変わり映えのない日々
人間が魂となった後、彼らが棲む場所はどんなところだろうか。
ーー天界。
地球上の人類未到の地でも、宇宙のどこかでもない場所。
そこは光で満ち、地面はなく辺り一面澄んだ、”碧海”と呼ばれる美しい水が敷き詰められている。
所々に大きな玻璃製の構造物が、光を受けて虹色に輝いており、美しい白い羽根を背負った天使たちがその上で談笑している。
人間の魂は、その碧海の中。
彼らは光となって、生まれ変わりの順番を待っている。
天使たちは、順番が来た人間の魂を物質界へ導く役割を与えられている。
その中のひとり、ラピスはまたーー構造物の縁に座って、今日も碧海を静かに見つめていた。
「ラピスったら今日も下を見つめてるわ。あのまま落ちてしまうんじゃないかしら。」
「本当ね…。ふふ、人間の魂なんて面白くもないでしょうに。」
「物質界なんて醜悪なところなのにね。」
少し離れた場所から彼女を見つめる天使たちがクスクスと笑っている。
物質界ーー人間たちが生き、棲む世界を天界の住人はそう呼ぶ。
天界には、魂が沈む碧海と、そこに浮かぶ構造物しかない。
天使たちはそれになんの不満も抱かず、時間の概念が存在しない場所で、与えられた役割を果たしながら日々を過ごすことに満足しているのだ。
そして天使たちは、人間の魂を導く役割を神に与えられながらも、その魂自体にはさほど興味がない。
ーーラピスを除いて。
瑠璃色の髪を持った美しい天使・ラピスは、自分が笑われていることを、いつものことだと言わんばかりに無反応で、漂う魂の輝きを眺めていた。
「ラピス。」
低く綺麗な声が呼んだ。
振り返ると、長身の美青年が立っている。
ーーラピスの双子の兄である、イリオットだ。
「そんなに覗き込んでは、危ない。」
イリオットは少し屈んでラピスの肩に触れると、後ろに緩く束ねられたラピスと同じ色をした髪が滑らかに動いた。
バニラのような優しい香りがラピスの鼻を掠める。
天使にはそれぞれ特有の匂いがあり、イリオットはそれが特に強いように感じられた。
「大丈夫。私はいつもこうしているでしょう?どこまで身を乗り出したら落ちるかだってわかってるんだから。」
ラピスはイリオットの手を降ろさせる。
イリオットは一瞬それが不満だというような顔をして、長い前髪をかき上げた。
「お前が大丈夫だと思っていても、その行動が不自然だと言う天使たちは多い。」
イリオットは天界でも知らない天使がいないほどの美しい姿をしている。
天使は神が造るけれども、特に気合を入れて造ったのではないかと言われているほどだ。
ラピスの行動を直接咎める天使が居ないのも、”イリオットの妹”という肩書きがあるからという部分もあるのだろう。
彼女も彼と共に造られたため、非常に美しい造形をしているが、物質界に憧れる姿を異端視されており、近寄る天使が居ないのだ。
「…他の天使たちがどう思うかなんてどうでもいい。
あの光たちがこれからどんな場所で何をするのか想像すると……美しいと思わない?」
ラピスは目下に広がる魂たちを見つめて言った。
イリオットはため息を吐きながらも、ラピスの横に腰掛けた。
「人間の魂に深入りすることは…禁忌とされている。
私たちは、神に与えられた役割を果たすことだけ考えるべきだ。」
「……そう言って、秘密の場所を私に教えたのは、イリオットでしょう?」
ラピスはふふと笑ってイリオットを見上げた。
イリオットも、目を伏せて静かに笑った。
「あの場所があるだけで満足してくれたら助かるんだがな。」
「今日こそ一緒に来てくれたら考えるよ。
この間また面白いものが流れ着いてたから見せたいの!」
「…ああ。」
イリオットの返事を聞いたラピスは嬉しそうにぴょんと立ち上がり、彼の手を引いて駆け出した。
ーーー
秘密の場所は、天界のはずれにある。
玻璃製の構造物が、丁度足場のように崩れた場所があり、水辺に降りることができるのだ。
天使たちは通常、自分の仕事の順番にならない限り決して碧海に近付くことはない。
ーー人間の魂に深入りすることは禁忌である。
天使たちの間で暗黙の了解として周知されていることだ。
”深入り”が具体的に何を指すのかはわからないが、以前、禁忌を破りそうになった天使が未遂で告発されて、神に消されてしまったことがあるという。
天使たちは少しでもそのリスクを減らそうとしているのだ。
イリオットは、ラピスも同じ運命を辿るのではないかと心配している。
ラピスの物質界への好奇心の代用に少しでもなればと、この秘密の場所を見つけたのだった。
この場所にはどういうわけか、物質界のものが流れ着くことがあるのだ。
他の天使にはもちろん、滅多に姿を現さない神にも知られていない場所だ。
「見て、イリオット。これは、なんだと思う?
天界の建物の欠片のようだけど、色が全然違うでしょう?」
ラピスは、確かに天界の玻璃に似ていながらも暗い緑色をした透明な欠片を見せた。
「天界の建物は美しいけれど、飽きてしまうでしょう?でも……こんなに美しいもの、見たことがないわ。何に使われていたんだろう……痛っ!」
ラピスは欠片の鋭利な部分を触ってしまった。
「!!大丈夫か。」
イリオットは落ちる欠片などお構いなしに、凄い速さでラピスの手を取り、指を確認した。
「…天使にも痛覚はある。神がそう造ったのだから…。
危ないものには触るな。」
「少しびっくりしただけだよ。もう、心配性だな。」
ラピスは欠片を拾い上げて袋にしまった。
「それをどこにでも持って行くなよ。」
「そんなわけないでしょ!隠し場所がちゃんとあるの。
…ほら、これも見て!」
ラピスは袋の中から扇型をした小さな欠片のようなものを取り出した。
先ほどの欠片とは違い、全体的に光を反射してキラキラしており、ピンクや青、金色、銀色…様々な色を持った美しい欠片だった。
「さっきのよりも凄いでしょう…?碧海からここに辿り着いてしばらく経っているはずなのに、ずっと水面の輝きを閉じ込めたような。」
ラピスの瞳も、欠片と同じように輝いていた。
しかしイリオットは、その欠片に見覚えがあった。
「…イリオット?」
イリオットは、考え事をするように黙ってしまった。
「………。
ああ、綺麗だな。」
「どうしたの?」
イリオットは自分の奥底に広がる不安を抑えつけるように険しい表情をした。
「お前が…遠くに行ってしまう気がする。」
「え?…ど、どうしたの急に。」
瞳を丸くして困惑するラピスの頭に、イリオットは手をポンと乗せた。
「不安なんだ。」
天使は天界から出ることはできない。
役割を果たす時でさえも、天界の果てにある扉へ魂を導くだけで、その先に何があるのか実際に見た者はいない。
「何を言ってるの?
…もしかして、この欠片が何なのか分かるの?」
イリオットは瞳をゆっくり閉じた後、少ししてラピスを再び見つめた。
その間少し悲しい表情をした気がする。
彼は何か大事なことを考える時、これをする癖があることをラピスは知っていた。
「それは、天界の扉の先にいる者たちのものだ。」
「……扉の先を…見たことがあるの…?」
扉の先には、もちろん物質界が広がっているだろう。
自分の1番近くにいる存在が、物質界のことを知っていたなんて!
「この話を知りたいのなら、禁忌には触れないと、私と約束してくれ。」
イリオットは、自分が卑怯な手を使っていると思った。
どうにかしてラピスを繋ぎ止めておきたい自分を押さえておけないのだ。
「わかった。私は消されたりなんてしないよ!
そんなことしたら、もうあなたとここに来れないでしょ?」
自信満々な様子のラピスを見てイリオットは目を伏せて静かに笑った。
これも彼の癖だ。仕方なく私を許してくれる時のーー
「それは、人魚の鱗だ。」
「にんぎょ…?人間とは違うの…??」
「ふ…、彼らは、人間ではない。どちらかというと私たちに近い存在だ。
天界の扉の先で、人間の魂を物質界に正しく送り出す、”魂送り”の仕事を任されている。」
「魂送り…。」
「彼らは私たちに似た姿をしているが、羽根は持たず、腰から下が海…ん、碧海を動き回るのに適した姿をしている。
説明が難しいが…。
お前が持っているそれは、彼らの身体の一部だ。彼らは身体に何枚もそれを着けている。」
「何枚も…?!…すごく、美しい姿なのね、きっと…!」
「ああ。でも、彼らは私たちよりも厳しく規律に縛られている。お前が不用意に関われば…。
泡になって消えてしまうだろう。」
イリオットがわざとらしく低い声で言った。
きっと私を怖がらせようとしている。
「ふふ、わかってるよ。無理に姿を見ようとしたりはしない。
でも、これはそんなに素敵なものだったのね!」
ラピスは人魚の鱗をまじまじと見つめた。天界にありふれた、眩しいほどの光にそれをかざしながら。
「私との約束は、忘れていないな?」
「忘れてない!
それにしても、イリオット…、あなたはどうしてそんなに私が知らないことを知っているの?」
イリオットは少し笑ってラピスが持っている人魚の鱗をひょいと取り上げて彼女の袋の中にしまった。
「私は、神のお気に入りなんだ。」
ーーー
イリオットは用があると言って、先に秘密の場所を後にした。
ラピスは秘密の場所に残り、座って碧海を眺めていた。
先ほど絶妙にイリオットにはぐらかされたことに少し腹を立てながらも、今日初めて知った知識にラピスは心踊った。
天界の扉の先にいる人魚、魂送りーー
なんだか自分が造られてからずっとこなしていた役割が急に誇らしく感じられた。
私が導いた魂が、人魚によって魂送りを受けて生まれ変わる…。
生命を、碧海を通じて天使と人魚が運ぶ。
こんなに美しいことがあるだろうか。
物質界には、秘密の場所に流れ着く様々な美しいものの他にも、人間たちが様々なものを抱えて生きているのだろう。
ラピスには、物質界の全てが美しく感じられ、惹かれるのだ。
どこか独りよがりで、変化のない天界にはないものが全てあるような気がしてーー
ラピスは物質界のことをよく知らない。
たまにここに流れ着く、用途のわからない宝物を眺めているだけだから。
それなのにどうしても心惹かれるのだ。
しかし、自分が禁忌を破ってイリオットを悲しませるのも嫌だった。
彼は私に甘いことをよく分かっているから…。
きっとそうなってしまえば、彼は自分を責めるだろう。
そうは言っても、ラピスは自分の好奇心を抑えておくことができないのだ。
ラピスは人魚の鱗を眺めて呟いた。
「はあ、あなたが私と喋れたらいいのにね。」
「喋れたらどうする?」
「え!?!?」
ラピスは驚いて人魚の鱗を空中に放り投げてしまい、碧海に落としてしまった。
「あっ…!」
ラピスが身を乗り出して碧海を覗き込むと同時に、ぱちゃん!と音がして顔に水がかかった。
ラピスが思わず一瞬目を閉じ、慌てて水を拭いて目を開けると、目の前に人魚の鱗が差し出されていた。
「大切なものなんでしょ?落としちゃダメだよ、可愛い天使さん。」
なんと目の前にいる見たことのないものは、碧海から身体を出してこちらに話しかけてきている。
玻璃のように様々な色を反射した銀色の長い髪と、同じ色合いを宿した瞳。碧海に続くであろう身体に視線を走らせても、なぜかその先は暗く、確認することができない。
天使であるラピスは、天使以外の天界の住人を見た事がなかった。
碧海に自分から入る天使がいるわけないし…。
「あ、あなたは…人魚…??」
ラピスが無意識に差し出した手に人魚の鱗を置いて、目の前の彼は口を開いた。
「へえ!人魚を知ってる天使がいるなんてね!
あいつも懐が深くなったのかな。
ああ、でも僕は人魚とは違うんだよね。」
未だに状況を理解できないまま、ラピスは瞳を丸くして彼の次の言葉を待った。
「天使は基本的に碧海に近寄らないじゃない?
なんか水辺に姿が見えるな~と思ったら、君だったわけ。
うん。興味が湧いてきたよ。」
ラピスはだんだんと動転する意識が正常に戻ってきた。
それと同時にある懸念が浮かんだ。
ーー目の前の彼が誰であれ、今私が持っている物質界の物のことがばれてしまうと禁忌に触れるかもしれない…!
さっと袋を背後に隠して、
「あの、人魚の鱗を…拾ってくれて、ありがとうございます。たまたま見つけたんです。」
苦し紛れにそう言うと、
「はは。禁忌を気にしてる?
大丈夫だよ。僕は天使の禁忌には興味がないから。
まあ、分かるように言うと僕は…碧海の神様かな!」
彼は自分を神様だと言う。
ラピスは一度だけ自分を造った神と会ったことがあるけれども、彼のようにはっきりとした姿はなかった。
光に包まれていることしかわからなかったからだ。
「神様…?」
「まあそこはどうでもよくて。
興味津々な君に、神様である僕が、これを!贈呈します。」
彼が差し出したのは1つの小さな石が装飾されたネックレスだった。
「これは、物質界で言う宝石さ。名前は、アクアマリン。
碧海を含む海の力を記録している。
君のこれからの旅路の役に立つはずだよ。」
宝石。緑青色の美しい色をしており、ラピスは一瞬でその石に釘付けになった。
「すごい、綺麗…!!」
「喜んでもらえてよかった!
じゃ、これからの君に、幸多からんことを。」
ラピスが瞳を輝かせてアクアマリンを凝視し、お礼を言おうと再び顔を上げた時には、彼の姿は消えていた。
「なんだったの…?」
ーーー
ラピスは上機嫌だった。
自分を神様と名乗る謎の男に貰ったネックレスは、彼女が今まで見た宝物の中で1番美しいと感じられた。
ーー碧海の力を記録した石。
その意味はよくわからないが、ラピスは時間があればその石を眺めて過ごした。
イリオットはもちろんラピスが上機嫌であることに気がついていたが、優しい微かな笑みを浮かべて彼女を眺めるだけで詳しくは聞かなかった。
一応、石を見られてしまった場合、何か小言を言われてしまうかもしれないので、彼がそばにいる時はそれを隠した。
「私はこれから長期の用事を済ませなければならないから、長く席を外す。
私がいなくても、悪いことはするなよ。」
天使の仕事は一定の周期で順番が回ってくる。
天界には時間の概念が無いが、感覚でそろそろ自分の番だということが感じられるようになっている。
イリオットは、どういうわけか他の天使たちよりも長期で不在になることがあった。
彼は理由を話そうとしないので、ラピスも深く聞くことはなかった。
「大丈夫だよ。私もそろそろ仕事をしなければならない順番だし、安心して。」
ラピスも自分の番が来ることをなんとなく感じていた。
この感覚の時は、本当にそろそろ仕事の順番が来るのだ。
「ああ。じゃあ、行ってくる。」
イリオットは誰よりも美しい大きな羽を広げて、天界の空へ羽ばたいていった。
自分の兄ながら、イリオットの羽は本当に美しいと思う。誰もが羨むのも納得だ。
そんなことを考えながら、ラピスはひらひらと手を振ってイリオットを見送った。
また神様にもらったアクアマリンを眺めようと思った時、頭の中に声が響いた。
“ラピス、あなたの仕事の番よ。
こちらへいらっしゃい。”
ーー私の番が来た。少し、どきどきしちゃうな。
ラピスは自分の仕事の順番が来ると、少し緊張する。
ずっと憧れている物質界と、魂を通して繋がる瞬間だからか、ひとつの生命を命として送り出す責任感がのしかかるからか。
他の天使は飄々と仕事をこなしているらしいけれど、ラピスはどうも毎回こうなってしまうのだ。
ーーイリオットは、私と違って完璧に仕事をこなしちゃうんだろうな。
彼はラピスと双子とされているけれども、規律を重んじる姿勢や厳格な態度は自分とは似つかないと思っていた。
色々なことが頭を巡りながらも、ラピスは羽を広げ、ゆっくりと碧海へと降りていった。
碧海の水がラピスの耳を塞ぐ。
天使は碧海に入ると自然に沈んでいくように神に設計されている。
この感覚が嫌いな天使もいるようで、ラピスも毎回少しだけ怖くなる。
ーーああ、この感覚…。
しかし、ラピスはひんやりとした水の感触は好きだった。
ずっとこのまま碧海に沈んで、一人ぼっちになってしまうのではないかというぼんやりとした恐怖と、静かで冷たい、碧海に抱きしめられているような心地よい感覚。
これから自分が導く魂に対する責任と、緊張。
様々なものが入り混じって、一瞬で碧海の底にたどり着いた。
「やあ、ラピス。
早速だけど、あなたに導いてもらう魂は彼女よ。
しっかり役目を果たしなさい。」
そう言って、ラピスに小さな玻璃製のかごを手渡した。
彼女は、天使の仕事を管理することを仕事として与えられている天使で、トリンという。
玻璃の上にいる天使たちよりも少し数が少なく姿と名前が全員同じで、その仕事は激務だと聞いている。
そのため、毎回順番が来た天使を呼び出した後は、事務的に素早く魂を割り当てる。
「わかりました。」
ラピスは今回自分が導く魂を見た。
魂は、静かにふわりと小さな光として輝き、浮いている。
「私があなたを導きます。こちらへ。」
これは、天使が魂に最初にかける言葉として定められているものだ。
これを言い、魂が返事をすることによって、天界において天使と魂が結びつくのだとか。
「はい。」
魂は小さな声で返事をした。
ラピスは魂を小さなかごに入れて碧海の底を歩く。
天界の扉は碧海をしばらく進んだところにあり、天使には進むべき道がわかるようになっているが、一切音がしないので寂しさを感じる。
しかし、生まれ変わりの順番を待っている魂の輝きがあたりを照らしており、静けさの中にも美しさがあって、ラピスはこの風景が好きだった。
天界の扉まで行く間、魂と会話をすることもできるが、天使によってするかしないかも違うし、会話を好む魂とそうでない魂がいる。
もちろん、魂は物質界に行けばこの時間のことは全て消去されてしまう。
ラピスは、毎回どうしても好奇心が勝って、魂に話しかけてしまう。
「会話をしても平気?」
魂はしばらく返事をしなかったので、ラピスは、今回はそういう番か…!と肩を落としかけたが、
「はい。」
と、小さな声が返ってきた。
ラピスは嬉しくて思わず声が弾んだ。
「ああ、よかった!あなたとぜひ会話をしてみたいの。」
「…はい。」
ーーこの魂は生前静かな子だったのかな。
魂は、天界の扉を出るまでは前世の記憶を保持しているらしい。
それは、以前ラピスが導いた魂が教えてくれたことだ。
「もしよければ、あなたの前世の話を聞きたいな。」
ラピスは魂の記憶を聞くのが好きだった。
楽しいことばかり話してくれる魂もいれば、悲しいことや、後悔ばかりを話す魂もいた。
そのいずれも、ラピスの物質界への憧れを強くさせた。
「…………い。」
手元の小さな魂は、静かに何か言葉を発した。
「?」
ラピスが不思議そうに魂のほうを見ると、彼女はもう一度言葉を発した。
「もう、生まれ変わりたくない。」
ラピスはこう言う魂と出会ったことがなかったので、とても驚いた。
それと同時に溢れる好奇心を抑えきれなかった。
「…どうして?」
「……もう、嫌なの……。」
この魂は、詳しく理由を教えてくれる気はないようだ。
「でも、人間の魂は、生きては死に、そして天界に還り…。生まれ変わり続けるように設計してしまっているの…。」
ラピスはこう言いながら、自分がイリオットみたいなことを言う時が来るなんて!と思った。
「あなたが、代わりに生まれ変わることはできないの?」
ーーえ…?
それは、可能ならばラピスにとっては願ってもないことだった。
自分が物質界に降りて、人間として生きる…!
そんな、ありえないことがもし可能なら…。
そう考えただけでラピスの心は高鳴った。
しかし、神に造られ、定められた自分の心はその高なる気持ちを押さえつけた。
「そん…なこと、出来ないよ…。」
「いいえ、できるはず。
私が読んでもらった童話では、契約を結べば、私たちは入れ替わることができるとあったわ。」
ーー童話…物質界の書物のことね。
以前、幼い魂が教えてくれた言葉だった。
「あなたが人間として生き、私の大切な人の幸せを見届けて。これが私の望む契約の条件。」
「え、ち、ちょっとまって…!」
「私と契約を結んで。」
魂の意思は堅いようだ。
ラピスは突然の提案に戸惑いながらも、今までずっと憧れてきた物質界への憧れが、心が勝手に人間になることを望んでしまう。
造られた心臓が激しく鼓動し、息も荒くなってしまう。
「わた…しは、人間になりたい……けど……!」
あなたの大切な人って?
どうやって見届ければいいの?
人間になったら、この目で美しいものをたくさん見て、触れられる…!
あの魂が言っていた恋や、いつかの魂が言っていた魔法…全部全部、自分で感じて、体験できるなんて…!!
頭の中で次々と言葉が浮かぶ。
言葉が口から出る前に、ラピスの胸のアクアマリンが光り輝いた。
「!?……これは……??」
「私と契約を、結んでくれる…?」
魂の言葉が頭の中で反響する。
ラピスはもう、自分の好奇心には勝てない。
素直になるしかなかった。
ラピスは、手元の魂を見据えて、言った。
「…わかった、結ぶ。私、人間になる。」
魂は小さな光の形だが、彼女が微笑んだような気がした。
「ありがとう。」
最後にこう聞こえた後、大きな虹色の影が見えて、ラピスは意識を失った。