ミリと話すことになった結果
俺たちはその足で、噴水前のカフェへ向かった。
店の前には落ち着いた薄い水色の看板。
中からはコーヒーと、焼き菓子の甘い香りがふわりと漏れてくる。
観葉植物が並んだおしゃれな内装に、思わず一歩後ずさりそうになる。
「なんか、俺、場違いな気がしてきた……」
「アルト、落ち着いて。振る舞いが怪しい」
耳元でサクラが小さく呟く。
「え、俺!?」
思わず振り返ると、店の奥の窓際の席に、すでに座っているミリの姿があった。
黒いシャツに赤いチェックのスカート。その姿はまるでロックバンドのボーカルみたいな出で立ちで、ミリはじっと俺たちを見ていた。
「……うわ、もう来てたのか!」
「早かったな、アル。着席を」
相変わらず感情のない声。けれど視線は、確実にサクラを捉えていた。
「……サラと呼べ。街中で不用意に名を出すな」
「了解した。サラ。座るといい」
サクラは無言で頷き、俺たちは静かにミリの正面に腰を下ろした。
「ミリ、来てくれてありがとう」
「問題ない。事前に確認済み」
「……聞きたいことがあるんだけどさ」
そう切り出すと、ミリはほんのわずかにまつ毛を動かしただけで、反応を返す。
「お前、オルヴェリテで生まれたって、ほんと?」
その問いに、ミリは数秒沈黙し――
「……今のアルとサラになら、話を許可する」
言葉の切れ目が、まるで確認しているようにも聞こえた。
「正確には、分身がオルヴェリテにいるだけ。本体は別の地に存在している」
「分身……?それって……」
「私はミュノエーラに存在している。ここにいるのは感情を排した別人格。情報収集と監視のために投入されたスパイ機体」
「は……?」
情報量が多すぎて、頭が追いつかない。
「なんで、そんなことを……」
「ミュノエーラには、感情を持つ者たちが強制的に送られてくる。私はその保護活動を行っている。異常な数の移送が発生したため、不審に思った」
「それで……この世界に……」
「オルヴェリテという異空間が誕生した瞬間から、私はその存在を追っていた。故郷ヒュージャルより、長期パトロールを続けている」
「ヒュージャル……?」
「この世界の辺境に存在する都市。感情を持つ者がかつて住んでいた場所だ」
サクラが一度だけ、ふっと息を吐いた。
「つまり貴様は、我らを見張る者としてここに存在していたということか」
「否定はしない。だが、現在は目的が変更している。今は女王――もとい、サラの意思に従うべきと判断している」
「理由は?」
「予測不能な変化が観測された。街の個体、空気、街並み……すべてが穏やかになった。サラの存在が原因である可能性が高い」
「……ほう」
サクラは腕を組み、背もたれにゆっくり寄りかかった。その目はまっすぐにミリを射抜いている。
「ならば聞く。ルカは今、何を企んでいる?」
「それは――」
ミリの言葉が、そこで止まった。
俺とサクラは思わず顔を見合わせる。
「……続けろ」
「その問いは、非常に高リスクな推測を含む。本体の判断を仰ぎたい」
「連絡手段は?」
「ある。だが、情報共有には覚悟が必要になる。サラ、及びアルが本当に知りたいのならば」
俺は少しだけ身を乗り出した。
「……知りたいよ。真実を、全部な」
すると、ミリは一瞬だけ、まつ毛を震わせ――
「了解した。今夜、本体と接続する。場所は指定する。サラとアルがそこに来れば、情報は開示される」
「……わかった。行くよ。絶対に」
サクラはゆっくりと立ち上がる。
「ならば、それまでに貴様が本体と同等の情報を提供できるか、見極めさせてもらう」
「了解。“女王”」
その言葉に、空気がぴんと張り詰めた。
けれど、俺はその緊張の真ん中で思った。
――サクラは確かに、女王の顔に戻ってた。
でもその横顔は、もうひとりぼっちの顔じゃなかった。
俺が、ついてる。
どんな真実でも、絶対に……
その時だった――
「……サラ、無理に“演技”はしなくていい。私はわかっている」
ミリの静かな言葉が、テーブル越しに空気を震わせる。
「っ……」
隣で、サクラがびくりと小さく肩を揺らす。
その瞳に、一瞬だけ、戸惑いとも警戒ともつかない光が宿った。
「……え……」
かすれた声で返すサクラに、ミリは瞬きもせず言葉を続ける。
「女王だった時の口調に戻す必要はない。サラが変化したのは事実。演技ではなく成長だ」
サクラの指が、テーブルの端をぎゅっと掴む。 その強ばった手に、俺はそっと自分の指を重ねた。
「……ミリ……」
サクラが小さく、でも確かにその名を呼んだ時、ミリの目はようやく、わずかに柔らいだ気がした。
「なぁ、ミリ」
「なんだ?」
ずっと気になっていた疑問が、胸の中で膨らんでいた。
俺は少し前のめりになって、思いきって言葉にした。
「……どうしてそんなにすんなり教えてくれたんだ?」
ミリの視線が、再びまっすぐ俺に向けられる。
冷たくもなく、温かくもない。ただまっすぐな光。
「……アル、サラ。私は君たちが敵ではないと判断した」
「……」
「私はプロだ。情報を扱い、真実を見極める者として、交渉よりも観察を信じる。君たちの行動に、嘘は見られなかった」
「プロ……って」
「嘘を見破り、真を掴むことだけに生きてきた。だから……君たちには、話してもいいと思った。それだけだ」
サクラは少しだけ目を伏せて、ゆっくり頷いた。
その横顔が、少しだけ柔らかくなったような気がした。
「……ありがとう、ミリ」
静かにそう呟いたサクラの声は、ごく小さく、でも確かに本心だった。
ミリはそれに対して何も言わず、すっと席を立つ。
そして無機質な声で、最後の一言を残す。
「今夜22時、「タオの家」に来てくれ。街の一番北部にあるレストランだ。その2階で、本物の私が待っている」
「本物の……ミリ……?」
俺とサクラは目を見合わせたまま、短く頷き合う。
「ミリ……いや。そっちがミリじゃないなら……名前は?」
そう尋ねると、ミリは一瞬だけ振り返り、無表情のままこう言った。
「――それは、会ってから名乗る。君たちが覚悟を持って来るという証に」
それだけ言い残し、ミリはくるりと背を向けて店を出ていった。
気づけば、カフェには俺とサクラのふたりだけ。
静かな音楽が流れる中、テーブルの上には温もりの残ったカップと、微かに震えるふたりの心だけが残っていた。
「……行こう」
「うん。逃げないよ、私」
サクラの横顔が、夕日でやわらかく照らされていた。
「……まだ、時間がだいぶあるな」
ふと時計を見ながら、俺がぽつりと呟く。
「どうする?一回、戻るか?」
そう問いかけると、隣にいたサクラが、小さく首を振った。
「……今は……あそこに戻りたくない……」
その声は震えていて、まるで何かに怯えているようだった。
「そっか……じゃあ、無理に戻らなくていいよ。少しここで休んで、それから考えよう」
俺がそう言うと、サクラはぎゅっと唇を噛んで、下を向いた。
「どんどん話が変わっていって、怖いよ……アルト……」
顔を上げたサクラの目は、今にも泣き出しそうだった。光に濡れた瞳がまっすぐ俺を見つめてくる。
……ダメだ、耐えられるわけがない。
俺は、そっと重ねていた手を握り直し、ぐっと強く、自分の温もりを込めるようにサクラの手を包み込んだ。
「大丈夫。絶対、どんなことがあっても、俺とサクラは一緒だから。俺が傍にいる。何があっても、絶対に離さないから」
その言葉が本心であることを伝えるように、俺はサクラをふわっと、そっとハグした。
強くじゃない。壊れそうな彼女を包むように、優しく。
サクラは少し驚いたように息を飲んだけど、すぐに俺の胸元に顔を預けてくる。
俺はその背中にそっと手を添え、ぽんぽん、と優しく叩いた。
「……アルト、あったかい……」
サクラがかすれる声で呟く。
その一言だけで、胸の奥がぎゅっとなって、俺の方が泣きそうになった。
「……ありがと」
その声は小さくて、でも確かに、心に届いた。
俺はぎゅっと、もう一度サクラを抱きしめた。
「……こっちこそ、ありがとう」
この温もりを、絶対に手放したくない――
そう思った夕暮れのひとときだった。




