SIDE・レイル5
カチャッ。
金属の器具を置く音が、小さな施術室に静かに響いた。
「……レイルさん、お疲れさまでした」
ライトが満足げに言いながら手を拭き、ふっと顔を上げる。
「綺麗に模様が入りましたよ。……あれ?少しお顔が赤いようですね……ふふふ」
ニヤニヤと笑うその表情は、明らかに理由を分かってる顔だ。
「そうなんです……さっきからずっと赤くて……」
ユウラが横から心配そうに覗き込んでくる。
「その……刻印を入れると、熱が出たりするんでしょうか……?」
「いや、それは……」
思わず口を挟もうとした俺の額に、ユウラの手がそっと触れる。
「汗もすごいし……心配で、心配で……」
その手はひんやりしていて、優しくて――
「……ユウラ、熱はない。大丈夫だよ」
俺は慌てて微笑んで見せた。少しでも安心させようと、前もものヒリヒリと、暴れそうな鼓動を必死で押さえ込む。
でも、ユウラの瞳はまだ不安げに揺れていた。
そんな俺たちのやりとりを、ライトはというと、まるで芝居を楽しむ観客のように、目を細めて頷いていた。
「ふふふ……レイルさんが好きになっちゃうの、わかりますよ」
「っ……!」
耳元でさらりと囁かれて、思わず肩が跳ねる。
「そ、そういうのやめろ……!」
「え?なんですか?私、ただの店主ですよ?」
とぼけるライトに、もう何も言えなかった。
そんな俺の葛藤に気づくこともなく、ユウラはそっとしゃがみこんで、施術台の下から氷のパックを取り出す。
「……あの、じゃあ、刻印した場所……冷やしてもいいですか?」
「どうぞ。冷やしてあげてください」
ライトが快く応じた。
ユウラは慎重に、丁寧に、俺の前ももにパックをあてる。
「……レイルさん……本当に……ありがとうございました」
その言葉と表情の優しさに、今度こそ俺の鼓動は制御不能になった。
「……ユウラ……」
俺が何かを言いかけたその瞬間、
「腫れが引いたら、紋章も綺麗に浮き出てきますから、安心してくださいね」
ライトの声が、絶妙なタイミングで割り込んできた。
……こいつ、絶対わざとだろ。
「……もう少しだけ、冷やしますね」
ユウラは、俺の前ももに当てていた氷のパックをそっとずらしながら、小さく曇った表情を浮かべた。
その仕草は丁寧で、どこまでも優しい。
けど……や、やばい……めちゃくちゃ意識する……!
触れられるたびに、こっちの意識だけがどんどん変な方向に引っ張られていく。
目のやり場に困って視線を逸らすと、部屋の奥でライトが作業台に立っていた。何やら静かに、手慣れた様子で動いている。
「ふたりとも、アイスティーでもどうですか?」
ライトが振り向き、落ち着いた笑みを浮かべながら声をかけてくる。
「熱を取るには、内側からの冷却も大事ですからね」
「……お気遣いありがとうございます」
ユウラがすぐにぺこりと頭を下げる。
ライトは氷の入ったグラスを二つ持って、軽やかな足取りでこちらへと歩み寄ってきた。
「さ、どうぞ」
グラスを手渡したあと、ライトは俺の脚をちらりと見て言った。
「レイルさんは、もう少し足を上げていた方がいいですね。ユウラさん、あと五分ほど、冷やしてあげてください」
「はい、わかりました」
ユウラは施術台の前に椅子を引き寄せ、そっと自分の膝の上に俺の脚を乗せた。
「えっ……ちょ、ユウラ……?」
「大丈夫です。しっかり支えますから」
声は真剣そのもの。それが逆に、俺の意識を一層混乱させてくる。
……この子、強すぎるだろ……
頬が熱を持っていくのが分かる。けど、ユウラはそんな俺の動揺にも気づかず、真っ直ぐに俺の足元に向き合っていた。
「……その……」
何か言いたくて口を開くが、言葉がうまく続かない。
するとユウラが、ふと顔を上げて、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「私……レイルさんと一緒に刻印できなかったこと、ちょっとだけ寂しかったです。でも……今はこれでよかったって思います」
「……ユウラ……」
「こうして、ちゃんとレイルさんの痛みに寄り添えたから。……少しだけ、強くなれた気がするんです」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
……ああ、やっぱり俺は、この子が――
「レイルさん?」
「……ユウラ」
俺は体を少し起こし、まっすぐにユウラの目を見つめた。
「ありがとう。……俺も、もっと強くなる。ユウラを、ちゃんと守れるように」
「……っ」
ユウラの瞳が、静かに揺れていた。
――そんな余韻を切り裂くかのように。
「あっ、そうだ!先にパパッと、カップル登録の手続きしときましょうか?」
ライトの絶妙すぎるタイミングに、空気が一瞬で変わる。
「そ、そうだった……」
「わ、忘れてました……」
俺たちは同時に反応して、気まずそうに目をそらした。
慌てて立ち上がった俺は、ずり落ちていたズボンを一気に引き上げる。ぎこちない動きに、ライトは肩を揺らして愉快そうに笑っていた。
「ふふ、おふたりとも、良い反応ですねぇ。
手続きが終わったら、ゆっくりアイスティー飲んでいってくださいね」
……いやいや、空気を読まないのはどっちだよ。
心の中でツッコみつつも、俺は少しだけ息を吐いて、ユウラと視線を合わせた。
ライトが小さく頷いて、カウンターの下から木箱のような端末を取り出し、テーブルの中央に置く。
「こちらが、カップル登録用の端末です。ふたりで手を重ねて、意志の共有が確認されれば、正式に登録されます」
パカ、と木箱の蓋が開く。中には淡い光を帯びた水晶板が収まっていて、その中央にはギルドの紋章がゆっくりと明滅していた。
「……いよいよ、だな」
「はい……」
ユウラの指が、そっと端末に触れる。俺もその上に手を重ねようとしたその時、ふいにユウラがこちらを見上げた。
「レイルさん……手、冷たくないですか?」
「え?」
「ほら……きっとさっきまで痛かったから、緊張してるかもって……」
小さな手が、俺の手を包むように握り返してくる。そのぬくもりに、胸の奥がふわりと熱くなる。
「……いや、ちょうどいい。ユウラの手、あったかくて」
「……よかったです」
そしてその後、ふたりでそっと手を端末の上に重ねる。
その瞬間、紋章がパァ……と光を放ち、重ねた手のひらをふわりと温かな光が包んだ。
「登録を確認しました」
ライトが静かに告げたその声が、やけに重たく心に響いた。
ユウラが俺の手を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「……これで、一緒になれたんですね」
その言葉に、俺の胸はぎゅっと締めつけられる。
「……ああ。もう誰が何を言おうと、これで正式に“俺たち”だ」
――この瞬間が来るまで、随分と遠回りした気がする。
同じ日にこの世界にやってきた俺たち。
俺は、女王を落とすっていう目的を与えられ城に迎えられ、ユウラは、女王の世話係として、静かに寄り添うように仕える立場を与えられた。
お互いの存在は近くにあったのに、交わることはほぼなかった。ただ同じ城にいて、同じ使命の下に存在しているだけ。
何かを選ぶ自由も、自分の言葉で誰かに寄り添う余裕もなかった。
ただ与えられた役目に従うだけの、空虚な毎日――
……でも、今の俺たちは違う。
ただ誰かの指示を待つんじゃない。自分たちの意思で今ここにいる。
ひとりの仲間として、そして何より――
隣にいるかけがえのない存在として。
この先、何が起こるかなんて分からない。
それでも今、この一歩が確かなことだけは、はっきりと分かる。
アイスティーの氷が、グラスの中で小さく鳴った。
ふたり並んで、その音を聞きながら――
俺たちは、やっと始まりの場所に立った気がした。




