、胸の奥まで染み渡る。
……ルシアと僕、ちゃんと同じ場所に立てたんだ――
「いやぁ、青春ですねぇ……うんうん、若さって尊い」
後ろから、やたら感慨深そうな声が響く。……やっぱりライトだ。
「ライトさ……なんで最後だけ真面目っぽいんだよ……!」
「いやいや、これは真面目な感想ですよ? それにしても、これはもう、ご祝儀モードですね~。あ、何か飲みます?冷蔵庫のほうに――」
「ライト、それ以上しゃべったら僕、もう一回泣くかもしれないから黙って……」
「おっと、それはまずい。では、私は空気になります。消えます。蒸発します。シュッ」
ライトがソファの上でくるんと回転して、背を向けた。
ぬいぐるみみたいな後ろ姿を見てたらつい笑みが込み上げてくる自分がいた。
……こいつ、本当に憎めないんだよな……
ルシアもそんなライトにくすくす笑いながら、僕を見つめた。
「……リオン、これからも、よろしくね」
ルシアが僕の手を優しく撫でながら、静かに言った。
「……こっちこそ。もう、絶対に離さない」
そう誓いながら、僕はルシアの手をもう一度、優しく握りしめた。
この世界で、ルシアと出会えてよかった。心から、そう思った――




