SIDE・リオン
SIDE・リオン
部屋に入ると、ふわっとした甘い香りがした。カーテン越しに差し込む柔らかな光が、白を基調とした内装に優しく馴染んでいて、まるで、ルシアにぴったりな空間だと思った。
「素敵なお部屋ですねぇ」
ライトがふわりとテーブルに飛び乗ると、丸い体を小さく揺らしながら部屋を見回した。柔らかな声とは裏腹に、つぶらな瞳がじっとこちらを見ている。
「ライト、この姿で……本当に刻印入れられるの?」
僕は、ベッドのそばに立ちながら恐る恐る尋ねた。
「ご心配なく。こう見えて、器用なんですよ。前足、よく動きますから」
くいっと小さな前足を器用に上げて見せるライト。見た目はぬいぐるみのようなかわいさなのに、その言葉には確かな自信がこもっていた。
「ルシアさん、お預かりしていたものをいただけますか?」
「はいっ」
ルシアがぱたぱたと駆け寄り、しっかりと両手で抱えていた布包みをテーブルの上にそっと置く。ライトが前足で器用に布を解くと、そこには小さな器具や銀色の細い針、淡く光る小瓶がずらりと並んでいた。
「さて、ちょうど良いベッドがありますね。リオンさん、お尻を出してください」
「そ、そんなストレートに言うなよ……っ!」
顔がカッと熱くなる。ルシアの前でその言葉はあまりにも刺激が強い!
「わ、私……見ない方がいいよね……?場所が場所だし……」
ルシアがそっと目を逸らそうとするその瞬間、僕は、ふるふると首を振った。
「見ててほしい……僕は、ルシアになら、どんな姿でも見られてもいい。……むしろ、知ってほしい。僕の、覚悟を」
ルシアが、ハッとしたように僕を見つめた。
「リオン……」
その声は、少し震えていた。けど、そのあとすぐ、柔らかい笑みが浮かんだ。
「……うん、わかった。私も、ちゃんと見守る」
その言葉に、心がすっと落ち着いていく。
僕はベルトに手をかけ、ためらいがちにズボンをずらすと、そっとベッドの上に横になった。
「それでは、麻酔しますね。ちくっとしますよー」
ライトが小瓶を持ち上げ、針先に液を落としながら、優しい声で告げる。
「ち、ちくっとなら、まぁ……」
でも、油断してた。
「いきますよ、リオンさん。3、2、1……」
「ぎっ……っ!?」
一瞬、世界が白く弾け飛びそうになった。
皮膚を突き破って刺すような鋭い痛み。麻酔とはいえ、その刺激は十分すぎるほど強くて、僕の背中がびくっと反応する。
「……っ、だ、大丈夫……だいじょ、ぶ……っ」
唇を噛んで、どうにか言葉を絞り出した。だけど、たぶん顔色は真っ青だ。
「リオン……っ!」
ルシアの声が、すぐ耳元で聞こえる。
気づけば彼女は僕の枕元に膝をつき、そっと頭を包み込むように抱きしめてくれていた。
「ごめん、リオン……そんなに痛いなんて、知らなかった……」
震える声。僕の髪を優しく撫でる指先。ルシアの体温が、じんわりと額に伝わってきて、僕の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「ルシア……だいじょうぶ……君が、そばにいてくれるから……っ」
「よし、では……いよいよ、本番です」
ライトが、まるで楽しいことでも始めるかのようなテンションで道具を構えた瞬間――
僕は、無意識にルシアの手をぎゅっと握っていた。
ライトがテーブルの上で道具をひとつずつ確認している。 かわいい姿なのに、仕草はどうにも手慣れていて、余計に怖い。
「ふふ。では、刻印を始めます。麻酔、効いてるといいですねぇ」
その言葉を聞いた瞬間――
ぐずずっ、と何かが皮膚の奥へ突き刺さるような、信じられない衝撃が走った。
「……ッッ!!!」
叫び声をあげそうになるのを、なんとか噛みしめて飲み込む。 歯を食いしばり、ベッドのシーツを握り締めた。
ま、まじか……麻酔って何!?
額から汗がにじみ出る。身体中が震えて、心臓がバクバクとうるさい。
「リオン……リオン……」
ルシアの声が、耳元で震えていた。その手は、ずっと僕の髪を優しく撫でてくれていて、あたたかかった。
「リオン……もうちょっとだから……がんばって……!」
腕の中のぬくもりに包まれて、僕の中の恐怖が少しずつ薄れていく。
「ルシア……」
目の端に涙が浮かぶのを感じながら、僕は声にならない声で呟いた。
大丈夫、痛くても、苦しくても、僕はルシアのために……
「……ぐっ……ゔあ……っ」
声が漏れそうになるのを、僕は必死に枕に押しつけて堪えた。
「リオン!」
ルシアがその顔を覗き込む。
「我慢しなくていいんだよ……!辛かったら、声出して……!」
「い、いや……ダメだ……僕は、ルシアの前で……かっこよく……」
「そんなのいいから……!リオンが痛がってる方が、私、苦しいの!」
「っく……うぅ、ぅぅ……」
痛みに顔を歪めながらも、ルシアの腕の中にあるそのぬくもりが、僕の全身を少しだけ安らがせた。
「……刻印、半分完了です。あと少し……」
ライトの落ち着いた声が響く。
「……少しずつ、線が浮かび上がってきましたね」
かわいらしいその姿からは想像もつかないほど、手元の動きは正確で、そして容赦がなかった。
僕の肌に刻まれていく紋章――それは、ギルドに属するという証。けど、そんな理屈なんか全部吹っ飛ぶくらい、痛い。
「っ……う、ぅ……!」
何度も喉の奥からうめきがこぼれそうになるのを、ぎりぎりで噛み殺した。身体が跳ねそうになるのを必死に抑え、僕は何度もベッドに顔をうずめる。
「……リオン……」
ふいに、柔らかな手が僕の頬に触れた。
涙ぐんだ瞳で覗き込んでくるルシア。彼女の手が、そっと僕の額を包み込むように支えてくれる。温かくて、ふわっとしていて、安心する、そんな手だった。
「っ……大丈夫……っ、だよ……ルシアが、いてくれるから……」
僕は震える声でそう答えた。
痛みで喉が焼けるみたいに熱くて、うまく言葉も出ない。でも、不思議と心は折れなかった。
「リオン……もう少し……がんばって……」
その声はかすかに震えていた。だけど、はっきりと届いた。
その一言が、まるでお守りみたいに僕の心に染み込んでくる。
「うん……うん……っ」
声にならない息を押し出しながら、僕は必死にベッドのシーツを握りしめた。
爪が食い込むほど強く握っていなきゃ、声が漏れてしまいそうだったから。
それでも、ルシアの気配がそばにあるだけで、痛みの波が不思議と薄れる気がした。
ルシアの手は初めからずっと、僕の頭を包み込むようにして優しく撫で続けてくれてる。
まるで「ちゃんと見てるよ、大丈夫だよ」って、静かに語りかけてくれているみたいだった。
――それだけで、耐えられた。
「さすがですねぇ、まったく動きません。愛の力は、偉大だ」
ライトの呑気な声が部屋に響く。
くっ、またニヤついてるに違いない。
でも、もういい。今だけは、茶化されるのも……ちょっとだけ、嬉しい気がしてる。
僕にはルシアがいるんだ――
泣きそうになって、心配そうに真っ直ぐ僕を見てくれてる。それだけで、十分だ。
「ル……ルシア……ありがとう……」
僕は、必死に声を振り絞った。
焼けつくような痛みの中で、たったそれだけの言葉を口にするのに、全力を使った気がする。
「……私こそ、ありがとう。こんな痛みに耐えてまで、私のために……」
ルシアの声が震えていた。
僕がかろうじて横目で見ると、ルシアの瞳には確かに涙が浮かんでいた。
そのひと粒が、ぽろりと頬を伝い落ちていく。
「ルシア……泣かないで……僕、平気だから……」
――本当は、全然平気じゃなかったけど。
でも、泣かせたくなかった。
僕が痛みに歪むたび、ルシアの胸が痛んでいるのがわかったから。
だからせめて、強がりでも言わなきゃって思った。
「う……ぐっっ……!」
また激しい痛みが襲ってきて、背筋が反射的にぴくんと跳ねる。
でも、ルシアの手がそれを包むように、そっと添えられた。
そのあたたかさが、痛みよりもずっと強くて優しかった。
「……あと少しですよ、リオンさん。がんばってください」
ライトの声が、まるで鐘の音のように響く。
奇妙なことに、今だけはその声がやけに真面目に聞こえた。
――あと少し。
あと少しだけ、耐えたら……僕は、ルシアのために、この世界に証を刻める。
この身体に、彼女と生きていく覚悟を焼きつけられる。




