リオンとルアを待つ時間
朝の光が射し込むバルコニー。
ここはサクラの私室に隣接した、見晴らしの良い高台の一角だった。
風が白いカーテンを静かに揺らし、柔らかな空気が漂っている。
だけど……俺の心は、少しも落ち着いていなかった。
「……リオン、そろそろ連絡くれてもいい頃なんだけどな」
俺が端末を握りしめたまま呟くと、部屋の中からミリの冷静な声が返ってくる。
「予定の時間から15分遅れ。リオンにしては長すぎる」
ミリが静かに呟いた。
「……まあ、あいつのことだから、寄り道してる可能性もあるけどさ」
「寄り道って……何を?」
サクラが小さく首をかしげて問い返す。
俺は肩をすくめて笑い気味に答えた。
「ほら、ショーウィンドウに映った自分の姿を見て、「今日の僕も最高!」ってキメてるとか……」
「……ああ……してそう」
「ありうる」
ふたりが同時に即答し、少しだけ空気がゆるんだ。
けれどすぐに、サクラの表情が引き締まる。
「……でも、相手はルアなんだよね」
「ああ」
「実は、私……ルアの姿をちゃんと見たことがないんだ。前に、広間の隅にいた子がそうかもって話を聞いただけで……」
「記録上は、リオンと同じ日にこの世界に来ている。そして、脱走直後から花屋の裏で住み込みを始めた。朝の作業以外で外に出ることは滅多にない」
「つまり……人と接するのが苦手な子?」
「そういう傾向はあるな。でも、今リオンと一緒にいるなら――」
「話せてるの、リオンだけってことになるよね」
「そうなる」
サクラが少しだけ眉をひそめ、窓の外を見た。
「……無事でいてくれるといいけど」
そのとき、俺のポケットが震えた。
「来た!」
急いで取り出し、画面に【リオン】の名前が表示されているのを確認する。
「リオンだ。繋ぐぞ」
サクラとミリが、すぐそばに寄ってくる。
――通信、接続中――
「おはよう!リオンどうした?」
『アルトくん、今そっち平気? こっちは……街が揺れてる。空の色もおかしいし、嫌な気配が漂ってる』
「……揺れてる?こっちは何ともないけど」
『え?』
俺は思わず息をのんだ。
『じゃあ、異常が出てるのはこのエリアだけってことか……?』
『リオン……この気配、やっぱりいつもの個体と違うよね?』
――女の子の声。……ルアか。一緒にいるんだな。
『うん、違う。もっとね、静かに、でも確実に浸食してくる感じ。これまでの個体とは違う気がする』
「ルアは無事か?」
『隣にいる。無事だよ、でも不安がってる……』
「わかった。とりあえず、俺はみんなを集めておく。リオン、お前はそのままルアを連れて、サクラの部屋に来てくれ」
『……了解。ありがとう、アルトくん』
――通信終了。
サクラが、小さく息をついた。
「……本当に、一緒にいるんだね。ルアと」
「みたいだな。問題は、この異変が何なのか――だ」
ミリが端末を操作し始める。
「警戒レベルをひとつ上げる。レイルとユウラに連絡をする」
俺とサクラは互いを見合い、静かに、強く頷いた。
「お願い、リオンもルアも無事に戻ってきて……」
サクラは祈るように呟いた。
数分後――
部屋の扉に、コンコンと控えめなノックが響いた。
「俺だ。何かあったか?」
低く落ち着いた声。レイルだ。
「入ってくれ」
俺が応じると、レイルはいつも通り無表情のまま、静かに部屋に入ってきた。
軽く会釈して、そのまま一番奥のソファに腰を下ろす。
……と、その瞬間。
再びノックが鳴った。
「お呼びでしょうか?」
今度はやわらかく、少し緊張したような声。ユウラだ。
「入って」
俺が言うより早く、サクラが微笑みながら声をかける。
その途端、レイルのまぶたが微かにピクリと動いた。
ほんの一瞬……あいつが動揺した時にだけ見せるクセだ。
ゆっくりと扉が開き、ユウラが少しだけ顔を覗かせる。
「失礼します……」
ぺこりと頭を下げて、そろそろと部屋に入ってくる。
視線は無意識にレイルの方へ向いていた。
「ユウラ、もっと気楽にして?敬語も、名前の呼び方も。私たち、もう仲間なんだから」
サクラが、隣のソファのクッションを軽く叩いて誘う。
「す、すみません……まだちょっと緊張してて……サ、サクラちゃん……」
「ふふ、大丈夫。ユウラのペースでいいよ。少しずつね?」
「……はい。ありがとうございます」
ユウラが少し恥ずかしそうに、でも安心したように笑った。
その直後、レイルが腕を組んだまま、ぽつりとつぶやく。
「……普通に話せばいいのに」
その一言に、ユウラの肩がピクリと震えた。
「そ、そうだよね……ごめん」
小さく笑おうとしたけれど、その表情は少しだけ曇っていた。
まるで自分が何か悪いことをしたみたいに、俯いたまま。
「おいおい、レイル!」
俺は思わず身を乗り出す。
「もうちょい言い方ってもんがあるだろ!ユウラっちの顔、見てみろって!」
「……思ったこと言っただけだけど?」
「そういうことじゃねぇ!言い方の問題だって言ってんだよ!」
「……これが俺の普通なんだよ」
「普通って……あのな、声も顔も表情も冷たいんだよ、お前は!」
「……」
「アルトさん、大丈夫です。私、本当に気にしてませんから……」
ユウラがすぐにフォローを入れてくれたけど……それでも、その声はどこか寂しげだった。
「……それよりさ」
レイルが腕を組んだまま、ちらりとこちらを見てきた。
「そのユウラっちって呼び方、一体なんなんだよ」
俺はため息をついた。
「てかさ、レイル」
「……なんだよ」
「昨日、ユウラのこと呼び捨てにすんなって言ってたのお前だよな?」
「……」
レイルがわずかに顔をそらした。
「……それは……お前のユウラっち呼びが、なんか、馴れ馴れしすぎて」
「は?なにそれ、嫉妬か?」
「嫉妬って……誰が……!」
レイルの頬がじわじわと赤くなっていくのがわかる。
「あ、まさかお前、ユウラっちって呼びたくなったんだろ?」
「呼びたくねぇ!!っていうか、やめろその呼び方!」
「お前、バレバレなんだよ!じゃあ次からは、ユウラたんにしよっかなー?」
「アルトお前っ……、これ以上まじでやめろぉぉぉぉ!!」
レイルが顔を真っ赤にして叫ぶのと同時に、ユウラが思わず吹き出した。
「ふふっ……あ、ご、ごめんなさい。でも……なんだかちょっと、楽しいかも……」
その笑顔を見て、俺は小さくガッツポーズ。
「な?笑った方が断然かわいいって!」
「アルトさん……」
「……なんでお前ら、俺の知らねぇとこで距離縮めてんだよ……」
レイルはぼそっと呟いて、また顔を逸らした。
「レイル、アルトに嫉妬してるね」
サクラが俺の耳元で、くすっと笑いながら小声で囁いた。
「……あいつ、言葉と心の中、真逆すぎんだよな」
レイルはふてくされたように足を組み、視線を横にそらしたままムスッと黙り込んでいる。
まるで、いじられすぎた子どもみたいだ。
その時――
「取り込み中悪いが、そろそろ本題をレイルとユウラに伝えたい」
ミリがいつもの無機質な声音で場を切り替えた。
空気がピンと張り詰める。
そうだ。まだ二人には、あの話をしていなかった。
「……そうだな。ユウラ、レイル。聞いてほしいことがある」
俺が改まって声を出すと、ユウラがすっと背筋を伸ばし、レイルも無言でこちらを見た。
「さっき、リオンから通信が入った。どうもリオンのいるエリアで異常が起きてるらしい。空の色が変わって、揺れもあって、嫌な気配が漂ってるみたいなんだ」
ユウラが驚いたように目を見開いた。
「え……リオンさんのいるエリアだけ?」
「ああ。しかも、その時隣にいたのは……ルアだった」
「ルア……さんと一緒に……」
ユウラの声には明らかな不安がにじんでいた。指先がわずかに震えている。
「リオンは、今すぐルアを連れてこっちに向かうって言ってた。だから、俺たちはその受け入れ準備と、もしもの備えをしておきたい」
「……状況は把握した。すぐ動けるようにしておく」
レイルが頷いたその横で、ユウラがそっと口を開いた。
「……アルトさん。リオンさんたちは、今どの辺りに?」
「正確な位置まではわからないけど、街の中心部を抜けて、城に向かっているはずだ」
「……そうですか。何か、私にできることがあれば……」
「その気持ちだけで充分だよ。無理はしないで。とにかく今は、リオンとルアの無事を祈ろう」
俺はそう言いながら、まだ不安げなユウラの瞳を見つめた。




