エピソード4
「ラッキー、終わった」
オフィス街から少し外れたビルの屋上。ネロは狙撃銃を下ろしながら、屋上の入り口に向かって声をかけた。
ネロの本名はネロ・ラーナ。射撃の腕が優秀で、近距離だろうが遠距離だろうが確実に獲物をしとめるスナイパー。常に黒いスーツに身を包み暗闇で相手を狙う。暗闇に浮かぶ彼の赤い瞳を目撃した者の話が時々出回り、その性質上、裏社会ではブラッド・ストーンの異名を持ちながらも噂程度の存在として留められている。
ドアが開き、背の低い糸目の男が現れた。左肩に鳩がとまっている。
男の名はラッキー。おそらく偽名だが、本人がラッキーだと言い張るので深く追求していない。経歴も不明。裏社会の依頼を請け負い、話を持ってくる仲介人だ。
今回のパンプロナ商社長・秘書殺害の依頼も、ラッキーがどこからか持ってきた依頼だった。
「あとは任せた。金はいつもの駅のロッカーに入れておいてくれ」
「その件だけど、追加の依頼を受けた」
今回の仕事の報酬が書かれた小切手をちらつかせながら、ラッキーが言った。
「パンプロナと取引しているコールマン・ジュエリーっていう、運だけででかくなった会社がある。宝石をあしらった高級ジュエリーブランドをいくつも展開している。知っているか?」
「知らねえ」
アクセサリーには全く興味がないため、知る由もなかった。ちなみにネロは、自分の異名が宝石から取られているのを知らない。
「そこの会社がドラッグ売買に関わっているかどうか調べてほしい」
「調べ物はお前の管轄だろ」
「最後まで話を聞け。コールマンにはローサという娘がいる。結構かわいい」
だからなんだよと喉まで出かかったが、なんとか飲み込んで続きを聞く。
「簡潔に言う。そのかわいい箱入りお嬢様のボディガードになれ」
追加の依頼に、ネロの頭は一瞬真っ白になった。ラッキーは気にせずに話を続ける。
「コールマンがドラッグに関わっているか知りたがっている奴が他にもいて、既に屋敷に乗り込んでいる。そいつを捕まえてほしいってさ。お前、営業スマイル得意だろ。執事として送り込もうと思ったんだが、丁度お嬢様のボディガードを探していて、警備員の経歴があるって嘘吐いたらあっさり騙されて雇いたいって連絡が来た」
返す言葉が見つからず、ネロはその場に座り込んだ。警備員の経験があるからボディガードに来てほしいという意味がわからない。そんな社長でコールマン商社に未来はあるのかと、柄にもなく心配してしまった。
「調べ物は俺がするから、ネロはスパイを捕まえるのとボディガード業務よろしく。ローサお嬢様は屋敷から出てはいけないから行動範囲も狭いだろ。追加の仕事だし、報酬も上乗せだ。任せた」
何が任せただ。今すぐ撃ち殺してやろうか。狙撃銃を構えたい気持ちを必死に抑え、蚊の鳴くような声で了解と答えたのだった。
数日後、すぐにコールマン家で働き始めた。
ローサの第一印象は確かに可愛らしい、くらいのものだった。授業中は家庭教師がいるからと席を外してもいいし、入浴中に傍にいるわけにはいかない為、ボディガード業務は緩かった。
あまり親しくする気は一切なく、最低限のやり取りにとどめる予定だったが、初日に寝転んで本を読んでいることに注意してしまったのは失敗したと思ったが、物心つく前に片目を失った自分からすれば両目があることがうらやましく、大切にしてほしかった。
ラッキーの情報収集能力は実はとても優秀で、1週間後にはブランシェがクロで、彼女を送り込んだ輩についても調べ上げていた。飄々としているところは気に食わないが、調べ物の腕前はネロも信頼していた。
とは言えども、証拠がない。ローサと離れている間は暇だから暇つぶしがてらブランシェの弱みをつかむ為にメイドの雑用を手伝っていたら、向こうも何かを察したのか、ローサの誘拐を持ち掛けてきた。ローサを人質に違法ドラッグを入手するつもりだという。
コールマンがドラッグにかかわっていなくても、我が子可愛さに多額の身代金を支払ってくれるはずだから、デメリットはない、ということがブランシェの見解だった。
計画の詳細を聞き、二つ返事で了承する。すぐに野生のふりをしてあたりを飛び回っているラッキーの鳩に計画を記した手紙を託し、情報を伝えた。ローサを危険な目に合わせてしまうが、この手の作戦でお金を山分けはほぼないだろうからボディガードの名を使いブランシェ達相手に大暴れできる。それで解雇されれば元のスナイパー生活に戻れる。
手伝いのふりをしてこそこそと作戦会議をしていたら一部のメイドに不審がられたり、ローサの期限を損ねそうになってしまったのは己の未熟さゆえだ。なんとか正体を隠し通し当日を迎えた。
予想通り、ブランシェは最初からネロを裏切る予定だった。外の見張りを言いつけられ小屋の前に立っていたら、ブランシェの仲間達が襲い掛かってきた。ガタイの言い、大柄な男たちばかりだ。
肉弾戦は苦手だし、見えない左側から攻撃されたら勝ち目がない。間合いに入られる前に攻撃をしなければと、ネロは左側に来そうな奴らから順番に撃った。
すべての敵を片付け、本性を現したブランシェと対峙する。彼女自体は戦闘員ではないため、ナイフを取り上げてしまえばこっちが優勢だ。ナイフで左目を刺されてしまったのは誤算だったが、もともと見えていない目。問題ない。
再びブランシェに向けて発砲し、ローサを逃がした。
追いかけられると厄介だ。ブランシェの左大腿もネロは撃った。片足をやられたブランシェはその場に崩れ落ちた。反撃しようとナイフを探しているが出血がひどく、歩ける状態ではない。
ネロは黙って床に落ちたナイフを拾い、カーテンを閉められた窓を開けた。
「おーい、ラッキー。近くにいるんだろう」
窓からナイフを放り投げ、銃をブランシェの頭に突き付けながら、ネロは声を張り上げた。
「任務完了。この女だけでも連れて帰れば、何か情報を得るかもしれないぞ」
鳥が羽ばたく音がした。ローサを縛っていた縄を、今度はブランシェに使用する。後はラッキーに任せよう。
このまま自宅に戻ろうと思ったが、ローサのボディガードという立場だ。左目を抑えながら、ネロは町まで行った。いつの間にか夜明けが近い。
町の交番にローサはいた。長年使われているだろう椅子に座らされている。寝間着姿を酷に思われたのか、ブランケットを羽織っている。
オッドアイかつ左目にひびが入った男が交番に現れたからか、巡査たちはローサの時よりも驚いた。彼らには目もくれず、ローサの顔は輝いた。
「ネロ。無事でよかった」
目に涙をためながら、ローサが駆け寄ってきた。適当なサンダルを履かされたらしく、かぱかぱ鳴っている。
「怖い思いをさせて申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
営業用の笑顔に戻し、ローサに声をかける。笑顔を作ると左瞼が痛んだ。
ローサは無言で、ネロに思い切り抱き着いた。
「あのさ…助けてくれてありがとう」
「これが仕事ですから」
「それでも、嬉しかったよ」
「…それはどうも」
面と向かってお礼を言われたことが妙にむず痒く、素の表情になり思わずそっぽを向いた。ローサはその顔をみて微笑んだ。