SIDE・リオン
SIDE・リオン
早朝の空気は、ほんの少し肌寒くて、でも不思議と気持ちよかった。
僕は、街の片隅にある小さな花屋の裏手に回り込む。ミリの話によると、この時間なら、店の奥で一人、花の世話をしているらしい。
そして、見つけた。
淡い朝日を浴びながら、静かにしゃがみこんで花を手入れしている少女。透き通るようなピンクベージュの長い髪をひとつに結わえて、花に小さく笑いかけていた。
綺麗だった。というより――儚い。
「おはよう」
声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせて、こちらを振り返る。
「……あなたは……?」
警戒心のある瞳。それでも、僕を睨むでもなく、ただ戸惑っていた。
「僕の名前は、リオン・アミュラス。マットリーシュって場所から来たんだ」
その言葉に、彼女の目が一瞬、揺れる。
「あなたも……マットリーシュから……?」
僕はにこっと笑って、ほんの少しだけ髪をかき上げた。ここで決めないで、いつ決めるってんだ。
「まぁね、同郷の美男子、ってことで覚えてくれて構わないよ?」
「……ふふっ、変な人」
彼女が小さく笑った。思わず胸がきゅっとなる。笑うと、普通の女の子だ。
「君の名前、聞いてもいいかな?」
少し迷ったようだったけど、やがて彼女は口を開いた。
「ルシア・ハミュレイ……でも、今はルアって名乗ってるの」
「ルシア……うん、いい名前だ。響きも、雰囲気も君にぴったりだよ」
ルシアは困ったように頬を赤らめて、視線をそらした。
「……こういうこと、よく言うの?」
「ううん。美女限定だよ?」
「やっぱり変な人……」
照れ隠しに笑いながらも、彼女の声はほんの少し、和らいでいた。
僕は少し真面目な顔に戻って、彼女を見つめる。
「どうして、ここに?」
その問いに、ルシアは少しだけ眉を寄せ、手のひらで小さな花のつぼみをそっと包み込む。
「……お城にいたの。でも、周りは……感情のない個体ばかりだった。どれだけ話しかけても、どれだけ心を寄せても、返ってこないの」
「……」
「私……あのままいたら、自分がおかしくなりそうだったの。だから……逃げてきた。ここなら、まだ……お花が、応えてくれるから」
彼女の声が、ふわりと揺れる。
僕は迷わず、そっと彼女の隣にしゃがみこんだ。
「逃げて、正解だったよ。ルシアの感情は、ちゃんと生きてる。大事にしなきゃいけないものだ」
「……ありがとう」
その瞳が、少しだけ潤んでいた。
「……年齢、聞いてもいい?」
「……18」
「そっか。僕は19。つまり、いい感じにお兄さんだ」
「え?」
「ルシアのために、どこまでも頼れるナイトになるって意味さ」
「…もう…バカ……」
でもその声に、怒りはなかった。むしろ、笑いをこらえてるようだった。
僕はその瞬間を逃さず、柔らかく続ける。
「ルシア。僕は今、ギルドに所属しようと思ってる。感情を持った人たちが、世界の真実に向き合おうとしてる場所なんだ」
ルアが、ゆっくり顔を上げる。
「ギルド……?」
「君が生きていく道を、自分で選べる場所。明日の夜、集会があるんだ。君にも、来てほしい」
「でも……私、そんな場所に行っても――」
「もう、ここにはいなくていい」
僕はそっと、ルシアの手を握った。
「ルシアの場所は、僕だから」
――彼女の目が、何かに揺れた。
ルシアの手は、少しだけ冷たかった。けれど、ちゃんと温もりがあった。
彼女は目を伏せたまま、僕の手を握り返してはこなかったけど……離しもしなかった。
「リオン……ギルドって、どんな場所なの?」
ルシアが小さな声で問いかける。
僕は一度、空を見上げた。淡い朝の陽射しが、花々の輪郭を優しく照らしている。
「感情を持つことが、罪じゃない世界を目指す場所だよ」
「……感情が、罪……」
「オルヴェリテでは、そう教えられてきた。でもそれって、おかしいだろ?」
僕は真っ直ぐにルアを見た。
「泣いたり、笑ったり、怒ったり……それって、生きてる証だろ?僕たちは個体じゃない。人間だ」
「…………」
「ギルドは、それを証明する場所。サラ――今はサクラって名前で活動してるけど、彼女も女王なのに、そこに加わった」
「え?女王さま……が?」
ルシアの瞳がわずかに揺れた。彼女の中で、何かが変わり始めてる……そんな気がした。
「明日の夜、ギルドの集会があるんだ。でも、できれば今日中に準備を済ませておきたい」
「準備……って?」
僕は立ち上がって、彼女に手を差し伸べた。
「ギルドに入るには、紋章を体に刻む必要がある。……ちょっと痛いみたいだけど、僕はお尻に刻もうと思ってるんだ」
「お、お尻に!?」
「美尻に刻まれたその輝き……見せられないのが残念だよ」
「やめて!見たくないっ……」
ルアは慌てて顔を逸らしたけど、耳まで真っ赤になってた。かわいい。
「その紋章、カップル登録って形にすれば、どちらか一人が刻むだけで済むんだ。……もし、ルシアが怖いなら、僕が代わりに――」
「っ……!」
僕の手を、ルアがそっと取った。
「私は……ちゃんと、自分で選びたい。痛くても、逃げない。今度は、自分の意志で生きたいの」
その姿が、眩しいほどに強くて、僕は思わず見惚れてしまった。
僕は、ルシアのそのまっすぐな言葉に一瞬だけ息を呑んだ。
真剣で、揺るぎない瞳。彼女の芯の強さに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
……だけど。
僕は、そっと微笑んで言った。
「……やっぱり、ルシアはすごいよ。ほんとに、すごく綺麗だ」
「え、えっ……な、なに、急に……」
「いや、本音だから。僕、こう見えて嘘つくの苦手なんだよ?」
「う、嘘っぽい……」
「それ、褒めてる? けなしてる?ま、どっちでもいいか」
僕は立ち上がったまま、指で花の茎を優しくなぞる。
「でもね、ルシア。君が痛みすら選ぶって決めた気持ち、すごくかっこいいって思った」
僕は彼女に背を向けたまま、ゆっくりと深呼吸をした。
「……僕、ね。ルシアともっと、一緒にいたいって思ってるんだ。今日、出会ったばかりなんだけどさ、なんていうか……ルシアと過ごす時間を、大切にしたいって思ったんだ」
「…………リオン……」
振り返ると、ルシアの瞳が、また少し揺れていた。
だから、僕はちゃんと伝えることにした。
「ルシア。僕と、カップル登録してほしい」
「……え?」
「紋章を刻むのはどっちでもいい。だけど、この先ギルドに入って、戦ったり、いろんなことが起こったりする中で……ルシアのそばにいる資格を、ちゃんと持ってたいんだ」
ルシアは、何かをこらえるように唇をぎゅっと結んだあと、小さくうつむいた。
「リオン、それって……私が弱いと思ってるから、守ってあげたいとか、そういう……」
「違うよ」
僕は一歩だけ近づいて、ルシアの手をそっと握った。
「ルシアが強いって知ってるからこそ、守りたいって思ったんだ」
「…………」
「もし、ルシアが一人で頑張るって決めたなら、僕は無理に止めない。でも、少しでも……ほんの少しでも、僕を信じてくれるなら、登録して。君の隣にいたいって、そう思ってる」
言い終えてから、心臓がバクバクしてるのが自分でもわかる。
ああ、もう、僕らしくないな……。
でも、それだけ本気だった。
ルシアは、しばらく黙ったまま僕の手を見つめると、そっと重ねるように、指を絡めてくれた。
「……痛いのは、リオンがやってくれるんだよね?」
「もちろん!僕の美尻、火を噴く覚悟はできてるから!」
「もう……リオンの……バカ……」
ルシアが頬を赤く染めふわっと微笑んだ。
その笑顔が、朝の光よりも柔らかくて――
僕はこの手を、絶対に離したくないって思った。
「……ルシアは、今どこに住んでるの?」
僕はそっと尋ねると、ルシアは目を瞬かせた後、うっすらと微笑んだ。
「この……花屋の裏手の倉庫。使っていいって言われてて。あんまり広くはないけど、雨風はしのげるから……」
「……そっか」
僕はしばらく黙ったあと、真っ直ぐに彼女を見た。
「ねえ、ルシア。もし……君さえよければ、また城で暮らさない?」
「っ……」
ルシアが、一瞬、身をこわばらせた。
「で、でも……怖い。あの場所に戻ったら、また……何されるか……」
彼女の声は震えていた。きっと、思い出すのもつらいんだろう。
僕は迷わず、ルシアの手をさらにぎゅっと握った。
「大丈夫。僕が、何があってもルシアを守る。それに、女王さま――サクラも、味方についてる」
「……でも」
それでも彼女は俯いたまま、小さく震えている。
僕は彼女の手を両手で包み込み、強く気持ちを込めて言った。
「……僕のそばにいてほしい。守りたいとかじゃなくて……一緒に歩きたいんだ。ルシアと」
「……」
ルシアの瞳が、揺れた。
「……でも、花屋の仕事はどうしたら……?私、まだ……ここで……」
「うん。店主さん、もうすぐ来るでしょ?僕に任せて」
そして、ふと付け加える。
「それにね、ルシア。僕、今は城で暮らしてるんだ」
「えっ……?」
「だから、もし君が来てくれたら、僕の部屋に――いや、同じ屋根の下で過ごせるってこと。何かあってもすぐ駆けつけられる。心配しなくていい」
ルシアが少しだけ目を見開いて、でもすぐに視線を伏せる。
「……それは、ちょっと……安心、かも」
ルシアが不安そうに頷いたその直後――
店のベルが、かすかに揺れる音を立てた。
「おはようございます」
現れたのは、スラリとした女性。長い髪をまとめたその人は、見た目こそ優しげだけど――目だけが、笑っていなかった。
……ああ、この人が特殊個体なんだ。
「お客さまですか?」
僕は一歩前に出て、堂々と名乗った。
「いえ、あの……今日はルアをもらいに来ました」
店主の眉がぴくりと動く。
「……ルアを?」
「花じゃなくて、ルアがほしいんです」
僕がそう言うと、隣でルシアが小さく息を呑んだ。
店主はしばらく僕をじっと見て、そしてあっさりと頷いた。
「……代わりはいくらでもいますから。どうぞ」
その言葉に、僕の中にほんの少しだけ、怒りがわいた。だけど、今は飲み込む。
ルシアは静かに頭を下げて、小さくつぶやいた。
「お世話になりました」
店主はそれには応えず、黙って店の中へと戻っていく。
ルシアが僕のそばに戻ってくると、僕はにこっと微笑んで、指を差し出した。
「ようこそ、僕の世界へ」
「……バカ」
でも、ルシアの頬はほんのり桜色に染まり、その手はしっかりと僕の指に重なった。




