予言書の存在
「よっし、ごちそうさまでしたーっ!」
リュカが大盛りだったマヒュドハンの皿をぺろりとたいらげて、両手を軽く上げる。
その満足げな顔に、俺とサクラは思わず笑みをこぼした。
「うまかったか?」
「最高だった!やっぱ、これだよね~!アルトもサクラも、今度来たら絶対食べてみて!」
「ふふ、そんなに美味しいなら気になるね」
「おう!次来たら食べようぜ、サクラ!」
そんな何気ないやりとりが妙に和やかで、少し前までの緊張がふっと和らいでいく。
――でも、話さなきゃいけないことは山ほどある。
俺がグラスを置いて、リュカのほうに視線を向けた。
「なあ、リュカ。……やっぱり、一番気になるのはルカのことなんだ」
リュカは頷き、スプーンをテーブルの上に並べて、背筋をまっすぐにした。
「うん。たぶんそこから話すのが一番いいと思う」
「ルカって、一体何者なんだ?」
「彼女自身の意思で動いてるように見えるけど、あたしは……そうは思ってない」
「え?」
「ルカは、ある意味で仕組まれた存在だと思ってる。……あくまである予言に従って動いてるだけなの」
「予言……?なんか前に予言がどうたらって言ってたような……」
「ちょっと待ってて」
リュカはそう言うと、使い込まれたカバンの中から、丁寧に折りたたまれた古びた紙の束を取り出した。
それはどこか、ただの紙とは違う不思議な雰囲気を纏っていた。
「これは予言書の一部。あたしがずっと大切にしてきたもの」
「これが……」
サクラが目を見開いて、小さく息を飲んだ。
「この中には、あたしが初めて読んだ時から確かに起きたことがたくさん書かれてる。“女王の心が動いた時、森の奥で眠る闇の支配者の鼓動が動き出す”――そう、予言されていたのもそのひとつ」
「……じゃあ、その支配者を起こすために、サクラの気持ちを動かそうとしてた……?」
「そういうこと。辛いだろうけど、サクラはただ……女王として存在しているだけ。そして、サクラの感情次第で全て変わっていく」
「…………」
サクラが少しだけ目を伏せ、唇を噛んだ。
「でも、この予言書……まるで意思を持ってるかのように、内容が書き換わっていくことがあるの。ページが増えたり、文字が浮かび上がったり。最初はアルトの名前なんて、どこにもなかった。でも、ある日突然……加わってたの」
「……俺が……?」
「うん。それを見て、あたしたちは驚いた。だって、アルトがこの世界に来たこと自体が、もしかしたら予言を変えたってことかもしれないから」
「予言を……変えた……?」
頭の中がざわつく。誰かが描いた未来に、俺が干渉してる……?
「でもね」
リュカは柔らかく、けれど真っ直ぐに言った。
「予言に名前が載ってるからって、運命が決まってるわけじゃない。むしろ、アルトが来たことで、私たちは抗う力を得たんじゃないかって思ってる」
「……」
サクラが、静かに顔を上げた。
その瞳の奥に、ゆっくりと、強い意志が灯っていくのが見えた。
「私は……予言なんかに、負けたくない。たとえこの身が、世界の鍵だったとしても」
「ふふ、かっこいいこと言うじゃん、サクラ!」
リュカはニコッと笑いながら、グビグビ水を飲んだ。
プハーッ……!
リュカは静かに水の入ったグラスを置くと、再び古びた予言書の束に指を伸ばした。
ぱらり、と何度かページをめくる。その手付きは今までの快活さとは一転し、どこか神聖な儀式のような緊張感があった。
「……ねえ、アルト、サクラ。ここから先の話は、ちょっと覚悟がいるかも」
「覚悟?」
「闇の支配者って名前だけだと、ただの悪役みたいに思えるかもしれない。でも……たぶん、そんな単純な存在じゃない」
リュカはページを開いたまま、指先で一行の文字をなぞった。
「“その者、女王の痛みに呼応して目覚める。深き森の奥、眠りの檻の中。名を忘れられし影の王”」
サクラがごくりと息をのむ。
「痛み……って、感情の?」
「そう。怒り、悲しみ、寂しさ、絶望……そういった強い負の感情が、鍵になるみたい」
リュカは静かに頷いた。
「でもこの記述、昔はなかったの。あたしが初めてこの予言書に触れた時には、影の王のことは触れられてなかった。サクラがこの世界で感情を得た頃から、少しずつページが増えていったの」
「さっき、予言書が勝手に書き換わるって言ってたよな」
「うん、まるで世界の進行に合わせて、内容が更新されていくような感じ。“女王の心が動いた時、世界は目覚める”っていう一節も、サクラの感情が変化しはじめた頃に突然浮かび上がったものなの」
サクラがそっと胸元に手を当てた。まるで心臓の鼓動を確かめるように。
「ねぇ、リュカ。その……影の王って、本当にこの世界にいるの?」
リュカの顔から、わずかに笑顔が消える。
「少なくとも、かつて存在していたのは確か。そして、眠ってるっていう表現があるってことは、今もどこかに存在しているってこと。もしくは……誰かの中に存在している可能性も、なくはない」
「誰かの中……」
ぞくりと背筋が震えた。根拠もなく、それが俺だったらどうしようなんて、馬鹿な考えが脳裏をよぎる。
「リュカ、じゃあルカは……」
「予言のそのときに備えて、扉を開ける役目なんだと思う。女王の心を動かすことで、鍵を回す。そのために作られたのか、操られているのか……」
「じゃあ、あいつは……!」
「たぶん、自分でも気づいてないんじゃないかな。だってね……予言って、時に人の意思より強い。意思を飲み込んで、そうあるべき未来に人を乗せることだってできる」
リュカはしばし口をつぐむと、ふっと目を閉じ言葉を続けた。
「でも、予言がすべてじゃないって、あたしは信じたい。アルトもサクラも、記された存在じゃない。何かを起こしてくれるって……そう思ってる」
「……私の感情が、この世界の目覚めを呼ぶ鍵なら……私は最後まで戦う、絶対に」
サクラの目は真っ直ぐ前を向いていた。
「その気持ちがあれば、きっと抗えるよ」
リュカが優しく微笑んだ。
「おい、リュカ!ちょっと整理していいか?」
俺は頭を抱えながら真剣にリュカの目を見た。
「最初は、サクラの気持ちが動けば闇の支配者が目覚めるって予言だったんだよな?」
「でも今は……サクラが負の感情を持つことで影の王?が目覚めるに変わった――そういう意味であってるか?」
俺が慎重に言葉を選びながら尋ねると、リュカは真剣な表情で頷いた。
「うん……最初は女王の心を落とせっていう意味だと、誰もが思ってた。でも、今は違う。落とすことじゃなくて、強く揺らすこと。特に、悲しみとか怒り、孤独とか……そういう負の感情に反応するってわかってきてる」
「つまり、もしサクラが深く傷ついたり、怒ったりしたら……」
「そう。何かが、目を覚ますかもしれない」
サクラはその言葉に、ゆっくりと目を閉じたまま黙って頷く。
「……ルカも、予言書の一部を持ってるの。だから、彼女も予言を読んで動いてる可能性は高い。感情を持ったサクラに、何かを仕掛けてくることも十分あり得るから気をつけた方がいいかも」
「……ってことは、もう城には戻れねぇじゃん。どこで誰が見てるかわかんねぇし、身を隠したほうが……」
俺が焦って言いかけたその時、サクラがゆっくりと目を開く。
「……私は逃げない。今の私が、かつての女王とは違うとしても、ここで逃げたら……自分を否定することになるから」
「サクラ……」
真っ直ぐな瞳。その中に宿る意思は、誰よりも強かった。




